虐げられた墨の華は、冷酷貴人の幸せな花嫁になりました

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 夜更けの墨神の社は、沈黙のなかに冷ややかな気配を孕んでいた。
 霞京の中心に佇む社殿の奥、ひときわ背の高い老人が墨神像の前で立ち止まる。社の長老、創太郎(そうたろう)。その眼差しは墨魂の揺らぎを見据えながら、微かに怒気を滲ませていた。

 「……あの娘が目覚めおったか」

 吐き捨てるような声。その皺だらけの顔に浮かぶのは懸念ではない。支配を脅かす者への露骨な憎悪だった。

 「あの娘の力が本格的に目覚める前に封じねばならぬ」

 創太郎は社殿の奥へとゆっくりと歩を進める。壁にかかる古墨の命字がその足音に震え、灯籠の火が揺れる。墨神像の影は長く、墨の底に潜む神意のように社の空気を引きしめていく。
 その足音が告げるのは、守護ではない。命字を盾にした支配の継続、そして異能の芽を摘み取るための準備であった。