「お待たせいたしましたっ」
「おぉ〜!こちらのお料理のお名前は?」
「そうですねぇ。パーフェクトたまご粥、とでも名付けましょうか……っておい!笑うな!ここまで来たら役に入り込め!」
「ふふ、だって、パーフェクトたまご粥って……ふはっ、本当にそのまんまじゃん」
「卵焼きとか目玉焼きはどうなるんですかー。ありのまま命名するのも悪くないと思いますけど?」
「ごめんごめん、最高だよ……じゃ、奏斗シェフ、いただきます」
笑いすぎて瞳を潤ませた星那が、たまご粥をゆっくりスプーンで掬う。
ふーふーとそれを冷ましながら、さらさらの金髪を耳にかける。
ぱくり。
たまご粥が口の中へ消える。
星那は瞼を閉じて、じっくりとそれを味わっているようだ。
ごくん。
喉仏が上下に動き、それは飲み込まれた。
星那はゆっくりと目を開ける。
その瞳には、俺が大好きなきらりとした光が宿っていた。
「奏斗」
ああ、やっぱり、星那は、美味しそうに食べるな。
その顔が、愛おしくて愛おしくて堪らないんだ。
「美味しいよ」
「……当然だろ」
「美味しすぎて、涙が出てくるなんて……俺、幸せだなぁ」
星那の頬に伝う涙を見たせいで、俺まで泣けてきたじゃねーか。
そんなに泣きながら食ってさ……しょっぱくなっても文句言うなよな。
「……初めて作ってくれたのも、たまご粥だったよね」
「あのときは塩しかなかったけどな。今回は色々調味料もあったし、その名の通り『パーフェクト』なお粥だ」
「ふふ、パーフェクトたまご粥……ふふ」
「おい!バカにすんなよ!いいか、パーフェクトたまご粥の作り方を説明してやる。まず、鍋にご飯と水を入れるだろ。それから……」
俺が作り方を説明している間に、星那はぱくぱくとお粥を食べ進め、あっという間に完食してしまった。
多分、作り方は聞いていなかったと思う。
「ごちそうさまでした。奏斗、本当に美味しかったよ。ありがとう」
「……ちょっとは調子が戻ったかよ」
「うん。すごく元気出た」
「なら、良かったけど……」
「……奏斗」
名前を呼ばれて、次の瞬間には、ぎゅう、と抱きしめられていた。
星那の匂いが肺いっぱいに広がって、胸がじんじんと熱くなる。
「……この間は、ごめんね。俺、酷いこと言った。本当に、ごめんね……」
星那が耳元で何度も謝罪の言葉を溢す。
俺たちがぶつかったあの日も、星那はこんな風に、震えたか細い声を出していた。
あの日の俺は、その声を掬い上げる余裕がなかったけど、今日はちゃんと、全部聞くから……全部、伝えるから。
星那の背中に腕を回して、星那がそうしてくれたように、俺もぎゅう、と抱きしめた。
「……俺も、ごめん。自分の気持ちばっかり優先して、勝手に盛り上がって、勝手に怒って……」
「……本当はね、嬉しかったよ。奏斗が俺との距離を縮めようとしてくれて、嬉しかった」
「でも……嬉しいだけじゃ、なかっただろ」
「……ねぇ、奏斗」
ゆっくりと身体を離すと、星那は俺の両手をぎゅ、と握って、こう問いかけた。
「俺の昔話、聞いてくれる?」
俺はその手を握り返して、首を縦に振った。
「……小学生の頃ね、俺、みんなと髪や瞳の色が違うことが、不安だったんだ。変に目立って、何か言われるんじゃないか、仲間外れにされるんじゃないかって」
でも、実際はその逆で、みんな仲良くしてくれたし、むしろ綺麗だと褒めてくれた……と星那は続けた。
「そういう経験をしちゃったから……みんなと違うところがあっても受け入れてもらえるんだって、なんとなく思ってたんだ」
でも、中学に入って、そんな星那の考えを打ち砕く出来事が起こってしまったという。
何気ない、中学生の恋バナに過ぎなかった。
「好きな人はいる?って聞かれたとき、その当時気になってた男子の名前を、バカ正直に言っちゃってさぁ……」
次の日から、みんなに避けられるようになったんだよね、と星那は自嘲気味に笑った。
「そのとき知ったんだ。この人たちは、俺がクォーターであることは受け入れられても、ゲイであることは受け入れられないんだって。内面って、見た目と違って分かりにくいからかな……」
