放課後、迅と一緒にバスで家とは反対方向にある文具専門店に向かった。
ケガをする前は、自転車で買いに行っていた店だ。キャラクター物の鉛筆やノートはもちろん、高級万年筆、輸入物のステーショナリ―など、あらゆる物が揃っていて律のお気に入りだった。
平日の夕方でも多くの客が入っていた。入ってすぐに店全体を見渡したが、以前と違ってポップや案内板が見えにくく、心の中で苦笑してしまった。
「まず、ノートだな。こっちだ。最近、また配置が変わったんだ」
迅が先を行く。その広い背中を追っていくと、ずらりとノートが並ぶ棚にたどり着いた。
「律はこのメーカーだったよな」
「そう、このシリーズ。裏移りしないし滑りが良くて書きやすい」
「分かる。サラサラ感が気持ちがいい」
「蛍光ペンの発色もいいから好き」
「これの英語ノートは裏表紙に筆記体の一覧が載ってるんだよな」
「そうそう。昔は結構、色んなメーカーのノートに載ってたらしいけどね」
プライベートブランドのノートに比べるとかなり高く感じるが、使い心地の良さを覚えると他は選べない。表紙や背表紙の色で迷い、方眼と無地などを選んで棚の端から端まで歩いていると、ドンッと他の客にぶつかってしまった。
「あ、すみません」
反射的に身を引き、頭を下げて謝罪する。右目が見えにくいせいで、右側から不意に近付く物に気付けないのだ。夢中になると注意力が散漫になってしまっていけない。
「大丈夫か?」
早足で寄って来た迅に苦笑して見せる。
「はは。右、見えてないから」
「笑うな」
不意に迅の語気が強くなった。
「そういう自虐、いらねぇから」
「ごめん」
「転んだりしなくて良かった」
本当に安堵したような表情で言った迅は、語気が強くなったことに自分で気付いたのか「悪い」と小さな声で謝ってきた。
「で、次はペン? 春っていっぱい売り場に出てくるよな」
話題を変えるように言った迅が別の売り場を指さした。行くぞ、と先を歩いていく。その後を追いながら、すっかり変わった売り場に視線を巡らせた。
「?」
ふ、と迅が時々、歩みを緩めて振り返ってくるのに気が付いた。ちゃんと付いてきているか。危険はないか、と確認しているようだ。
(保護されてるというか、エスコートされる姫な感じ?)
なんだかこそばゆいような、気恥ずかしい感じがした。そんなことされなくても大丈夫だ、というように小首を傾げ肩を軽く上げて見せる。なんだか分からないが、うんうん、と頷いた迅が近くの棚を指さした。
「これ、便利だった」
「え?」
「半分透明な下敷き。ノートの左に年表書いて、右に出来事とか人物名とか書いて使ってた」
「へぇ~。右半分、丸ごと隠せるのか」
「あぁ。緑ペンで塗って赤いフィルム重ねるの、全部赤くなるから苦手だったんだ」
「確かに」
「こっちの『隠すところに貼るフィルムテープ』も良く使った」
「修正テープみたい。剥がせるんだ?」
「そうそう。まぁ、暗記アプリ使えば、こういうアナログなグッズは要らないけどな」
「アプリかぁ。オレはアナログの方が好きだな」
「律らしい。そういや律は、バスケのスコアシートも手書きしてたよな」
「まぁ、な」
「あ、悪い。バスケの話、止めるわ」
迅は「しまった」と表情を顰めて首を左右に振った。そして「こっち」とペンのコーナーへ歩き出す。自然とバスケの話が出て来るのは、迅がバスケ好きである証拠に思えた。
(オレのことなんか放っておいて、高校、推薦で行けばよかったのに)
馬鹿な奴、と心の中で呟きながらペンのコーナーへ移動した。
「すごっ。こんなにいっぱいあるのか」
「蛍光ペンなのに、ほんのりとかマイルドってどうなんだろうな」
「確かに。でも、オレはマイルド系好きかも。グレーって使い勝手良いし」
「俺はパキッとはっきり色が付く方が好きだな」
「じゃぁ、これとか? 晴れやかマイルドだって」
「悪くないな。律はこっち? やさしさマイルド」
「うん。いいな」
ほかにもドットが簡単に書けるペンや、筆のようなペン、フリクションなど、様々なペンを二人で見て回り、試し書きしながら選んだ。続く付箋のコーナーでは、おもしろ付箋をいろいろ手に取り、骨付き肉の形をした付箋を買うことにした。ガラスペンや高級万年筆も見て回り、 久々の文具専門店を堪能して帰路に付いた。
「ごめん。ノートだけって思ってたのに買い過ぎた」
「気にするな」
「でも……、楽しかった」
「俺も」
目のせいで外に出ること自体が億劫だったのに、今日は嘘みたいに楽しかった。
バスに揺られながら「ありがと」と短く少し早口で言うと、迅が口元を緩めるのが見えた。
小学校も中学校も家から学校が近くて徒歩通学だった。こうやってバスで揺られて帰るなんて初めてかもしれない。なんだか新鮮だな、なんて感じながらぼんやりと外を見ていた。街路灯に照らされた夜桜が霞みがかって見えて綺麗だった。いいなぁ、なんて思っていると、突然バスが大きく揺れた。急ブレーキだ、と思った次の瞬間、ドサッという音がした。
「!」
音は顔のすぐ横から聞こえた。慌てて首をそちらに向けると、網棚からリュックがずり落ちていて、迅が受け止めていた。
「あ、ありがと……」
「あぁ」
もし、迅が居なければ荷物は律の顔に当たっていた。右目を直撃していたかもしれないと思うと冷や汗が出た。同時にあることに気が付いた。
「迅、もしかして……」
あえて右に立って、見えていない右目のフォローをしてくれていた?
