ゴールデンウィークが明けても、迅は学校に姿を見せなかった。
中間考査も欠席。
電話もメールもメッセージアプリも繋がらなかった。家に行っても誰も反応してくれず、なんだか巨大な壁に阻まれているように感じた。
「……」
委員長不在の教室はざわつきが消えないまま一日を終えた。
クラスメイトが去っていく中、律は無人の隣を見た。いつにも増して無機質な机は冷え冷えとしていて、妙に大きく見えた。いつもは大柄な迅のせいか、妙に小さく見えるのに……。
「こんなに……寂しいんだ」
授業中、板書が見えなくて隣を見てしまう自分。
授業前に教科担任に呼び出されてプリント印刷の手伝いをすることもない。
毎日、持ってきているのに全然減らない弁当。
何日も食べていないカツサンド。
放課後、セミナー室で見せてもらうノートもないし、長い坂道を歩くのも独りだ。
全てが独り、という現実にどうしようもないくらい寂しさがこみ上げてくる。
「これ、オレが迅にやったことだ」
中三のあの日以降、律は不登校になり、迅との連絡も絶った。母にも姉にも「絶対に誰にも目のことを言うな!」と口留めしていたから、本当に訳が分からなかったと思う。
あの時、迅も酷い孤独を感じただろう。全く理由が分からないまま律に無視され続けた迅が感じた孤独や憤り、無力さ、悲しみは計り知れないに違いない。色々な感情に毎日、気持ちをかき乱されたと思う。本当に申し訳なかった。
しかし、そんな中でも迅は猛勉強し、県内トップクラスのこの高校に合格。委員長として律を待っていた。
「……オレも待つしかないのかな」
これ以上、迅の心を傷つけないために、本当のことを言わなければならない。
でも、どうやって? 電話もメールも届かないのに?
「どうするよ」
フゥッ、とため息を吐き、教室を後にした。
とりあえず、今の自分にできることは毎日、連絡を入れ続け、ノートを作ることだ。
迅が自分のためにやってくれたことを返す。ペンやノートを見ただけで、迅が居ない現実に胸が潰れそうになるけれど、やらなければならない。
中間考査も終わった。
セミナー室も閑散としているだろう。迅のノートを作るため、長い渡り廊下を歩いた。
「?」
体育館脇を通り過ぎようとした時、なにやら騒ぐ声が聞こえて来た。
バレー部とバスケ部だ。
「またやってるのか」
体育館の使用をめぐって、バレー部がバスケ部を追い出そうとしているようだ。強豪のバレー部には熱烈なファンが居て、一緒になって圧をかけている。
「邪魔なんだよ! 廃部のクセに!」
「廃部! 廃部!」
手拍子に合わせて「廃部」と連呼している。思わず足を止めてしまった。
「ま、まだ廃部になってないし! 週二回は使わせてもらえ……」
「はぁ? なに権利主張しちゃってんだよ。廃部なんだよ、廃部。お前らはもう要らないの。ゴミなの。ゴミが体育館を使える訳ないだろ? 望みの龍角中の二大柱もバキバキだし」
「目ぇ見えねぇ奴が入部したって役立たず! ゴミにゴミが加わるだけだわ」
「毬付きクラブ、ハイ終了~」
「さっさと出ていけよ! お前らが練習したって無駄なんだよ、無駄!」
相変わらずバレー部は言いたい放題だ。聞きたくもない声が耳に刺さり、心をズタズタに傷つけて来る。
「!」
今すぐにでも乗り込んで黙らせてやりたい。
しかし、行ったところで、ろくに見えもしない目で何ができるだろう。そもそも一番身近な迅にさえ、まともに話をできていない自分に、あの空気を変えられる力があるだろうか。全く自信がなかった。
「廃部、廃部~」
再び湧き上がる廃部コールを聞くのも辛かった。
早足でセミナー室に向かい、一秒でも早く音をシャットアウトしたくてドアを素早く閉めた。
「ふぅ……」
物凄く悔しい。
もう、色んな事がありすぎて頭がパンクしそうだ。
ドアの前で数回深呼吸してから、人が居ないセミナー室を見回し、壁側の隅に座った。
ここは静かでいい。雑音が聞こえなくて、自分のことだけに集中できる。
とりあえず、今日の授業のポイントをノートに書き込み、ペンで印を付けた後、次のページに予習を書き込む。自分で問題を解いてから参考書をチェックし、引っかかった点・間違えた所を青いペンで書きこんでいく。