どこにいても、誰かに指を差されているような気がする。
すれ違う人たち全員に、自分の性的指向を知られている気がする。
この学校に、この街に、自分の居場所はない。
星那は、どんどん追い詰められて……実家から離れた高校に通うことを決めたらしい。
「幸い、両親は理解のある人だったからね。俺が生きやすくなるなら……って。一人暮らしも、バイトすることを条件に認めてくれた」
地元を離れても、星那の心の傷が癒えたわけではない。
本当の自分を隠すために、痛みを紛らわせるために、あえて女の子と遊ぶようになって……。
「俺が寝てる間、早瀬と会った、よね?」
「うん……早瀬さんが電話をくれて、星那を運ぶのも手伝ってくれた」
「……色々、聞いた?」
「っ、多分……」
「そっか……軽蔑したでしょ、未遂とはいえ」
「け、軽蔑はしねぇよ!俺には、想像することしかできねーけど、絶対……絶対、苦しかったろ」
もどかしい。
大切な人の痛みを、どんなに想像しても、実感はできないということが。
本当の意味で分かってあげられないことが。
今、目の前にいる人の苦しみを、俺は……。
「ふふ、奏斗、ハグしてくれるの?」
「っ……」
「……入学した頃から、奏斗からの視線はよく感じてた。なんとなく俺も目で追うことが増えて……可愛い子だなって思ってたよ」
「!?か、かわ、そ、それは、嘘だろ……」
「嘘じゃないよ。でも、めっちゃ嫌われてるな〜って思ってた」
「うっ……」
確かに、一方的に星那を眺めていた頃は、女遊びの激しいモテ男め!なんて思ってたから、睨まれていると思われてもおかしくない顔つきをしていたかもしれない。
「だからさ、奏斗と仲良くなれて……純粋に嬉しかったんだ。宗一郎や幸まで友達になってくれて。このまま……この距離感で、上手くやっていける。今度こそ間違えないように気をつけたら、ずっと仲良くいられる……そんなこと考えてた」
星那はそこまで言うと、俺の手を取って、そっと指を撫でる。
「奏斗と過ごせば過ごすほど、そんなプランは崩れていくのが分かった……止められなくて、もう少しだけ、あとちょっとだけって……結局押し倒しちゃうし、焦って奏斗を避けちゃうし、突き放しちゃうし……」
「……そう言ってくれたら良かったのに。ふざけただけって誤魔化されて、俺も焦ったんだぜ……俺は、本気にしちゃってたのにさ」
星那の目を見て、分かりやすく拗ねた顔をしてみせた。
「……!じゃあ、奏斗の言動は……その……俺が本気だと思った上でやってたってことで……いいんだよね?」
「っ、そうだって、言ってんだろ……」
さすがに、もう、限界で、恥ずかしくて死にそうだから、目を逸らしてぼそりと呟いた。
星那に握られている手が、熱い体温と緊張のせいで汗ばんでいく。
「……奏斗」
「っ……」
「奏斗」
目を合わせるまで呼び続ける、と暗に言われているようだった。
ゆっくり視線を交えると、優しい甘さを含む微笑みを浮かべながら、星那が口を開いた。
「誤魔化してごめん。中途半端なことしてごめん。俺は、俺はね……奏斗のことが好きだよ、大好きだよ!」
「……!」
「これからも、過去のことを思い出してしまうことは、あると思う……でも、もう、絶対に逃げないから。奏斗から、逃げないから。だから……俺の恋人に、なってくれませんか?」
いつかその日が来ることを夢見ていた。
放課後の教室でもいい、
二人きりの帰り道でもいい、
観覧車の一番上でもいい。
いつか、漫画や小説みたいに、大好きな人に告白される……そんな日が来ることを、夢見ていたんだ。
でも、今まで読んだどんなに素敵な告白シーンも、
星那の告白には、到底勝てないな―――。
「俺も……星那が好きだ。もし、これから辛いことがあったら、なんでも聞くし、美味い飯も作るし……!っ、だから、その……恋人に、っ、して、ください……」
ドキドキして、バクバクして、あつい。
ただただ好きだって気持ちが、とめどなく心の底から溢れ出してくる。
星那も、俺と、同じかな……?
