桜舞う四月。
入学式でそいつの顔を見た瞬間、心臓をどぎゅ、と力強く掴まれた。

明るい金髪、碧色の澄んだ瞳、すらりとした高い鼻、艶のある唇……。

……いや、超絶タイプじゃねーかっっっ!!
好みど真ん中、どストレートの顔面!!
おとぎ話の王子様が絵本から出てきたって言われても、今なら無条件で信じられるぞ!?

それに加えて、なんだあのモデルのような高身長と抜群のスタイルは……。
あまりにもかっこよすぎて、俺に都合のいい夢を見ているようだ。
こんなイケメンと、まさかの、同じクラスだなんて……!
生まれて初めて遭遇した、少女漫画的な展開っ……!

も、もしかして、これって、
恋が始まる予感ってやつじゃ―――。







「恋が始まる予感ってやつじゃ……なーんて思ってた頃もあったなー……」

学校が終わってすぐ、気になっていた新刊を購入し即帰宅。
胸キュンBLワールドにどっぷり浸り、一周回って現実の非リアっぷりに虚しくなるゾーンに突入した。

「だってさー、俺って、顔だけで好きになるとか無理なタイプだしー」

とか言って、もう半年が経つ。
……マジか……入学式でどタイプの顔の男に出会ってから、もう、半年なんだ……。


俺、朝日奏斗(あさひかなと)には、同じクラスに顔面〝のみ〟好きなやつがいる。
そいつの名前は、碧海星那(あおみせな)
明るい金髪と碧色の瞳が印象的だが、なんでもヨーロッパのどこかの国とのクォーターらしい。
クラスの女子の噂話を盗み聞きしていたときに知った。

碧海星那は、とにかくまあよくモテる。
うちの高校は生徒数が多いけど、少なくとも学年ではNo.1のモテ男だと言っても過言ではない。
ま、そりゃあ、あのルックスなら当然だ。

しかし!俺があいつを好きになれない理由!
それは、あいつが、碧海星那が、とにかくいつも女子を侍らせているからだ。
朝も昼も放課後も、大抵は複数人、しかも毎回違う女子を連れて歩いている気がする。

女子がこんなことを言っているのを聞いたことがある。

「星那くんって、絶対抱いてくれないんだよね〜」

「えーあんたも?誰ならいいんだろ」

「でもさぁ、そこがまたいいよね。簡単には抱いてくれない感じ。高潔っていうかさ」

「「分かるぅ〜!」」

俺は辟易した。
女遊びに高潔もクソもねーだろ!ってね。

俺はゲイだし腐男子だし、別に女子からモテるのが羨ましくて僻んでるわけじゃない。
男だろうが女だろうが、ノンケだろうがゲイだろうがレズだろうが、誠実さっつーもんがないやつは最悪なんだよ!

俺は諦めない。
漫画みたいな、ピュアでときめく一途な恋……♡ってやつを諦めたくない!

少女漫画みたいな恋がこの世に存在しないっていうなら、恋なんてクソ喰らえだ。
そんなのが恋なら、恋なんて一生しなくていいさ。

……って思っちゃうからさ、信じていたいんだ。
いつか、いつの日か、きっと理想の恋ができるって。







「理想の恋……」

「ん?奏斗ちゃんなんか言った?」

「いや別に」

よく晴れた翌日の昼休み。
俺の脳は、昨日読んだBL漫画の余韻と、それに付随して高まる純白な恋への憧れに占領されている。
ま、そんな空想ロマンティックタイムも、共に更衣室へ向かうこいつのおかげで強制終了だ。

「てかさー!今日の体育サッカーだぜ!楽しみすぎるぅ」

「どこがだよ。最悪じゃねぇか」

人目も気にせず万歳をして喜ぶこいつは、クラスで特に仲良しな友達・一条宗一郎(いちじょうそういちろう)
出席番号が近いだけで初対面からグイグイ話しかけてきた、いわゆるコミュ力お化け。
多分、頭のネジが二本くらい外れてる。
声も顔もいちいちうるさいし、デフォルトでテンションが高すぎる。
でも、裏表がないから余計な気は遣わないし、居心地は案外悪くない。

「なぁに奏斗ちゃん、サッカーそんなに嫌いなのっ」

「っ、俺の運動神経知ってるだろうがっ!そして近いんだよ!肩を組むなー!」

宗一郎は物理的な距離感もバグっている。
今もこうやって、いきなり肩を組んで顔を覗き込んできてさぁ……もう!!近いんだよっ!!

