衝突事件の後、職員会議が何度も開かれた結果、バスケ部は廃部を免れた。
先輩達四人が提出した部の目的や計画が認められ、さらに律と迅の入部によって試合に必要な最低人数が確保できたことが大きかったらしい。
それはよしとして、バレー部は休部となった。
部内も一枚岩ではなく、不満がくすぶっているようでこの後、どうなるのか不透明らしい。騒ぎの首謀者・荒木主将については退部の噂が流れていて、一件落着まではもうしばらく時間がかかりそうだった。
そんな騒ぎをよそに、律は今日も朝練のためグラウンドに出ていた。
ひとつしかないゴールの下で先輩二人がボールを取り合っている。
「そこで退かない! もう一歩前に踏み出す!」
律は声を張り上げた。「はいっ!」という返事は来るが、動きが伴わない。
イメージばかりが先行して体が伴わない状態がずっと続いている。理想に体が追いつくには、ひたすら練習して体得する以外に方法はない。
練習の絶対量が圧倒的に足りないなぁ、と思いながら手を叩いた。
「はい、終了」
朝練の終了時間だ。そろそろ片付けないと、朝のHRに間に合わない。
「ありがとうございましたっ!」
バスケ部員は四人が先輩だが、四人とも律に対して敬語を使う。なんだか背中がむず痒いのだが、何度言っても変わらないので諦めた。
「後片付けは俺達でやります!」
「じゃぁ、よろしくお願いします」
軽く会釈してから律は踵を返した。
コートの外でドリブルやシュートの自主練をしていた迅が無言で付いてくる。
「……?」
迅の表情が硬く難しい。
「どうした、迅。調子悪い?」
「別に」
そっけない返事をした迅が歩調を速めた。首を傾げながらその後を追う。
「練習方法、今のままでいいかな?」
「いいんじゃないか?」
「本当に? ドリブルとかシュートとか。フォームが身についていないから、そっちに時間割きたいけど基礎ばっかりだと飽きるよな?」
「基礎は大事だろ」
「そうだけど、飽きずに効率よく練習できる方法とかないかな」
「飽きるってなんだ? 好きなら基礎だろうがなんだろうが練習すべきだろ!」
迅の語気が強まった。荒々しさも感じられて、一瞬、ビクッと引いてしまった。
「え……、それは、そうだけど……」
「……悪い。俺、先上がるわ」
視線を合わせないまま迅は先に部室へ入っていってしまった。
「なんだよ」
なんだか様子が変だ。それに、妙に非協力的に見える。
隠し事が無くなったし、お互いの想いも確認した上、バスケ部の存続も決まったのに何が不満なのだろう。
遅れて部室に入ったものの、迅は早々に着替えを済ませて出て行ってしまった。全く振り返ることがない。
「なに怒ってんだよ」
意味が分からない。
律も着替え、練習メニューや部員の癖・レベルなどを書き留めたノートを手に教室へ入る。
席が隣同士なので嫌でも顔を合わせるが、迅の態度はずっと素っ気なかった。
授業中は喋ることがないが、移動教室の前や休み時間は他愛もないことを言い合っていたのに、今日は完全にだんまりだ。
昼休み――。
いつも通り、パン争奪戦に参戦した迅は、カツサンドやハンバーガーを律の机に置いてから席に座って静かにクリームたっぷりのフルーツサンドを食べ始めた。律の弁当に手を出してこない。
「……なにが不満なんだよ」
「別に」
「絶対、怒ってるだろ」
「怒ってない」
「じゃぁ、なんでこっち見ないんだよ」
ついつい語調が荒くなってしまう。迅はチラリと視線を向けてきてから静かに言った。
「律は俺のこと見てないだろ」
「は? 意味分かんないんだけど!」
思わず大きな声が出てしまった。教室中の視線を集めてしまい、誤魔化すように軽く咳払いをした。迅はガタンと音を立てて立ち上がると、パンを持って教室を出て行ってしまった。
「……なんだよ、アイツ」
本当に意味が分からない――。
後を追おうか、と思ったが、なんだかこっちばかりが譲歩するように感じられて止めた。
結局、そのまま迅は戻らず、二人分の弁当もほとんど全てが残った状態で鞄に仕舞うはめになってしまった。
朝練の分、早く起きて作ったのに訳も分からず無駄にされて気分が悪い。
