ダンッと激しい打撃音が響く。
バレーボールが再び律の足元に飛んできた。ピクリとでも動くと当たってしまう距離だ。
「お前! 危ないだろ!」
「邪魔するなんて卑怯!」
「なんてことするんだ!」
バスケ部の四人が口々に叫んだが、効果はゼロ。
「打てよ~」
「試合じゃ邪魔が入るもんなぁ」
「なんだよ、ビビッてんのか」
バレー部員達がサーブ練習を始めた。ボールが次々とコートに飛んでくる。明らかな妨害だ。
不意に、律のすぐ傍で跳ねたボールが顔めがけて飛んできた。
「うわっ!」
思わず腕で顔を覆った。咄嗟の反応で顔面直撃は免れた。
しかし、全身から血の気が引いていく。
もし、目に当たったら――。
右目の視力を失うかもしれない。左目も剥離したら、もうバスケどころではない。
「……っ」
体が震えた。シュートどころか、足が竦んで息も難しくなってくる。
「三天さんっ!」
名前を呼ばれたが、返事なんてできなかった。息が上がり、バシバシと響き渡るサーブの音に対する恐怖で頭がいっぱいになった。
「危ない!」
バンッと律の足にボールが当たった。
「おぉっと。悪い。失敗、失敗。手元狂ったわ」
主将の笑い声が響く。
当てる気だ。
律のシュートの瞬間を狙ってサーブを打ってくるに違いない。
「……ふざけんな!」
試合中、シュートをファウルで止めることはある。だから、ぶつかられてもシュートは決める気持ちでいなければならない。だが、成功率は確実に下がる。
「入れないと!」
ガリッと唇を噛んだ。
痛みで恐怖を忘れるのだ。
この五本は決めなければならない。
迅に「コートを準備する」と宣言したではないか。
そのコートがここだ。こんな性根の腐った勝利至上主義者に敗北している場合ではない。
「打つ!」
キッとゴールを見た。
右手に力を籠める。
構えて息を整える。
いける。
そう自分に言い聞かせている時、バンバンッ! と二発のサーブが飛んできた。
視線の先で白いボールが乱れ跳ねる。それをやり過ごしてから、シュート態勢に入った。
「危ない!」
「頭!」
「三天さんっ! 避けてぇぇぇ!」
いくつもの絶叫が響き渡った。
ボールが顔面目掛けて飛んできたのだと直感で理解した。
終わった――。
そう思った直後、激しい衝撃で頭が揺れた。
同時にダンダンッ! とボールの衝突音が聞こえた。
「……」
シーンと体育館が静まり返った。さっきまでの喧騒が嘘のようだ。
「……?」
衝撃は受けた。でも、痛くない。
それどころか温かい物に包まれていて、ホッとする気持ちの方が強かった。
「全く、これが俺のコートかよ? クズばっかじゃないか」
「迅!」
律は迅に抱き締められていた。間一髪、迅が体を盾にして凶悪サーブから律を守ったのだ。
「迅、背中っ!」
「ん?」
「ん? じゃねぇって! 当たっただろ!」
「なにが?」
「なにって、お前!」
「紫岳館のディフェンダーに比べりゃ屁みたいなもんだ。って、律、お前、唇切れてるぞ」
迅が親指でそっと唇に触れてきた。
「あ! 血! 血ぃ付く!」
「洗えばいい」
そうじゃないだろ、と突っ込んでいるうちに、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
「来るの早いぞ、迅。お前のコート、まだできてない」
来てくれた、という安堵と、かっこ悪いところを見せてしまった不本意さが頭の中でぐるぐると回る。迅の指から逃げるように顔を背けながら、唇を尖らせてしまった。
「そりゃ、悪かったな。あと、どれくらいだ?」
「スリーポイント二本」
「楽勝だな。律のスリーは誘導ミサイルだ」
そう言った迅に再び抱きしめられた。大きな手で両耳を塞がれる。雑音が消え、迅の熱と匂いに五感が染まる。
「律のスリーは絶対に入る」
迅の言葉が心に染み込んでいく。
熱い胸に顔をうずめたまま頷いた。焦りを感じた時、迅はコートの中でいつもこうやって雑音を消してくれた。懐かしい迅の存在に心身が喜び安堵する。
「真正面、斜め四十五度、角度ゼロ。お前はどっからでも決める」
「あぁ」
「正面と四十五度なんて、後ろ向いてても決まるんだ」
「そうだった」
「終了間近、コートのど真ん中から後ろ向きでぶん投げて入れたもんな」
「そんなこともあった」
「大丈夫。お前は絶対、入れる」
迅がそこで言葉を切った。
続く言葉はこうだ。
「練習は裏切らない」
二人で同時に言ってから、パンッとハイタッチした。
ボールをダンダン、と二度、床に打ち付けてから手に取る。
シュート態勢に入り、そのままの流れでボールを放った。
「入れ!」
四人の祈りの声がボールを後押しする。
ガンッ!
