バスケの技なんかは、見てすぐに覚えられた。しかし、どうして料理はこんなにも難しいのだろう。
「あっ、崩れたっ」
「大丈夫よ。ほら、ひっくり返してしまえばいいわ?」
箸を持つ手に力が入り、眉間に皺が寄ってしまう。
姉からのアドバイスを受けながら思い描いたとおりに手を動かしているはずなのに、弁当用のおかずは全てが不格好だった。焦げたり、欠けたりしているし、おさまりも悪い。
「なんか、マズそうに見える。やっぱ持ってくの止める」
「なに言ってるの! 早起きして作ったんだから持って行きなさい。火傷は勲章よ」
ほらほら、と姉に背を押され、気乗りしないまま弁当箱を三段重ねにして包んだ。割り箸も二膳準備する。
「後片付けはやっとくから。ほら、行って! 遅れるわよ」
「あの、ありがと、姉貴」
「どういたしまして。で、誰と食べるの?」
「え? ん~。まぁ、テキトー?」
ファミレスでバイトをしている姉は料理が上手く手際もいいのだが、余計な詮索がうっとうしい。スッと背中を向けて手を洗い、キッチンを後にした。
「誰? いいじゃない。教えてよ」
「あ~、まぁ、うん。姉貴、恩に着る。じゃ、いってくる」
急いで鞄を掴むと玄関に走った。
「あ! 逃げるな~! って、誰か来たわよ」
インターフォンが鳴った。逃げる口実になる、と玄関を開けると意外な人物が立っていた。
「迅、な、なんで?」
「迎えに来た。行くぞ」
「行くぞって、あの、わざわざ来なくても……」
慌てて下駄箱の上の鍵を取って内ポケットに入れていると、迅の口元が緩んだ。なに? と視線で尋ねると、迅は視線を逸らせて照れ隠しのように咳払いをした。
「そのキーホルダー、持っててくれたのか」
「え? あ、うん。まぁ……付けっ放しなだけ」
バスケットボールのキーホルダーは、小学生の時に迅がくれたものだ。NBAの公式ボールを模ったもので、迅とお揃いだ。迅は鞄に付けていた。ちょっと照れくさくて「だけ」のところを強く言ってしまう。
「『だけ』でも嬉しい」
「……なんだよ、それ」
迅がアメリカで仕事をしている父に会いに行った時、わざわざ車で三時間かけて出かけた先で買ったと言っていたキーホルダーを簡単に捨てられる訳がない。
「良かった」
「ん」
なんだか昨日から照れくさいことが続いている気がする。どんな顔をすればいいのか分からなくて俯いてしまった。
「いってらっしゃい」と言う姉を振り返ることなく玄関のドアを閉めて歩き出す。だから、玄関で姉が「迅クンと仲直りできたのね!」と小躍りしていたことに気付かなかった。
迅と並んで歩くが、なんだか緊張してしまって無言のまま長い坂を下った。
今日は随分と温かい。春らしい気温だ。こんな日が続けば、あっという間に桜が満開になるだろう。そんなことを思いながら柔らかく開いている桜を見ていると、少しだけ心が軽くなった気がした。
チラッと右横の迅を見上げた。長身で手足の長い迅が朝陽の中で桜を見ている姿は文句なしにかっこいい。ぼやけた視界でも迅のかっこよさは貫通してくるらしい。半年くらい会わなかっただけなのに、中学生とは明らかに違うさわやかな色気が満ちている。隣に並ぶだけで、妙に気持ちがざわつくのはなぜだろう。心の中で感嘆の吐息を吐きながら見ていると、視線に気付いたらしい迅に見下ろされて慌てて目を泳がせてしまった。
「どうした? 目、見えないのか?」
「大丈夫。なんでもない」
十分見えているし、かっこよさが伝わり過ぎて言葉が出ないなんて言える訳がない。
「光が眩しすぎるとか、見えなくて不安とか。なんでも言ってくれ」