「奏斗……俺たち、恋人、だね」
「わざわざ、言うな、ばか……」
「奏斗」
「っ……」
蜂蜜のようなとろりと甘い声に鼓膜をくすぐられ、全身が星那の熱に浮かされる。
星那が好きで、大好きで、愛おしい……。
「ん、っ……」
柔らかい唇が重ねられて、やけどしそうな温度の愛情をどくどくと注ぎ込まれる感覚がする。
喉が焼けそうなほどに甘くて、このまま全身を委ねてしまいたいほどに優しい……そんなファーストキス。
「……可愛い、奏斗」
「っ、」
「ねぇ、なんでそんなに可愛いの」
「っ……ぁあー!もう!限界だ!!帰らせていただきます!!」
「あっ、ちょ、奏斗〜!」
死因がときめき過剰摂取なんてことになるのはごめんだ!と思い、急いで荷物をまとめる。
玄関へ向かおうとしたとき、視界の端にかぴかぴになった鍋が映った。
「星那!鍋はしばらく水につけとけ!かぴかぴすぎてカピバラになる前に早く!」
「か、カピバラ……?」
もう頭がおかしくなっている。
星那のせいだ。
甘々なキスをして、甘々な言葉を浴びせてきたせいだ。
「奏斗っ!」
「っ、な、何、」
玄関の扉を開けようとしたとき、手首をぎゅ、と掴まれた。
振り向くと、俺のことを愛おしそうに見つめてくる恋人。
「また明日ね!」
「……!……また、明日っ」
俺は小さく手を振るのが精一杯だったけど、星那は、心底嬉しそうに笑った。
◇
◇
◇
「それで……相談なんだけど」
『うんうん』
俺は今、ベッドに寝転がり、たった三時間前まで一緒にいた恋人に電話をかけている。
これは決して付き合いたてで浮かれているからではなく、重要な話をするのを忘れていたからだ。
「付き合ってること……宗一郎と幸には言いたいなって思うんだけど……どう?」
『そう、だよね……』
「……やっぱり、怖いか?」
『怖くないと言えば、嘘になるよ……高校に入ってから、初めてちゃんと友達になってくれた人だから、失いたくないって思う』
電話越しでも分かる。
星那の心が、不安の中で揺れていること。
「……俺さ、思うんだけど……星那のことを避けた奴らの中にも、本当は星那と仲良くしたい人や、他にも男が好きな人がいたかもしれない。時代や環境に左右されて、それを表に出せなかったとしても……」
『……うん……』
「えっと、そして……全員に受け入れられることはないって、裏返せば、受け入れてくれる人も必ずいると思うんだ。そういう人だけ大切にして生きていけば、いいんじゃねーかって……わりぃ、なんか、まとまってないよな」
『ううん……大丈夫、ちゃんと伝わってるよ』
星那の声が少し柔らかくなったような気がして、俺の心にも温かい安心感が生まれた。
「これは、根拠のない……強いて言えば、俺が二人と過ごしてきた時間が根拠なんだけど……宗一郎と幸は、俺たちのことを受け入れてくれる人たちだ。そして、何よりさ……い、今は、俺がいるだろ」
『奏斗……』
「俺が、絶対、ずっと、星那と一緒に、いるから……あ〜〜〜!やっぱこういうの慣れねー……」
じわじわと襲ってくる恥ずかしさに悶えていたら、電話の向こうで、かすかに鼻を啜る音が聞こえた。
「せ、星那?大丈夫か?」
『ふふ、大丈夫。嬉しくて、安心したっていう涙だよ』
「な、なんだよ、良かった……」
『奏斗、ありがとう。よし!明日、宗一郎と幸に、恋人になれたよって、一緒に話そう』
「……おう!」
明日、いざ話すとなったら、星那も俺も、やっぱり怖いと思うだろうし、緊張もするだろう。
でも……星那には俺がいるし、俺には星那がいる。
一人から二人になること、二人で手を取り合うこと……きっと、どんなにすごい魔法でも敵わない強さがそこにある。
『……ねぇ、奏斗』
「んー?」
重要な話し合いもひと段落して、一気に眠気が襲ってきたとき、星那もまた眠そうに俺を呼んだ。
『今、ベッドで電話してるの?』
「そうだけど」
『ふふ』
