ひょんなことから碧海星那のお弁当を作るようになって、もう約一ヶ月が経つ。
俺と星那、そして宗一郎と幸。
俺たちは何かと四人でいることが増えた。

移動教室を一緒にして、昼休みは一緒に弁当食べて。
宗一郎と幸はバレー部に入っているから、放課後は基本的にお別れだ。
そうすると必然的に……星那と二人きりになる。

習慣というのは怖いもんだ。
生活習慣病って言われるくらいだからな。
本当に、本当に怖いもんだ。
だって―――。

「いただきまーすっ」

「いただきます……」

俺たちはいつのまにか、星那の家で一緒に夕飯を食べるのが習慣になっているから……。

「んー!奏斗のハンバーグ、超美味い!」

元はと言えば、今隣でハンバーグを頬張って満面の笑みを浮かべているこいつのせいだ。
あれは確か、二週間ほど前のこと……。







「奏斗〜。肉ってさ、冷やし続けると火が通るのかな?」

「は?お前、本格的に頭おかしくなったの?」

「あは、さすがに冗談だよ……あー、いや、この前さ、ひき肉買ったんだけど……なんか、今朝見たら茶色くなってたんだよね!」

「……おい、今なんつった?」

「えーと、だから、ひき肉が……」

この日の放課後、俺は、星那の家に直行した。
そこで俺が見たものは……ダメだ、もう思い出したくない。

「お前!その場のノリで買った食材を無駄にしてんじゃねーよ!」

「やっぱり腐ってた……」

「逆になんでいけると思ったんだよ。希望的観測にも限度がある」

「だよね……スミマセン」

「はぁ……ていうか、期限ギリギリのものばっかだな。野菜もこのままじゃ悪くなる……」

そう、星那は食材の管理が下手だった。
初めて買い出しに行ったとき、カップ麺やレトルト食品を中心に買っていたから、てっきり生鮮食品は卵以外買わないと思って油断していた。

「……俺も、やってみたいなって思っちゃってさ」

「え?」

冷蔵庫の中身を漁りながら唸っていると、星那はぽつりと呟いた。
視線を星那に向けると、珍しくシュンとした顔で落ち込んでいるみたいだった。

「料理、俺もやってみたかったんだ。奏斗が好きなことが、どんなものなのか知りたくなって」

「は……」

なんだそれ。
俺が料理を好きだから?
その料理ってもんを知りたくなったって?
それで……慣れない買い物して、こんなことになったってわけ?

「でも、なかなか上手くいかなくてさ。指切っちゃうし、バイトがある日は疲れて作れなかったし……それで思った。奏斗って本当にすごいんだなって」

「っ……」

いつもみたいに、ヘラヘラしてろよ。
俺のこと揶揄って、その端正な顔で微笑んでりゃいいじゃん。
むず痒いんだよ、そんな風にガチトーンで褒められると。

「……ねぇ、奏斗!なんか欲しいものとかない?毎日お弁当作ってもらってるのに、俺は何もしないっていうのも、さすがに落ち着かなくて」

「……肉じゃが」

「え?」

「肉じゃが作るから手伝え」

「い、今から、作ってくれるの?」

「だーかーら!お前も手伝えよ。作ってもらってばっかじゃ落ち着かねーんだろ」

「……!手伝う!」

今日が消費期限の豚こま。
じゃがいも、使いかけのにんじんと玉ねぎ。
冷蔵庫を一通り見て、今日の献立は無難な肉じゃがに決まった。

「奏斗、何すればいいかな?」

「……じゃあ、じゃがいも洗って、ピーラーで皮剥いて」

「じゃがいもね、オッケー!」

星那は、料理の知識がないだけで、手先は器用な方らしく、教えると割となんでもすんなりできた。
もちろん、まだまだ危なっかしいところもあるけどさ……お前、イケメンだし、雰囲気あるし。
なーんか、いつのまにか俺より料理上手くなってそうで、結構怖いよ。



