放課後――。
体育館は異様な雰囲気に満ちていた。
四人のバスケ部員が硬い表情でバスケットボールのカゴを体育倉庫から引っ張り出しているところに、大人数のバレー部員とファン達が押しかけていた。
「おいおいおい。部外者が侵入してるぞ~」
「ケーサツ呼ぶか? 不審者だ」
大きな笑いが起こる。
怒りで顔を真っ赤にしながらバスケ部員の一人が叫んだ。
「邪魔するな! 最後くらい練習させてくれ!」
「おぉ~怖っ!」
「顧問にも確認した! 今日はバスケ部が使うんだ!」
「なんのための練習だ? 廃部の意味分かってないのかぁ?」
「お~い、誰か辞書持ってきてやれよ」
また笑いが起こる。何重にも囲まれて身動き取れない四人は、必死に反論しているが、畳みかけるように嘲笑とヤジが飛んでいた。
そんな時だった。
ダンダンッ、とボールが床を打つ音が響いた。
それに、シュッと空を切る音が続く。
ボールが弧を描いて飛んでいき、ザシュッ、とネットを揺らした。
「誰だ!」
バレー部の一人が驚きの声を上げた。
床に落ちたボールが跳ねている間に、別のボールがシュッと宙を舞った。
「あ」
「入った……」
その場に居た者達が一斉にある一点を見た。
二本連続でシュートを決めた者。
律だ。
「……練習始まってます?」
律は群衆に埋もれてしまっているバスケ部の主将に向かって尋ねた。
自前のボールふたつを拾いながら、久々に履いたバッシュで床の感触を確かめる。
「アップからスタートでいいですか?」
準備運動は? と尋ねながらダンダンッ、と数回、ドリブルをした。腕に伝わってくる振動が快感だ。右手と左手、両方を使った後、ビハインド・ドリブルをしてからシュートの真似事をした。少しだけ高く上がったボールが律の手に戻って来る。
「なんだお前!」
バレー部員達が色めき立った。
詰め寄って来るのが見えたので、律は手にしたボールをワンハンドプッシュで投げた。
大きな音を立ててゴール板で跳ね返ったボールは、バレー部員のすぐ側でバウンドして律の手元に戻って来た。部員は「ヒッ」と情けない声を上げて飛び上がった。
「み、三天さん!」
バスケ部員の四人が群衆を掻き分けて駆け寄って来た。
「どうして!」
「あの、実は、バスケ部は……」
目を白黒させながら話し始める四人に対し「知ってる」と頷いてみせた。
「練習しましょう。メニュー、ありますか?」
自分の容姿を最大限活かした笑みで尋ねる。茶髪をふんわりと揺らしながら言うと、四人の表情が「わぁっ」と華やいだ。
「あ! あああ、あります! メニューありますです!」
変な敬語を口走る主将が、クシャクシャの紙をポケットから出してきた。なんだかおかしくて吹き出しそうになるのを我慢し、メニューを見る。
「ストレッチですね。その後、ダッシュしましょう」
「は、はいっ!」
「ストレッチ、なにか決まったのありますか?」
律は主張を誘導するように言いながらコートの上で軽く跳ねた。両腕を伸ばし、首を回す。久しぶりのコートは気持ちよかった。ジワジワとテンションが上がってくる。
「おいおいおいっ! 無視してんじゃねぇ!」
「はい?」
「勝手にコート使ってんじゃねぇよ! このカスどもが!」
バレー部の主将が真っ赤な顔で怒鳴ってきた。
「今日はバスケ部の練習日だと聞いています」
言い返しながら、マジマジとバレー部主将を見た。こんな奴が迅を勧誘していたのか。そう思うと無性に腹が立った。
顔は悪くない。ファンクラブができるくらいだから、腕も立つのだろう。ただ、その性格は腐っている。罵詈雑言を吐き捨ててやりたくなるレベルだ。
「なにが練習だ! クソみてぇな部が贅沢言ってんじゃねぇよ! さっさとどけ! 全国制覇するバレー部が使ってやるからよぉ!」
「暴言吐いて練習場所を強奪しないと全国行けないレベルって?」
プッと笑ってみせた。
そんな律の姿を見て、バレー部のファン達がヒソヒソと声を潜めて話し始めた。
「あれ、元・龍角中の三天副主将?」
「龍角中のバスケって全中の常連じゃなかった? 確か、去年はベスト四?」
「でも、三天って人、目、見えないんじゃなかった?」
「さっき入れたよ?」