見上げながら目で尋ねると、迅の口元がフッと緩んだ。
「律の右は任せろ」
言ってから迅がスイッと視線を外した。耳が少し赤くなっているように見える。
コートの中で「ゴール下は任せろ」と言っていた守護神の言葉が胸にしみる。
「ん」
短く答えたものの、なんだかこっちも照れてしまって頬を指先で掻いたり、無駄に姿勢を変えたりしてしまう。なんとも言えない空気に困りながらバスが動き出すのを待った。
ざわつく車内に「自転車の飛び出しで急ブレーキを踏んだ」という運転手の説明と、ケガの有無を確認する声が響く。二十人くらいの乗客全員が「大丈夫」と返事をしてから、バスがゆっくり動き出した。
もっとゆっくり走れよ。そうすれば、もっと迅と一緒に居られる――。
そんなことを思いながら、長い坂道を登り始めたバスの低いエンジン音に耳を傾けるのだった。
ケガをする前は、自転車で買いに行っていた店だ。キャラクター物の鉛筆やノートはもちろん、高級万年筆、輸入物のステーショナリ―など、あらゆる物が揃っていて律のお気に入りだった。
平日の夕方でも多くの客が入っていた。入ってすぐに店全体を見渡したが、以前と違ってポップや案内板が見えにくく、心の中で苦笑してしまった。
「まず、ノートだな。こっちだ。最近、また配置が変わったんだ」
迅が先を行く。その広い背中を追っていくと、ずらりとノートが並ぶ棚にたどり着いた。
「律はこのメーカーだったよな」
「そう、このシリーズ。裏移りしないし滑りが良くて書きやすい」
「分かる。サラサラ感が気持ちがいい」
「蛍光ペンの発色もいいから好き」
「これの英語ノートは裏表紙に筆記体の一覧が載ってるんだよな」
「そうそう。昔は結構、色んなメーカーのノートに載ってたらしいけどね」
プライベートブランドのノートに比べるとかなり高く感じるが、使い心地の良さを覚えると他は選べない。表紙や背表紙の色で迷い、方眼と無地などを選んで棚の端から端まで歩いていると、ドンッと他の客にぶつかってしまった。
「あ、すみません」
反射的に身を引き、頭を下げて謝罪する。右目が見えにくいせいで、右側から不意に近付く物に気付けないのだ。夢中になると注意力が散漫になってしまっていけない。
「大丈夫か?」
早足で寄って来た迅に苦笑して見せる。
「はは。右、見えてないから」
「笑うな」
不意に迅の語気が強くなった。
「そういう自虐、いらねぇから」
「ごめん」
「転んだりしなくて良かった」
本当に安堵したような表情で言った迅は、語気が強くなったことに自分で気付いたのか「悪い」と小さな声で謝ってきた。
「で、次はペン? 春っていっぱい売り場に出てくるよな」
話題を変えるように言った迅が別の売り場を指さした。行くぞ、と先を歩いていく。その後を追いながら、すっかり変わった売り場に視線を巡らせた。
「?」
ふ、と迅が時々、歩みを緩めて振り返ってくるのに気が付いた。ちゃんと付いてきているか。危険はないか、と確認しているようだ。
(保護されてるというか、エスコートされる姫な感じ?)