また、リングに当たる音がした。
少し、距離が足りなかったか。
クルクルクル、とボールが回る。眉間に皺を寄せて、その動きを目で追った。
「大丈夫、アレは入る」
迅の低い声が聞こえた。
その言葉に導かれるように、ボールがスルッとリングをくぐった。
「四本決めたぁ!」
「あと一本だぁ!」
四人の叫びに続き、バレー部員の後ろの方の者達と、ファン達がざわつき始める。
「なんか、凄くない?」
「本当に見えてないの?」
「このアウェイで、すっごいメンタル」
「フルボッコでも負けないって、なんかカッコイイ」
これまでとは違う空気が漂い始めた。
それをいち早く察知したのか、バレー部主将が再び激しいサーブを放ってきた。
「オラオラ! 最後、さっさと打てよ!」
立て続けに飛んでくるサーブだったが、それを止めた者がいた。迅だ。
ドムッという音を立てて迅の体に当たったボールは、その手で止められていた。
「お座りして見てろ。最高傑作のスリーなんだ」
腹の底に響く重低音で言った迅の睨みが、その場に居る全員の動きを止めた。
「律」
「あぁ」
短いやり取りの後、律はボールを手にした。
これが最後だ。
これを決めれば、コートは自分達の物になる。
絶対に必要な三点。
目を閉じ、息を整え、ふぅっ、と吐いてから腕を振り上げた。
この体は覚えている。
迅と共にコートに立った時間を。
どんな逆境に陥っても、勝ちを信じてゴールを目指した日々を。
例え残り一秒でも、勝利を信じて放つシュートの感覚を。
「入れぇぇぇ!」
四人の叫びが体育館に響き渡った。
これまでで一番美しい弧を描いてボールが宙を舞う。
その軌道は、まさに誘導ミサイル。
迷いなくゴールに迫り、吸い込まれるようにリングをくぐった。
「やったぁぁぁ!」
「五本連続入ったぁぁぁ!」
「すごいよ、三天さん!」
「かっこいい!」
興奮した様子の四人が小躍りしながら駆け寄って来る。
「さすがだ、律」
自然に腕が動き、迅とハイタッチをした。
「迅、ありがと」
「ん」
頷いたものの、迅の表情はどこか愁いを帯びているように見えた。言いたいことをグッと飲み込んでいる時の表情だ。それに声を掛けようとしたが、ワァッ! と声を上げる四人に囲まれてしまった。
「ありがとう! 本当にありがとう!」
「かっこよすぎて、なに言っていいか分からないよ!」
涙を流している先輩も居た。
盛り上がるバスケ部の横で、バレー部の主将が呆然と立ち尽くしていた。
「五本、入った……」
お通夜かと思うくらい静まり返ったバレー部員達。
この後、どうすればいいのか困ってしまって、主将の言葉を待っているようだった。
「っ、がっ……、あっ」
思った通りに事が運ばないどころか、醜態を晒した上に負けてしまうという最悪の結果になった主将は、顔を真っ赤にして鼻を鳴らし、言葉にならない声を漏らしていた。
そんな時だった。
「こら~! 律!」
よく通る女性の声がした。
「か、母さん!」
驚いて視線を向けると、体育館の入口に立つ白衣姿の母が見えた。ぼんやりした視界でも、親のシルエットは間違えない。
「なんで!」
「学校抜け出しといて『なんで?』はないでしょ! しかもなんて無茶を!」
「無茶って……、ちょっとバスケしただけだって」
「ちょっとぉ? 学校さぼって、家中ひっくり返して、バスケ用品引っ張り出した挙句、庭でガンガン練習したでしょう! 学校から連絡は来るわ、『赤ちゃんが昼寝できない』って苦情も来るわ! なにやってるの!」
「げっ……」
「喧嘩買ってタイマン張るとか、昭和か!」
「いや、タイマンってなに?」
「ほら、こっちに来なさい! どう? 見えてる?」
「大丈夫だって。見えてるから」
「指の動きを目で追って」