「そうそう。すっごく遠くから投げて二本入れてた」
「ねぇねぇ。なんか、かっこよくない?」
「スタイル、バリいいし!」
「あいつ入ったら部員五人? ギリ大会出られるんじゃ?」
「え~、じゃぁ、廃部にはならないの?」
小声のやり取りがだんだん大きくなってくる。それはバレー部主将の耳にも入っているようで、怒りで表情がどんどん酷くなっていく。
「ふざけるなよ! 俺達バレー部は今年こそ全国制覇するんだよ! こんなバカなことやってる暇はねぇ! とっととどけ!」
「嫌ですね。今日はバスケ部が使う日だ」
凛とした声で律は言い返した。そしてニッと唇の端を吊り上げて続ける。
「殴ってバカを追い出します?」
フフン、と笑ってみせた。さぁ、どこまで醜態を晒してくれるだろう。これ以上ないくらい醜い本性を出してくれれば、取り巻きの生徒も教師も「強いだけが部活ではない」と痛感するに違いない。
「貴様ぁぁぁぁっ!」
腕を振り上げて殴りかかってくるのが見えた。
あぁ、これでバレー部はしばらく休部か――。
そんなことを思った時、副主将らしい部員が大慌てで止めに入った。
「大会! 大会前だぞ! 落ち着けよ!」
「離せよ! このふざけたバスケ部、シメなきゃ気が済まねぇ!」
「殴ったら出場停止!」
「でもよ!」
「勝負だ。勝負すればいいだろ!」
副主将は必死になって暴走する主将を止めていた。まだ理性的なのが居たのか、と思いながらどう出てくるか待つ。
すると、バレー部員の一人が主将に駆け寄り、なにやら耳打ちした。怒りに満ちていた主将の顔が急に気味の悪い笑みに変わった。ニタニタ笑いながらこっちを見てくる。
「三天だっけか?」
「あぁ」
「お前がスリーポイントシュート、今すぐ五回連続で決めたら引き上げてやるよ」
スリーポイントシュートは、プロでも成功率が四割超えると凄いと言われている。フリーの状態でマイペースに打てるとはいえ、右目にハンデを持つ律が「五回連続」で成功させるなんて、まず不可能に近い。
「やれよ。やって見せろよ。成功すりゃ、お望み通り練習させてやるよ」
「分かった。五回でいいんだな?」
それだけか。
そんな風に笑みを返してやった。場がシンと静まり返る。
「み、三天さん……」
あなた、無理なんじゃ、と四人が不安そうな視線を向けてきた。それに微笑み返してからコートに立つ。
リングを見た。
視界はぼやけているし、今日は右の方が欠けている。調子がよくない日だ。首を動かして左で見てみるが、どうにも距離感が掴み難い。さっきのシュートはよく入ったと思う。
「ほら、打てよ!」
バレー部員達がヤジを飛ばしてくる。
「静かにしろよ!」
バスケ部員が言い返した。
「うるせぇ! 自信がねぇのかよ! ヘタクソ!」
「打てよ、打てって!」
「早くしろよ!」
再び周囲がうるさくなった。体育館中に「打て」という言葉がこだまし、割れんばかりの大合唱になる。
「……」
ダンダン、とボールを床に落とした後、パシッと手に取ったボールをシュッと投げた。
手首のスナップを利かせ、弧を描くように放つ。
いくら背が高いディフェンスが居ても届かないように。美しい弧を描いて高く飛ぶボールをイメージした。
全員の視線がボールに集まった。
ボールがゆっくりと落ちていく。
そして、それは……。
シュッと心地よい音を立ててリングをくぐった。
「入ったぁぁぁ!」
四人が小躍りしながら喜びの声を上げた。
「よし」
ホッとしながらボールを取りに行く。
タンタン、と跳ねるボールを招き寄せるようにして取り、ニコッと部員達に笑って見せた。
「ナイッシュー! 三天さん!」
「いけます!」
先輩達が敬語で応援してくれる。なんだか申し訳ないし、恥ずかしい。照れた笑みで頷いてみせてから、再びラインの外へ出た。
「さぁ、二本目だ」
小さな声で自分に言い聞かせ、意識を集中させる。
例え視界がクリアでなくとも、体が覚えているボールの感触を信じて投げるのだ。
飛び上がる高さ。
手首のスナップの角度。
ゴールに向ける目線の位置と息を吐くタイミング。
流れるような動きでボールを投げ、描かれる弧を信じて見守る。
シュッ!
