「めっちゃ散らかってるね」
「私もそう思います」
ははは、と笑う硯に呆れる。
なぜか、なぜなのか、ついてきてしまった。
『知らない人についていってはいけません』
昔から親からも教師からもそう言われていたのに、本当になぜかついてきてしまったのだ。自分の行動が謎すぎる。
――行くわけないじゃん。
そう、ついてくるつもりはなかった。ただ寂しそうに眉尻を落とした硯がしゅんとした大型犬に見えて、つい「しょうがないな」と口から出ていた。しょうがないのは理矢だ。こんなに変な大型犬がいるわけがない。それでも垂れた尻尾が見えたのだ。
「汚くはないんですよ。ごみはちゃんと出していますから」
「でも散らかってるよ。どうやったらこうなるの?」
勝手に部屋にあがり、キッチンの床に転がっている未開封の缶詰を拾って一か所にまとめる。次は買ってきたままレジ袋に入って置かれているカップラーメンを整理した。謎なことに、缶詰もカップラーメンも全部同じ味だ。飽きないのだろうか。そういえば先ほど買っていたのも、置いてあるのと同じ味だ。まだあるなら買わなくてもいいのに。
「片づけてくれるんですか?」
「硯さんも手伝ってよ」
「私がやると余計に散らかりますよ」
「……じゃああっち行ってて」
呆れて「あっち」とワンルームの奥を指さす。ベッドにも服が錯乱していて、どこで寝ているのかもわからない。
「部屋の乱れは心の乱れだよ」
「おや。難しいことを言いますね」
楽しそうな硯は、服をよけてベッドの上で正座をしている。見ているだけで足が痺れそうだ。とりあえずキッチンにある食べものを整理する。同じ味が大量にあるばかりで、そんなところからも変わった人だと感じる。いろいろなものを食べたほうが楽しいのに。
ふと我に返り、なんでよく知らない人の部屋についてきて、しかも片づけをしているのだろうと冷静になった。ちらりと硯を見ると目が合って微笑まれた。手伝いのつもりなのか、ベッドの上の服をたたんでいる。たたんではいるが、ぐちゃぐちゃだ。
「もう。なにしてるの、ぐちゃぐちゃだよ」
「お手伝いです」
本の大きさも種類も分けずに重ねながら、あまりに自慢げに言うので呆れてしまう。
「全然手伝ってないよ。俺がやるから硯さんはなにもしないで」
「ほう。理矢くんは世話焼きさんですか?」
「硯さんの部屋がひどすぎるから見てられないだけ」
キッチンの片づけを終えて移動し、ローテーブルの上を整理する。どこで食事をしているのだろう。ローテーブルの上は本や文房具が散らばっている。一か所にまとめておくだけで片づくのに、と手を動かす。硯の視線を感じるけれど無視をする。
「硯さん、今度はあっち行って」
ほらほら、と片づいたローテーブルのほうへ移動させる。背を押されるままローテーブルの前に腰をおろした硯はにこやかに微笑んでいる。この部屋にいて、にこにこできるのもわからない。
ベッドの上の洋服をたたみ直し、備えつけのクローゼットにある衣装ケースの引き出しにしまう。勝手にあちらこちらに触られるのは嫌かもしれないが、今は我慢してもらおう。こんな状態でよく遊びに来ないかと誘ったものだ。呆れを通り越して感心する。
「理矢くん」
「なに? もう終わるよ」
「ちょっと休憩しませんか?」
ローテーブルの向かい側を視線で示され、たたみかけの洋服をいったんベッドに置いてそこに座った。硯が正座をしているのでなんとなく倣って正座をしたら足が痛い。すぐに足を崩した理矢を見て、硯は目もとを緩めた。馬鹿にされているかもしれない。
「だって正座なんてほとんどしないし」
「別になにも言ってませんよ」
「……」
自分から言いわけじみたことを口にしたことが恥ずかしくなり、視線を落とす。向かい合ってなにを話したらいいかわからない。硯も口を開かず、ただ沈黙が流れる。
「理矢くん、お礼になにかします」
「お礼なんていらないよ。むしろなにかしてくれるなら、もう散らかさないで」
気になっちゃうから、と言うと、硯は目を丸くして小さく首をかしげながら缶ジュースを差し出してくれた。りんごジュースだ。
「私の部屋ですよ?」
「呼んだ責任だよ」
りんごジュースをひと口飲んで睨みつけると、笑顔で躱された。硯の笑顔はなぜかなにを言っても敵わないと思わされる。オーラではないが、醸し出す雰囲気だろうか。存在そのものが不可思議で、理矢と同じ人間ではない気がする。たぶん人間だと思うが、もしなにかが化けているのだったらどうしよう。でも、それなら言葉が通じなくて当たり前だから、逆に納得できるかもしれない。
「硯さんって変だよね」
「はい」
「認めないでよ……」