「心配しすぎだってば」
「視野の欠損状態は?」
「特に変わってないって」
バシバシ、と頬を叩いてくる母に唇を尖らせて答えていると、バタバタという足音が聞こえた。なぜか、バレー部の主将が駆け寄って来る。しかも、頬を紅潮させて母に向かって話しかけてきた。
「あ、あの! さ、坂ノ上先生では……」
上擦った声が震えている。さっきまで威勢よく罵詈雑言を吐いていた者とは思えない姿だ。
「あら? 荒木クン、こんにちは。膝と肘の調子はどう? サポーター、上手く巻けてる?」
「は、はいっ! お、おおおお陰様でっ!」
「母さん、知り合い?」
「ウチの患者さんよ。もう五年くらいになるかしら?」
「へぇ?」
主将は目を白黒させながら、さっきまでの敵意剥き出しの態度が嘘のようにおとなしくなっている。
「あ、あの、坂ノ上先生? み、みみみ、三天クンとは、どういう……」
三天クンという所の声がひよこが鳴くような甲高い声なのが面白い。
「コレ? 息子よ、息子」
「コレって言うな」
「こっちが馬鹿息子の律で、こっちは近所の幼馴染・迅クン。二人とも根っからのバスケ馬鹿なの。至らないところばかりの一年だけど、仲良くしてやってね、荒木先輩」
いつから事の成り行きを見ていたのか知らないが、母は何も知らない風を装ってバレー部主将に笑顔を向けた。
「底意地悪ぃぞ」
ボソッと律が言うと、ギュッと尻をつねられた。
「っ!」
痛みで飛び上がっていると、迅が隣に来た。母の横から飛び退いて迅の後ろに隠れる。そんなやり取りをしている前でバレー部主将はぺこぺこと頭を下げた。
「も、もも勿論ですっ! 坂ノ上先生の頼みなら、それは、もうっ!」
声の調子や態度から、この荒木主将が律の母に惚れているのは一目瞭然だった。
まぁ、母は息子から見ても美人で凛としていて、自信に満ちたかっこいい女医だ。大人の女性に憧れる高校生に好かれてもおかしくはない。
「……母さんの苗字は三天。三天先生だぞ」
ボソッと律が言った。
「は?」
案の定、知らなかったらしい荒木主将が素っ頓狂な声を上げる。
「みんな院長を『坂ノ上先生』って呼ぶけど、本当は『三天先生』だぞ。坂ノ上ってのは曾爺ちゃんが『坂の上にあるから坂ノ上整形外科』って決めたとこからきてる俗称」
そういうことで、よろしく、と律が続けると、荒木主将はペタン、とその場に尻もちをついてしまった。散々いびり倒した相手が、憧れの女医の息子だなんて、地獄に叩き落された気分だろう。
「なんか『ざまぁ!』って奴だな」
「確かに」
スカッとした、と律は迅と顔を見合わせて笑った。
体育館には、かなりの野次馬がいた。
そして今更ながら「何事だ!」と言いながら教師達が集まってきた。職員会議が終わったらしい。その中には、バスケ部の顧問も居た。
不意に、バスケ部の四人が顧問のところへ駆け寄った。
「先生! これから、俺達、練習します! 部として目標を掲げて活動するところを見てください。そして、どうか、どうか、部の継続を考えてもらえないでしょうか!」
「お願いしますっ!」
四人が一斉に頭を下げる。
迅がスッと踵を返した。帰ってしまいそうな気がして、律はその腕を掴んだ。絶対に逃がさない、というように指に力を籠め、力いっぱい引き寄せる。そのまま一緒に四人の後ろへ立った。
「お願いします」
律も一緒になって頭を下げた。視線を泳がせていた迅も困った表情を作っていたが、流されたように頭を下げた。バスケ部、六人が顧問に向かって頭を下げ続ける。
「そこまで言うなら……、見せてもらおうかな」
顧問の声が聞こえた。
「はいっ!」
全員が声を揃えて答えた。そして、一斉にコートへ駆け込んだ。
なにをする? と三年生の顔を見た後、律はニッと唇の端を歪めた。