心地よい音を立てて二本目も入った。
「凄いよ、三天さんっ!」
「うわぁ! これが龍角の『誘導ミサイル』だ!」
四人がハイタッチで喜んでいるのが見えた。
「誘導ミサイルね……」
苦笑いしながらボールを拾う。
練習は裏切らない――。
迅の言葉が思い出された。ミニバスのコーチの言葉を中学で迅が繰り返し、皆で呪文のように唱えながら練習に明け暮れた。
「迅、マジだわ」
心の中で礼を言いながら、さぁ、あと三本、と思った時だった。
「廃部~~~~っ!」
ブーイングの嵐が起こった。ファンの生徒達も一緒になってジェスチャーまで交えながら叫んでいる。
「ほんと、いいファンに囲まれてる」
半ば呆れながら再びラインの外に立った。
正直なところ、外野の声は気にならない。地方大会では、ひとつの体育館に二面、三面とコートがあって、複数の試合が同時並行で行われる。他校の応援が重なって割れんばかりの大合唱になることだってある。
「ふぅっ」
深呼吸をして、再びゴールに視線を向けた。
「コートから出ろ! ここはパラスポーツ会場じゃねぇ!」
バレー部の主将の声だった。
その言葉は真っすぐに律の脳に突き刺さった。
「出てけ! 出てけ!」
「パラに行け!」
残酷な言葉が次々と投げつけられる。明らかな差別用語も飛んできた。大勢の中に紛れていれば、特定できない、と思っているのか。スポーツマンシップの欠片もない侮辱だ。
「っ!」
視界の霞みが気になった。汗が目に入ったようだ。
顔を動かし、見えている左目でゴールを確認する。
「大丈夫……、いける」
ざわつく気持ちを落ち着けるように「いける」と繰り返す。しかし、繰り返せば繰り返すほど、右手が震えた。
「大丈夫……っ」
タイミングは分かっている。
さっきまで同じ感覚で投げるだけだ。自分を信じ、呼吸を整えてからスッとジャンプした。手首のスナップを利かせてボールを放つ。
「っ!」
投げた瞬間、違和感が腕に走った。
さっきと軌道が違う。
失敗したか!
祈る気持ちでボールを視線で追った。
「外れろー!」
「入れー!」
正反対の絶叫が体育館に響いた。
ガンッ! とボールがリングにぶつかる音がした。
「あぁ!」
悲鳴が聞こえる。
跳ね上がったボールが再びリングにぶつかった。
「落ちろー!」
バレー部員達が叫ぶ。
ボールはリングの上をクルクルクルと転がった。微妙なバランスを見せたボールは、何度もリング上で回った後、ポスッという音を立ててゴールの網に収まった。
「入ったぁ!」
四人が叫び、抱き合って喜んでいる。
「ふぅ……」
なんとか入った――。
安堵したものの「こんなにメンタルが弱かったのか」と自分で自分が情けなくなる。なにを言われようが、どういう状況になろうが、こなした練習量と仲間を信じてゴールを狙うだけだ。平常心を失わない。誘導ミサイルに狂いはないはずなのに――。
「……迅」
ゴール下の守護神が居ない。
失敗しても「大丈夫だ」「まだいける」と励ましてくれた、長身の相棒が居ない。その寂しさが大きな不安とプレッシャーになって伸し掛かってくる。
「……」
ボールを拾ったが、手の震えが止まらない。
「クソッ……」
経験したことがない震えだ。次は入らない気がした。
数回、ドリブルをして手の感覚を戻そうとする。しかし、腕の動きが鈍く、ボールと手が繋がらない。手足とボール、全てがバラバラになったような違和感が消えなかった。
「外せ~!」
「落とせ~!」
律が見せた不調を煽るようなブーイングが始まった。
「チッ!」
癇に障る雑音だ。気にならないはずのBGMも、一度耳に入ると消えないから厄介だ。
「集中だ、集中!」
自分に言い聞かせるように呟き、ゴールに視線を向けた。ボールを手に取り、距離感を確認するようにイメージを膨らませている時だった。
「!」
真横でダンッ! と激しい音がした。驚いて視線を向けると、バレーボールが跳ねているのが見えた。バレー部主将が、律の足元目掛けてサーブを打ったのだ。
「オラ、早く打てよ!」
不敵な笑みを浮かべながら言う彼の手元には、新たなボールが準備されていた。
体育館は異様な雰囲気に満ちていた。