優しさに満ちた言葉に頷いて見せるが「後光みたいなかっこいい高校男子オーラに目が潰れる」なんて言えるはずもない。しっかり口を閉じ、視線を逸らせて歩いた。
(オレって……、変だ)
もう、会わない――。
目が傷付いたあの夏、そう心に決めたはずだ。
迅なら全国制覇の夢を高校で叶えるだろうし、プロバスケチームのユースに所属し、あっという間にプロデビューするに違いない。バスケができない自分は、迅にとって役立たずで邪魔な存在だ。それに、バスケができない現実を突き付けられる気がして辛くなる。
だから、もう会わない。バスケも忘れる――。
そう思っていたのに、どうして一緒に登校しているのだろう。本当に不思議だ。
「バスケ部だ」
グラウンドの前に差し掛かった時、迅が言った。つられて視線をそちらに向ける。昨日と同じように、グラウンドの隅のゴール下で数人が練習していた。
二人並んで足を止め、しばらく練習の様子に目を向けた。
「……」
沈黙が二人の間を繋ぐ中、不規則なボールの音が聞こえてくる。
タンタン。
ダンッ。
タンタン、タッ。ダッ。
「……」
昨日と同じく、なんとももどかしい練習風景だった。音を聞いているだけで腕がうずいてくるし「ちょっとボールを貸せ!」と言いたくなってしまう。
「随分とゴールが遠いな」
「うん。こう、入る気がしないというか……」
「ドリブルもボールがロデオな感じだ」
平たく言えば「下手」だ。
ただ、ゴールがひとつしかないし、それだってボロボロだ。そもそもの練習環境が整っていないように見えた。
中学の時、律と迅は体育館で練習していたし、バレー部やバドミントン部などが体育館を使う時は、市営体育館など別の練習場所を利用していた。それが当たり前だと思っていたから、今、見えている光景はなんとも奇異な感じがする。
「ん?」
ふと、ボールの音が止んだ。四つの人影が駆けてくる。
「あの! もしかして、龍角中の佐藤さんと三天さんですかっ!」
フェンスの向こうから声が飛んできた。肩で息をする四人は鬼気迫る表情だ。
「あぁ」
「そうだけど?」
気圧されながら律と迅が同時に答えると、四人は深々と頭を下げて声を張り上げた。
「バスケ部に入ってください! お願いしますっ!」
部活の勧誘だった。しかも敬語だ。背中がムズムズしてくる。
「あ~……」
迅が言葉を濁した。四人はなかなか頭を上げない。先輩にあたる人達に頭を下げられ続けるのは、なんともばつが悪い。
「お願いします!」
懇願が続いた。バラバラと四人に頼まれ続け、返す言葉がない。
言葉を無くしていると、迅がパンッと手を叩いた。
「悪い。入学したばっかで、何も考えてないんだ」
迅はそう答えると「遅刻するから」と歩き出した。律は無言のまま迅を追う。
「……」
担任のせいでクラスメイトは律の目のことを知っている。噂はすぐに広まるだろう。いずれ、バスケ部にも情報は入るはずだ。
迅は入部できると思う。ただ「入れば?」と勧めるのは気が引けた。こう言っては悪いが、三年連続で全国大会に出ていた迅に、この高校のバスケ部は不釣り合いだ。
「部活……」
上履きに履き替えながら呟くと、ため息が漏れた。各部活が勧誘に乗り出す時期だ。長身で運動神経が良い迅には、バスケだけでなく色々な部活から誘いが来るだろう。
(オレ、邪魔だな)
悔しいけれど、目のせいで距離感が掴めない律に、運動系の部活は難しい。迅の背中が手の届かいところへ離れていき、自分ではない誰かが隣に立つ様子が脳裏に浮かんだ。
それは、なんか嫌だ――。
胸に広がった苦い思いに顔を顰めてしまう。
「どうかしたか?」
「別に」
迅は隣に居る、と目と耳で確認しながら教室に入った。
(でも、オレって迅と一緒に居ていいのか?)