「これだけ観衆が居るんだ。かっこいいところ見せたいと思わないか?」
「……じゃぁ、マンツーか?」
立ちはだかられても臆することなく進み、テクニックを駆使してゴールを狙うマンツーマンは、試合を見ているようで盛り上がるに違いない。
律は迅の顔を見上げながらコクッと頷き、クイッと片方の口角を吊り上げた。
「どっちからいく?」
「律からどうぞ」
「ゴール下の守護神、まだ現役?」
「さぁ、どうかな」
ボールを手にした迅が不敵な笑みを浮かべた。
投げられたボールが、パンッと心地よい音を立てて律の手に収まる。
迅からのパス――。
本当に久しぶりで心が躍った。
高揚感で胸を高鳴らせている律の前で、迅がジャケットを脱ぎ捨てた。無造作にコートの外へ放り投げる姿が異様にかっこいい。さらにシャツのボタンを三つ外し「来い」と顎で示した。
匂い立つような色気に心臓が跳ねた。
かっこいい!
バスケができる!
迅とコートに立てる!
抑えようのない喜びが一気に噴出した。
頭の先からつま先まで、神経という神経にスイッチが入るのを感じた。
走りたい!
跳びたい!
決めたい!
バスケやりたい!
止められない衝動に脳のストッパーが弾け飛んだ。ダンダンッとボールを跳ねさせてから真っすぐに迅の目を見た。
「行くぞ!」
体育館中にドリブル音を響かせながら、ゴール下へ突っ込んでいった。
バレーボールが再び律の足元に飛んできた。ピクリとでも動くと当たってしまう距離だ。
「お前! 危ないだろ!」
「邪魔するなんて卑怯!」
「なんてことするんだ!」
バスケ部の四人が口々に叫んだが、効果はゼロ。
「打てよ~」
「試合じゃ邪魔が入るもんなぁ」
「なんだよ、ビビッてんのか」
バレー部員達がサーブ練習を始めた。ボールが次々とコートに飛んでくる。明らかな妨害だ。
不意に、律のすぐ傍で跳ねたボールが顔めがけて飛んできた。
「うわっ!」
思わず腕で顔を覆った。咄嗟の反応で顔面直撃は免れた。
しかし、全身から血の気が引いていく。
もし、目に当たったら――。
右目の視力を失うかもしれない。左目も剥離したら、もうバスケどころではない。
「……っ」
体が震えた。シュートどころか、足が竦んで息も難しくなってくる。
「三天さんっ!」
名前を呼ばれたが、返事なんてできなかった。息が上がり、バシバシと響き渡るサーブの音に対する恐怖で頭がいっぱいになった。
「危ない!」
バンッと律の足にボールが当たった。
「おぉっと。悪い。失敗、失敗。手元狂ったわ」
主将の笑い声が響く。
当てる気だ。
律のシュートの瞬間を狙ってサーブを打ってくるに違いない。
「……ふざけんな!」
試合中、シュートをファウルで止めることはある。だから、ぶつかられてもシュートは決める気持ちでいなければならない。だが、成功率は確実に下がる。
「入れないと!」
ガリッと唇を噛んだ。
痛みで恐怖を忘れるのだ。
この五本は決めなければならない。
迅に「コートを準備する」と宣言したではないか。
そのコートがここだ。こんな性根の腐った勝利至上主義者に敗北している場合ではない。
「打つ!」
キッとゴールを見た。
右手に力を籠める。
構えて息を整える。
いける。
そう自分に言い聞かせている時、バンバンッ! と二発のサーブが飛んできた。
視線の先で白いボールが乱れ跳ねる。それをやり過ごしてから、シュート態勢に入った。
「危ない!」
「頭!」
「三天さんっ! 避けてぇぇぇ!」
いくつもの絶叫が響き渡った。
ボールが顔面目掛けて飛んできたのだと直感で理解した。
終わった――。
そう思った直後、激しい衝撃で頭が揺れた。
同時にダンダンッ! とボールの衝突音が聞こえた。