「早く離せっ!」

「うおっ!」

いつもみたいに威嚇したら、猫みたいだと爆笑された。
こいつ、よく毎日これで笑えるよな、と感心する。
笑いのツボが浅すぎて、たまに本気で心配になる。

俺は恋愛対象が男だから、たとえ好きな人じゃなくても、あんまり近くに来られると、やっぱり動揺してしまう。
ま、宗一郎を恋愛的な意味で好きになることは、天地がひっくり返ってもないけど。
これはフラグではなく、ガチのマジでない。

「宗一郎、奏斗」

「おっ、幸!」

「助かった……」

更衣室へ向かう俺たちに背後から声をかけてきたのは、クラスで特に仲良しな友達その二・長谷川幸(はせがわこう)
こいつは宗一郎と幼馴染だという繋がりで、俺も自然と仲良くなった。

幸は宗一郎と真逆の人間だ。
静かだし、表情もあまり変わらないし、常識もある。
しかし、なぜか昔から宗一郎と親友らしく、宗一郎の暴走を止められる唯一の人物だ。

「幸〜、奏斗ちゃんが今日も冷たいよぉ、萎えぽよー」

「そうか」

宗一郎はムンクの叫びみたいな顔をして、今度は幸の肩に腕を回している。
幸は高身長で意外とがっしりしてるから、若干、宗一郎を引きずって歩いているような状態だ……。

ちなみに、幸のことを恋愛的な意味で好きになることは、天地がひっくり返ってもない。
本日二回目だが、これはフラグではなく、ガチのマジでない。

なぜかって?
それは、俺がとことん腐っているからだ。
仲良しの友達二人に対してこんな妄想、本当にごめんと思ってるけど、気づいたときにはもう脳内で勝手にカップリングが組まれてしまっていたんだ。
つまり、第三者の俺がそこに入るのはあまりにも解釈違いってわけ。
このカプに対して、俺はあくまで友達ポジションで見守るモブでいたい。

「さーて着替えるぞー!」

「こいつ、なんで着替えるだけでこんなにはしゃげるんだ」

「宗一郎は昔からこうなんだ」



宗一郎が更衣室の扉を勢いよく開けたとき、

「っ!」

俺は慌ててぎゅっと目を瞑った。

「おー!星那くん!早めに着替えてるの珍しいね」

「あ、宗一郎くんじゃん。ちょっとね、女の子たちに体操服の写真撮りたいってお願いされちゃって」

「ぎゃーん羨ましいぃ〜!さすがモテ男!」

「ふふ、宗一郎くんは今日も元気だね」

恐る恐る薄く目を開けて、その顕になった上半身を目に入れないように気をつけながら、サッと反対側の棚の方に向かった。

「っ……心臓に悪い……」


碧海星那。俺が顔だけ好きなやつ。
こいつは体育のとき、着替えも集合もギリギリだ。
だから、俺はいつも、なるべく早く着替えを終わらせて更衣室から出ることに心血を注いでいる。
幸運なことに、宗一郎が早く体育に行きたい元気なバカで、俺と一緒に高速で着替えてくれるから、俺だけ不自然に思われることはない。

なのに!!
なんで今日はこんな早めに着替えてるんだよ碧海星那!!
どうしたんだよ、ギリギリ勢のプライド持てよ!!

