春が本格的に後宮を包み込む頃、帝都にはかつてないほどの静けさと尊崇の気配が漂っていた。
清婉は皇子を産み落とし、帝の寵愛を一身に受けた存在として、その姿だけで人々を魅了していた。
だが、彼女は決しておごることなく、優雅で静謐なまなざしを持ち続けていた。
母となり、華嫁から皇子の母たる存在へと昇華した今、その品位と気高さは、まさに“金の鳳凰”と称されるにふさわしいものだった。
「清婉様は……かつての冷宮にいた方とは思えぬ」
「慈愛と威厳を併せ持った、まるで皇后のよう……いや、それ以上かも知れません」
後宮の女たちの間でも、かつて彼女を侮った者たちは、いまや息を潜め、遠くからその背中を見つめるしかなかった。
義母や蘇瑶が企てた陰謀も、すでに過去のものとなり、清婉の前に立ちはだかる者は誰一人として存在しなかった。
ある朝。
清婉は、皇子を抱きながら御花園を静かに歩いていた。
その腕に抱かれた小さな命は、まだ世界の音を知らず、母の胸の中で微睡んでいた。
春風が柔らかく彼女の頬を撫で、花々が開く香りに包まれながら、清婉は静かに目を伏せた。
「……この子が大きくなる頃には、どうか、争いのない世でありますように」
その呟きは誰にも聞かれないほど小さなものだったが、確かな決意を含んでいた。
母としての強さ、そして帝の隣に立つ者としての覚悟が、彼女の中で目覚めていたのだ。
その日の午後、皇帝・凌煜は清婉のもとを訪れた。
玉座から降りてまで訪れるその姿に、侍女たちは道を譲り、誰一人として目を合わせようとはしなかった。
「清婉、今日も……よく皇子を見ていてくれたな」
「あなたが治めるこの国の未来を、私が腕に抱いているのですもの。自然と背筋が伸びるのです」
清婉はそう微笑み、そっと皇子を揺り籠に戻した。
その横顔に浮かぶ柔らかな気配と、内に秘めた鋼のような意志に、凌煜は思わず息をのむ。
「……お前はもう、すでに皇后として、すべてを備えている。いや、皇后などという枠では足りぬ」
「私は、ただあなたと、この子のそばにいられればそれでいいのです」
「だが、この国に必要なのは、お前のような“民に寄り添える者”なのだ。
高い玉座にあぐらをかくのではなく、心からこの国を想える者を……」
凌煜の言葉は重く、深く、まっすぐだった。
それは一人の帝王の選択ではなく、一人の男の想いだった。
その夜、正式な詔が発された。
「華妃・清婉を皇后とする。金の鳳凰、天に舞い上がる時なり」
後宮に響き渡ったその詔に、女たちは一斉にひれ伏した。
中には悔しさに拳を握り締める者もいたが、もはや誰も異を唱えることはなかった。
なぜなら、清婉こそが“真の皇后”と呼ぶにふさわしい人物であることを、
後宮の誰もが認めていたからだ。
即位の儀の日、清婉は鳳凰の刺繍が施された金の衣をまとい、御階段を静かに登った。
その歩みはゆっくりと、しかし一歩ごとに気品と覚悟が滲み出ていた。
凌煜がその手を差し出すと、清婉はそっと微笑み、指を絡めた。
「私の華嫁よ。これより先、共にこの国を治めよう」
「はい、陛下。私は、あなたと共に歩んでまいります」
二人の手が重なった瞬間、百官がひざまずき、満場に歓声が響いた。
空には金の鳳凰が舞うように風が駆け、花びらが祝福のように降り注いだ。
こうして、かつて虐げられた名家の娘・清婉は、
愛と信念によって、自らの手で皇后という座を勝ち取った。
その姿は後宮の女たちだけでなく、帝国全土に生きる者たちの希望となり、
新たな時代の幕開けを、確かに告げていた――。