「……」
シーンと体育館が静まり返った。さっきまでの喧騒が嘘のようだ。
「……?」
衝撃は受けた。でも、痛くない。
それどころか温かい物に包まれていて、ホッとする気持ちの方が強かった。
「全く、これが俺のコートかよ? クズばっかじゃないか」
「迅!」
律は迅に抱き締められていた。間一髪、迅が体を盾にして凶悪サーブから律を守ったのだ。
「迅、背中っ!」
「ん?」
「ん? じゃねぇって! 当たっただろ!」
「なにが?」
「なにって、お前!」
「紫岳館のディフェンダーに比べりゃ屁みたいなもんだ。って、律、お前、唇切れてるぞ」
迅が親指でそっと唇に触れてきた。
「あ! 血! 血ぃ付く!」
「洗えばいい」
そうじゃないだろ、と突っ込んでいるうちに、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
「来るの早いぞ、迅。お前のコート、まだできてない」
来てくれた、という安堵と、かっこ悪いところを見せてしまった不本意さが頭の中でぐるぐると回る。迅の指から逃げるように顔を背けながら、唇を尖らせてしまった。
「そりゃ、悪かったな。あと、どれくらいだ?」
「スリーポイント二本」
「楽勝だな。律のスリーは誘導ミサイルだ」
そう言った迅に再び抱きしめられた。大きな手で両耳を塞がれる。雑音が消え、迅の熱と匂いに五感が染まる。
「律のスリーは絶対に入る」
迅の言葉が心に染み込んでいく。
熱い胸に顔をうずめたまま頷いた。焦りを感じた時、迅はコートの中でいつもこうやって雑音を消してくれた。懐かしい迅の存在に心身が喜び安堵する。
「真正面、斜め四十五度、角度ゼロ。お前はどっからでも決める」
「あぁ」
「正面と四十五度なんて、後ろ向いてても決まるんだ」
「そうだった」
「終了間近、コートのど真ん中から後ろ向きでぶん投げて入れたもんな」
「そんなこともあった」
「大丈夫。お前は絶対、入れる」
迅がそこで言葉を切った。
続く言葉はこうだ。
「練習は裏切らない」
二人で同時に言ってから、パンッとハイタッチした。
ボールをダンダン、と二度、床に打ち付けてから手に取る。
シュート態勢に入り、そのままの流れでボールを放った。
「入れ!」
四人の祈りの声がボールを後押しする。
ガンッ!
また、リングに当たる音がした。
少し、距離が足りなかったか。
クルクルクル、とボールが回る。眉間に皺を寄せて、その動きを目で追った。
「大丈夫、アレは入る」
迅の低い声が聞こえた。
その言葉に導かれるように、ボールがスルッとリングをくぐった。
「四本決めたぁ!」
「あと一本だぁ!」
四人の叫びに続き、バレー部員の後ろの方の者達と、ファン達がざわつき始める。
「なんか、凄くない?」
「本当に見えてないの?」
「このアウェイで、すっごいメンタル」
「フルボッコでも負けないって、なんかカッコイイ」
これまでとは違う空気が漂い始めた。
それをいち早く察知したのか、バレー部主将が再び激しいサーブを放ってきた。
「オラオラ! 最後、さっさと打てよ!」
立て続けに飛んでくるサーブだったが、それを止めた者がいた。迅だ。
ドムッという音を立てて迅の体に当たったボールは、その手で止められていた。
「お座りして見てろ。最高傑作のスリーなんだ」
腹の底に響く重低音で言った迅の睨みが、その場に居る全員の動きを止めた。
「律」
「あぁ」
短いやり取りの後、律はボールを手にした。
これが最後だ。
これを決めれば、コートは自分達の物になる。
絶対に必要な三点。
目を閉じ、息を整え、ふぅっ、と吐いてから腕を振り上げた。
この体は覚えている。
迅と共にコートに立った時間を。