「おい、奏斗、大丈夫か」

「っ!だ、大丈夫大丈夫」

急上昇する心拍数を落ち着けようと蹲っていたら、優しい幸が心配してくれた。

「奏斗ちゃん!?おま、そんな、蹲るほどサッカーが嫌だったのか……」

宗一郎がバカで良かった。
お前はいいバカだよ。これは褒めてるんだぜ。

「ま、奏斗ちゃん安心しな!俺がサポートしてやんよ」

「はいはい」

宗一郎がいつもの調子でムカつくドヤ顔をしてくれたおかげで、少しずつ心のざわめきが収まってきた。

……一瞬だけ見た星那の身体、細いのにちゃんと筋肉あって、色白で綺麗だったな……じゃなくて!
……はぁ、もう、調子狂うな。

顔が超絶タイプな男の上裸なんて、ドキドキすんのは不可抗力だ。
いくら中身が女好きのクズだからって、あいつの外見だけは好みなんだから、仕方ないだろ。
……まあ、外見だけで好きにはならねーけど!







「奏斗ちゃん、今日は図書委員あるんだっけ?」

「うん。宗一郎と幸は?」

「俺らは部活ないから今からゲーセン!なー、幸!」

「ああ。奏斗、委員会頑張れよ」

「ありがと、また明日」

放課後、みんなそれぞれ部活や塾に行ったり、友達と遊んだり……あ、俺は、委員会の活動なんですけどね。

図書委員の仕事なんて、昼休みに本の貸し出しの手続きをするくらいで、普段はめちゃくちゃ暇なんだけど……。
まあ、読書の秋って言葉があるくらいだから、少しは何かしようって先生が言い出してさ。
来月の読書ウィークに向けて、図書委員おすすめの本のポップや展示を作っている。
読書ウィークってのは、学校全体で読書をしよう!って雰囲気を高めるための一週間なんだけど、こんなの意識してるのはそれこそ図書委員くらいだろうな。







図書委員の活動を終えて帰る頃には、外は薄暗くなっていた。
いつもなら今頃家のベッドでBL作品を漁っているというのに、今日の俺はまだ学校の廊下を歩いている。

「はー疲れたー……」

生徒たちが帰り静まり返った廊下には、力の抜けた自分の声がよく響く。
誰もいない薄暗い廊下ってのは少し怖いけど、独り言を言っても聞かれないのは気楽だな〜……っている!?

人、いる!?

しかも、あそこ、空き教室だろ!
なんで、今、空き教室の扉が開いたんだ!?
ま、まさか、いや、幽霊とかそういうの、さすがにないだろうし、てか出るにしてももうちょい深夜とか―――。

「……え……朝日、奏斗くん?」

「ぁ……」

なんで、いるんだよ。
こんな時間に、空き教室とか、意味、分かんねーじゃん。
幽霊より、ビックリすんだろ、お前が、いたら。

「あー……あのさ、女子には、ここにいたこと、言わないでくれる?」

「ぇ、ぁ、あぁ……」

「ごめん、ありがと」

碧海星那は、笑った。
初めて俺をその瞳の真ん中に映して、俺だけに向けて笑った。
だから、気づいたのかな。

「あっ、あのさ!な、なんか、体調悪い?」

「……!よ、よく分かったね」

「っ、ほ、保健室とか、」

「いやいや、帰るだけだから、大丈夫……」

その言葉とは裏腹に、星那の身体はふらりと傾く。

「っ、おい、大丈夫じゃねーだろ!」

俺は急いで駆け寄って、自分よりずっと背の高い星那の身体を咄嗟に支える。
今までずっと遠くから眺めていただけだったのに、いきなりこんな風に触れざるを得ない状況になるなんて。