「なんだよー」
『俺もね、ベッドに寝転がってるんだけど……こうやって、』
「ひゃ、っ、」
星那の声が急に近くなって、高音質イヤフォンをはめていた耳の奥がぞわぞわっと刺激される。
『近くで話してるとさ……すぐ隣で寝てるみたいじゃない?』
「っ、うん……」
ただでさえ眠くてぼーっとしてる頭が、星那の甘ったるい声にのぼせて、ふわふわして、心地いい。
『……今度は、ほんとに一緒に寝ようね』
「おとまり……?」
『そ、お泊まり。奏斗、お泊まりしたい?』
「ん……する……」
『奏斗……眠いんだねぇ』
「んー……」
『……奏斗?』
「……」
『……ふふ、おやすみ』
◇
◇
◇
「おい!こ、これ、どういうことだよ!」
「どういうことって、そのまんまの意味だよ。奏斗は朝から元気だね〜」
「そのまんまって……ぉおい、どさくさに紛れて頭わしゃわしゃすんな」
朝起きたら、星那から届いていたメッセージ。
『奏斗って、眠いと素直になるんだね』
『昨日の夜、可愛かったよ』
……最悪だ……。
うとうとしてたから覚えてねーんだよ……。
あといちいち変な言い方すんな……。
「おーい二人とも!おはよん♪」
「あ、宗一郎……幸も……」
星那と話していたら、宗一郎と幸が声をかけてくれる。
いよいよ……打ち明けるんだ。
心臓の鼓動が、徐々に速くなる。
「おはよ。メッセージ見たが……まだホームルームまで時間もあるし、屋上の階段あたりにでも行くか」
「……うん、ありがとう」
俺と星那から話があるということは、既にメッセージを送って伝えておいた。
だから、もう、ほとんど言っているようなもんなんだけどな……。
俺と星那、そして宗一郎と幸は、屋上に続く階段の踊り場へ向かった。
次の春が来るまでは、屋上でお弁当を食べることはないと思うけど……ここ、なんか落ち着くから、たまに来るのもいいかも。
「あー、えっと、わざわざ悪いな、なんか……」
「ぜーんぜんっ。んなこと気にしないで!」
「宗一郎、ありがと……その、二人に、聞いてほしいことが、」
「待って」
「!星那……」
星那が俺の言葉を遮って、手を握ってくる。
その碧色の瞳に揺らぎはなく、まっすぐな眼差しが俺を射抜いた。
「俺から言ってもいい?」
「……うん」
星那は優しく微笑んだ後、宗一郎と幸に視線を移した。
「……ここ最近、俺と奏斗の喧嘩で、気を遣わせてしまってごめん!二人とも、大事な友達なのに……何も言わず、逃げるみたいになってた」
「ちょっとー星那くん?」
「っ、宗一郎……」
「俺たち、謝罪聞くために来たんじゃないんだけどっ!」
「……!」
宗一郎は幸の肩に腕を回して、ニカっと笑った。
幸も、釣られるように口角を上げる。
「……ふふ、二人とも、ありがとう。えっと……では、俺と奏斗からの報告で……」
星那が、繋いだ手を二人に見せるように上げるから、ぶわっと顔が熱くなる。
「俺たち、カップルになりました!」
「な、なりました……」
「っ!すごい!嬉しい!良かったね!!めでたい!!」
「星那、奏斗、おめでとう」
「「ありがとうございます……」」
二人とも拍手をして、まるで自分の恋が叶ったかのように喜んでくれた。
星那の顔を見上げると、その綺麗な瞳が潤んでいたから、俺まで朝から泣いてしまった。
涙腺の緩いカップルの涙を笑いながら拭ってくれた宗一郎の背後で、静かにそれを見守る男の恋が実ったなら、今度は俺たちに祝わせてほしい……そう思った。
実った恋、今も密かに育つ恋、生まれたばかりの恋……。
様々な色の恋が灯るこの街に、まもなく、クリスマスが訪れる―――。
「おぉ〜!こちらのお料理のお名前は?」
「そうですねぇ。パーフェクトたまご粥、とでも名付けましょうか……っておい!笑うな!ここまで来たら役に入り込め!」
「ふふ、だって、パーフェクトたまご粥って……ふはっ、本当にそのまんまじゃん」
