ゴールデンウィーク目前になった。
 しかし、休み明けに中間考査が控えていて課題が山積みのため、教室内には不満を漏らす者が多くいた。律もため息を止められなかった。
「迅のノートなかったら終わってたかも」
 授業の進む速度が中学の時とは比べ物にならないくらい速くて、一日休んだだけで危機感に襲われるレベルだ。
「フフフ。頼れる男だろ」
「ほんと。惚れそう」
「惚れてしまえ」
「ハハハ。考えとく」
 軽い口調で冗談を言い合っていると、特徴的な足音を立てて担任が教室に入ってきた。
「次は健康診断だ。特進は一年の最後。呼ばれてから体育館へ行け」
 無駄に大きな声を聞きながら、迅を見た。
「健診だったっけ。忘れてた」
「そういや、毎年、何センチ伸びたか勝負してたな。まぁ、俺の連勝だったけど」
「なんか、悔しい。迅、まだ伸びてるのか?」
「多分。足首とか背中が痛い時がある」
「マジで? 追いつけないじゃん!」
「追い付くつもりだったのか?」
「なに? ケンカ売ってんの?」
「いいや? 本心」
 ちょっと背が高いからって! と唇を歪めていると、大声で名前を呼ばれた。担任だ。
「三天ぁ! お前、早退するのか? 今日は視力検査もあるんだぞ! どうするんだ? 見えてないお前こそ検査必要だろ!」
「病院で検査受けるので大丈夫です」
「おぉ。ならいいか。後で結果を学校に出せよ!」
 担任は、そうかそうか、と大声で言いながら廊下の向こうに消えた。担当者に伝えに行くのだろう。
「あんな大声で言うなよ」
 教師の風上にも置かないやつだと思う。はらわたが煮えくり返りそうだ。
 思ったとおり「本当にダメなんだ」「治るのかな?」なんて声が教室のあちこちから聞こえてくる。「少しずつ視力も戻ってきている」と説明する気にもならないし、好奇の視線から逃れるため「さっさと早退してしまおう」と鞄に手を伸ばした時だった。
「あのクソ担任。まるで壊れた拡声器だな。余計な音ばっかり広げやがって」
 怒気をはらんだ声が聞こえた。迅だ。したたかに舌打ちしながら、教室内に怒りの視線を巡らせていた。好奇の視線を寄越してきた者達が、サッと目を逸らせた。まるで自分のことのように怒りを露わにする迅の姿に、少し心が救われた気がした。
「いいよ、迅。本当のことだし」
「いいや、怒っていいんだぞ。あの産廃拡声器、初日もでかい声で言っただろ?」
「それは、確かに……」
「お陰で会ってくれなかった理由が分かったんだけどな」
 だんだん声を小さくさながら迅が言う。律にしてみれば、隠し通すつもりだったのにバラされて調子が完全に狂ってしまった。罰が悪くなってそっと視線を外し、席を離れた。
「オレ、行くわ」
「病院どこだ?」
「県立の総合病院。バスで30分くらいかな」
「バス、大丈夫か? あ、俺が付いて行けばいいのか」
 そうか、と何でもないことのように言った迅がカバンに手を伸ばした。本気なのか。
「いやいやいや、大丈夫だって。ガキじゃないんだから」
「心配だ」
「あのなぁ、迅。そうそう鞄は落ちてこないって」
「急ブレーキ踏まれたらどうするんだよ。夕方は道路混むんだぞ」
「それはそうだけど……。身長測っとけよ。何センチ伸びたか、後で教えろ」
「……」
 迅は不満そうな顔だった。
 この前のバスでは助けられたし、心配してくれるのは嬉しい。ただ、守ってもらうことが当たり前になってしまうのは嫌だし、なにより迅からバスケを奪った上に、自分に縛り付けているように思えて申し訳なかった。
「サクッと行ってくるわ」
「あぁ。気を付けて。バスはできるだけ座れ。無理なら手摺に掴まれよ。バスの周りをしっかり見て、ブレーキ踏みそうになったら踏ん張れ」
「はーい」
「傘持ってるか? 夕方から雨だぞ」
「はーい。だいじょーぶー」
「ふざけてないで、真剣に聞け」
「わかった、わかった。折り畳みあるし、気を付けるって」
 吹き出しそうになるのを我慢しながら返事をして教室を後にした。
「なんだよ、アレ。『ゴール下の守護神』じゃなくて『右横のオカン』じゃん」
 自分で言ったのだが妙に笑えてしまい、必死に笑いを堪えながら病院へ向かうのだった。


 迅に言われた通り、バスでは座って窓の外を見た。幸い、急ブレーキを踏まれることなく病院に着いた。
 病院は予約していたものの、連休前のせいか患者の数がいつもより多かった。おかげで長く待たされそうだ。背もたれのあるソファーに身を預けると、スマホを取り出した。
 はじめは学習アプリで授業の復習をしていた。
 しかし、すぐに飽きてしまってSNSを開いた。流れてくる情報をなにとはなしに見ていたが、その中に見覚えのある名前を見た。
「……多分、これ、クラスメイトだよな」
 見覚えのある名前のアカウントが目についた。出身地や学校名は伏せられているが、投稿内容から推測するにクラスメイトにほぼ間違いない。
「うわ、もう投稿されてる」
 さっき、律が担任と交わしたやりとりが具体的に書き込まれていた。
「なにが『衝撃! 龍●中の二大柱、消滅の真相』だよ。勝手に人のこと書くな」
 ご丁寧に「まとめページ」ができていて「元副主将、定期通院中。視力を失ったことはほぼ確定。回復の希望ゼロ? バスケ復帰は絶望か!」なんて赤字で書かれていた。
 読まなければいいのだが、暇だと人は余計なことをしてしまうものだ。
 内容に目を通していると、記事を読んだ人の感想が目に入った。

 元副主将、人生終わり! ザマァ
 ケガの理由なに?
 元主将までバスケしてないの変
 いつも二人でつるんでてキモイ
 バスケ三昧脳筋が秀●特進入学はありえない。絶対、裏口入学だ。

 大体、要約すればそんな内容だ。
「好き勝手言ってくれるわ。なにが裏口だよ。実力だわ!」
 自分のことはいい。しかし、迅まであれこれ書かれているのが辛い。
 情報を適当に暴露して、都合よく切り抜いて、好き放題拡散するSNSの無責任さと無法さは胸糞が悪い。途中で読むのを止めてスマホを消した。
「あぁ~あ」
 天井を見上げながらため息を吐いた。
 人の不幸は蜜の味と言う。そして正しい情報がないから勝手な憶測が生まれる。
「オレが本当のこと言ってないからな……」
 多分、けがをした中三の時に学校へ行って本当のことを周囲に話していればこんなことにはならなかった。しかし「目が見えない」という事実はショックだったし、思ったよりも回復が遅くてバスケができない現実は重すぎた。寝ても覚めてもバスケ三昧という当たり前を失いながら、冷静に将来を考えて行動なんてできただろうか。
「……」
 しかし「自分が辛かった」というのは言い訳でしかない。迅に隠し事をしているのは間違っていると思うし「言わないと伝わらない」のは百も承知だ。
「話、しなきゃ……」
 もう何度もそう思っている。だが、それが怖い――。
「……迅のダンク、……見たいなぁ」
 そっと右目を抑えながら、名前を呼ばれるのを待つのだった。