「……ありがとう、奏斗くん」

「べ、別にいいけど!それより!大丈夫なのか?やっぱり体調悪いの?」

「うん……まあ少しね。だから、ホームルーム終わってから、ずっとここで休んでたの」

「ずっと!?なんで……」

「体調悪いのに、女子に帰り道ついて来られたら面倒だし……このくらいの時間になれば、さすがにみんないないでしょ?」

「そ、そういうこと……」

確かに、いつもの星那なら放課後は女子と遊んでいるだろうし、女子を避けるためにしばらく身を隠していたということなら納得がいく。

「にしても、お前、こんなんで一人で帰るつもりだったの?」

「んー、さっきまではね」

「は?どういう……っ、」

星那は俺の肩を抱き寄せ、ぐい、と顔を近づけてくる。
至近距離に、この世で一番好きな顔がある。
マジで、心臓が、爆発しそうだ……。
こいつが、体調不良でさえなければ、今すぐに突き飛ばしてふざけんなって言えたのに。
きっと、言えたのに。

「一人で帰るの、不安だからさ……奏斗、一緒に帰ってくれない?」

「っ……!」

「……だめ?」

「だ、ダメじゃねーし!ここで断って、帰り道で倒れられても困るしな」

「……ふふ、ありがと」

なーーーーに承諾してんの俺!!!!!
こんな白馬の王子様フェイスと二人きりで帰るとか俺の身が持たねーよ無理ゲーだわ!!!!!

……でも、実際、一人で帰らせるのは心配だし。
星那、ほんとに、体調しんどそうだし。
選択肢なんて、もう決まってたようなもんじゃん。




「……奏斗は、電車通学だよね?」

「そうだけど……」

「良かった、俺の家が駅の方向で」

「……てか、星那の家、まだ着かねーの?」

「あっ、やっと名前呼んでくれた」

「っ……まだ着かねーのかって聞いてんの!」

ほんっとになんなんだよ!
こいつ体調不良だよな!?
歩くのキツイって言うから、俺がバックバクの心臓を必死に抑えながら肩を貸してやってんのに!
なーにが「やっと名前呼んでくれた」だっつーの!
嬉しそうに微笑むなバカ!
自分の顔の良さを自覚して慎め!

「あ、もう着くよ。ほら、そこのアパートの三階」

「っ!こ、ここか……」

心の中で文句を叫んでいたら、ついに星那の家に着いたらしい。
星那が指を差したのは、ごくごく普通の小さなアパート。
そこまで古く見えないけど、新しくもない。
……ってか、ここって……。

「奏斗?エレベーター来たよ」

「あ、うん……」

「ふー……なんか、家に着いたって思ったら、またクラクラしてきたかも」

「えっ、ちょ、大丈夫か?」

「んー……」

緊張が解けて一気に疲れが襲ってきたのか、星那は本当にふわふわとした足取りでエレベータを降りようとする。

「ま、待てって、危ないから!肩、貸す、から……」

「うん……」

肩を貸すと言っても、身長差が結構あるから、どのくらいこいつが楽に歩けるかは分かんねーけど……。

「ごめん、鍵、開けるね」

「おう……」

星那がガチャリと鍵を開けて、扉を引く。
ゆっくり中に入って、バタン、と扉が閉まる。

「あー……も、無理かもー……」

「えっ、あっ、!」

扉が閉まってすぐに、星那の身体がぐらりと倒れ込んできて、そして、

「っ……せ、星那……?」

俺も一緒に、倒れた……。
俺の上に、星那が、乗ってる……。

……やばい、どうしよう!?
てか絶対これって俺の心臓の音聞こえてるだろ、最悪だ……って、違う違う!それどころじゃねーよ!

「お、おい!動けないのか?」

「ごめん……」

「っ、今、運ぶから!ベッドはそこの部屋にあるよな!?」

「うん……」

怪我をしないように気をつけながら、なんとかかんとか星那をベッドまで運ぶ。
もっと俺の身長が高くて、筋肉とかあったら、星那を少しでも早く寝かせることができたんだろうな。

「……奏斗、ありがとう」

「別に……それより!なんか飲むものとかあるのか?冷蔵庫、開けていい?」

「いいけど、何かあったかな……」

冷蔵庫を開けて、俺は思わず「えっ!?」と声を出してしまった。
だって、そこには……ほとんど何もなかったから。

入っているのは、ミネラルウォーター二本とスポーツドリンク一本、ゼリー飲料一つ。
あと、なぜか卵はある。

こいつ、まさか、普段からろくに食べてないのか……!?