どんな逆境に陥っても、勝ちを信じてゴールを目指した日々を。
例え残り一秒でも、勝利を信じて放つシュートの感覚を。
「入れぇぇぇ!」
四人の叫びが体育館に響き渡った。
これまでで一番美しい弧を描いてボールが宙を舞う。
その軌道は、まさに誘導ミサイル。
迷いなくゴールに迫り、吸い込まれるようにリングをくぐった。
「やったぁぁぁ!」
「五本連続入ったぁぁぁ!」
「すごいよ、三天さん!」
「かっこいい!」
興奮した様子の四人が小躍りしながら駆け寄って来る。
「さすがだ、律」
自然に腕が動き、迅とハイタッチをした。
「迅、ありがと」
「ん」
頷いたものの、迅の表情はどこか愁いを帯びているように見えた。言いたいことをグッと飲み込んでいる時の表情だ。それに声を掛けようとしたが、ワァッ! と声を上げる四人に囲まれてしまった。
「ありがとう! 本当にありがとう!」
「かっこよすぎて、なに言っていいか分からないよ!」
涙を流している先輩も居た。
盛り上がるバスケ部の横で、バレー部の主将が呆然と立ち尽くしていた。
「五本、入った……」
お通夜かと思うくらい静まり返ったバレー部員達。
この後、どうすればいいのか困ってしまって、主将の言葉を待っているようだった。
「っ、がっ……、あっ」
思った通りに事が運ばないどころか、醜態を晒した上に負けてしまうという最悪の結果になった主将は、顔を真っ赤にして鼻を鳴らし、言葉にならない声を漏らしていた。
そんな時だった。
「こら~! 律!」
よく通る女性の声がした。
「か、母さん!」
驚いて視線を向けると、体育館の入口に立つ白衣姿の母が見えた。ぼんやりした視界でも、親のシルエットは間違えない。
「なんで!」
「学校抜け出しといて『なんで?』はないでしょ! しかもなんて無茶を!」
「無茶って……、ちょっとバスケしただけだって」
「ちょっとぉ? 学校さぼって、家中ひっくり返して、バスケ用品引っ張り出した挙句、庭でガンガン練習したでしょう! 学校から連絡は来るわ、『赤ちゃんが昼寝できない』って苦情も来るわ! なにやってるの!」
「げっ……」
「喧嘩買ってタイマン張るとか、昭和か!」
「いや、タイマンってなに?」
「ほら、こっちに来なさい! どう? 見えてる?」
「大丈夫だって。見えてるから」
「指の動きを目で追って」
「心配しすぎだってば」
「視野の欠損状態は?」
「特に変わってないって」
バシバシ、と頬を叩いてくる母に唇を尖らせて答えていると、バタバタという足音が聞こえた。なぜか、バレー部の主将が駆け寄って来る。しかも、頬を紅潮させて母に向かって話しかけてきた。
「あ、あの! さ、坂ノ上先生では……」
上擦った声が震えている。さっきまで威勢よく罵詈雑言を吐いていた者とは思えない姿だ。
「あら? 荒木クン、こんにちは。膝と肘の調子はどう? サポーター、上手く巻けてる?」
「は、はいっ! お、おおおお陰様でっ!」
「母さん、知り合い?」
「ウチの患者さんよ。もう五年くらいになるかしら?」
「へぇ?」
主将は目を白黒させながら、さっきまでの敵意剥き出しの態度が嘘のようにおとなしくなっている。
「あ、あの、坂ノ上先生? み、みみみ、三天クンとは、どういう……」
三天クンという所の声がひよこが鳴くような甲高い声なのが面白い。
「コレ? 息子よ、息子」
「コレって言うな」
「こっちが馬鹿息子の律で、こっちは近所の幼馴染・迅クン。二人とも根っからのバスケ馬鹿なの。至らないところばかりの一年だけど、仲良くしてやってね、荒木先輩」
いつから事の成り行きを見ていたのか知らないが、母は何も知らない風を装ってバレー部主将に笑顔を向けた。
「底意地悪ぃぞ」
ボソッと律が言うと、ギュッと尻をつねられた。