放課後はHR終了後、早々に迅の姿が消えた。グラウンドにも迅の姿は無かった。
「ほんと、なんだよ、アイツ」
文句を言っても仕方が無いが、ぼやかずには居られなかった。
先輩四人と一緒に練習メニューを考えながら、基礎練習を中心に練習した。
四人とも体育の時間にちょっとバスケをやってみたレベルなので、どうしても練習内容は面白みのない基礎がメインになってしまう。しかし、四人とも真摯に取り組んでくれて嬉しかった。律が「ありがたいです」と言うと、逆に四人に頭を下げられた。
「なんか、三天さんと佐藤さんには申し訳ない気がするんです」
「三天さんもバスケらしいバスケできなくて、詰まらないでしょう。すみません」
「なんか、俺達、足引っ張ってる感じがして悪いなって……」
次々と謝る先輩達に「そんなことはない」と返事をしつつ、なんだか迅に腹が立ってきた。
先輩達に気を遣わせてどういうつもりなのだろう。
結局、気まずい空気で部活を終え、独りで帰路についた。
久しぶりに独りで歩く坂道は異様に長く感じられた。歩道も無駄に広く感じる。
長い坂を上がり、母親の病院を過ぎてから迷ったもののファミレスへ足を向けた。今日も姉がバイトをしているはずだ。
迅も居るかもしれない――。
そう思いながらファミレスに入った。
「いらっしゃいませ」
営業用の声で振り返った姉と目が合った。その瞬間、姉の表情が「姉」に変わるから面白い。
「迅クンは一緒じゃないの?」
「来てない?」
「居ないわよ。ケンカでもした?」
「……別に」
姉に促されて奥のソファ席へ向かう。注文は姉に任せ、ソファに座ると深いため息が出た。
「なんなんだよ」
喧嘩も何も、勝手に迅が拗ねているのだ。理由を聞いてもまともに返事をしない。
「オレ、何かした?」
頬杖をつき、コツコツと指先でテーブルを叩きながら考えてみるが、思い当たる節がない。
「はい、おまちどうさま。ドリンクバーくらい自分で淹れなさいよ」
「……別にオレがいつ淹れようが勝手だろ」
「やけに突っかかってくるわね。なにがあったの?」
「別に」
「迅クンを怒らせた?」
「なんでオレに原因があるみたいな言い方するんだよ」
姉にまで責められる理由が分からない。唇を尖らせ、ザクッとハンバーグにフォークを突き刺して言い返す。
「責めてないわよ。ただ、解決できたらいいなって思っただけ」
「解決って言ったって、迅が口利かないんじゃどうしようもないだろ」
「へぇ? 口利いてくれないんだ。まぁ、迅クンって口数少ないし? なにも言わないの?」
「なにも」
「本当になにも?」
「な~んにも。目も合わせない」
「ふぅん。なにも、ねぇ」
姉が首を傾げるのを見ながら記憶を辿ってみた。いや、あった。
「……あ」
そういえば、言われた台詞があった。
「なにか思い出した?」
「そういや、なんか『俺のこと見てない』とかなんとか……」
あれは「迅がオレと目を合わせない」という意味で言ったことに対する返事だったと思う。
「あぁ、そういうこと」
「え? なに? なにが『そういうこと』なんだよ」
「それはその言葉そのままよ」
「そのまま?」
姉はふふふ、と笑って指さしてきた。
「最近、ずっとノートばかり見てるでしょう?」
「ノートって部活の?」
「そう。大立ち回りしてから、ずっと練習メニューばっかり考えてるでしょ」
それよ、と言いながら姉が仕事に戻って行った。
「ノートって……、は? それ? ノート?」
バスケ部を成長させるのに必要なノートだ。迅も一緒にバスケをするのに欠かせないもののはず。「ずっとノートばかり」と言っても、記録は大事だし、情報共有のためにもノートは必要だ。
「なんだよ、それ…」
姉も意味が分からない。
釈然としない気分のまま食べるハンバーグは全然味がしなかった。
ドリンクバーを利用しながらバスケの練習メニューを新たに組もうと思っていたが、そんな気も失せてしまった。
姉よりも先に帰宅し、残ってしまった弁当を片付ける。
「なんかこの感じ、嫌い……」
静かなキッチンで悲しい臭いに表情を歪めながらタッパーを洗う。虚しさに胸が重くなるのを感じながら一日を終えたのだった。