「美味しかったねぇ」

「うん……」

二人で作った肉じゃがは、あっという間になくなった。
このときの俺は、さっきまで落ち込んでた星那が満足そうに笑うのを見て、ほんの少し、心の中の何かが緩んでしまうのが分かった。

「……俺、何もいらねーから」

「え……?」

「……俺の家さ、父さんが単身赴任で、今は母さんと二人暮らしなんだ。母さんは夜勤が多くて、生活リズムもバラバラだから……中学の途中から、ご飯はテキトーに済ませてって言われるようになって」

「……そうなんだ」

「最初はスーパーの惣菜とか買ってた。でも、それも飽きてさ。試しに肉じゃが作ってみたら、意外と作れたんだ」

それこそ、最初は楽しかった。
スーパーで好きなもの買って、レシピを見ながら料理を作って、なんだか大人になった気分だった。

だけど、新鮮さというのはすぐに消え失せる。
その代わりに心を彷徨うのは、虚しさや寂しさ。
でも、いつからかそれすらなくなって、特に何も感じなくなった。

「勝手に作って勝手に食べて、その繰り返し。楽しくないけど、なんとなく続けてきただけ」

「奏斗……」

「……でも、最近は……星那の分も弁当作るのとか、星那と一緒に食べるのとか……悪くないなって、思うから」

「……!」

「だから……お礼とかそういうの、いらねーから」

我ながら口下手だと思う。
これでも、今の俺には精一杯だ。
お前の食べる顔が好きだとか、お前と過ごすのが楽しいとか、そんなくすぐったいセリフは……お前みたいにサラッと言えないんだよ。

「……奏斗」

「何、っ!」

いつもより少し素直になってしまったせいで、抱きしめられても抵抗できなかった。
肺を満たす星那の匂い、もう覚えてしまった。

「なんか……今、すごく抱きしめたくなっちゃった」

「……もう、抱きしめてるだろ」

「そうだね……ねぇ、奏斗、提案なんだけど」

夜に考え事をするのは良くないのと同じで、星那に酔わされてるときに提案を聞くのは良くない。
そんなこと分かってたけど、どうしようもなかった。

「明日から、一緒に夕飯食べようよ」

「……!」

「お互いにバイトとか用事がない日は、俺の家で一緒にご飯作って、一緒に食べんの。どう?」

「……別に、いいけど」

「ほんとに!?やった!嬉しい」

「っ、言っとくけど、あくまで食品ロス削減のためだからな!お前一人じゃ、また、食材腐らせるかもしれねーから……」

「はいはい、分かってるよ」






そんなわけで、髪をわしゃわしゃされてもその手を払うことができなかったあの日から、俺は碧海星那と一緒に夕飯を食べることになってしまったんだ。

「ハンバーグ、明日の分もあるね」

「うん。冷めたら冷蔵庫入れとけよ」

「了解!」

残ったハンバーグを入れた皿に星那がラップをかけるのを見たとき、ふと思い出した。

「そうだ、明日……」

「ん?」

「そういえば、明日から一週間くらい、放課後に委員会があるんだ。もうすぐ読書ウィークだから」

「……!そっか、奏斗、図書委員だもんね。結構忙しくなるの?」

「ああ。あんな展示、誰も観に来ないだろうけどな〜」

「俺、観にいくよ」

「!そ、そうかよ……」

即座に真剣な顔でそう言うから、不意打ちで胸がどきゅ、と変な音で鳴いた。

「そっかー、じゃあ俺もバイト増やせるか聞いてみよっと」

「そんな急にシフト増やせるのか?」

「うちの店長、融通利くからね♪」

「へぇ……」

星那はおしゃれなカフェでバイトをしてるらしい。
前に女子がキャーキャー話してた。
星那目当てで来店する人も多いって。
……そりゃそうだよな。

「何?奏斗、もしかして寂しいの?」

「はっ!?お前、自意識過剰すぎだろ……お、俺は図書委員の仕事で忙しいから、お前のこと考えてる暇ねーの!」

「ふうん……俺は、寂しいけど」

「っ……!?」

何もかも見透かすような碧色の瞳が、すう、と細められたとき、星那の纏う雰囲気がじわりと色を変えた気がした。
細くてすらりとした指が、俺の頬に触れる。
そのまま、その指が、するりと肌の上を滑って、