「卵焼きとか目玉焼きはどうなるんですかー。ありのまま命名するのも悪くないと思いますけど?」
「ごめんごめん、最高だよ……じゃ、奏斗シェフ、いただきます」
笑いすぎて瞳を潤ませた星那が、たまご粥をゆっくりスプーンで掬う。
ふーふーとそれを冷ましながら、さらさらの金髪を耳にかける。
ぱくり。
たまご粥が口の中へ消える。
星那は瞼を閉じて、じっくりとそれを味わっているようだ。
ごくん。
喉仏が上下に動き、それは飲み込まれた。
星那はゆっくりと目を開ける。
その瞳には、俺が大好きなきらりとした光が宿っていた。
「奏斗」
ああ、やっぱり、星那は、美味しそうに食べるな。
その顔が、愛おしくて愛おしくて堪らないんだ。
「美味しいよ」
「……当然だろ」
「美味しすぎて、涙が出てくるなんて……俺、幸せだなぁ」
星那の頬に伝う涙を見たせいで、俺まで泣けてきたじゃねーか。
そんなに泣きながら食ってさ……しょっぱくなっても文句言うなよな。
「……初めて作ってくれたのも、たまご粥だったよね」
「あのときは塩しかなかったけどな。今回は色々調味料もあったし、その名の通り『パーフェクト』なお粥だ」
「ふふ、パーフェクトたまご粥……ふふ」
「おい!バカにすんなよ!いいか、パーフェクトたまご粥の作り方を説明してやる。まず、鍋にご飯と水を入れるだろ。それから……」
俺が作り方を説明している間に、星那はぱくぱくとお粥を食べ進め、あっという間に完食してしまった。
多分、作り方は聞いていなかったと思う。
「ごちそうさまでした。奏斗、本当に美味しかったよ。ありがとう」
「……ちょっとは調子が戻ったかよ」
「うん。すごく元気出た」
「なら、良かったけど……」
「……奏斗」
名前を呼ばれて、次の瞬間には、ぎゅう、と抱きしめられていた。
星那の匂いが肺いっぱいに広がって、胸がじんじんと熱くなる。
「……この間は、ごめんね。俺、酷いこと言った。本当に、ごめんね……」
星那が耳元で何度も謝罪の言葉を溢す。
俺たちがぶつかったあの日も、星那はこんな風に、震えたか細い声を出していた。
あの日の俺は、その声を掬い上げる余裕がなかったけど、今日はちゃんと、全部聞くから……全部、伝えるから。
星那の背中に腕を回して、星那がそうしてくれたように、俺もぎゅう、と抱きしめた。
「……俺も、ごめん。自分の気持ちばっかり優先して、勝手に盛り上がって、勝手に怒って……」
「……本当はね、嬉しかったよ。奏斗が俺との距離を縮めようとしてくれて、嬉しかった」
「でも……嬉しいだけじゃ、なかっただろ」
「……ねぇ、奏斗」
ゆっくりと身体を離すと、星那は俺の両手をぎゅ、と握って、こう問いかけた。
「俺の昔話、聞いてくれる?」
俺はその手を握り返して、首を縦に振った。
「……小学生の頃ね、俺、みんなと髪や瞳の色が違うことが、不安だったんだ。変に目立って、何か言われるんじゃないか、仲間外れにされるんじゃないかって」
でも、実際はその逆で、みんな仲良くしてくれたし、むしろ綺麗だと褒めてくれた……と星那は続けた。
「そういう経験をしちゃったから……みんなと違うところがあっても受け入れてもらえるんだって、なんとなく思ってたんだ」
でも、中学に入って、そんな星那の考えを打ち砕く出来事が起こってしまったという。
何気ない、中学生の恋バナに過ぎなかった。
「好きな人はいる?って聞かれたとき、その当時気になってた男子の名前を、バカ正直に言っちゃってさぁ……」
次の日から、みんなに避けられるようになったんだよね、と星那は自嘲気味に笑った。
「そのとき知ったんだ。この人たちは、俺がクォーターであることは受け入れられても、ゲイであることは受け入れられないんだって。内面って、見た目と違って分かりにくいからかな……」
どこにいても、誰かに指を差されているような気がする。
すれ違う人たち全員に、自分の性的指向を知られている気がする。
