川をあとにし、軽くなった足どりで最寄りの駅へと向かう。田舎らしい寂れた無人駅も、なぜか今は風情を感じるから不思議だった。

「なんかあっという間だったね」

 始発までのわずかな時間を潰すため、色の剥げたベンチに座ったところで乃愛がのびをしながら呟いた。

「最初はどうなるか心配だったが、終わりよければ全てよしだな」

「なにそれ、まるで私が悪いことを企んでたみたいな言い方に聞こえるんですけど?」

「まあ、あながち間違いじゃないな。とりあえず、君が言ってたワンナイトラブとやらは楽しかったよ」

 そう茶化したところで、空気が少しだけ重くなるのがわかった。もともと乃愛との関係は、一夜限りの擬似的な恋人関係に過ぎなかった。そのため、こうして朝を迎えて始発に乗れば、その関係も自然と終わりを迎えることになる。

 ――帰る方向が同じだったら少しは違ったかもしれないがな

 あいにくと俺が帰る方向は、乃愛とは反対だった。そのため、遠くに見えてきた電車に乗ってしまえば、お互いの日常に戻っていくだろう。

 それがわかっているからか、乃愛はなにも言わなかった。俺も余計なことを言わなかったのは、乃愛を口説くには歳をとりすぎていたからだった。

 結局、無言のまま到着した始発列車に乗り込み、少し疲れた顔で手を振る乃愛に手を振って返す。乃愛の人柄なら、おそらく今度こそ素敵な人に巡り合うことができるだろう。

 そう心の中で呟き、穴が空いたような感覚の心を抱いて無人のシートに腰をおろす。いつの間にか芽生えかけていた乃愛への想いは、形になる前に胸の奥に沈めることにした。

 そう決めてシートに身を沈めた時だった。

 スマホの通知音が鳴り、仕事の連絡かと思いながらメールを確認すると、メールには未登録のアドレスが記されていた。

 不思議に思いつつ、迷惑メールの類いかと考えながら開いた瞬間、その内容に体の疲れが一気に吹き飛んでいった。

『怪盗乃愛より

 あなたのメールアドレスは確かにいただきました。

 こんな美人を口説かずに立ち去ったあなたの罪はとても重いです。

 つきましては、謝罪もこめてデートに誘うことを希望します。

 その際には、分厚いステーキを要求しますので、覚悟しておいてください』

 メールの冒頭から溢れる乃愛の性格に苦笑しつつ、なぜメールアドレスがわかったのかが気になった。

 だが、その疑問は上着のポケットに入れた財布に触れたことで解消された。

 ――コンビニに行ったときに盗まれたわけか

 乃愛は最初にコンビニに行ったときに、俺の財布を手にしていた。財布の中には予備の名刺があったから、それを手にしたのだろう。

 乃愛がなぜ名刺を手にしたのかはわからない。俺が嘘の名前を言ってないか確認したかったのか、あるいは、こうなることを持ち前のエスパーで見抜いていたのかもしれない。

 いずれにせよ、乃愛の行動のおかげでまた会う機会を得ることができた。そして、そのことを素直に嬉しく思えた。

 ――人生はわからないもんだな

 つい数時間前までは生きることに絶望していたのに、たったひとつの出会いで生まれ変わるような変化が起きるのだから、まだまだ人生とはわからないことだらけだった。

 ――挑戦してみるか

 乃愛への返信を考えながら、いつの間に途絶えていた勉強アプリを立ち上げてみる。どうせ人生がわからないのであれば、今この瞬間の気持ちにゆだねてみたいと思った。

 そう決心して顔を上げると、車窓の外には始まったばかりの今日がきらめく朝日に照らされていた。


 〜了〜