四人のバスケ部員が硬い表情でバスケットボールのカゴを体育倉庫から引っ張り出しているところに、大人数のバレー部員とファン達が押しかけていた。
「おいおいおい。部外者が侵入してるぞ~」
「ケーサツ呼ぶか? 不審者だ」
大きな笑いが起こる。
怒りで顔を真っ赤にしながらバスケ部員の一人が叫んだ。
「邪魔するな! 最後くらい練習させてくれ!」
「おぉ~怖っ!」
「顧問にも確認した! 今日はバスケ部が使うんだ!」
「なんのための練習だ? 廃部の意味分かってないのかぁ?」
「お~い、誰か辞書持ってきてやれよ」
また笑いが起こる。何重にも囲まれて身動き取れない四人は、必死に反論しているが、畳みかけるように嘲笑とヤジが飛んでいた。
そんな時だった。
ダンダンッ、とボールが床を打つ音が響いた。
それに、シュッと空を切る音が続く。
ボールが弧を描いて飛んでいき、ザシュッ、とネットを揺らした。
「誰だ!」
バレー部の一人が驚きの声を上げた。
床に落ちたボールが跳ねている間に、別のボールがシュッと宙を舞った。
「あ」
「入った……」
その場に居た者達が一斉にある一点を見た。
二本連続でシュートを決めた者。
律だ。
「……練習始まってます?」
律は群衆に埋もれてしまっているバスケ部の主将に向かって尋ねた。
自前のボールふたつを拾いながら、久々に履いたバッシュで床の感触を確かめる。
「アップからスタートでいいですか?」
準備運動は? と尋ねながらダンダンッ、と数回、ドリブルをした。腕に伝わってくる振動が快感だ。右手と左手、両方を使った後、ビハインド・ドリブルをしてからシュートの真似事をした。少しだけ高く上がったボールが律の手に戻って来る。
「なんだお前!」
バレー部員達が色めき立った。
詰め寄って来るのが見えたので、律は手にしたボールをワンハンドプッシュで投げた。
大きな音を立ててゴール板で跳ね返ったボールは、バレー部員のすぐ側でバウンドして律の手元に戻って来た。部員は「ヒッ」と情けない声を上げて飛び上がった。
「み、三天さん!」
バスケ部員の四人が群衆を掻き分けて駆け寄って来た。
「どうして!」
「あの、実は、バスケ部は……」
目を白黒させながら話し始める四人に対し「知ってる」と頷いてみせた。
「練習しましょう。メニュー、ありますか?」
自分の容姿を最大限活かした笑みで尋ねる。茶髪をふんわりと揺らしながら言うと、四人の表情が「わぁっ」と華やいだ。
「あ! あああ、あります! メニューありますです!」
変な敬語を口走る主将が、クシャクシャの紙をポケットから出してきた。なんだかおかしくて吹き出しそうになるのを我慢し、メニューを見る。
「ストレッチですね。その後、ダッシュしましょう」
「は、はいっ!」
「ストレッチ、なにか決まったのありますか?」
律は主張を誘導するように言いながらコートの上で軽く跳ねた。両腕を伸ばし、首を回す。久しぶりのコートは気持ちよかった。ジワジワとテンションが上がってくる。
「おいおいおいっ! 無視してんじゃねぇ!」
「はい?」
「勝手にコート使ってんじゃねぇよ! このカスどもが!」
バレー部の主将が真っ赤な顔で怒鳴ってきた。
「今日はバスケ部の練習日だと聞いています」
言い返しながら、マジマジとバレー部主将を見た。こんな奴が迅を勧誘していたのか。そう思うと無性に腹が立った。
顔は悪くない。ファンクラブができるくらいだから、腕も立つのだろう。ただ、その性格は腐っている。罵詈雑言を吐き捨ててやりたくなるレベルだ。
「なにが練習だ! クソみてぇな部が贅沢言ってんじゃねぇよ! さっさとどけ! 全国制覇するバレー部が使ってやるからよぉ!」
「暴言吐いて練習場所を強奪しないと全国行けないレベルって?」
プッと笑ってみせた。
そんな律の姿を見て、バレー部のファン達がヒソヒソと声を潜めて話し始めた。
「あれ、元・龍角中の三天副主将?」
「龍角中のバスケって全中の常連じゃなかった? 確か、去年はベスト四?」
「でも、三天って人、目、見えないんじゃなかった?」
「さっき入れたよ?」