呆れると、硯は柔らかく目を細めた。見た目だけなら恰好よくて綺麗な人なのに、口を開くとよくわからないことを言うし、部屋がものすごく散らかっているし。親や近所の人の評価は正しいと感じる。
「でも、そんな私と普通に話してる理矢くんも充分変わり者ですよ」
「俺まで一緒にしないでよ」
「仲間ですね」
にこにこと笑顔を絶やさない硯は、やはりよくわからない。人間だと思うから、理解できなくてもやっとするのだろうか。いっそ他のなにかと話していると考えてみるか。
ぼんやりと顔を見ていたら理矢の腹が鳴った。そういえばおにぎりを買ったけれど、食べていない。すっかり忘れていた。
「お腹が空いたんですか?」
「ご飯まだなんだよ」
腹をさすりながら答えると、硯はひとつ頷いてカップラーメンを取り出した。
「よければどうぞ」
「ううん。さっきおにぎり買ったから」
そろそろ帰るね、と立ちあがる。硯は正座をしたまま理矢を視線で追い、また微笑んだ。
「理矢くんは甘いものはお好きですか?」
「うん。好きだけど。どうして?」
では、と硯がキッチンから木の箱を持ってくる。見るからに高級そうな箱から現れたのは、おしゃれな形をしたお菓子だった。なんとなく、フィナンシェかなと思った。丸くて花の模様があるけれど、色が似ている。もしくはマドレーヌか。
「おやつにどうぞ」
「ありがとう。じゃあね」
アパートをあとにして考える。結局どうして部屋に呼ばれたのだろう。
帰宅して自室でおにぎりを食べながら、おやつにともらったお菓子を見る。
知らない人についてってお菓子までもらちゃった。
小さい子だったら叱られているだろう。高校生の今でもなにか言われるかもしれない。
「でももう行かないし」
一度だけなら問題ないだろう。それにしても変わった人だった。優しくて穏やかだけど、基本の性格が変わっていた。たまに会話も成り立たなかったのを思い出しながら、もらったお菓子を食べる。
「……おいしい」
今まで食べたことのあるお菓子とはまったく違う上品な味で、フィナンシェかマドレーヌだと思ったのに違う。濃厚なバターの香りがして、控えめな甘さが食べやすい。クッキーのようにも感じるがクッキーでもなく、ふわりとした口当たりだ。それでいてほろほろと崩れて口の中で溶けていく。極上の味わいにうっとりとする。
「もう一個もらえばよかった」
でももう行かないし。
「私もそう思います」
ははは、と笑う硯に呆れる。
なぜか、なぜなのか、ついてきてしまった。
『知らない人についていってはいけません』
昔から親からも教師からもそう言われていたのに、本当になぜかついてきてしまったのだ。自分の行動が謎すぎる。
――行くわけないじゃん。
そう、ついてくるつもりはなかった。ただ寂しそうに眉尻を落とした硯がしゅんとした大型犬に見えて、つい「しょうがないな」と口から出ていた。しょうがないのは理矢だ。こんなに変な大型犬がいるわけがない。それでも垂れた尻尾が見えたのだ。
「汚くはないんですよ。ごみはちゃんと出していますから」
「でも散らかってるよ。どうやったらこうなるの?」
勝手に部屋にあがり、キッチンの床に転がっている未開封の缶詰を拾って一か所にまとめる。次は買ってきたままレジ袋に入って置かれているカップラーメンを整理した。謎なことに、缶詰もカップラーメンも全部同じ味だ。飽きないのだろうか。そういえば先ほど買っていたのも、置いてあるのと同じ味だ。まだあるなら買わなくてもいいのに。
「片づけてくれるんですか?」
「硯さんも手伝ってよ」
「私がやると余計に散らかりますよ」
「……じゃああっち行ってて」
呆れて「あっち」とワンルームの奥を指さす。ベッドにも服が錯乱していて、どこで寝ているのかもわからない。
「部屋の乱れは心の乱れだよ」
「おや。難しいことを言いますね」
楽しそうな硯は、服をよけてベッドの上で正座をしている。見ているだけで足が痺れそうだ。とりあえずキッチンにある食べものを整理する。同じ味が大量にあるばかりで、そんなところからも変わった人だと感じる。いろいろなものを食べたほうが楽しいのに。
ふと我に返り、なんでよく知らない人の部屋についてきて、しかも片づけをしているのだろうと冷静になった。ちらりと硯を見ると目が合って微笑まれた。手伝いのつもりなのか、ベッドの上の服をたたんでいる。たたんではいるが、ぐちゃぐちゃだ。
「もう。なにしてるの、ぐちゃぐちゃだよ」
「お手伝いです」
本の大きさも種類も分けずに重ねながら、あまりに自慢げに言うので呆れてしまう。
「全然手伝ってないよ。俺がやるから硯さんはなにもしないで」
「ほう。理矢くんは世話焼きさんですか?」
「硯さんの部屋がひどすぎるから見てられないだけ」
