授業は、律がインフルエンザで出席停止になっている間にかなり進んでしまっていた。それだけで出鼻を挫かれた気分なのに、右隣りの迅が気になりすぎて午前中だけでぐったり疲れてしまった。授業時間も中学より長いし、昼休みになった瞬間、深いため息を吐きながら机に突っ伏してした。
「あ、財布忘れた」
弁当なんて持ってきていないし、水飲んで我慢するしかない。今日はあらゆることが上手くいかない日らしい。寝て耐えるか、なんて思いながら目を閉じていた。
しばらくして――。
「カツサンドでいいよな」
「え?」
「あと、適当に買ったから好きに食え」
牛乳パックを持った迅が、机の上にパンを置いた。カツサンドに、ハンバーガー、コロッケパン、から揚げパン、焼きそばパンなど。腹にずっしり溜まるパンがずらりと机に並ぶ。
「肉派なの、変わってないだろ」
「うん。変わってない」
覚えていてくれたのか。
律は肉派で、迅が甘党だ。
ファミレスで注文すると、律の前にパンケーキ、迅の前にステーキ定食が置かれるが、店員が去ってから入れ替えるのが定番だった。そんなことを思い出すとクスッと笑えるが、一緒にバスケに没頭していたことも思い出してしまって辛かった。
「これ学食の?」
表情が崩れそうなのを堪えて尋ねた。
「あぁ。体育館棟の食堂で売ってる。特進は渡り廊下に一番近いから有利なんだ」
「パン争奪戦でこんだけ買ったのか?」
「走るのと掴むのは負けない」
そりゃ、勝つだろう。ゴール下の守護神と称えられた身長百九十センチのリーチに勝てる者が居たら見てみたい。
「ほら、食え」
「え、でもオレ、今日財布が……」
「気にするな。俺と律の仲だろ」
「えっと……、じゃぁ、うん。いただきます」
俺と律の仲――。
その言葉が胸に刺さった。
クリームがあふれてしまっているフルーツサンドを頬張る迅を横目に、カツに齧りつく。柔らかくなった衣に染み込んだソースが堪らないはずなのに、味わう余裕が無かった。
お互い無言で食べる時間が続いたが、ふ、と迅が口を開いた。
「部室でよく一緒に食ったよな」
「うん」
「中学来なくなったの、目のせいだったのか」
迅は目を合わせてこない。眉間には皺が寄ったままだ。その横顔に一瞥をくれてから小さく頷いた。
「……そうか」
そう。律は中三の夏、全国大会が終わってバスケ部を引退した後、不登校になった。原因は目だ。右目の視力が著しく低下し、バスケができなくなってしまったのだ。そのショックはとてつもなく大きかったし、スポーツ推薦を辞退せざるを得なくなったことも、しばらく受け入れられなかった。もう人生を辞めたい、と思ったほどだ。
迅が何度も家に尋ねて来たし、メッセージや電話、メールも連日のようにくれた。でも、全て無視した。
だって、迅にはバスケで進む道があったから――。それに、本当のことはとても話せない。グッと言葉を飲んで、ハンバーガーに手を伸ばした。
「見えないの、右、左、どっちだ?」
「右」
「痛みは?」
「ない」
「困るのはどんな時だ? 言いたくないなら、言わなくていいぞ」
「あ~……、右、霞んでて視力がかなり弱いから、右側から近付かれるとビックリする」
「そうか」
「でもまぁ、少しずつでも回復してるし、片方見えてなくても、もう片方で視覚資格情報を補うとかなんとからしくて、それなりに大丈夫っぽい」
「分かった」
律が喋っている間に、フルーツサンドを食べ終えた迅がチョココロネに齧りつく。
「食ったら英語の準備するぞ」
「準備?」
「授業で自己紹介するんだ。原稿作るのが宿題だった」
「原稿って?」
「好きなもの、趣味、高校で努力したいこと、クラスメイトに対する質問を考えろって」
「好き、趣味、努力……」
