目の前の大海原から運ばれた潮風が、堤防にいる私の毛先を撫で去っていく。
吾輩は、もとい私はネコである。
名前はもうある。好きじゃないけど、少しだけ嫌いじゃなくなってきた。
みーんみんみんみんみん。みーんみんみんみんみん。
いやまったく、今日はいい散歩日和。ちょっと欠伸をしてみる。
入道雲は真っ白で、アスファルトの端で懸命に花を咲かせる黄色。森の中で数えきれないほどの顔を見せる緑。それから、果ての見えない海はどこまでも深い瑠璃色。
未だに見慣れない鮮やかな色彩。世界からの粋な歓迎に、上機嫌なハミングで応える。
「……てぁ」
軽く蹴っ飛ばした小石は鉄線柵の向こう側、悠々と揺れる瑠璃色の海へポチャンと消えていった。心地の良いさざ波が白い砂浜を濡らしていて、浅瀬で悠々と揺れる小魚の群れが日光を反射する。
「お前、なかなか欲張りさんだな」
声がした。顔を挙げる。
もしかして彼だろうか。
彼だ。きっと、彼に違いない。
日向の匂いがする風になぞられるまま、声のする方を覗き見る。
少し先の堤防、磯の匂いの中に彼は立っていた。
「ほら、これやるから。ちょっと待てって……わかった、わかったから」
帽子から覗く前髪を柔らかな海風で揺らす彼の手元には、数匹の煮干しが。
足元の白いスニーカーのすぐ横には、三毛猫がじゃれついている。
「んなぁお」
「まったく、どこの場所でも変わんないな。待ってろ、今食べやすく解してるからって」
彼の真っ白なシャツに、僅かに彼の汗が滲んでいく。
「ほら、よく噛むんだぞ」
とうとう煮干しを手に入れた三毛猫は、器用に両手で挟んだまま愛しそうに瞳を瞑って一口。
なんと幸せそうな顔か。愛しい子供を抱きしめる様に、頭にかぶりつく。
「まぁ少ないながらの出演料だ……是非とも幸せそうに食べてくれよ」
三毛猫へ、彼は首から吊り下げた大きなレンズを向ける。
何度か人差し指を小さく動かした後、彼は満足そうに息を吐きだした。
「なぁ、お前さ……あいつの場所を知ってたら、教えてくれよ」
「にゃーん」
三毛猫は聞かない振りをして、煮干しと一緒にダンスを踊っている。
「………………」
どこまでも続く空と海を背にした彼の方へ、私は風に導かれるままにつま先の向きを変える。
風が吹いた。苛烈な日光で焼けた道路と生命力たくましい植物の匂いが混ざっていた。
セミが鳴いていた。うるさいほどに、健闘を祈って叫んでいた。
待ちなさいと刺す日光を無視して、光の向こうの彼に目を細める。
少しくすんだ三毛猫と、グラデーションで姿を変える海と空。
その中で立つ彼は、どこまでも世界に馴染んだ色。
「そう焦るなよ。残りもそう多くないんだから」
私の白い足先が、真っ黒な彼の影を踏む。
「――――――」
私はネコだ。確かに今この瞬間、私はネコなのだ。
吾輩は、もとい私はネコである。
名前はもうある。好きじゃないけど、少しだけ嫌いじゃなくなってきた。
みーんみんみんみんみん。みーんみんみんみんみん。
いやまったく、今日はいい散歩日和。ちょっと欠伸をしてみる。
入道雲は真っ白で、アスファルトの端で懸命に花を咲かせる黄色。森の中で数えきれないほどの顔を見せる緑。それから、果ての見えない海はどこまでも深い瑠璃色。
未だに見慣れない鮮やかな色彩。世界からの粋な歓迎に、上機嫌なハミングで応える。
「……てぁ」
軽く蹴っ飛ばした小石は鉄線柵の向こう側、悠々と揺れる瑠璃色の海へポチャンと消えていった。心地の良いさざ波が白い砂浜を濡らしていて、浅瀬で悠々と揺れる小魚の群れが日光を反射する。
「お前、なかなか欲張りさんだな」
声がした。顔を挙げる。
もしかして彼だろうか。
彼だ。きっと、彼に違いない。
日向の匂いがする風になぞられるまま、声のする方を覗き見る。
少し先の堤防、磯の匂いの中に彼は立っていた。
「ほら、これやるから。ちょっと待てって……わかった、わかったから」
帽子から覗く前髪を柔らかな海風で揺らす彼の手元には、数匹の煮干しが。
足元の白いスニーカーのすぐ横には、三毛猫がじゃれついている。
「んなぁお」
「まったく、どこの場所でも変わんないな。待ってろ、今食べやすく解してるからって」
彼の真っ白なシャツに、僅かに彼の汗が滲んでいく。
「ほら、よく噛むんだぞ」
とうとう煮干しを手に入れた三毛猫は、器用に両手で挟んだまま愛しそうに瞳を瞑って一口。
なんと幸せそうな顔か。愛しい子供を抱きしめる様に、頭にかぶりつく。
「まぁ少ないながらの出演料だ……是非とも幸せそうに食べてくれよ」
三毛猫へ、彼は首から吊り下げた大きなレンズを向ける。
何度か人差し指を小さく動かした後、彼は満足そうに息を吐きだした。
「なぁ、お前さ……あいつの場所を知ってたら、教えてくれよ」
「にゃーん」
三毛猫は聞かない振りをして、煮干しと一緒にダンスを踊っている。
「………………」
どこまでも続く空と海を背にした彼の方へ、私は風に導かれるままにつま先の向きを変える。
風が吹いた。苛烈な日光で焼けた道路と生命力たくましい植物の匂いが混ざっていた。
セミが鳴いていた。うるさいほどに、健闘を祈って叫んでいた。
待ちなさいと刺す日光を無視して、光の向こうの彼に目を細める。
少しくすんだ三毛猫と、グラデーションで姿を変える海と空。
その中で立つ彼は、どこまでも世界に馴染んだ色。
「そう焦るなよ。残りもそう多くないんだから」
私の白い足先が、真っ黒な彼の影を踏む。
「――――――」
私はネコだ。確かに今この瞬間、私はネコなのだ。