「そうそう。すっごく遠くから投げて二本入れてた」
「ねぇねぇ。なんか、かっこよくない?」
「スタイル、バリいいし!」
「あいつ入ったら部員五人? ギリ大会出られるんじゃ?」
「え~、じゃぁ、廃部にはならないの?」
小声のやり取りがだんだん大きくなってくる。それはバレー部主将の耳にも入っているようで、怒りで表情がどんどん酷くなっていく。
「ふざけるなよ! 俺達バレー部は今年こそ全国制覇するんだよ! こんなバカなことやってる暇はねぇ! とっととどけ!」
「嫌ですね。今日はバスケ部が使う日だ」
凛とした声で律は言い返した。そしてニッと唇の端を吊り上げて続ける。
「殴ってバカを追い出します?」
フフン、と笑ってみせた。さぁ、どこまで醜態を晒してくれるだろう。これ以上ないくらい醜い本性を出してくれれば、取り巻きの生徒も教師も「強いだけが部活ではない」と痛感するに違いない。
「貴様ぁぁぁぁっ!」
腕を振り上げて殴りかかってくるのが見えた。
あぁ、これでバレー部はしばらく休部か――。
そんなことを思った時、副主将らしい部員が大慌てで止めに入った。
「大会! 大会前だぞ! 落ち着けよ!」
「離せよ! このふざけたバスケ部、シメなきゃ気が済まねぇ!」
「殴ったら出場停止!」
「でもよ!」
「勝負だ。勝負すればいいだろ!」
副主将は必死になって暴走する主将を止めていた。まだ理性的なのが居たのか、と思いながらどう出てくるか待つ。
すると、バレー部員の一人が主将に駆け寄り、なにやら耳打ちした。怒りに満ちていた主将の顔が急に気味の悪い笑みに変わった。ニタニタ笑いながらこっちを見てくる。
「三天だっけか?」
「あぁ」
「お前がスリーポイントシュート、今すぐ五回連続で決めたら引き上げてやるよ」
スリーポイントシュートは、プロでも成功率が四割超えると凄いと言われている。フリーの状態でマイペースに打てるとはいえ、右目にハンデを持つ律が「五回連続」で成功させるなんて、まず不可能に近い。
「やれよ。やって見せろよ。成功すりゃ、お望み通り練習させてやるよ」
「分かった。五回でいいんだな?」
それだけか。
そんな風に笑みを返してやった。場がシンと静まり返る。
「み、三天さん……」
あなた、無理なんじゃ、と四人が不安そうな視線を向けてきた。それに微笑み返してからコートに立つ。
リングを見た。
視界はぼやけているし、今日は右の方が欠けている。調子がよくない日だ。首を動かして左で見てみるが、どうにも距離感が掴み難い。さっきのシュートはよく入ったと思う。
「ほら、打てよ!」
バレー部員達がヤジを飛ばしてくる。
「静かにしろよ!」
バスケ部員が言い返した。
「うるせぇ! 自信がねぇのかよ! ヘタクソ!」
「打てよ、打てって!」
「早くしろよ!」
再び周囲がうるさくなった。体育館中に「打て」という言葉がこだまし、割れんばかりの大合唱になる。
「……」
ダンダン、とボールを床に落とした後、パシッと手に取ったボールをシュッと投げた。
手首のスナップを利かせ、弧を描くように放つ。
いくら背が高いディフェンスが居ても届かないように。美しい弧を描いて高く飛ぶボールをイメージした。
全員の視線がボールに集まった。
ボールがゆっくりと落ちていく。
そして、それは……。
シュッと心地よい音を立ててリングをくぐった。
「入ったぁぁぁ!」
四人が小躍りしながら喜びの声を上げた。
「よし」
ホッとしながらボールを取りに行く。
タンタン、と跳ねるボールを招き寄せるようにして取り、ニコッと部員達に笑って見せた。
「ナイッシュー! 三天さん!」
「いけます!」
先輩達が敬語で応援してくれる。なんだか申し訳ないし、恥ずかしい。照れた笑みで頷いてみせてから、再びラインの外へ出た。
「さぁ、二本目だ」
小さな声で自分に言い聞かせ、意識を集中させる。
例え視界がクリアでなくとも、体が覚えているボールの感触を信じて投げるのだ。
飛び上がる高さ。
手首のスナップの角度。
ゴールに向ける目線の位置と息を吐くタイミング。
流れるような動きでボールを投げ、描かれる弧を信じて見守る。
シュッ!
