虐げられた墨の華は、冷酷貴人の幸せな花嫁になりました

 ***
 宴に参加していた真美子は唇を噛んだ。血の味がした。
 しかし、それすらも怒りの熱にかき消される。
 清花。あの女が、筆聖である明臣の隣に立っていた。
 当然のごとく明臣の共鳴者として、妻として並んでいた。
 それだけで、腹が立って仕方がない。

 (あの女は、這いつくばっているべきだった。私の足元で、冷えた飯粒を拾っているべきだった。私の指先ひとつで怯えて、黙って泣いているべきだった。それなのに――)

 「明臣様の共鳴者ですって? 墨契婚ってどういうつもりよ」

 吐き捨てるように言った声が、夜の道に響いた。
 誰もいない。けれど、誰かに聞かせたいほどの怒りが、胸を焼いていた。
 三木谷の娘として筆匠の家に生まれ、礼儀も技も叩き込まれてきた。それなのに、あんな虫けらみたいな女が――

 「ふざけないでよ……!」

 真美子は爪を立てて掌を掴んだ。痛みが欲しかった。この怒りを、どこかにぶつけたかった。
 清花の顔が、脳裏に焼きついて離れない。
 あの目。あの肌。
 あの、なにも言わないくせに、すべてを見透かしているような気配。
 それはあのときと同じだった。
 二年前のあの日と――。

 真美子が密かに想いを寄せる男性が、三木谷家を訪れた日のことだ。
 通した客間に清花が盆を持って入ってきた。手が震えていた。
 緊張か、寒さか、そんなことはどうでもよかった。下女虫のことなど、筆匠の真美子が気にする必要はない。
 ところが清花の手から盆が落ち、器が転がる。
 母の眉が吊り上がり、口を開きかけたその瞬間だった。

 『手が冷えていたんでしょう。冬の水汲みは厳しいですから。大変ですね』

 そう彼が言った。やわらかく、しかし、たしかに場を制する声で。
 清花を見る目は、真美子に向けられたことがないほど優しいものだった。
 それだけ。たったそれだけだが、真美子は心底嫌だった。
 下女虫のくせに――。
 真美子は立ち止まり、肩で息をした。
 冷たい風が頬を撫でる。

 (あの女が、筆聖の中でも最高位と誉れ高い明臣様の共鳴者だなんて。それも逆筆の使い手なんてありえないわ。汚らわしい!)

 怒りが、悔しさが、渦となって心の中を荒れ狂う。心の中は熱く燃え滾っていた。

 「絶対にあってはならないわ。そうよ、絶対に! あそこに並び立つのは、この私以外にあってはならないんだから!」

 真美子の苦悩に満ちた声が、暮れゆく霞京の空に響き渡った。