この学校に、この街に、自分の居場所はない。
星那は、どんどん追い詰められて……実家から離れた高校に通うことを決めたらしい。
「幸い、両親は理解のある人だったからね。俺が生きやすくなるなら……って。一人暮らしも、バイトすることを条件に認めてくれた」
地元を離れても、星那の心の傷が癒えたわけではない。
本当の自分を隠すために、痛みを紛らわせるために、あえて女の子と遊ぶようになって……。
「俺が寝てる間、早瀬と会った、よね?」
「うん……早瀬さんが電話をくれて、星那を運ぶのも手伝ってくれた」
「……色々、聞いた?」
「っ、多分……」
「そっか……軽蔑したでしょ、未遂とはいえ」
「け、軽蔑はしねぇよ!俺には、想像することしかできねーけど、絶対……絶対、苦しかったろ」
もどかしい。
大切な人の痛みを、どんなに想像しても、実感はできないということが。
本当の意味で分かってあげられないことが。
今、目の前にいる人の苦しみを、俺は……。
「ふふ、奏斗、ハグしてくれるの?」
「っ……」
「……入学した頃から、奏斗からの視線はよく感じてた。なんとなく俺も目で追うことが増えて……可愛い子だなって思ってたよ」
「!?か、かわ、そ、それは、嘘だろ……」
「嘘じゃないよ。でも、めっちゃ嫌われてるな〜って思ってた」
「うっ……」
確かに、一方的に星那を眺めていた頃は、女遊びの激しいモテ男め!なんて思ってたから、睨まれていると思われてもおかしくない顔つきをしていたかもしれない。
「だからさ、奏斗と仲良くなれて……純粋に嬉しかったんだ。宗一郎や幸まで友達になってくれて。このまま……この距離感で、上手くやっていける。今度こそ間違えないように気をつけたら、ずっと仲良くいられる……そんなこと考えてた」
星那はそこまで言うと、俺の手を取って、そっと指を撫でる。
「奏斗と過ごせば過ごすほど、そんなプランは崩れていくのが分かった……止められなくて、もう少しだけ、あとちょっとだけって……結局押し倒しちゃうし、焦って奏斗を避けちゃうし、突き放しちゃうし……」
「……そう言ってくれたら良かったのに。ふざけただけって誤魔化されて、俺も焦ったんだぜ……俺は、本気にしちゃってたのにさ」
星那の目を見て、分かりやすく拗ねた顔をしてみせた。
「……!じゃあ、奏斗の言動は……その……俺が本気だと思った上でやってたってことで……いいんだよね?」
「っ、そうだって、言ってんだろ……」
さすがに、もう、限界で、恥ずかしくて死にそうだから、目を逸らしてぼそりと呟いた。
星那に握られている手が、熱い体温と緊張のせいで汗ばんでいく。
「……奏斗」
「っ……」
「奏斗」
目を合わせるまで呼び続ける、と暗に言われているようだった。
ゆっくり視線を交えると、優しい甘さを含む微笑みを浮かべながら、星那が口を開いた。
「誤魔化してごめん。中途半端なことしてごめん。俺は、俺はね……奏斗のことが好きだよ、大好きだよ!」
「……!」
「これからも、過去のことを思い出してしまうことは、あると思う……でも、もう、絶対に逃げないから。奏斗から、逃げないから。だから……俺の恋人に、なってくれませんか?」
いつかその日が来ることを夢見ていた。
放課後の教室でもいい、
二人きりの帰り道でもいい、
観覧車の一番上でもいい。
いつか、漫画や小説みたいに、大好きな人に告白される……そんな日が来ることを、夢見ていたんだ。
でも、今まで読んだどんなに素敵な告白シーンも、
星那の告白には、到底勝てないな―――。
「俺も……星那が好きだ。もし、これから辛いことがあったら、なんでも聞くし、美味い飯も作るし……!っ、だから、その……恋人に、っ、して、ください……」
ドキドキして、バクバクして、あつい。
ただただ好きだって気持ちが、とめどなく心の底から溢れ出してくる。
星那も、俺と、同じかな……?