よくある課題だ、と思いながらも困ってしまう。中学の時は間違いなくバスケだった。しかし、こんな目になってから様々なことが辛くて煩わしい。高校進学を辞めようと思った時もあったくらいだ。趣味とか先のことを考える余裕なんてなかった。
「俺の原稿、見るか?」
チョココロネを平らげた迅が、指先をティッシュで拭きながらノートを取り出した。そこには美しい筆記体で自己紹介が書かれていた。
「迅って筆記体、書くんだ」
「律が書いてたから練習した」
「は?」
「律ができること全部習得すれば同じ学校に行けると思ったから努力した」
「同じ学校って……迅は推薦ほぼ決まってただろ!」
「蹴った」
「はぁ?」
迅の英語の自己紹介原稿には、好きなことはバスケ、趣味もバスケ、高校で努力したいこともバスケになっていた。
「こんだけバスケ三昧のくせに、なんで強豪校へ行かなかったんだよ」
「だって、律が居ないから」
「オレ?」
「律が居ないコートに俺が立つ理由はない」
なんでもないことのように迅が言った。そして、パックの牛乳を一気に飲み干す。
「ほら、五時間目が英語だ。早く食って書け」
「いや、書けって言われても……」
なんだか凄いことを聞いてしまった。
迅は表情をほとんど変えない。ポーカーフェイスで感情が伝わり難く「怖い」印象が強い。そんな顔で時々こちらがびっくりすることを言って来るから判断に困ることがある。
(いやいや、理由がおかしいだろ)
頭が軽い混乱状態だ。
バスケ三昧の迅にとってバスケができない自分は邪魔でしかない。だから、昨年の夏から一切の連絡を断ったのに、なんてことを言ってくれるのだろう。変に胸がざわついてしまうではないか。
そういえば、朝、姉貴が「迅に話をしろ」と言っていた。それは、クラスに迅が居るからだったのか。いや、どうして姉貴が迅のことを知っているのか。
(そういえば入学のしおりとか、学校便りとか、あったっけ。全然読んでなかった――)
母の代わりに色々と手続きしてくれた姉だ。読んでいてもおかしくはない。
律もちゃんと目を通しておけば、クラスメイトの名前くらいは事前に把握できたはずだ。しまった、と思いながらペンを握った。英語のノートを準備していなくて、一冊だけ持っていた無地のノートを広げる。
「自己紹介……」
名前と好きなもの「肉」くらいは、すぐ書ける。
しかし、趣味? 高校で努力したいこと? 質問?
「なに書けばいいんだよ」
中三の夏でバスケを辞め、その後は母や姉に励まされながら進学のために猛勉強した。それも実った今、目標もなにもない。普通に過ごしたい、と書くか?
「律、文具好きだろ? 書き心地の良い手帳を探したり、ペン先の形が違う蛍光ペンとかカラーペンを揃えたり。文具集めが趣味でいいんじゃないか?」
迅が、まるで自分のことのようにサラサラと答えてくれた。
「文具か」
迅の言葉に手が動いた。そうだった。文房具専門店はもちろん、スーパーの小さな文具コーナーでさえ見るのが楽しい。
「趣味は文具集め。紙の触り心地とか、ペンの種類とか? そういうことを書けばいいだろう」
「確かに……。なか、オレよりオレのこと良く知ってるな」
「何年の付き合いだと思っているんだ」
「ははは。小四から? 長いよなぁ」
そう。迅との付き合いは長い。
迅は律のことを良く理解してくれている。周囲が「バスケ強豪・龍角中の副主将」「容姿端麗、モデルのような美男子」と律を称えるが、迅は違う。肉が好きと知っていてガッツリ系の総菜パンを買ってきてくれるし、文具好きだと即答してくれる上、言っていないのにココの高校に来ると把握していて、隣に居てくれる。しかも、極自然な態度で居続けてくれる。一緒に居ると、とても楽で心地良い――。
「放課後、一緒に店行くか?」
ポツリと迅が言った。
「自分の趣味忘れるくらい受験勉強に没頭してたんだろう?」
「え、あ……まぁ」
図星だった。バスケの推薦が消えてからは、死に物狂いで勉強する日々だった。趣味だの、なんだのと言っていられなかった。