そんな不安と疑問が胸をかき乱してくる。嫌な思いを心の奥にねじ伏せながら、着席して昨日買ったノートを何度も撫でるのだった。
「あっ、崩れたっ」
「大丈夫よ。ほら、ひっくり返してしまえばいいわ?」
箸を持つ手に力が入り、眉間に皺が寄ってしまう。
姉からのアドバイスを受けながら思い描いたとおりに手を動かしているはずなのに、弁当用のおかずは全てが不格好だった。焦げたり、欠けたりしているし、おさまりも悪い。
「なんか、マズそうに見える。やっぱ持ってくの止める」
「なに言ってるの! 早起きして作ったんだから持って行きなさい。火傷は勲章よ」
ほらほら、と姉に背を押され、気乗りしないまま弁当箱を三段重ねにして包んだ。割り箸も二膳準備する。
「後片付けはやっとくから。ほら、行って! 遅れるわよ」
「あの、ありがと、姉貴」
「どういたしまして。で、誰と食べるの?」
「え? ん~。まぁ、テキトー?」
ファミレスでバイトをしている姉は料理が上手く手際もいいのだが、余計な詮索がうっとうしい。スッと背中を向けて手を洗い、キッチンを後にした。
「誰? いいじゃない。教えてよ」
「あ~、まぁ、うん。姉貴、恩に着る。じゃ、いってくる」
急いで鞄を掴むと玄関に走った。
「あ! 逃げるな~! って、誰か来たわよ」
インターフォンが鳴った。逃げる口実になる、と玄関を開けると意外な人物が立っていた。
「迅、な、なんで?」
「迎えに来た。行くぞ」
「行くぞって、あの、わざわざ来なくても……」
慌てて下駄箱の上の鍵を取って内ポケットに入れていると、迅の口元が緩んだ。なに? と視線で尋ねると、迅は視線を逸らせて照れ隠しのように咳払いをした。
「そのキーホルダー、持っててくれたのか」
「え? あ、うん。まぁ……付けっ放しなだけ」
バスケットボールのキーホルダーは、小学生の時に迅がくれたものだ。NBAの公式ボールを模ったもので、迅とお揃いだ。迅は鞄に付けていた。ちょっと照れくさくて「だけ」のところを強く言ってしまう。
「『だけ』でも嬉しい」
「……なんだよ、それ」
迅がアメリカで仕事をしている父に会いに行った時、わざわざ車で三時間かけて出かけた先で買ったと言っていたキーホルダーを簡単に捨てられる訳がない。
「良かった」
「ん」
なんだか昨日から照れくさいことが続いている気がする。どんな顔をすればいいのか分からなくて俯いてしまった。
「いってらっしゃい」と言う姉を振り返ることなく玄関のドアを閉めて歩き出す。だから、玄関で姉が「迅クンと仲直りできたのね!」と小躍りしていたことに気付かなかった。
迅と並んで歩くが、なんだか緊張してしまって無言のまま長い坂を下った。
今日は随分と温かい。春らしい気温だ。こんな日が続けば、あっという間に桜が満開になるだろう。そんなことを思いながら柔らかく開いている桜を見ていると、少しだけ心が軽くなった気がした。
チラッと右横の迅を見上げた。長身で手足の長い迅が朝陽の中で桜を見ている姿は文句なしにかっこいい。ぼやけた視界でも迅のかっこよさは貫通してくるらしい。半年くらい会わなかっただけなのに、中学生とは明らかに違うさわやかな色気が満ちている。隣に並ぶだけで、妙に気持ちがざわつくのはなぜだろう。心の中で感嘆の吐息を吐きながら見ていると、視線に気付いたらしい迅に見下ろされて慌てて目を泳がせてしまった。
「どうした? 目、見えないのか?」
「大丈夫。なんでもない」
十分見えているし、かっこよさが伝わり過ぎて言葉が出ないなんて言える訳がない。
「光が眩しすぎるとか、見えなくて不安とか。なんでも言ってくれ」
優しさに満ちた言葉に頷いて見せるが「後光みたいなかっこいい高校男子オーラに目が潰れる」なんて言えるはずもない。しっかり口を閉じ、視線を逸らせて歩いた。