キッチンの片づけを終えて移動し、ローテーブルの上を整理する。どこで食事をしているのだろう。ローテーブルの上は本や文房具が散らばっている。一か所にまとめておくだけで片づくのに、と手を動かす。硯の視線を感じるけれど無視をする。
「硯さん、今度はあっち行って」
ほらほら、と片づいたローテーブルのほうへ移動させる。背を押されるままローテーブルの前に腰をおろした硯はにこやかに微笑んでいる。この部屋にいて、にこにこできるのもわからない。
ベッドの上の洋服をたたみ直し、備えつけのクローゼットにある衣装ケースの引き出しにしまう。勝手にあちらこちらに触られるのは嫌かもしれないが、今は我慢してもらおう。こんな状態でよく遊びに来ないかと誘ったものだ。呆れを通り越して感心する。
「理矢くん」
「なに? もう終わるよ」
「ちょっと休憩しませんか?」
ローテーブルの向かい側を視線で示され、たたみかけの洋服をいったんベッドに置いてそこに座った。硯が正座をしているのでなんとなく倣って正座をしたら足が痛い。すぐに足を崩した理矢を見て、硯は目もとを緩めた。馬鹿にされているかもしれない。
「だって正座なんてほとんどしないし」
「別になにも言ってませんよ」
「……」
自分から言いわけじみたことを口にしたことが恥ずかしくなり、視線を落とす。向かい合ってなにを話したらいいかわからない。硯も口を開かず、ただ沈黙が流れる。
「理矢くん、お礼になにかします」
「お礼なんていらないよ。むしろなにかしてくれるなら、もう散らかさないで」
気になっちゃうから、と言うと、硯は目を丸くして小さく首をかしげながら缶ジュースを差し出してくれた。りんごジュースだ。
「私の部屋ですよ?」
「呼んだ責任だよ」
りんごジュースをひと口飲んで睨みつけると、笑顔で躱された。硯の笑顔はなぜかなにを言っても敵わないと思わされる。オーラではないが、醸し出す雰囲気だろうか。存在そのものが不可思議で、理矢と同じ人間ではない気がする。たぶん人間だと思うが、もしなにかが化けているのだったらどうしよう。でも、それなら言葉が通じなくて当たり前だから、逆に納得できるかもしれない。
「硯さんって変だよね」
「はい」
「認めないでよ……」
呆れると、硯は柔らかく目を細めた。見た目だけなら恰好よくて綺麗な人なのに、口を開くとよくわからないことを言うし、部屋がものすごく散らかっているし。親や近所の人の評価は正しいと感じる。
「でも、そんな私と普通に話してる理矢くんも充分変わり者ですよ」
「俺まで一緒にしないでよ」
「仲間ですね」
にこにこと笑顔を絶やさない硯は、やはりよくわからない。人間だと思うから、理解できなくてもやっとするのだろうか。いっそ他のなにかと話していると考えてみるか。
ぼんやりと顔を見ていたら理矢の腹が鳴った。そういえばおにぎりを買ったけれど、食べていない。すっかり忘れていた。
「お腹が空いたんですか?」
「ご飯まだなんだよ」
腹をさすりながら答えると、硯はひとつ頷いてカップラーメンを取り出した。
「よければどうぞ」
「ううん。さっきおにぎり買ったから」
そろそろ帰るね、と立ちあがる。硯は正座をしたまま理矢を視線で追い、また微笑んだ。
「理矢くんは甘いものはお好きですか?」
「うん。好きだけど。どうして?」
では、と硯がキッチンから木の箱を持ってくる。見るからに高級そうな箱から現れたのは、おしゃれな形をしたお菓子だった。なんとなく、フィナンシェかなと思った。丸くて花の模様があるけれど、色が似ている。もしくはマドレーヌか。
「おやつにどうぞ」
「ありがとう。じゃあね」
アパートをあとにして考える。結局どうして部屋に呼ばれたのだろう。
帰宅して自室でおにぎりを食べながら、おやつにともらったお菓子を見る。
知らない人についてってお菓子までもらちゃった。
小さい子だったら叱られているだろう。高校生の今でもなにか言われるかもしれない。
「でももう行かないし」
一度だけなら問題ないだろう。それにしても変わった人だった。優しくて穏やかだけど、基本の性格が変わっていた。たまに会話も成り立たなかったのを思い出しながら、もらったお菓子を食べる。
「……おいしい」
今まで食べたことのあるお菓子とはまったく違う上品な味で、フィナンシェかマドレーヌだと思ったのに違う。濃厚なバターの香りがして、控えめな甘さが食べやすい。クッキーのようにも感じるがクッキーでもなく、ふわりとした口当たりだ。それでいてほろほろと崩れて口の中で溶けていく。極上の味わいにうっとりとする。
「もう一個もらえばよかった」
でももう行かないし。