「店行きたいけど、財布いからパス」
「ノート代くらい貸す。それに、見るだけでも楽しいだろ?」
「それは、まぁ……」
店にとっては迷惑な客だろうが、見るだけでも十分楽しい。行きたいか、行きたくないか、と聞かれれば、当然、行きたい。
「よし。行くの決まりな。で、高校での目標は? さすがにこれは自分で考えろよ」
「えぇぇ……、まぁ高校だから勉強? 進学に向けて?」
「じゃぁ、それを……」
迅に誘導されながら文章を作っていく。クラスメイトに対する質問も、なんとか書き上げた。
「英語終わったな。だったら、次だ」
「次? げっ!」
「教科書の名前」
「これ、全部書くのか?」
「教科書と資料集、ワーク、理科系と公民系のワークノートだな。皆、書いたぞ」
「え~、こんなに書けないって。テプラ貼りたい」
「ねぇよ。ワークノートの提出もあるんだ。書けよ、ほら」
ブツブツ言いながら名前を書いていく。
ペンを走らせるうちに、申し訳なさが込み上げてきた。
中三の夏以降、毎日のように連絡をくれていた迅を完全に無理し、一方的に関係を断った。それなのに、バスケを諦めて難関高校の特進コースまで追いかけて来た上、困惑の表情を浮かべながらも世話を焼いてくれている迅の優しさに戸惑ってしまう。
「……」
なんとも言えない気持ちになりながら、次々と差し出される教科書に記名していく。首を傾げて見えている目で手元を確認する合間に、チラッと迅に視線を向けた。迅は、思いつめたような表情だった。思わず手を止めて首を傾げる。
「迅? なんで泣きそうなんだよ」
「律……、俺、頼れる男になる。どんなことでも相談できる男になるって約束するから」
「から?」
「……」
その先に続く言葉が紡がれることはなく、律も迅に返す言葉を見付けられなかった。
「あ、財布忘れた」
弁当なんて持ってきていないし、水飲んで我慢するしかない。今日はあらゆることが上手くいかない日らしい。寝て耐えるか、なんて思いながら目を閉じていた。
しばらくして――。
「カツサンドでいいよな」
「え?」
「あと、適当に買ったから好きに食え」
牛乳パックを持った迅が、机の上にパンを置いた。カツサンドに、ハンバーガー、コロッケパン、から揚げパン、焼きそばパンなど。腹にずっしり溜まるパンがずらりと机に並ぶ。
「肉派なの、変わってないだろ」
「うん。変わってない」
覚えていてくれたのか。
律は肉派で、迅が甘党だ。
ファミレスで注文すると、律の前にパンケーキ、迅の前にステーキ定食が置かれるが、店員が去ってから入れ替えるのが定番だった。そんなことを思い出すとクスッと笑えるが、一緒にバスケに没頭していたことも思い出してしまって辛かった。
「これ学食の?」
表情が崩れそうなのを堪えて尋ねた。
「あぁ。体育館棟の食堂で売ってる。特進は渡り廊下に一番近いから有利なんだ」
「パン争奪戦でこんだけ買ったのか?」
「走るのと掴むのは負けない」
そりゃ、勝つだろう。ゴール下の守護神と称えられた身長百九十センチのリーチに勝てる者が居たら見てみたい。
「ほら、食え」
「え、でもオレ、今日財布が……」
「気にするな。俺と律の仲だろ」
「えっと……、じゃぁ、うん。いただきます」
俺と律の仲――。
その言葉が胸に刺さった。
クリームがあふれてしまっているフルーツサンドを頬張る迅を横目に、カツに齧りつく。柔らかくなった衣に染み込んだソースが堪らないはずなのに、味わう余裕が無かった。
お互い無言で食べる時間が続いたが、ふ、と迅が口を開いた。
「部室でよく一緒に食ったよな」
「うん」
「中学来なくなったの、目のせいだったのか」
迅は目を合わせてこない。眉間には皺が寄ったままだ。その横顔に一瞥をくれてから小さく頷いた。
「……そうか」