先輩達四人が提出した部の目的や計画が認められ、さらに律と迅の入部によって試合に必要な最低人数が確保できたことが大きかったらしい。
それはよしとして、バレー部は休部となった。
部内も一枚岩ではなく、不満がくすぶっているようでこの後、どうなるのか不透明らしい。騒ぎの首謀者・荒木主将については退部の噂が流れていて、一件落着まではもうしばらく時間がかかりそうだった。
そんな騒ぎをよそに、律は今日も朝練のためグラウンドに出ていた。
ひとつしかないゴールの下で先輩二人がボールを取り合っている。
「そこで退かない! もう一歩前に踏み出す!」
律は声を張り上げた。「はいっ!」という返事は来るが、動きが伴わない。
イメージばかりが先行して体が伴わない状態がずっと続いている。理想に体が追いつくには、ひたすら練習して体得する以外に方法はない。
練習の絶対量が圧倒的に足りないなぁ、と思いながら手を叩いた。
「はい、終了」
朝練の終了時間だ。そろそろ片付けないと、朝のHRに間に合わない。
「ありがとうございましたっ!」
バスケ部員は四人が先輩だが、四人とも律に対して敬語を使う。なんだか背中がむず痒いのだが、何度言っても変わらないので諦めた。
「後片付けは俺達でやります!」
「じゃぁ、よろしくお願いします」
軽く会釈してから律は踵を返した。
コートの外でドリブルやシュートの自主練をしていた迅が無言で付いてくる。
「……?」
迅の表情が硬く難しい。
「どうした、迅。調子悪い?」
「別に」
そっけない返事をした迅が歩調を速めた。首を傾げながらその後を追う。
「練習方法、今のままでいいかな?」
「いいんじゃないか?」
「本当に? ドリブルとかシュートとか。フォームが身についていないから、そっちに時間割きたいけど基礎ばっかりだと飽きるよな?」
「基礎は大事だろ」
「そうだけど、飽きずに効率よく練習できる方法とかないかな」
「飽きるってなんだ? 好きなら基礎だろうがなんだろうが練習すべきだろ!」
迅の語気が強まった。荒々しさも感じられて、一瞬、ビクッと引いてしまった。
「え……、それは、そうだけど……」
「……悪い。俺、先上がるわ」
視線を合わせないまま迅は先に部室へ入っていってしまった。
「なんだよ」
なんだか様子が変だ。それに、妙に非協力的に見える。
隠し事が無くなったし、お互いの想いも確認した上、バスケ部の存続も決まったのに何が不満なのだろう。
遅れて部室に入ったものの、迅は早々に着替えを済ませて出て行ってしまった。全く振り返ることがない。
「なに怒ってんだよ」
意味が分からない。
律も着替え、練習メニューや部員の癖・レベルなどを書き留めたノートを手に教室へ入る。
席が隣同士なので嫌でも顔を合わせるが、迅の態度はずっと素っ気なかった。
授業中は喋ることがないが、移動教室の前や休み時間は他愛もないことを言い合っていたのに、今日は完全にだんまりだ。
昼休み――。
いつも通り、パン争奪戦に参戦した迅は、カツサンドやハンバーガーを律の机に置いてから席に座って静かにクリームたっぷりのフルーツサンドを食べ始めた。律の弁当に手を出してこない。
「……なにが不満なんだよ」
「別に」
「絶対、怒ってるだろ」
「怒ってない」
「じゃぁ、なんでこっち見ないんだよ」
ついつい語調が荒くなってしまう。迅はチラリと視線を向けてきてから静かに言った。
「律は俺のこと見てないだろ」
「は? 意味分かんないんだけど!」
思わず大きな声が出てしまった。教室中の視線を集めてしまい、誤魔化すように軽く咳払いをした。迅はガタンと音を立てて立ち上がると、パンを持って教室を出て行ってしまった。
「……なんだよ、アイツ」
本当に意味が分からない――。
後を追おうか、と思ったが、なんだかこっちばかりが譲歩するように感じられて止めた。
結局、そのまま迅は戻らず、二人分の弁当もほとんど全てが残った状態で鞄に仕舞うはめになってしまった。
朝練の分、早く起きて作ったのに訳も分からず無駄にされて気分が悪い。