「……星那、とりあえず水分摂ろう。このスポーツドリンク、開けるぞ」

「ああ……」

星那はゆっくり上半身を起こして、こくこくとスポーツドリンクを飲む。
何も喉を通らない、なんて状況ではなくて良かった。

「……なぁ、星那、最近ちゃんと食べてたか?」

「……いや、あんまり。なんか、食べるのめんどくて」

「多分、それが原因だよ。栄養不足。貧血にもなってる」

「あー……」

「……もし、何か作ったら、食べれそうか?」

「えっ」

「パックのご飯と卵はあるみたいだから……お粥で良ければ、すぐに作れる」

「……!」

さすがにお節介だったか?という不安は、一瞬にして吹き飛んだ。
星那が分かりやすく顔を綻ばせて、俺に優しい眼差しを向けてくるから。

「っ、つ、作ってくるから寝て待ってろ」

胸のあたりが甘くざわめくのが分かって、俺は逃げるようにしてキッチンに向かった。



キッチンには最低限の調理器具と、一人分の食器はあるようだった。
鍋でご飯を柔らかくして、溶き卵を少しずつ回し入れて……調味料は……おい、塩と砂糖しかねーじゃん!
はぁ……まあ、塩があっただけマシか。
こいつのこの感じだと、塩すらなくてもおかしくないからな。
余熱で少し蒸らせば、超シンプルなたまご粥の完成!
本当はだしとか醤油とか、トッピングにネギとかも欲しかったけど、とりあえず今のベストは尽くしたぞ。


「星那、おまたせ」

「ん……」

鍋つかみがなかったから、カーディガンの袖を伸ばしてあつあつの鍋を持っていくと、星那は怠そうな体をゆっくりと起こした。
ちなみにおぼんもなかったから、スプーンと茶碗を取りに戻って再びリビングへ行くと、

「!」

「奏斗、これ、めちゃくちゃ美味そう」

さっきまでベッドにいた星那が、鍋の置かれた机の前に座って、きらきらと瞳を輝かせている。
自分の作った料理……と呼ぶには簡単すぎるものに、こんなに嬉しそうな微笑みを見せてくれる人がいるなんて。

「冷めないうちに食べろよ」

「うん」

本当は胸がじわじわ熱くなってて、何かが溢れ出してしまいそうなのに、冷静なフリして星那の隣に座った。

「いただきます」

「……どーぞ」

星那はスプーンでお粥を掬って、ふーふーとその熱を冷ます。
こっちは、お前のそんな仕草でさえかっこよく見えて仕方なくて、熱が上がりそうだっていうのに。

まもなくお粥はぱくり、と口に含まれて、ごくり、と星那の喉に飲み込まれた。
期待外れだったと言われないか、もし言われたら「塩しかなかったんだから文句言うな」って言ってやろうか。
そんなことを考えていたら、星那の瞳の端から、きらりと……涙が、零れ落ちた。

「え、星那、」

「これ、」

「っ?」

「これ……一番優しい味がする」

「へ……?」

「この……奏斗が作ったお粥。これまで食べたものの中で、一番優しい味がする」

「っ……!」

トクン、と甘酸っぱい音がした。
きゅう、と温かく締めつけられた。
星那の表情が、声が、心の柔らかいところをそっと撫でてくる。

知らなかった。
星那に触れられると、
呼吸するたびに、身体が熱くなるなんて。
瞬きするたびに、世界の色彩が濃くなるなんて。

「あ〜……奏斗の作った料理、毎日食べられたら良かったのに」

「……!」

星那のその言葉が、星屑みたいにほのかに煌めいて聞こえてしまった。
だから、つい、口が滑ってしまった。

「べ、別に、」

「?」

「明日から、お前の弁当作ってやってもいいけど……」

「……え?」

自分の発した言葉に、自分で新鮮に驚いた。
……何言ってんだ俺。
え!?マジで何言ってんだ俺!!