そう。律は中三の夏、全国大会が終わってバスケ部を引退した後、不登校になった。原因は目だ。右目の視力が著しく低下し、バスケができなくなってしまったのだ。そのショックはとてつもなく大きかったし、スポーツ推薦を辞退せざるを得なくなったことも、しばらく受け入れられなかった。もう人生を辞めたい、と思ったほどだ。
迅が何度も家に尋ねて来たし、メッセージや電話、メールも連日のようにくれた。でも、全て無視した。
だって、迅にはバスケで進む道があったから――。それに、本当のことはとても話せない。グッと言葉を飲んで、ハンバーガーに手を伸ばした。
「見えないの、右、左、どっちだ?」
「右」
「痛みは?」
「ない」
「困るのはどんな時だ? 言いたくないなら、言わなくていいぞ」
「あ~……、右、霞んでて視力がかなり弱いから、右側から近付かれるとビックリする」
「そうか」
「でもまぁ、少しずつでも回復してるし、片方見えてなくても、もう片方で視覚資格情報を補うとかなんとからしくて、それなりに大丈夫っぽい」
「分かった」
律が喋っている間に、フルーツサンドを食べ終えた迅がチョココロネに齧りつく。
「食ったら英語の準備するぞ」
「準備?」
「授業で自己紹介するんだ。原稿作るのが宿題だった」
「原稿って?」
「好きなもの、趣味、高校で努力したいこと、クラスメイトに対する質問を考えろって」
「好き、趣味、努力……」
よくある課題だ、と思いながらも困ってしまう。中学の時は間違いなくバスケだった。しかし、こんな目になってから様々なことが辛くて煩わしい。高校進学を辞めようと思った時もあったくらいだ。趣味とか先のことを考える余裕なんてなかった。
「俺の原稿、見るか?」
チョココロネを平らげた迅が、指先をティッシュで拭きながらノートを取り出した。そこには美しい筆記体で自己紹介が書かれていた。
「迅って筆記体、書くんだ」
「律が書いてたから練習した」
「は?」
「律ができること全部習得すれば同じ学校に行けると思ったから努力した」
「同じ学校って……迅は推薦ほぼ決まってただろ!」
「蹴った」
「はぁ?」
迅の英語の自己紹介原稿には、好きなことはバスケ、趣味もバスケ、高校で努力したいこともバスケになっていた。
「こんだけバスケ三昧のくせに、なんで強豪校へ行かなかったんだよ」
「だって、律が居ないから」
「オレ?」
「律が居ないコートに俺が立つ理由はない」
なんでもないことのように迅が言った。そして、パックの牛乳を一気に飲み干す。
「ほら、五時間目が英語だ。早く食って書け」
「いや、書けって言われても……」
なんだか凄いことを聞いてしまった。
迅は表情をほとんど変えない。ポーカーフェイスで感情が伝わり難く「怖い」印象が強い。そんな顔で時々こちらがびっくりすることを言って来るから判断に困ることがある。
(いやいや、理由がおかしいだろ)
頭が軽い混乱状態だ。
バスケ三昧の迅にとってバスケができない自分は邪魔でしかない。だから、昨年の夏から一切の連絡を断ったのに、なんてことを言ってくれるのだろう。変に胸がざわついてしまうではないか。
そういえば、朝、姉貴が「迅に話をしろ」と言っていた。それは、クラスに迅が居るからだったのか。いや、どうして姉貴が迅のことを知っているのか。
(そういえば入学のしおりとか、学校便りとか、あったっけ。全然読んでなかった――)
母の代わりに色々と手続きしてくれた姉だ。読んでいてもおかしくはない。
律もちゃんと目を通しておけば、クラスメイトの名前くらいは事前に把握できたはずだ。しまった、と思いながらペンを握った。英語のノートを準備していなくて、一冊だけ持っていた無地のノートを広げる。
「自己紹介……」
名前と好きなもの「肉」くらいは、すぐ書ける。
しかし、趣味? 高校で努力したいこと? 質問?
