虐げられた墨の華は、冷酷貴人の幸せな花嫁になりました

 明臣の言葉は、自分の存在を否定する世界に初めて差し込んだ、やわらかな灯のようだった。
 怖かった。でも、その言葉に縋りたい。そう思った自分を、責めることができなかった。
 明臣は清花の前に立ち、父を見下ろした。その背中は、まるで盾のように清花を守っている。

 「彼女は僕の共鳴者です。彼女の力を必要としています」

 筆聖たちの非難の視線が明臣と清花に突き刺さるが、明臣は動じず、正史郎と対峙した。
 正史郎の目は冷たく、その奥には怒りが滾っている。

 「この娘は穢れだ。やはりあのときに始末すべきだったのだ」
 「父上、彼女は僕と墨契婚を結んだ妻です。いくら父上とはいえ僕の判断に口を出さないでください」

 明臣の声は静かだったが、確固たる意志が込められていた。
 正史郎は一瞬、息子を見つめ、鼻で笑う。

 「愚かな息子だ」

 彼はそう言い残し、会場をあとにした。
 正史郎の背が遠ざかると筆聖たちのざわめきも次第に静まり、場には重たい沈黙が残される。誰もが言葉を失い、ただ清花と明臣の姿を見つめていた。
 その沈黙の中で、清花は明臣の背に残る余熱を感じながらゆっくりと歩き出した。

 宴は混乱のうちで幕を閉じ、清花と明臣はふたりで賀茂家の車に乗り込む。
 窓の外に霞京の光が流れる中、明臣はひと言も発せず沈黙を纏っている。
 その沈黙は重いのに、不思議と居心地が悪いとは思わなかった。彼はなにかと闘っているような、それでいて自分の中の静けさを守っているような、そんな横顔をしていた。

 (明臣様は……怒ってない。誰もが私を責めたのに……)

 墨魂が暴走した瞬間、自分は呪われた存在だと再認識した。誰かに穢れと呼ばれることには、もう驚かない。しかしあの祭壇の前で、明臣だけは立ち向かってくれた。迷いなく、ためらいなく。
 清花は、それだけで心が震える。膝の上で手を握りしめ、小さな声で問いかけた。

 「明臣様、なぜ……なぜ私を助けてくれたんですか?」

 月光に照らされた明臣が清花を見る。静かで、揺るがない眼差し。だがその奥には、どこか痛みを抱えているようにも見えた。

 「……君が穢れなら、僕もそうだ」

 その言葉が夜の静けさに溶けると、清花の胸に蓋をしていた感情がぽたりと滴るように崩れていく。

 (助けてくれたんじゃない……受け止めてくれたんだ)

 涙は自然に、静かに溢れた。それは謝罪でも懺悔でもなく、自分という存在が初めて居場所に触れた瞬間の涙だった。
 逆筆は呪いなのかもしれない。でも今日、清花はたしかに誰かを守れた。その小さな誇りと明臣の言葉が、清花の心に光を灯した。