校舎の裏手から吹く風が、夏のはじまりを告げていた。蒸し暑さの中にも、どこか涼しげな風が紛れ込み、陽介の額に流れる汗を一瞬だけ拭った。

その日、1年生たちは午後の時間を使っての合奏練習に臨んでいた。配られたばかりの課題曲「スプリング・スター」。その譜面を手にした時、僕は心のどこかがざわついたのを覚えていた。

だが、それは音楽そのものへの不安ではなく、もっと別の、漠然とした緊張だった。

「はい、じゃあ、頭から通してみようか」

担当の先輩がそう言い、1年生たちは椅子に座りなおす。金管、木管、打楽器。音楽室の中に、それぞれの緊張が張り詰めていくのが感じられーた。

僕はトロンボーンを構えた。

「1、2、3、!」

指揮のカウントとともに、一斉に音が鳴る。

――が、その音はどこかバラバラだった。テンポが走り、音程は揃わず、何より全体のバランスが崩れている。

「おい、待て!」

その声が響いたのは、二度目の通しの途中だった。

「おい和田、おまえさ……それで合奏してるつもり?」

静まり返る音楽室。

怒鳴ったのは、3年の先輩、三枝だった。

体格がよく、どこか威圧感のある彼は、担当楽器こそ同じトロンボーンだが、僕とは一線を画すような存在だった。

「全然吹けてねぇじゃん。リズムもピッチも、何一つ合ってない」

「す、すみません……」

「“すみません”じゃねぇよ。合奏ってのはな、みんなでひとつの音楽を作るってことなんだよ。おまえのせいで、他のパートも崩れるんだよ」

その言葉は、まるで鋭利な刃のように陽介の胸に突き刺さった。
俯く僕を見て、周囲の1年生も気まずそうに顔を伏せる。
空気が重くなっていた。

「三枝先輩、ちょっと言いすぎじゃない?」

小さく、宮坂千尋の声が聞こえた。
しかし、それも空気を和らげるには至らなかった。

そのあとの合奏も、僕の手は震えていた。
音が思うように出ない。冷や汗が背中を流れ落ちる。

(……なんで、俺、ここにいるんだっけ)

気づけば、音楽が遠ざかっていた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

放課後。
僕は、考えに考え、顧問のもとに行っていた。

「……これ、退部届です」

紙を差し出す手が、少し震えていた。
顧問の先生は目を丸くした。

「どうしたの、和田くん……なにかあったの?」

「……自分には、向いてないって思いました。ご迷惑をおかけして、すみません」

短く頭を下げると、僕は音楽室を出た。
その背中を、誰も止めなかった。

校舎の外に出たとき、僕は顔を上げた。
空は夕焼けに染まっていた。
胸の奥に、何か苦いものが溜まっていた。

(……やっぱり、無理だったな)

そのとき、背後から足音が聞こえた。

「……和田くん」

振り返ると、宮坂先輩が立っていた。

「退部、したの?」

「うん……もう、僕、迷惑かけてばっかだったし」

「三枝先輩のこと、気にしすぎないで。あの人、いろいろ溜まってて、当たっちゃっただけだよ。悪いのは、あなたじゃない!」

その言葉は、僕の中に小さな灯をともした。

「……ありがとう、だけど大丈夫。」

「何でそうやって…。諦めたらもう終わりなんだよ!」

「あんな先輩は僕は嫌いです。言い返したい気持ちが山々だけど、僕は初心者で、何も言い返すことができないし…」

気づけば僕は泣き出していた。部活にいた2ヶ月間で色々なことで尊敬していた先輩の前で、無様に泣き崩れていた。

「……わかった!また、戻っておいでよ。いつでも、待ってるから。」

そう言って先輩は微笑んだ。
その笑顔が、夕焼けの中でやけに綺麗に見えた。

僕の心が、小さく震えた。
何かが、まだ終わっていない気がした。
けれどその日は、帰宅することしかできなかった。

遠くから、風に乗って聞こえてくる音があった。

それは、まるでフルートのような、柔らかで優しい響き。

(……もう一度、あの音を……)

心のどこかで、そう願っている自分がいることに、僕はまだ気づいていなかった。
そして、この夜また繰り返しが起こることもまだ知らない。

= = = = = = = = = = = =

気づいたら、和田くんは部活をやめていた。
そのことは千尋から聞いた。その時、千尋は涙を流していた。

「私はもっと説得すれば…」

だけど私は無理だと思った。

私たちが入った時もそう。2人ほどやめちゃったけど、どちらも三枝先輩…いや、三枝のせい。
私たちじゃ初心者だというのに、自分だけ小学校くらいからやってたとかでイキって、下手だの何だのそ好き勝手にいう。

そんなやつに和田くんが耐えられるわけがない。
というか、もしかしたらここでまたループするかもか…。
また痛くならないといけんのか…。

〜〜〜〜〜〜 その日の夜 〜〜〜〜〜〜

私はビクビクしながら布団へ入る。
だんだんと意識が遠のいていく…。
だんだん…だんだ…ん……。

気づいたら不思議な空間にいた。夢ではあるけど夢でないということはもう了承済みだ。

「何がいけなかったんですか?」

と前の方にある影に向かって話す。

「目標…だ。」

女の人の声が聞こえる。

「目標?」

と、私は問う。

「そう。あの子が掲げたとある目標を使ってあなたを救わせようと思うの。まあ、頑張ってね。」

という少しタメ口混じりの言葉が聞こえた後、空間が消え、我に帰る。

その時にはもう、朝で頭の痛みがする。日付を見ると4月9日。

「またこの日に戻ってきたの〜!?またやり直しか〜。」