虐げられた墨の華は、冷酷貴人の幸せな花嫁になりました

 梅から再び声がかかったのは、玄関の掃き掃除を終えたときだった。

 「明臣様がお呼びだ。広間へ来るようにと」
 「広間へ?」

 この時間、そこでは賀茂家の人間が朝食をとっている。命字の訓練にしては早く、いったいどんな用事だろうかと不可解に思いながら聞き返した。

 「ともかくお行き」

 梅もなにも知らされていないらしい。
 清花は箒と塵取りを片づけ、急いで広間へ向かった。

 広間に足を踏み入れた瞬間、張り詰めた空気に息を詰める。
 漆黒の床には朝の光が差し込み、障子越しの影が淡い模様を描いている。壁には賀茂家の家紋をあしらった掛け軸、香炉からは品のよい白檀の香が漂い、空間は凛とした緊張感に包まれていた。

 正史郎が中央に静かに座し、その隣には明臣、さらに並んで正史郎の弟とその妻が膳を前にしていた。
 大きなテーブルには家文書管理人の宗近など、正史郎に近しい場所で仕える人たちの顔ぶれもある。
 器も整っており、季節の食材が彩りよく並べられている。その光景は美しかったが、清花の心を沈ませたのはそこに座る人々の表情だった。

 「そこに座って」

 明臣の声が響いたとき、清花は一瞬思考が止まった。
 彼が指し示したのは賀茂家の面々が並ぶ末席。そこには彼らと同じように食事が用意されている。
 一緒に朝食を食べるなど、思ってもいなかった。格式高い空間にいる現実に、足元がぐらりと揺らぐような感覚を覚える。
 戸惑いを隠しきれぬまま膝をついた清花に、正史郎は一度も視線を向けなかったが、彼の弟とのその妻は露骨に眉を寄せた。不快感が言葉より先に空気に染み出している。誰も口には出さないが、その沈黙こそが拒絶よりも鋭い。

 ただ、明臣だけは視線を一度清花に向けると、それ以上なにも言わずに箸をとった。
 その静かな表情に、咎める気配はない。どちらかといえば穏やかな表情に見えたが、それは清花の勘違いだろうか。

 (こんな場に私がいてもいいの……?)

 しかし明臣が命じているのだから、拒むわけにはいかない。清花は膳の前に並べられた器にそっと手を伸ばす。胸の奥で思いが渦を巻き、味も匂いも感じられなかった。
 ひと口ごとに誰かの視線が刺さるようで、箸の動きがぎこちなくなる。それでも黙って従うしかなかった。