放課後はHR終了後、早々に迅の姿が消えた。グラウンドにも迅の姿は無かった。
「ほんと、なんだよ、アイツ」
文句を言っても仕方が無いが、ぼやかずには居られなかった。
先輩四人と一緒に練習メニューを考えながら、基礎練習を中心に練習した。
四人とも体育の時間にちょっとバスケをやってみたレベルなので、どうしても練習内容は面白みのない基礎がメインになってしまう。しかし、四人とも真摯に取り組んでくれて嬉しかった。律が「ありがたいです」と言うと、逆に四人に頭を下げられた。
「なんか、三天さんと佐藤さんには申し訳ない気がするんです」
「三天さんもバスケらしいバスケできなくて、詰まらないでしょう。すみません」
「なんか、俺達、足引っ張ってる感じがして悪いなって……」
次々と謝る先輩達に「そんなことはない」と返事をしつつ、なんだか迅に腹が立ってきた。
先輩達に気を遣わせてどういうつもりなのだろう。
結局、気まずい空気で部活を終え、独りで帰路についた。
久しぶりに独りで歩く坂道は異様に長く感じられた。歩道も無駄に広く感じる。
長い坂を上がり、母親の病院を過ぎてから迷ったもののファミレスへ足を向けた。今日も姉がバイトをしているはずだ。
迅も居るかもしれない――。
そう思いながらファミレスに入った。
「いらっしゃいませ」
営業用の声で振り返った姉と目が合った。その瞬間、姉の表情が「姉」に変わるから面白い。
「迅クンは一緒じゃないの?」
「来てない?」
「居ないわよ。ケンカでもした?」
「……別に」
姉に促されて奥のソファ席へ向かう。注文は姉に任せ、ソファに座ると深いため息が出た。
「なんなんだよ」
喧嘩も何も、勝手に迅が拗ねているのだ。理由を聞いてもまともに返事をしない。
「オレ、何かした?」
頬杖をつき、コツコツと指先でテーブルを叩きながら考えてみるが、思い当たる節がない。
「はい、おまちどうさま。ドリンクバーくらい自分で淹れなさいよ」
「……別にオレがいつ淹れようが勝手だろ」
「やけに突っかかってくるわね。なにがあったの?」
「別に」
「迅クンを怒らせた?」
「なんでオレに原因があるみたいな言い方するんだよ」
姉にまで責められる理由が分からない。唇を尖らせ、ザクッとハンバーグにフォークを突き刺して言い返す。
「責めてないわよ。ただ、解決できたらいいなって思っただけ」
「解決って言ったって、迅が口利かないんじゃどうしようもないだろ」
「へぇ? 口利いてくれないんだ。まぁ、迅クンって口数少ないし? なにも言わないの?」
「なにも」
「本当になにも?」
「な~んにも。目も合わせない」
「ふぅん。なにも、ねぇ」
姉が首を傾げるのを見ながら記憶を辿ってみた。いや、あった。
「……あ」
そういえば、言われた台詞があった。
「なにか思い出した?」
「そういや、なんか『俺のこと見てない』とかなんとか……」
あれは「迅がオレと目を合わせない」という意味で言ったことに対する返事だったと思う。
「あぁ、そういうこと」
「え? なに? なにが『そういうこと』なんだよ」
「それはその言葉そのままよ」
「そのまま?」
姉はふふふ、と笑って指さしてきた。
「最近、ずっとノートばかり見てるでしょう?」
「ノートって部活の?」
「そう。大立ち回りしてから、ずっと練習メニューばっかり考えてるでしょ」
それよ、と言いながら姉が仕事に戻って行った。
「ノートって……、は? それ? ノート?」
バスケ部を成長させるのに必要なノートだ。迅も一緒にバスケをするのに欠かせないもののはず。「ずっとノートばかり」と言っても、記録は大事だし、情報共有のためにもノートは必要だ。
「なんだよ、それ…」
姉も意味が分からない。
釈然としない気分のまま食べるハンバーグは全然味がしなかった。
ドリンクバーを利用しながらバスケの練習メニューを新たに組もうと思っていたが、そんな気も失せてしまった。
姉よりも先に帰宅し、残ってしまった弁当を片付ける。
「なんかこの感じ、嫌い……」
静かなキッチンで悲しい臭いに表情を歪めながらタッパーを洗う。虚しさに胸が重くなるのを感じながら一日を終えたのだった。