「奏斗……俺たち、恋人、だね」
「わざわざ、言うな、ばか……」
「奏斗」
「っ……」
蜂蜜のようなとろりと甘い声に鼓膜をくすぐられ、全身が星那の熱に浮かされる。
星那が好きで、大好きで、愛おしい……。
「ん、っ……」
柔らかい唇が重ねられて、やけどしそうな温度の愛情をどくどくと注ぎ込まれる感覚がする。
喉が焼けそうなほどに甘くて、このまま全身を委ねてしまいたいほどに優しい……そんなファーストキス。
「……可愛い、奏斗」
「っ、」
「ねぇ、なんでそんなに可愛いの」
「っ……ぁあー!もう!限界だ!!帰らせていただきます!!」
「あっ、ちょ、奏斗〜!」
死因がときめき過剰摂取なんてことになるのはごめんだ!と思い、急いで荷物をまとめる。
玄関へ向かおうとしたとき、視界の端にかぴかぴになった鍋が映った。
「星那!鍋はしばらく水につけとけ!かぴかぴすぎてカピバラになる前に早く!」
「か、カピバラ……?」
もう頭がおかしくなっている。
星那のせいだ。
甘々なキスをして、甘々な言葉を浴びせてきたせいだ。
「奏斗っ!」
「っ、な、何、」
玄関の扉を開けようとしたとき、手首をぎゅ、と掴まれた。
振り向くと、俺のことを愛おしそうに見つめてくる恋人。
「また明日ね!」
「……!……また、明日っ」
俺は小さく手を振るのが精一杯だったけど、星那は、心底嬉しそうに笑った。
◇
◇
◇
「それで……相談なんだけど」
『うんうん』
俺は今、ベッドに寝転がり、たった三時間前まで一緒にいた恋人に電話をかけている。
これは決して付き合いたてで浮かれているからではなく、重要な話をするのを忘れていたからだ。
「付き合ってること……宗一郎と幸には言いたいなって思うんだけど……どう?」
『そう、だよね……』
「……やっぱり、怖いか?」
『怖くないと言えば、嘘になるよ……高校に入ってから、初めてちゃんと友達になってくれた人だから、失いたくないって思う』
電話越しでも分かる。
星那の心が、不安の中で揺れていること。
「……俺さ、思うんだけど……星那のことを避けた奴らの中にも、本当は星那と仲良くしたい人や、他にも男が好きな人がいたかもしれない。時代や環境に左右されて、それを表に出せなかったとしても……」
『……うん……』
「えっと、そして……全員に受け入れられることはないって、裏返せば、受け入れてくれる人も必ずいると思うんだ。そういう人だけ大切にして生きていけば、いいんじゃねーかって……わりぃ、なんか、まとまってないよな」
『ううん……大丈夫、ちゃんと伝わってるよ』
星那の声が少し柔らかくなったような気がして、俺の心にも温かい安心感が生まれた。
「これは、根拠のない……強いて言えば、俺が二人と過ごしてきた時間が根拠なんだけど……宗一郎と幸は、俺たちのことを受け入れてくれる人たちだ。そして、何よりさ……い、今は、俺がいるだろ」
『奏斗……』
「俺が、絶対、ずっと、星那と一緒に、いるから……あ〜〜〜!やっぱこういうの慣れねー……」
じわじわと襲ってくる恥ずかしさに悶えていたら、電話の向こうで、かすかに鼻を啜る音が聞こえた。
「せ、星那?大丈夫か?」
『ふふ、大丈夫。嬉しくて、安心したっていう涙だよ』
「な、なんだよ、良かった……」
『奏斗、ありがとう。よし!明日、宗一郎と幸に、恋人になれたよって、一緒に話そう』
「……おう!」
明日、いざ話すとなったら、星那も俺も、やっぱり怖いと思うだろうし、緊張もするだろう。
でも……星那には俺がいるし、俺には星那がいる。
一人から二人になること、二人で手を取り合うこと……きっと、どんなにすごい魔法でも敵わない強さがそこにある。
『……ねぇ、奏斗』
「んー?」