数学と古文のノートを作り終え、生物のワークに手を伸ばした時だった。
「ひどいよ、バレー部の奴ら!」
「でも、強いから先生達もなにも言わないし」
「悔しいよ。もし、もしだよ。もし、本当に廃部でも、最後くらい体育館で練習したいよ」
「最後っていうなよ」
小声だが、怒りに満ちた言い合いが聞こえた。顔を上げなくても分かる。バスケ部の四人だ。極力顔を上げず、そっと左目だけをそちらに向けて見た。眼鏡の端で見づらかったが、四人はスポーツ関係の書籍の棚の前に居た。
「練習メニュー作って意味あるのかな。だって、もう……」
「作る! 作るんだよ。一年間と三年間の活動予定を作って顧問に見せる。廃部を考え直してもらうんだ」
「廃部になったら復活させるの、ほぼ無理らしいから。なんとしてでも残すんだ。残さなきゃ、『いつからでも始められるバスケ部』が消えてしまう!」
「残れるかなぁ」
「残すんだって! 『やりたい』って思った時に誰でも手が届くバスケ部、いつからだってチャレンジできる部。その価値をみんなに分かってもらうんだよ」
四人が必死なのが伝わってくる。
グループ向けのデスクで四人が一丸となって部の存続に取り組んでいる。その様子に、胸を打たれた。
「いつからだって……チャレンジできる部」
その言葉が心にしみる。
言ったのは三年の主将だろうか。良い主将だ。
「オレも……できるかな……」
右目に手を添え、そっと撫でる。
「いや、この目じゃ無理だ」
バスケはとっさの判断が勝敗を分ける。
距離感が掴めず、右側が上手く見えてない目ではとても戦えない。それに、万が一、ボールが目に当たったりしたら、今度こそ失明の可能性もある。
「危ない」
自分に言い聞かせるように呟き、意識をワークに戻す。
問題を解き、ペンでチェックをしていくが、とても集中できない。
久しぶりに行った文具専門店で買ったノート。
お互いの好みを言い合いながら選んだお揃いのペン。
それを見る度に、どうしても右側を見てしまう。
「迅……」
誰も居ない隣が物凄く寂しい。
律はそのまま無言で机を片付け、静かにセミナー室を出た。
一階に降り、迅に教えてもらった正面玄関までの近道を歩きながらスマホを手に持った。指が自然に迅の番号を発信する。
迅は出なかった。そのまま、留守番電話サービスに繋がる。
ピーッという発信音が聞こえた。
「迅……、オレ、迅とバスケやりたい。迅と一緒にコートに立ちたいよ」
溢れる涙を抑えることなく、律は同じ言葉を繰り返した。
中間考査も欠席。
電話もメールもメッセージアプリも繋がらなかった。家に行っても誰も反応してくれず、なんだか巨大な壁に阻まれているように感じた。
「……」
委員長不在の教室はざわつきが消えないまま一日を終えた。
クラスメイトが去っていく中、律は無人の隣を見た。いつにも増して無機質な机は冷え冷えとしていて、妙に大きく見えた。いつもは大柄な迅のせいか、妙に小さく見えるのに……。
「こんなに……寂しいんだ」
授業中、板書が見えなくて隣を見てしまう自分。
授業前に教科担任に呼び出されてプリント印刷の手伝いをすることもない。
毎日、持ってきているのに全然減らない弁当。
何日も食べていないカツサンド。
放課後、セミナー室で見せてもらうノートもないし、長い坂道を歩くのも独りだ。
全てが独り、という現実にどうしようもないくらい寂しさがこみ上げてくる。
「これ、オレが迅にやったことだ」
中三のあの日以降、律は不登校になり、迅との連絡も絶った。母にも姉にも「絶対に誰にも目のことを言うな!」と口留めしていたから、本当に訳が分からなかったと思う。
あの時、迅も酷い孤独を感じただろう。全く理由が分からないまま律に無視され続けた迅が感じた孤独や憤り、無力さ、悲しみは計り知れないに違いない。色々な感情に毎日、気持ちをかき乱されたと思う。本当に申し訳なかった。
しかし、そんな中でも迅は猛勉強し、県内トップクラスのこの高校に合格。委員長として律を待っていた。
「……オレも待つしかないのかな」
これ以上、迅の心を傷つけないために、本当のことを言わなければならない。
でも、どうやって? 電話もメールも届かないのに?