「っ!」
痛みで飛び上がっていると、迅が隣に来た。母の横から飛び退いて迅の後ろに隠れる。そんなやり取りをしている前でバレー部主将はぺこぺこと頭を下げた。
「も、もも勿論ですっ! 坂ノ上先生の頼みなら、それは、もうっ!」
声の調子や態度から、この荒木主将が律の母に惚れているのは一目瞭然だった。
まぁ、母は息子から見ても美人で凛としていて、自信に満ちたかっこいい女医だ。大人の女性に憧れる高校生に好かれてもおかしくはない。
「……母さんの苗字は三天。三天先生だぞ」
ボソッと律が言った。
「は?」
案の定、知らなかったらしい荒木主将が素っ頓狂な声を上げる。
「みんな院長を『坂ノ上先生』って呼ぶけど、本当は『三天先生』だぞ。坂ノ上ってのは曾爺ちゃんが『坂の上にあるから坂ノ上整形外科』って決めたとこからきてる俗称」
そういうことで、よろしく、と律が続けると、荒木主将はペタン、とその場に尻もちをついてしまった。散々いびり倒した相手が、憧れの女医の息子だなんて、地獄に叩き落された気分だろう。
「なんか『ざまぁ!』って奴だな」
「確かに」
スカッとした、と律は迅と顔を見合わせて笑った。
体育館には、かなりの野次馬がいた。
そして今更ながら「何事だ!」と言いながら教師達が集まってきた。職員会議が終わったらしい。その中には、バスケ部の顧問も居た。
不意に、バスケ部の四人が顧問のところへ駆け寄った。
「先生! これから、俺達、練習します! 部として目標を掲げて活動するところを見てください。そして、どうか、どうか、部の継続を考えてもらえないでしょうか!」
「お願いしますっ!」
四人が一斉に頭を下げる。
迅がスッと踵を返した。帰ってしまいそうな気がして、律はその腕を掴んだ。絶対に逃がさない、というように指に力を籠め、力いっぱい引き寄せる。そのまま一緒に四人の後ろへ立った。
「お願いします」
律も一緒になって頭を下げた。視線を泳がせていた迅も困った表情を作っていたが、流されたように頭を下げた。バスケ部、六人が顧問に向かって頭を下げ続ける。
「そこまで言うなら……、見せてもらおうかな」
顧問の声が聞こえた。
「はいっ!」
全員が声を揃えて答えた。そして、一斉にコートへ駆け込んだ。
なにをする? と三年生の顔を見た後、律はニッと唇の端を歪めた。
「これだけ観衆が居るんだ。かっこいいところ見せたいと思わないか?」
「……じゃぁ、マンツーか?」
立ちはだかられても臆することなく進み、テクニックを駆使してゴールを狙うマンツーマンは、試合を見ているようで盛り上がるに違いない。
律は迅の顔を見上げながらコクッと頷き、クイッと片方の口角を吊り上げた。
「どっちからいく?」
「律からどうぞ」
「ゴール下の守護神、まだ現役?」
「さぁ、どうかな」
ボールを手にした迅が不敵な笑みを浮かべた。
投げられたボールが、パンッと心地よい音を立てて律の手に収まる。
迅からのパス――。
本当に久しぶりで心が躍った。
高揚感で胸を高鳴らせている律の前で、迅がジャケットを脱ぎ捨てた。無造作にコートの外へ放り投げる姿が異様にかっこいい。さらにシャツのボタンを三つ外し「来い」と顎で示した。
匂い立つような色気に心臓が跳ねた。
かっこいい!
バスケができる!
迅とコートに立てる!
抑えようのない喜びが一気に噴出した。
頭の先からつま先まで、神経という神経にスイッチが入るのを感じた。
走りたい!
跳びたい!
決めたい!
バスケやりたい!
止められない衝動に脳のストッパーが弾け飛んだ。ダンダンッとボールを跳ねさせてから真っすぐに迅の目を見た。
「行くぞ!」
体育館中にドリブル音を響かせながら、ゴール下へ突っ込んでいった。