「ぁ……」

「……」

唇の端に触れる。
星那の目が、どこか、ぼうっとしている。

「せ、星那……?」

「っ……!」

名前を呼んだら、星那は一瞬目を大きく見開いて、パッと俺の唇から指を離した。

「わ!も、もうこんな時間か〜!奏斗、そろそろ帰らなきゃだよね」

「ぇ、あ、うん……」

「ふふ、駅まで送ってあげようか?」

「っ、こ、断る!!」

バクバクと肋骨に響くくらい激しい鼓動を抱えたまま、急いで荷物を持って靴を履く。

「気をつけてね、また明日」

背中に投げかけられた言葉には、振り向かずに答えた。

「……また明日」

だって、振り向いてしまえば、星那の顔を見てしまえば、きっと俺は力が抜けて立っていられなくなる。
それほどに、今、身体が熱くて、胸のあたりが甘ったるくて堪らないんだ。

なんだったんだよ、あれ。

なんだったんだよ、あの目、あの触り方。

あんなの、まるで―――。

「っ……はぁ〜……」

今しがた与えられた星那の熱を俺の脳が処理するのに、時間が必要だ。
星那の摂取を少し控えなければならない。
明日から委員会で忙しくなるのは、好都合だったかもしれないな……。







いやいやいやいやいや!!
忙しくなるのは、好都合だったかもしれないな……じゃねーんだよ数日前の俺よ!!
もう結構寂しいんだけど!?
星那とゆっくり話したいんだけど!?

いざ委員会の活動が忙しくなると、星那と話せるのは授業の合間くらいで。
昼休みはお弁当を急いで食べて、すぐに図書室へ展示の準備に向かうから、全然落ち着けないし。
放課後も言わずもがな、みっちり委員会活動だし。

ここ最近、星那と過ごす時間が多くて、濃くて、充実しすぎてたから、その分募る寂しさも大きい。
正直、自分でも少し驚いてる。
こんなに星那が恋しくなるなんて。
少し前までは……眺めるだけで、十分だったのに。

こんな俺に更なるダメージを与えたのが、昼間に偶然聞いた女子の会話だ。

「星那くん、最近遊んでくれないよね〜」

「それな!あれだよ、あのー、ほら!ちっちゃい子と急に仲良くなってからじゃない?」

「確かに!あの子といると、話しかけにくいんだよねー、なんか」

「でもさ!あの子図書委員で今週忙しそうだから、今がチャンスだよ!今週は星那くんに話しかけるタイミングありそう!」

まず、俺のことちっちゃいとか言うな!!
いや実際ちっちゃいけど!!
遺伝なんだよこの身長はさ!!
そんで……星那に、話しかけんなよ。

俺が委員会で忙しくしてる間に、一体何人の美女があいつに近づいてくるのだろうか。
きっとメイクして、髪をくるくる巻いて、色目使って、星那に寄っていくんだ。
そしたらあいつは……やっぱ、喜ぶのかな。

そんな場面を想像して、勝手にモヤモヤして。
これは……精神的な自傷行為だ。

「……考えるのやめよ」

ストレスを解消するために、買ったのにまだ読んでいなかったBL漫画をぱらりとめくった。
俺が好きな、糖度高めのストーリー。
攻めのビジュアルが、星那に似てる気がする。
受けのビジュアルは、全然俺に似てないけど。