「どうするよ」
フゥッ、とため息を吐き、教室を後にした。
とりあえず、今の自分にできることは毎日、連絡を入れ続け、ノートを作ることだ。
迅が自分のためにやってくれたことを返す。ペンやノートを見ただけで、迅が居ない現実に胸が潰れそうになるけれど、やらなければならない。
中間考査も終わった。
セミナー室も閑散としているだろう。迅のノートを作るため、長い渡り廊下を歩いた。
「?」
体育館脇を通り過ぎようとした時、なにやら騒ぐ声が聞こえて来た。
バレー部とバスケ部だ。
「またやってるのか」
体育館の使用をめぐって、バレー部がバスケ部を追い出そうとしているようだ。強豪のバレー部には熱烈なファンが居て、一緒になって圧をかけている。
「邪魔なんだよ! 廃部のクセに!」
「廃部! 廃部!」
手拍子に合わせて「廃部」と連呼している。思わず足を止めてしまった。
「ま、まだ廃部になってないし! 週二回は使わせてもらえ……」
「はぁ? なに権利主張しちゃってんだよ。廃部なんだよ、廃部。お前らはもう要らないの。ゴミなの。ゴミが体育館を使える訳ないだろ? 望みの龍角中の二大柱もバキバキだし」
「目ぇ見えねぇ奴が入部したって役立たず! ゴミにゴミが加わるだけだわ」
「毬付きクラブ、ハイ終了~」
「さっさと出ていけよ! お前らが練習したって無駄なんだよ、無駄!」
相変わらずバレー部は言いたい放題だ。聞きたくもない声が耳に刺さり、心をズタズタに傷つけて来る。
「!」
今すぐにでも乗り込んで黙らせてやりたい。
しかし、行ったところで、ろくに見えもしない目で何ができるだろう。そもそも一番身近な迅にさえ、まともに話をできていない自分に、あの空気を変えられる力があるだろうか。全く自信がなかった。
「廃部、廃部~」
再び湧き上がる廃部コールを聞くのも辛かった。
早足でセミナー室に向かい、一秒でも早く音をシャットアウトしたくてドアを素早く閉めた。
「ふぅ……」
物凄く悔しい。
もう、色んな事がありすぎて頭がパンクしそうだ。
ドアの前で数回深呼吸してから、人が居ないセミナー室を見回し、壁側の隅に座った。
ここは静かでいい。雑音が聞こえなくて、自分のことだけに集中できる。
とりあえず、今日の授業のポイントをノートに書き込み、ペンで印を付けた後、次のページに予習を書き込む。自分で問題を解いてから参考書をチェックし、引っかかった点・間違えた所を青いペンで書きこんでいく。
数学と古文のノートを作り終え、生物のワークに手を伸ばした時だった。
「ひどいよ、バレー部の奴ら!」
「でも、強いから先生達もなにも言わないし」
「悔しいよ。もし、もしだよ。もし、本当に廃部でも、最後くらい体育館で練習したいよ」
「最後っていうなよ」
小声だが、怒りに満ちた言い合いが聞こえた。顔を上げなくても分かる。バスケ部の四人だ。極力顔を上げず、そっと左目だけをそちらに向けて見た。眼鏡の端で見づらかったが、四人はスポーツ関係の書籍の棚の前に居た。
「練習メニュー作って意味あるのかな。だって、もう……」
「作る! 作るんだよ。一年間と三年間の活動予定を作って顧問に見せる。廃部を考え直してもらうんだ」
「廃部になったら復活させるの、ほぼ無理らしいから。なんとしてでも残すんだ。残さなきゃ、『いつからでも始められるバスケ部』が消えてしまう!」
「残れるかなぁ」
「残すんだって! 『やりたい』って思った時に誰でも手が届くバスケ部、いつからだってチャレンジできる部。その価値をみんなに分かってもらうんだよ」
四人が必死なのが伝わってくる。
グループ向けのデスクで四人が一丸となって部の存続に取り組んでいる。その様子に、胸を打たれた。
「いつからだって……チャレンジできる部」
その言葉が心にしみる。
言ったのは三年の主将だろうか。良い主将だ。
「オレも……できるかな……」
右目に手を添え、そっと撫でる。
「いや、この目じゃ無理だ」
バスケはとっさの判断が勝敗を分ける。
距離感が掴めず、右側が上手く見えてない目ではとても戦えない。それに、万が一、ボールが目に当たったりしたら、今度こそ失明の可能性もある。
「危ない」
自分に言い聞かせるように呟き、意識をワークに戻す。
問題を解き、ペンでチェックをしていくが、とても集中できない。
久しぶりに行った文具専門店で買ったノート。
お互いの好みを言い合いながら選んだお揃いのペン。
それを見る度に、どうしても右側を見てしまう。
「迅……」
誰も居ない隣が物凄く寂しい。
律はそのまま無言で机を片付け、静かにセミナー室を出た。
一階に降り、迅に教えてもらった正面玄関までの近道を歩きながらスマホを手に持った。指が自然に迅の番号を発信する。
迅は出なかった。そのまま、留守番電話サービスに繋がる。
ピーッという発信音が聞こえた。
「迅……、オレ、迅とバスケやりたい。迅と一緒にコートに立ちたいよ」
溢れる涙を抑えることなく、律は同じ言葉を繰り返した。
