皇城の西庭には、白梅が静かに咲いている。
 まだ春浅く、冷たい風が頬を撫でる中で、
 その純白の花は、まるで帝国の希望そのもののように凛としていた。

 清婉はその木の下に立ち、静かに空を見上げていた。
 その瞳には、かつての苦しみも、迷いも、もうなかった。

 代わりにそこにあるのは――

 覚悟と、深い慈愛。

 彼女の後ろに立つ一人の女官が、そっと口を開く。

 「皇后様……いよいよ、今日ですね。『鳳凰冠』の戴冠式」

 清婉は頷き、静かに微笑んだ。

 「この冠は、私個人のためのものではありません。
 民のため、国のため、そして、あの子の未来のため――すべてを背負う覚悟として、私は受け入れるつもりです」

 

 その日、後宮全体が厳かな空気に包まれていた。

 【鳳凰冠】――
 それは代々の皇后の中でも、特に民に深く愛され、帝と並び立つと認められた者にしか授けられない特別な象徴。
 それを戴くことは、帝国の象徴として、名実ともに“帝の伴侶”となることを意味していた。

 豪奢な金糸の礼服を身に纏った清婉は、左右から侍女に付き添われ、ゆるやかに階段を上る。
 玉座の前で待っていたのは、正装の凌煜だった。

 彼はすぐに微笑むこともせず、厳粛な表情のまま彼女に向かって一歩、踏み出した。

 「清婉。お前は、俺の華嫁として、皇子の母としてそして、帝国を照らす光として、長きにわたりすべてを支えてきた。その誇りと敬意をもって、俺は、今日この冠を授けよう」

 そして玉座の横に置かれた金の鳳凰冠が、慎重に持ち上げられる。

 羽を広げた鳳凰が、宝玉を抱いて輝くその冠は、まさに皇后の象徴そのものだった。

 凌煜はその冠を、自らの手で清婉の頭上へと捧げる。

 「我が后よ。お前は、今この瞬間より、
 永遠に帝国の鳳凰であり、すべての者の希望となる」

 その言葉に、御前に並ぶ臣下たちは一斉に頭を下げた。

 「皇后様、万歳――!」

 その声が殿内に響き渡る中、清婉の目に、ふっと涙が浮かぶ。

 けれど、それは悲しみではなく――深い誓いの証だった。

 

 戴冠式の後、宴の最中に開かれた小さな家族の空間。

 皇子は元気に走り回り、臣下たちが目を細めて見守る中、
 凌煜と清婉はゆっくりと杯を交わしていた。

 「……陛下」

 「なんだ?」

 「私は、もう悔いがありません。
 貴方と出会い、こうして愛され、子を授かり、
 そして帝国のために生きられる。それだけで……十分です」

 凌煜は静かに彼女の手を取り、重ねた指を見つめながら言った。

 「違う。俺はまだ、お前に与えたいものがある」

 「……何を?」

 「“老いても、隣にいる”という未来を」

 清婉の瞳に、また涙が光った。

 「お前と共に老い、お前と共に国を見届けたい。
 そして、命尽きる日が来ても――最後まで、お前の夫でいたい」

 その言葉に、清婉はゆっくりと頷いた。

 「私も、同じ願いです。どこまでも、貴方の華嫁でいさせてください」

 
 夜が更け、宴が静かに終わりを迎える頃。

 二人きりになった寝殿で、凌煜は清婉の髪を梳きながら、ぽつりと呟いた。

 「清婉。お前は、かつて名家に生まれ、後宮に苦しめられたが……
 それでも俺は信じていた。お前こそが、帝の隣にふさわしい唯一の存在だと」

 清婉はそっと彼の胸に身を寄せた。

 「私は、ただの華嫁でした。
 けれど、貴方が“妻”と呼んでくれたその日から、私は……生まれ変わったのです」

 「これからも共に歩もう。国も、家族も、すべて――お前と共に築いていく」

 そう言って彼は、静かに唇を重ねた。

 その口づけは、誓いであり、未来への契りであった。

 

 そして、金の鳳凰冠を戴く皇后として――
 清婉は帝国に、永遠の愛と希望をもたらす者となった。

 彼女の名は、歴史の中で語り継がれ、
 ただの后妃ではなく、“帝国の魂”と讃えられる存在となる。

 その全ては、ひとつの愛から始まった。

 「華嫁」として選ばれた少女は、
 今や、万民の母として、帝国に君臨していた――。