ああ、いいな、この受けのキャラ。
俺も、星那に……
ぎゅーってされたい。
キスされたい。
嫉妬されたい。
押し倒されたい。
好きだって、言われたい。

「……す、き……」

俺は今、弱ってる。
弱ってるついでに認めようと思う。

俺は、星那が好きだ。
恋、してしまったんだ。







「奏斗ちゃ〜ん!おっはよー!」

「宗一郎……声、でか……」

週は変わり、月曜日。
今週はついに読書ウィークだ。
と言っても、図書委員は先週の怒涛の準備を乗り切り、無事に展示を完成させたため、今週は全然やることがない。

「奏斗ちゃん、なんか疲れてるねぇ」

「先週の委員会の疲れが残ってんだよこっちは……」

「ありゃ。確かに先週バタバタしてたなぁ〜、って待て待て!俺、英語の宿題やってなかった!がびーん……と見せかけて幸がいるから余裕♪幸!宿題見せて!」

「情緒が、なんかこう、うるさい」

宗一郎が幸の席にドタバタ寄っていくのをぼけっと眺めていたら、

「かーなとっ」

ぽん、と肩を優しく叩かれる。

「っ!星那、お、おはよ」

「おはよ。宗一郎、なんかあったの?」

「あー、英語の宿題忘れたって。幸に見せてもらうらしい」

「ふふ、宗一郎らしいね」

あぁ、じわりじわり、心が満たされる。
めちゃくちゃどうでもいい会話なのに。
なんでこんなに胸があったかくなるんだ。

「そういえば、読書ウィークだよね。早速なんだけど、昼休みに展示観に行ってもいい?」

「え……!マジで観に行くの?」

「え!?当たり前じゃん。奏斗が頑張って作ったんだから」

あーもう!なんだよそれ!
漫画のイケメン王子みたいなこと言うなバカ!
心臓が何個あっても足りねーじゃん……。







「うわぁ〜!すごい!本屋さんみたいだね」

「そ、そう?」

昼休み、星那は宣言通り、俺の作った展示を図書室まで観に来た。

「観に来てる人結構いるね」

「確かに……」

図書委員が作った展示なんて、きっとほとんどの人は興味ないし、頑張って作ったところで無駄な努力になると思っていた。
だから、今こうやって、性別も学年も問わず何人もの人が展示を観ながら楽しそうに話す様子を見て、驚いたし、少し……いや、すげー、嬉しい。

「あ、図書委員のおすすめ図書ってあるけど、奏斗のは……あれか!」

「げっ、なんで分かんの!キモチワルイ」

「酷いなぁ。分かるよ。だって、毎日お弁当にお品書きが入ってるからね?奏斗の字はもう覚えたの」

「……あっそ」

そういえばそうだった。
なんとなく始めたお品書き風メモを、俺は結局毎日続けてしまっている。
星那がそのメモ用紙を捨てているのか、それとも全部保管しているのか、聞きたくても聞けないけど……。
星那が初日のメモ用紙を大切そうにファイルに挟む光景を、俺はずっと忘れられないんだ。

「へぇ、この本、切なそうだね。物語が始まる時点で、既に恋人が亡くなってるなんて」

「切ないよ。でも、あったかい話なんだ。恋人が残した色んなものを、主人公が一つ一つ、大切に拾っていって……その過程で、今はもういないはずの恋人の愛が、ちゃんとずっとここにあるんだって気づくんだよ」

「そうなんだ……俺も、読んでみようかな」

「っ……!せ、星那って本とか読めるのか?」

「読めるよ!俺のことバカにしすぎー」

本当は、読んでみようかなって言ってもらえて、飛び跳ねたいほど嬉しいのに。
ていうか、先週の多忙で星那不足だったから、こうやってゆっくり話せることが、そもそも嬉しくて堪んねーのに。
実際に俺の口から出てくるのは、不器用で可愛くない言葉ばかり。

「奏斗、今日は放課後空いてるの?」

「っ、あ、空いてる、けど?」

「……じゃ、久々に、俺の家の冷蔵庫チェックしてくれる?」

こいつ、俺が断りにくい誘い方を習得してやがる。
別に……どう誘われても、断んねーのに。

「……また何か腐らせてたら許さねーぞ」

「ふふ、大丈夫だよ……多分ね」

「おい」







待ちに待った放課後だ。
先週からずっと、どれだけこのときを待ち望んでいたことか……!

