どこまでも続く瑠璃色の海と、夏の爽やかな空が境界線を曖昧にする。
その中を進むフェリーの屋外に出た俺は、煌々と輝く太陽の下で大きく伸びをした。
羽月 篝。現在、大学2年生の夏休み中。
履き慣れた白いスニーカーでフェリーの屋外を少し歩く事にしたのだ。
ショルダーバッグと真っ白なシャツは、清々しい潮風によく靡く。
ふと、首から垂れ下がったカメラに手を添える。
アルバイトで購入したこの一眼レフカメラは、どこにいくにも一緒だ。
「お」
前方を見ると、だんだんと目的地である島が見えてきた。
島にコンビニはなく、高校もない。
今は使用されえていない灯台と、見渡せば視界に入るほどの島ネコが有名だ。
来訪の目的といえば……当然、写真を撮ること。
ふと思い立ってフェリーの横窓から船の後部を覗き込んでみる。
すると、海を這う轍が波に揉まれて、徐々に波の中に均されてゆくのが見えた。
濁り緑の床に片膝をつけ、どこかノスタルジアな潮風の中でシャッターを切る。
――――ぶおぉぉぉぉおおおお!!
フェリーが大きな警笛を鳴らして、港に近づいている事を知らせる。
少し塗装の剥がれかかった手すりに身を任せていると、港から小さな女の子と手を繋いだお母さんが手を振っているのが見えた。女の子は左手をお母さんとつないだまま、大きくブンブンと、飛び跳ねている。
俺も、片手で大きく振り返す。
うん、やはり、旅はこうじゃなくちゃ。
島の港で降りた俺は、まず海岸線を散歩する事にした。
真っ白な砂浜を、波が濡らして、また引いていく。
懸命に夏を叫ぶセミの声が、空に響いていて。
日向ぼっこに興じるテトラポットの横では、海と同じ色の小魚の群れが揺れている。
「にゃーん」
招き猫よろしく、ちょこんと防波堤に座った三毛猫。
その横に腰かけ、ふぅと一息を漏らす。
すると三毛猫は何かを訴える様に、じっと俺を見た。
「はいはい、待ってろ。ほら」
バッグからジップロックを取り出し、煮干しの欠片をひとつ。
この島のネコは島民で飼っているらしく、おやつを与える事も快く許可してくれた。
「んんぁー」
煮干しの欠片を一口で食べ、何度も咀嚼するネコ。
ぼんやりとそれを眺め、そして海を見る。
高校生を卒業して休日の度に旅して巡った、幾つもの地をぼんやりと思い出していた。
ある日は山を旅して撮影し、ある日は海を旅して撮影した。
シャッターを切る場所には、人が居て。
シャッターを切る場所には、ネコが居た。
「んなんぁー」
三毛猫が、さっきと同じ目で俺を見る。
「お前、なかなか欲張りさんだな」
三毛猫の尻尾が、ふりふりと左右に揺れた。
再び、煮干しの入ったジップロックを取り出す。
今度は煮干しを数匹、骨は抜いてあるやつだ。
「ほら、これやるから。ちょっと待てって……わかった、わかったから」
「んなぁお」
座ったままに身体を右往左往させる三毛猫。
うずうずと、今にも飛びかかって来そうな頭を、優しく撫でる。
「まったく、どこの場所でも変わんないな。待ってろ、食べやすく解してるからって」
両手で丁寧に解した煮干しを、そっとネコの前に置く。
「ほら、よく噛むんだぞ」
煮干しを小さく嗅いだ後、三毛猫は器用に両手で挟んだ。
そして目を瞑って大切に、大切に頭から味わって齧りつく。
煮干しに合わせて、三毛猫の首が上下に揺れた。
「まぁ少ないながらの出演料だ…… 是非とも幸せそうに食べてくれよ」
首元のカメラを持ち上げて、幸せそうな表情にレンズを合わせる。
パシャリ。パシャリ。
人差し指を動かす度に、カメラのフレームが動く音がする。
うん、悪くない。
「なぁ、お前さ……あいつの場所を知ってたら、教えてくれよ」
ふと、俺の写真を好きだと言ってくれた、彼女のことを思い出した。
三毛猫なら同じネコの彼女を知っているかもしれない。
あれから、撮った写真が沢山ある。
また………彼女に、写真を見せられたのなら。
「にゃーん」
三毛猫は煮干しを齧っていて、話など聞いていなかった。
大切そうに抱えた煮干しと、相も変わらずダンスを踊っている。
この様子では、きっと彼女の事も知らないのだろう。
「ふふ」
小さく息を吐いて、そして笑って、ジップロックの中身を見る。
「そう焦るなよ。残りもそう多くないんだから」
ずっと遠くの本島が、陽炎で揺れる。
風が吹いた。苛烈な日光で焼けた道路と生命力たくましい植物の匂いが混ざって香る。
セミが鳴いていた。うるさいほどに、変わりゆく世界を叫んでいた。
少しくすんだ三毛猫と、グラデーションで姿を変える海と空。
「――――篝くん」
声がする。
俺は振り向いた。
輝く太陽で、目が眩む。
あの美術室から。
ずっと遠く離れた夏の中で。
世界の色を知るネコは、微笑んでいた。
完
その中を進むフェリーの屋外に出た俺は、煌々と輝く太陽の下で大きく伸びをした。
羽月 篝。現在、大学2年生の夏休み中。
履き慣れた白いスニーカーでフェリーの屋外を少し歩く事にしたのだ。
ショルダーバッグと真っ白なシャツは、清々しい潮風によく靡く。
ふと、首から垂れ下がったカメラに手を添える。
アルバイトで購入したこの一眼レフカメラは、どこにいくにも一緒だ。
「お」
前方を見ると、だんだんと目的地である島が見えてきた。
島にコンビニはなく、高校もない。
今は使用されえていない灯台と、見渡せば視界に入るほどの島ネコが有名だ。
来訪の目的といえば……当然、写真を撮ること。
ふと思い立ってフェリーの横窓から船の後部を覗き込んでみる。
すると、海を這う轍が波に揉まれて、徐々に波の中に均されてゆくのが見えた。
濁り緑の床に片膝をつけ、どこかノスタルジアな潮風の中でシャッターを切る。
――――ぶおぉぉぉぉおおおお!!