星那のさっきの発言は独り言みたいなもので、あんなの正面から受け取って、弁当作るって……バカじゃねーの!?
さすがにこれは星那も引くって!

「いいの?」

「はい?」

「マジで、俺のために、弁当作ってくれるの?」

……あれ?
いつのまにかお粥を食べ終わった星那が、俺の手を握って、ぶんぶん振って、ぱあっと期待に満ちた表情を向けている……。

「え……べ、弁当、作ったら、食べるのか?」

「そんなの食べる一択だよ!一人暮らしだし、食事とか、どうでもいいやってなってたけどさ……奏斗の作った料理なら、なんか食欲出る」

「……やっぱり、一人暮らしなんだな」

「うん……あ、別に、親と仲悪いとかじゃないからっ」

星那は、なんでもないっていう風に明るく言ったつもりなのかもしれないけど、そのときの表情は、とても寂しそうだった。
ひどく傷ついたような、痛々しい笑い方だった。
だからこそ、簡単にそれに触れようとすれば、きっとすぐに崩れてしまうことが、直感でひりひりと分かった。

「……本当に食べるって言うなら、まあ、作ってやるよ」

「マジ!?やったね。ふふ、昼休みが楽しみだな〜」

「気がはえーよ。それより明日、まず来れるか分かんねーだろ」

空っぽになった食器を運ぼうとしたら、星那にぱしっと手首を掴まれた。

「っ!なんだよ、落としそうになったじゃん」

「皿洗いは自分でやるよ」

「いいって。今は、静かに寝るのが仕事だろ」

そう言うと一応納得したのか、体温の高い手を離される。
またこいつが何か言う前に、俺は急いでキッチンへ食器を運んだ。







「……じゃあ、そろそろ帰る」

皿洗いを終えて、もうあとはできることもないし、こいつだって一人の方が気が休まるだろ。
そう思って、荷物を持って玄関に向かう。
改まって見送られるのは恥ずかしいし、早く帰ってしまおうと急いで靴を履き終えたときだった。

「奏斗」

「っ……!」

名前を呼ばれると同時、後ろからふわりと星那の甘い香りが広がった。
星那に……抱きしめられていた。

「は、離れろよ、」

「……今日は、ほんとにありがと」

「っ……」

耳元で、星那の低く柔らかい声が響く。
首筋を、星那の熱い吐息がゾクゾクとなぞる。
振り払いたいのに、俺の背中にのしかかる星那の身体も、心も、今は、本当に弱っているように感じたから……自分からは、振り払えない。

「……」

「……」

「……ごめん、遅くなっちゃうよね」

星那の身体が離れると、途端に背中がスースーと涼しくなって、少し、ほんの少しだけ、その熱が恋しくなりそうだったから、

「っ、じゃあな!とにかくちゃんと水分摂って寝ろ!」

まだ足が動くうちに、俺は外に出て、バタンと勢いよく扉を閉めた。

「っ……」

入学してからずっと、お前のことを見てた。
それは、お前の〝顔が〟好きだったからだ。
顔以外は、全然、別に、好きじゃ、なくて。
女子と好き放題遊んでるような、最低なやつだ。

最低な……

「奏斗!」

「っ!」

「おやすみ!」

……最低なやつだと、思っていた。
それなのに、今、三階のベランダから、俺に向かって手を大きく振るお前を見たら―――。

「……早く寝ろ!」

思っちゃったんだよ。

お前のこと、もっとちゃんと知りたいって。

本当はそんなに、嫌なやつじゃないんじゃねぇかって。

明日から……

弁当を作っていくのが、ちょっとだけ、楽しみだって。


「……献立、何にしよ」


十月、秋の初めの夜風は、熱い頬を冷ますにはまだ生ぬるかった。