「奏斗、帰ろっか」

「おう……」

あーあーあーもう!!
帰ろっか、って微笑みながら言われただけで、胸がぎゅぎゅってなるんだよ!
俺……今から星那の家に行けるんだよな?
星那と二人で、一緒に夕飯作って、食べれるんだよな?
そんなの……幸せすぎるだろ……もう何回もやってることなのに……久しぶりってだけで、こんな……。

「わ、なーんか曇ってるね」

「え……あぁ、ほんとだ」

昇降口を出たところで、星那にそう言われて空を見上げると、どんよりとした灰色の雲が空を覆っている。

「奏斗!雨降らないうちに走って帰ろ!」

「えっ!」

パシッと手を取られ、そのまま駆け出す。
星那の手の温度、意外と熱い。
冬の予感を感じさせる風に乗って、星那の匂いが鼻腔をくすぐった。
この風に、攫われてみたいと思った。

「わ、やっぱり雨降ってきた!」

「っ!冷た、」

頬が熱いから、落ちてきた雨粒は相対的にひんやりと感じる。
星那一人ならもっと速く走れるのに、俺にペース合わせて、雨に濡れてさ。
……ほんっと、バカじゃねーの。


「っはぁ、はぁ、着いたー!奏斗、大丈夫?疲れたでしょ?」

「っ、だい、じょうぶ、だけど、寒い……」

「……!そう、だよね。ちょっと待って、すぐ鍵開けるから」

星那はガチャガチャと鍵を開けたかと思えば、ドタバタと洗面所とリビングを行き来して、びしょ濡れの俺にタオルと着替えを押しつける。

「風邪、引いちゃうから。シャワー浴びておいで」

「っ……星那だって、風邪引くだろ」

「俺はあとでいいの!ほら早く!」

背中を押され、バタンと洗面所の扉を閉められた。

「……死にそう……」

突然の雨。濡れる制服。二人きりの家。
こんなシチュエーション、漫画にしかないと思ってた。
こんなことになるなら、漫画を読んでいたときに、もっと脳内でシミュレーションしておけば良かった……っ!

「……早くしないと……」

まだ、全然、心臓の鼓動は落ち着いていないけど……俺が早くシャワー済ませなきゃ、星那が風邪を引くから。

制服のボタンをひとつ、またひとつ、外して。
星那の家の洗面所、その鏡に映る裸の自分から逃げるように、浴室の扉を閉めた。







シャワーを終えてリビングへ行くと、星那は上裸で濡れた制服をハンガーにかけていた。
俺の分も、綺麗に干してある。

「星那……っ、シャワーと着替え、ありがと」

星那の身体を直視できない。
体育の着替えのときは宗一郎や幸もいてくれるから、少しは気が紛れるけど、今は、それも叶わないし。

「……星那?」

「っ……どういたしまして!ごめんね、服のサイズ合うやつなくて」

「おい!チビって言いたいのか!つーか、お前も早くシャワー行けよ!」

「分かった分かった」

よし、大丈夫、いつもの雰囲気に戻ってきたぞ。
これでいい、俺たちはいつもこんな感じだっただろ。
星那もシャワーに行ったし、今のうちに……そうだ、冷蔵庫の中身を整理して、夕飯の支度でもしておこう!
料理をすれば、きっと心のざわめきもいくらかマシになる。