フェリーが大きな警笛を鳴らして、港に近づいている事を知らせる。
少し塗装の剥がれかかった手すりに身を任せていると、港から小さな女の子と手を繋いだお母さんが手を振っているのが見えた。女の子は左手をお母さんとつないだまま、大きくブンブンと、飛び跳ねている。
俺も、片手で大きく振り返す。
うん、やはり、旅はこうじゃなくちゃ。
島の港で降りた俺は、まず海岸線を散歩する事にした。
真っ白な砂浜を、波が濡らして、また引いていく。
懸命に夏を叫ぶセミの声が、空に響いていて。
日向ぼっこに興じるテトラポットの横では、海と同じ色の小魚の群れが揺れている。
「にゃーん」
招き猫よろしく、ちょこんと防波堤に座った三毛猫。
その横に腰かけ、ふぅと一息を漏らす。
すると三毛猫は何かを訴える様に、じっと俺を見た。
「はいはい、待ってろ。ほら」
バッグからジップロックを取り出し、煮干しの欠片をひとつ。
この島のネコは島民で飼っているらしく、おやつを与える事も快く許可してくれた。
「んんぁー」
煮干しの欠片を一口で食べ、何度も咀嚼するネコ。
ぼんやりとそれを眺め、そして海を見る。
高校生を卒業して休日の度に旅して巡った、幾つもの地をぼんやりと思い出していた。
ある日は山を旅して撮影し、ある日は海を旅して撮影した。
シャッターを切る場所には、人が居て。
シャッターを切る場所には、ネコが居た。
「んなんぁー」
三毛猫が、さっきと同じ目で俺を見る。
「お前、なかなか欲張りさんだな」
三毛猫の尻尾が、ふりふりと左右に揺れた。
再び、煮干しの入ったジップロックを取り出す。
今度は煮干しを数匹、骨は抜いてあるやつだ。
「ほら、これやるから。ちょっと待てって……わかった、わかったから」
「んなぁお」
座ったままに身体を右往左往させる三毛猫。
うずうずと、今にも飛びかかって来そうな頭を、優しく撫でる。
「まったく、どこの場所でも変わんないな。待ってろ、食べやすく解してるからって」
両手で丁寧に解した煮干しを、そっとネコの前に置く。
「ほら、よく噛むんだぞ」
煮干しを小さく嗅いだ後、三毛猫は器用に両手で挟んだ。
そして目を瞑って大切に、大切に頭から味わって齧りつく。
煮干しに合わせて、三毛猫の首が上下に揺れた。
「まぁ少ないながらの出演料だ…… 是非とも幸せそうに食べてくれよ」
首元のカメラを持ち上げて、幸せそうな表情にレンズを合わせる。
パシャリ。パシャリ。
人差し指を動かす度に、カメラのフレームが動く音がする。
うん、悪くない。
「なぁ、お前さ……あいつの場所を知ってたら、教えてくれよ」
ふと、俺の写真を好きだと言ってくれた、彼女のことを思い出した。
三毛猫なら同じネコの彼女を知っているかもしれない。
あれから、撮った写真が沢山ある。
また………彼女に、写真を見せられたのなら。
「にゃーん」
三毛猫は煮干しを齧っていて、話など聞いていなかった。
大切そうに抱えた煮干しと、相も変わらずダンスを踊っている。
この様子では、きっと彼女の事も知らないのだろう。
「ふふ」
小さく息を吐いて、そして笑って、ジップロックの中身を見る。
「そう焦るなよ。残りもそう多くないんだから」
ずっと遠くの本島が、陽炎で揺れる。
風が吹いた。苛烈な日光で焼けた道路と生命力たくましい植物の匂いが混ざって香る。
セミが鳴いていた。うるさいほどに、変わりゆく世界を叫んでいた。
少しくすんだ三毛猫と、グラデーションで姿を変える海と空。
「――――篝くん」
声がする。
俺は振り向いた。
輝く太陽で、目が眩む。
あの美術室から。
ずっと遠く離れた夏の中で。
世界の色を知るネコは、微笑んでいた。
完