心地よい音を立てて二本目も入った。
「凄いよ、三天さんっ!」
「うわぁ! これが龍角の『誘導ミサイル』だ!」
四人がハイタッチで喜んでいるのが見えた。
「誘導ミサイルね……」
苦笑いしながらボールを拾う。
練習は裏切らない――。
迅の言葉が思い出された。ミニバスのコーチの言葉を中学で迅が繰り返し、皆で呪文のように唱えながら練習に明け暮れた。
「迅、マジだわ」
心の中で礼を言いながら、さぁ、あと三本、と思った時だった。
「廃部~~~~っ!」
ブーイングの嵐が起こった。ファンの生徒達も一緒になってジェスチャーまで交えながら叫んでいる。
「ほんと、いいファンに囲まれてる」
半ば呆れながら再びラインの外に立った。
正直なところ、外野の声は気にならない。地方大会では、ひとつの体育館に二面、三面とコートがあって、複数の試合が同時並行で行われる。他校の応援が重なって割れんばかりの大合唱になることだってある。
「ふぅっ」
深呼吸をして、再びゴールに視線を向けた。
「コートから出ろ! ここはパラスポーツ会場じゃねぇ!」
バレー部の主将の声だった。
その言葉は真っすぐに律の脳に突き刺さった。
「出てけ! 出てけ!」
「パラに行け!」
残酷な言葉が次々と投げつけられる。明らかな差別用語も飛んできた。大勢の中に紛れていれば、特定できない、と思っているのか。スポーツマンシップの欠片もない侮辱だ。
「っ!」
視界の霞みが気になった。汗が目に入ったようだ。
顔を動かし、見えている左目でゴールを確認する。
「大丈夫……、いける」
ざわつく気持ちを落ち着けるように「いける」と繰り返す。しかし、繰り返せば繰り返すほど、右手が震えた。
「大丈夫……っ」
タイミングは分かっている。
さっきまで同じ感覚で投げるだけだ。自分を信じ、呼吸を整えてからスッとジャンプした。手首のスナップを利かせてボールを放つ。
「っ!」
投げた瞬間、違和感が腕に走った。
さっきと軌道が違う。
失敗したか!
祈る気持ちでボールを視線で追った。
「外れろー!」
「入れー!」
正反対の絶叫が体育館に響いた。
ガンッ! とボールがリングにぶつかる音がした。
「あぁ!」
悲鳴が聞こえる。
跳ね上がったボールが再びリングにぶつかった。
「落ちろー!」
バレー部員達が叫ぶ。
ボールはリングの上をクルクルクルと転がった。微妙なバランスを見せたボールは、何度もリング上で回った後、ポスッという音を立ててゴールの網に収まった。
「入ったぁ!」
四人が叫び、抱き合って喜んでいる。
「ふぅ……」
なんとか入った――。
安堵したものの「こんなにメンタルが弱かったのか」と自分で自分が情けなくなる。なにを言われようが、どういう状況になろうが、こなした練習量と仲間を信じてゴールを狙うだけだ。平常心を失わない。誘導ミサイルに狂いはないはずなのに――。
「……迅」
ゴール下の守護神が居ない。
失敗しても「大丈夫だ」「まだいける」と励ましてくれた、長身の相棒が居ない。その寂しさが大きな不安とプレッシャーになって伸し掛かってくる。
「……」
ボールを拾ったが、手の震えが止まらない。
「クソッ……」
経験したことがない震えだ。次は入らない気がした。
数回、ドリブルをして手の感覚を戻そうとする。しかし、腕の動きが鈍く、ボールと手が繋がらない。手足とボール、全てがバラバラになったような違和感が消えなかった。
「外せ~!」
「落とせ~!」
律が見せた不調を煽るようなブーイングが始まった。
「チッ!」
癇に障る雑音だ。気にならないはずのBGMも、一度耳に入ると消えないから厄介だ。
「集中だ、集中!」
自分に言い聞かせるように呟き、ゴールに視線を向けた。ボールを手に取り、距離感を確認するようにイメージを膨らませている時だった。
「!」
真横でダンッ! と激しい音がした。驚いて視線を向けると、バレーボールが跳ねているのが見えた。バレー部主将が、律の足元目掛けてサーブを打ったのだ。
「オラ、早く打てよ!」
不敵な笑みを浮かべながら言う彼の手元には、新たなボールが準備されていた。