(オレって……、変だ)
もう、会わない――。
目が傷付いたあの夏、そう心に決めたはずだ。
迅なら全国制覇の夢を高校で叶えるだろうし、プロバスケチームのユースに所属し、あっという間にプロデビューするに違いない。バスケができない自分は、迅にとって役立たずで邪魔な存在だ。それに、バスケができない現実を突き付けられる気がして辛くなる。
だから、もう会わない。バスケも忘れる――。
そう思っていたのに、どうして一緒に登校しているのだろう。本当に不思議だ。
「バスケ部だ」
グラウンドの前に差し掛かった時、迅が言った。つられて視線をそちらに向ける。昨日と同じように、グラウンドの隅のゴール下で数人が練習していた。
二人並んで足を止め、しばらく練習の様子に目を向けた。
「……」
沈黙が二人の間を繋ぐ中、不規則なボールの音が聞こえてくる。
タンタン。
ダンッ。
タンタン、タッ。ダッ。
「……」
昨日と同じく、なんとももどかしい練習風景だった。音を聞いているだけで腕がうずいてくるし「ちょっとボールを貸せ!」と言いたくなってしまう。
「随分とゴールが遠いな」
「うん。こう、入る気がしないというか……」
「ドリブルもボールがロデオな感じだ」
平たく言えば「下手」だ。
ただ、ゴールがひとつしかないし、それだってボロボロだ。そもそもの練習環境が整っていないように見えた。
中学の時、律と迅は体育館で練習していたし、バレー部やバドミントン部などが体育館を使う時は、市営体育館など別の練習場所を利用していた。それが当たり前だと思っていたから、今、見えている光景はなんとも奇異な感じがする。
「ん?」
ふと、ボールの音が止んだ。四つの人影が駆けてくる。
「あの! もしかして、龍角中の佐藤さんと三天さんですかっ!」
フェンスの向こうから声が飛んできた。肩で息をする四人は鬼気迫る表情だ。
「あぁ」
「そうだけど?」
気圧されながら律と迅が同時に答えると、四人は深々と頭を下げて声を張り上げた。
「バスケ部に入ってください! お願いしますっ!」
部活の勧誘だった。しかも敬語だ。背中がムズムズしてくる。
「あ~……」
迅が言葉を濁した。四人はなかなか頭を上げない。先輩にあたる人達に頭を下げられ続けるのは、なんともばつが悪い。
「お願いします!」
懇願が続いた。バラバラと四人に頼まれ続け、返す言葉がない。
言葉を無くしていると、迅がパンッと手を叩いた。
「悪い。入学したばっかで、何も考えてないんだ」
迅はそう答えると「遅刻するから」と歩き出した。律は無言のまま迅を追う。
「……」
担任のせいでクラスメイトは律の目のことを知っている。噂はすぐに広まるだろう。いずれ、バスケ部にも情報は入るはずだ。
迅は入部できると思う。ただ「入れば?」と勧めるのは気が引けた。こう言っては悪いが、三年連続で全国大会に出ていた迅に、この高校のバスケ部は不釣り合いだ。
「部活……」
上履きに履き替えながら呟くと、ため息が漏れた。各部活が勧誘に乗り出す時期だ。長身で運動神経が良い迅には、バスケだけでなく色々な部活から誘いが来るだろう。
(オレ、邪魔だな)
悔しいけれど、目のせいで距離感が掴めない律に、運動系の部活は難しい。迅の背中が手の届かいところへ離れていき、自分ではない誰かが隣に立つ様子が脳裏に浮かんだ。
それは、なんか嫌だ――。
胸に広がった苦い思いに顔を顰めてしまう。
「どうかしたか?」
「別に」
迅は隣に居る、と目と耳で確認しながら教室に入った。
(でも、オレって迅と一緒に居ていいのか?)
そんな不安と疑問が胸をかき乱してくる。嫌な思いを心の奥にねじ伏せながら、着席して昨日買ったノートを何度も撫でるのだった。