重要な話し合いもひと段落して、一気に眠気が襲ってきたとき、星那もまた眠そうに俺を呼んだ。
『今、ベッドで電話してるの?』
「そうだけど」
『ふふ』
「なんだよー」
『俺もね、ベッドに寝転がってるんだけど……こうやって、』
「ひゃ、っ、」
星那の声が急に近くなって、高音質イヤフォンをはめていた耳の奥がぞわぞわっと刺激される。
『近くで話してるとさ……すぐ隣で寝てるみたいじゃない?』
「っ、うん……」
ただでさえ眠くてぼーっとしてる頭が、星那の甘ったるい声にのぼせて、ふわふわして、心地いい。
『……今度は、ほんとに一緒に寝ようね』
「おとまり……?」
『そ、お泊まり。奏斗、お泊まりしたい?』
「ん……する……」
『奏斗……眠いんだねぇ』
「んー……」
『……奏斗?』
「……」
『……ふふ、おやすみ』
◇
◇
◇
「おい!こ、これ、どういうことだよ!」
「どういうことって、そのまんまの意味だよ。奏斗は朝から元気だね〜」
「そのまんまって……ぉおい、どさくさに紛れて頭わしゃわしゃすんな」
朝起きたら、星那から届いていたメッセージ。
『奏斗って、眠いと素直になるんだね』
『昨日の夜、可愛かったよ』
……最悪だ……。
うとうとしてたから覚えてねーんだよ……。
あといちいち変な言い方すんな……。
「おーい二人とも!おはよん♪」
「あ、宗一郎……幸も……」
星那と話していたら、宗一郎と幸が声をかけてくれる。
いよいよ……打ち明けるんだ。
心臓の鼓動が、徐々に速くなる。
「おはよ。メッセージ見たが……まだホームルームまで時間もあるし、屋上の階段あたりにでも行くか」
「……うん、ありがとう」
俺と星那から話があるということは、既にメッセージを送って伝えておいた。
だから、もう、ほとんど言っているようなもんなんだけどな……。
俺と星那、そして宗一郎と幸は、屋上に続く階段の踊り場へ向かった。
次の春が来るまでは、屋上でお弁当を食べることはないと思うけど……ここ、なんか落ち着くから、たまに来るのもいいかも。
「あー、えっと、わざわざ悪いな、なんか……」
「ぜーんぜんっ。んなこと気にしないで!」
「宗一郎、ありがと……その、二人に、聞いてほしいことが、」
「待って」
「!星那……」
星那が俺の言葉を遮って、手を握ってくる。
その碧色の瞳に揺らぎはなく、まっすぐな眼差しが俺を射抜いた。
「俺から言ってもいい?」
「……うん」
星那は優しく微笑んだ後、宗一郎と幸に視線を移した。
「……ここ最近、俺と奏斗の喧嘩で、気を遣わせてしまってごめん!二人とも、大事な友達なのに……何も言わず、逃げるみたいになってた」
「ちょっとー星那くん?」
「っ、宗一郎……」
「俺たち、謝罪聞くために来たんじゃないんだけどっ!」
「……!」
宗一郎は幸の肩に腕を回して、ニカっと笑った。
幸も、釣られるように口角を上げる。
「……ふふ、二人とも、ありがとう。えっと……では、俺と奏斗からの報告で……」
星那が、繋いだ手を二人に見せるように上げるから、ぶわっと顔が熱くなる。
「俺たち、カップルになりました!」
「な、なりました……」
「っ!すごい!嬉しい!良かったね!!めでたい!!」
「星那、奏斗、おめでとう」
「「ありがとうございます……」」
二人とも拍手をして、まるで自分の恋が叶ったかのように喜んでくれた。
星那の顔を見上げると、その綺麗な瞳が潤んでいたから、俺まで朝から泣いてしまった。
涙腺の緩いカップルの涙を笑いながら拭ってくれた宗一郎の背後で、静かにそれを見守る男の恋が実ったなら、今度は俺たちに祝わせてほしい……そう思った。
実った恋、今も密かに育つ恋、生まれたばかりの恋……。
様々な色の恋が灯るこの街に、まもなく、クリスマスが訪れる―――。



