家出JK『お嬢様』を助けてお菓子をあげたら懐かれた

 電車を降りて家の近くに来た頃には午後一時になっていた。時間が経つにつれて日差しが強くなり刺すような熱を帯び、伴って気温は高くなってきていた。歩いている道中、自動販売機でお茶を買ったが、もう残っていなかった。

「はぁ……」

 そして家近くのベンチが見えてくる。何だかまだ部屋に戻りたくなく、そこに腰を下ろした。尻からベンチに溜まった熱を感じて、少しひりつくも今はそれが逆に気を紛らわせてくれていた。気温の高さもまたそうさてくれている。

「やっぱり俺は……」

 けれど、その程度じゃ目を背け続けられず、まるでアドレナリンが切れたように強い心の痛みが胸の奥から全身へと広がる。瞳の方へもそれが来ると抑えようのない涙がこぼれ出した。それが悲しみの燃料となり、痛みが倍増していく。外気温と精神内の温度差はあまりに激しく、寒暖差で頭がどうにかなってしまいそうになる。今さらここに座っている事に後悔するが、もう立ち上がる気力もなくなっていた。

「愛されて……なかった」

 どうしょうもない悲しみを抱えてじりつく暑さを耐え忍びコンクリートを睨みつけていると、ふと影が伸びてきた。

「お兄さん、こんなとこにいたら熱中症になるわよ」
「……っ」

 その声を聞いて顔を上げると、そこには鏡花がいた。彼女はあの花柄のワンピースを着て日傘を差しており、刀真をその中に入れてくれる。

「どうして、ここに」
「約束したでしょ。全部終わったらここで会うって。もしかしたらもう終わって帰ってきてるかもって思って。ちょうど良かったわ」
「そう……だったんだ……」

 心の傷跡が開いている状況で、鏡花の優しさに触れてしまえば、それがしみてさらに涙が溢れてきてしまう。そんな顔をあまり見られたくなく顔を再び地面に落とした。

「お兄さん……って熱っ!」

 鏡花が隣に座ると、ワンピースの布越しのため、刀真以上に熱を感じたのか声を上げる。それで立ち上がる事はなく、日傘をしたまま座り続けて。

「お兄さん、ここ熱くない? それに部屋に戻った方がいいんじゃない?」
「……大丈夫、心配しないで。俺は、しばらくこうしてたいんだ。カギ渡すから先に行ってて」

 ポケットからカギを出して手渡すも優しく突き返される。

「バカ、ほっとけるわけないでしょ。お兄さんがここにいるなら私もここにいるし」
「……そんなに気にしなくても」
「それ、お兄さんが言う? 見知らぬ私にはお節介を焼いたくせに」

 呆れたようにため息をつくと、鏡花は立ち上がりすぐ近くの自動販売機でペットボトルの麦茶を二つ買ってきて、片方を刀真に放り投げる。

「あの時のお返しよ。ちゃんと飲んでよね」
「……ありがとう」

 麦茶を飲むと、感情にばかり意識がいっていたせいで、喉の渇きに気づいておらず、生き返るような心地になる。

「少しは落ち着いた?」
「うん……ごめん心配かけて」

 一度水分補給すると心の痛みから意識が外れ高ぶっていた感情も多少の落ち着きを取り戻した。

「お父さんとお母さんとはちゃんと話せたのよね」
「久しぶりにしっかりと。それで、知りたかった答えも聞けた。予想通りの」
「そう……」
「わかっていたはずなんだ。それを覚悟していたのに、凄く辛くて。そんな俺が情けなくて」

 心の内を話すのはやはり自身の内側を触れることであり、また痛みの証明が瞳から溢れる。

「情けないわけない。お兄さんは頑張ったのよ。その涙は努力した証で、恥ずかしい事じゃない」
「……っ」

 小さな手が優しく頭を左右に動かしながら触れられる。空いているもう片方の手で刀真の固く閉ざされた拳を包み込む。

「鏡花……」
「ねぇ刀真お兄さん」

 ふと鏡花が一段と甘く柔らかな声音で語りかける。

「私はあなたの事が好き」
「え」
「あ、まだ恋愛的な意味じゃなくて、大切な友達としてって意味で」

 その好きという言葉のせいで色々な感情が駆け巡り全身が熱くなり涙が蒸発しそうになる。

「だから私はお兄さんの事をちゃんと想っている。お母さん達にされなかった分、私はいつもあなたの心の傍にいるから」
「……ありがとう」

 その言葉、触れている手が、太陽の光よりも煌めいて暖かかった。ベンチの熱も気温の蒸し暑さももはや感じず、あるのは鏡花という存在だけ。傘の下の空間、そこだけが切り取られて、今は二人の世界に入ったような感覚になる。だから、さっきまであった外の世界から受けた悲しみも痛みも影に飲まれたように薄れていく。

「お兄さん、大丈夫そう?」
「うん」

 涙を流しきる。その間に鏡花は言葉通りずっと寄り添ってくれていた。

「じゃあ帰るわよ」

 鏡花は立ち上がって、刀真の正面にして微笑みを浮かべて手を差し伸べる。手を取るとぐいっと引っ張られ刀真も立つ。

「傘、持とうか?」
「お願い。正直、ずっと傘を持ち続けるの大変だったから」

 傘を受け取ると同時に、鏡花は傘の下に入ってきて、家へと共に歩みを進める。

「何だか、最初に出会ったあの日を思い出すわね」
「あの日もこうやって俺が傘を差して一緒に歩いたっけ」
「そうね。でも、今はあの日見たく雨は降っていないし、それに今は見知らぬお兄さんじゃない刀真お兄さんだから」

 鏡花は刀真の手に重ねて一緒に傘を持つ。突然されてたじろぐも、すぐに受け入れる。彼女の手のひらの感触から想われている事が流れ込んできて、求めていたものが満ちていく感覚がした。

「だね。俺も家出少女じゃなくて鏡花ってわかってる」

 隣りにいる人はこちらがただ手を差し伸べるだけの存在ではなく、共に手を取り合える人だと知っている。それだけで不安定に思えた先も確かな足取りで歩める、そう確信できた。

「鏡花、俺も好きだよ。大切な友達として」
「えと……その……ありがと。言うのもそうだけど、やっぱり言われるも照れくさいわね」

 耳まで赤くなる。これは間違いなく気温のせいではないだろう。

「だからこれからもよろしくね、お嬢様」
「私こそ、よろしくねお兄さん」

 互いに笑顔を見せる。雨の香りはもうしない。二人は梅雨を超えて夏へと進んでいた。