「あがったよー……って奏斗、何か作ってる!?」

「鍋だよ。鍋の素、買ってあっただろ」

「あー!買った買った、俺も手伝うよ」

「いや、もうあと蓋して待つだけだから」

「はやっ!」

星那がシャワー浴びている間、俺は無心で野菜を切り、真顔で鍋と向き合っていた。
あっという間に鍋の支度は終わったし、精神状態も落ち着いてきたし、これぞ一石二鳥だな。

「ふぅ」

なんだか気が抜けて、特に何も考えず星那のベッドに腰かけてしまったのが、良くなかった。

「あれ、奏斗、」

「?」

隣に腰かけてきた星那の手が、こちらへ伸びる。

「髪、乾かしてないの」

湿った髪の毛を梳かすように、頭をそっと撫でられる。

「ぁ、っ、!」

ぞわぞわとした感覚が、電流のように背筋を走って、思わずビクッと身体が跳ね、変な声まで出てしまった。

「……!」

「ゃ、これは、ちがくて、」

何が、違う?
何を否定したいんだ、俺は。

「……かな、と……」

「ぁ……」

星那も、髪、まだ濡れてる。
頬も、紅潮してる。
星那、甘くて、いい匂い。

ドクン、ドクン、ドクン……

「……」

「っ、ひぁ、」

星那の手がゆるりと下りてきて、耳たぶや首筋を撫でる。
くすぐったくて、熱くって堪らないのに、肩と左顎できゅう、とその手を挟んでしまう。

「せ、な……」

身体に溜まっていく熱を逃すように、星那の名前を呼んだ。
星那の目の温度が……いつもと、違う。

「……っ!」

「わっ、」

あれ、背中、ふかふか、天井、星那、待って、俺、いま、

……押し倒されてる?

「……っ、奏斗……」

こんな、余裕がなさそうな星那、見たことない。
なんで、そんなに、熱っぽいの。
なんで、そんなに、艶っぽいの。

ねぇ、せな、お前は……女が好きなんじゃなかったの?

俺……こんなことされたら……。
期待、していいの?
星那も、俺のこと、好きなの?

「せな……?」

「っ……!ぁ、ごめん!ごめん……」

星那はハッとしたような顔をして、サッと俺の上から退いてしまった。
耳まで赤い星那を見て、今この瞬間にも、淡い期待が急速に膨らんでいくのを感じる。

「……謝らなくて、いいし」

だって、俺は星那のことが、好きなんだから。

「ごめん……あ、髪、っ、ドライヤー、洗面所にあるから先に使って!その間にご飯よそっとくから」

「ぇ、ちょ、」

グイグイと背中を押され、洗面所に押し込まれて、
バタンと扉を閉められてしまった。

「……なんなんだよ」

俺は、別に、嫌じゃなかったのに。
触れられたって、押し倒されたって、嬉しかった。
むしろ、こんなの知っちゃったら……
もっと、星那が欲しいって、思っちゃうじゃんか……。

今まで、星那は女が好きなんだと思っていたから抑えられていたものたちが、堰を切ったように溢れ出してしまう。

乱れた呼吸を整えるため、ゆっくり息を吸って、吐いてを繰り返しながら髪を乾かした。
ドライヤーの音が大きくても、心臓が激しく動くのはよく分かった。

洗面所から出たあとの星那は、いつもの星那だった。
いつも通り夕飯を食べて、いつも通り皿を洗った。

俺が帰る頃には、雨はすっかり止んでいた。
まだ制服は乾き切っていなかったから、星那の貸してくれた服を着たまま帰った。

「はぁ〜〜……」

自室のベッドに寝転がって、しばらく天井を見つめていた。
今日の出来事は、全部、都合のいい夢だったんじゃねーか?って考えた。
でも……身体に刻まれた星那の体温や感触が、あれは現実だったんだと言ってくる。

フィクションじゃない、リアルな俺の初恋に……俺の心を高鳴らせるには十分すぎる希望の光が差し込んでしまった。