「なに書けばいいんだよ」
中三の夏でバスケを辞め、その後は母や姉に励まされながら進学のために猛勉強した。それも実った今、目標もなにもない。普通に過ごしたい、と書くか?
「律、文具好きだろ? 書き心地の良い手帳を探したり、ペン先の形が違う蛍光ペンとかカラーペンを揃えたり。文具集めが趣味でいいんじゃないか?」
迅が、まるで自分のことのようにサラサラと答えてくれた。
「文具か」
迅の言葉に手が動いた。そうだった。文房具専門店はもちろん、スーパーの小さな文具コーナーでさえ見るのが楽しい。
「趣味は文具集め。紙の触り心地とか、ペンの種類とか? そういうことを書けばいいだろう」
「確かに……。なか、オレよりオレのこと良く知ってるな」
「何年の付き合いだと思っているんだ」
「ははは。小四から? 長いよなぁ」
そう。迅との付き合いは長い。
迅は律のことを良く理解してくれている。周囲が「バスケ強豪・龍角中の副主将」「容姿端麗、モデルのような美男子」と律を称えるが、迅は違う。肉が好きと知っていてガッツリ系の総菜パンを買ってきてくれるし、文具好きだと即答してくれる上、言っていないのにココの高校に来ると把握していて、隣に居てくれる。しかも、極自然な態度で居続けてくれる。一緒に居ると、とても楽で心地良い――。
「放課後、一緒に店行くか?」
ポツリと迅が言った。
「自分の趣味忘れるくらい受験勉強に没頭してたんだろう?」
「え、あ……まぁ」
図星だった。バスケの推薦が消えてからは、死に物狂いで勉強する日々だった。趣味だの、なんだのと言っていられなかった。
「店行きたいけど、財布いからパス」
「ノート代くらい貸す。それに、見るだけでも楽しいだろ?」
「それは、まぁ……」
店にとっては迷惑な客だろうが、見るだけでも十分楽しい。行きたいか、行きたくないか、と聞かれれば、当然、行きたい。
「よし。行くの決まりな。で、高校での目標は? さすがにこれは自分で考えろよ」
「えぇぇ……、まぁ高校だから勉強? 進学に向けて?」
「じゃぁ、それを……」
迅に誘導されながら文章を作っていく。クラスメイトに対する質問も、なんとか書き上げた。
「英語終わったな。だったら、次だ」
「次? げっ!」
「教科書の名前」
「これ、全部書くのか?」
「教科書と資料集、ワーク、理科系と公民系のワークノートだな。皆、書いたぞ」
「え~、こんなに書けないって。テプラ貼りたい」
「ねぇよ。ワークノートの提出もあるんだ。書けよ、ほら」
ブツブツ言いながら名前を書いていく。
ペンを走らせるうちに、申し訳なさが込み上げてきた。
中三の夏以降、毎日のように連絡をくれていた迅を完全に無理し、一方的に関係を断った。それなのに、バスケを諦めて難関高校の特進コースまで追いかけて来た上、困惑の表情を浮かべながらも世話を焼いてくれている迅の優しさに戸惑ってしまう。
「……」
なんとも言えない気持ちになりながら、次々と差し出される教科書に記名していく。首を傾げて見えている目で手元を確認する合間に、チラッと迅に視線を向けた。迅は、思いつめたような表情だった。思わず手を止めて首を傾げる。
「迅? なんで泣きそうなんだよ」
「律……、俺、頼れる男になる。どんなことでも相談できる男になるって約束するから」
「から?」
「……」
その先に続く言葉が紡がれることはなく、律も迅に返す言葉を見付けられなかった。