なんだかこそばゆいような、気恥ずかしい感じがした。そんなことされなくても大丈夫だ、というように小首を傾げ肩を軽く上げて見せる。なんだか分からないが、うんうん、と頷いた迅が近くの棚を指さした。
「これ、便利だった」
「え?」
「半分透明な下敷き。ノートの左に年表書いて、右に出来事とか人物名とか書いて使ってた」
「へぇ~。右半分、丸ごと隠せるのか」
「あぁ。緑ペンで塗って赤いフィルム重ねるの、全部赤くなるから苦手だったんだ」
「確かに」
「こっちの『隠すところに貼るフィルムテープ』も良く使った」
「修正テープみたい。剥がせるんだ?」
「そうそう。まぁ、暗記アプリ使えば、こういうアナログなグッズは要らないけどな」
「アプリかぁ。オレはアナログの方が好きだな」
「律らしい。そういや律は、バスケのスコアシートも手書きしてたよな」
「まぁ、な」
「あ、悪い。バスケの話、止めるわ」
迅は「しまった」と表情を顰めて首を左右に振った。そして「こっち」とペンのコーナーへ歩き出す。自然とバスケの話が出て来るのは、迅がバスケ好きである証拠に思えた。
(オレのことなんか放っておいて、高校、推薦で行けばよかったのに)
馬鹿な奴、と心の中で呟きながらペンのコーナーへ移動した。
「すごっ。こんなにいっぱいあるのか」
「蛍光ペンなのに、ほんのりとかマイルドってどうなんだろうな」
「確かに。でも、オレはマイルド系好きかも。グレーって使い勝手良いし」
「俺はパキッとはっきり色が付く方が好きだな」
「じゃぁ、これとか? 晴れやかマイルドだって」
「悪くないな。律はこっち? やさしさマイルド」
「うん。いいな」
ほかにもドットが簡単に書けるペンや、筆のようなペン、フリクションなど、様々なペンを二人で見て回り、試し書きしながら選んだ。続く付箋のコーナーでは、おもしろ付箋をいろいろ手に取り、骨付き肉の形をした付箋を買うことにした。ガラスペンや高級万年筆も見て回り、 久々の文具専門店を堪能して帰路に付いた。
「ごめん。ノートだけって思ってたのに買い過ぎた」
「気にするな」
「でも……、楽しかった」
「俺も」
目のせいで外に出ること自体が億劫だったのに、今日は嘘みたいに楽しかった。
バスに揺られながら「ありがと」と短く少し早口で言うと、迅が口元を緩めるのが見えた。
小学校も中学校も家から学校が近くて徒歩通学だった。こうやってバスで揺られて帰るなんて初めてかもしれない。なんだか新鮮だな、なんて感じながらぼんやりと外を見ていた。街路灯に照らされた夜桜が霞みがかって見えて綺麗だった。いいなぁ、なんて思っていると、突然バスが大きく揺れた。急ブレーキだ、と思った次の瞬間、ドサッという音がした。
「!」
音は顔のすぐ横から聞こえた。慌てて首をそちらに向けると、網棚からリュックがずり落ちていて、迅が受け止めていた。
「あ、ありがと……」
「あぁ」
もし、迅が居なければ荷物は律の顔に当たっていた。右目を直撃していたかもしれないと思うと冷や汗が出た。同時にあることに気が付いた。
「迅、もしかして……」
あえて右に立って、見えていない右目のフォローをしてくれていた?
見上げながら目で尋ねると、迅の口元がフッと緩んだ。
「律の右は任せろ」
言ってから迅がスイッと視線を外した。耳が少し赤くなっているように見える。
コートの中で「ゴール下は任せろ」と言っていた守護神の言葉が胸にしみる。
「ん」
短く答えたものの、なんだかこっちも照れてしまって頬を指先で掻いたり、無駄に姿勢を変えたりしてしまう。なんとも言えない空気に困りながらバスが動き出すのを待った。
ざわつく車内に「自転車の飛び出しで急ブレーキを踏んだ」という運転手の説明と、ケガの有無を確認する声が響く。二十人くらいの乗客全員が「大丈夫」と返事をしてから、バスがゆっくり動き出した。
もっとゆっくり走れよ。そうすれば、もっと迅と一緒に居られる――。
そんなことを思いながら、長い坂道を登り始めたバスの低いエンジン音に耳を傾けるのだった。
