今日は、4月15日。体験入部が始まる日だ。
僕は――吹奏楽部にしか行かないと決めている。だから、ホームルームが終わった瞬間、まっすぐ体験入部の場所へ向かった。

体験入部では、まず3階のコンコースで演奏が披露され、そのあと廊下で楽器体験が行われる。

演奏が終わると、すぐに楽器体験の時間になった。
やっぱり、みんな最初に向かうのはトランペットとかサックスだ。華やかで人気があるのもわかる。

でも――僕は迷わず、トロンボーンのところへ向かった。
なんやかんや言って、結局トロンボーンが一番だと思ってる。

そこには、大好きな先輩もいるし、大嫌いな先輩もいる。
でも、それでも僕は、どうしてもトロンボーンパートに入りたいんだ。

体験のブースに行くと、宮坂先輩がいた。

「お、1番乗りのお客さんだよ〜」

いつものように、楽しそうな声で言ってくれる。

その声が、懐かしすぎて――僕は、ちょっと泣きそうになった。でも、必死にこらえる。

「僕、教科書に載ってるの見て、ずっとやってみたいなって思ってたんですよ」

そう言いながら、トロンボーンに触れてみる。
手に持った感覚が、不思議としっくりきた。

「じゃあ、トロンボーン志望なんだ?」

ポジションを教えてくれながら、先輩が訊いてくる。

「はい! トロンボーン、やりたいです!」

そう答えて、軽く吹いてみた。
そしたら、いつのまにか――カエルの歌を吹いていた。

「おー、カエルの歌吹けるんだ! すごっ!」

「えっ、初めてやったのになんでだろ〜?」

とぼけた調子で返したけど、心の中では思っている。
――まあ、実感では、もう2年くらいトロンボーンやってる感じなんだけどな。

「……変だね。でもね、楽器って、身体が覚えてたりするから。もしかしたら、一回やったことあるのかも。」

その言葉。
どこかで前にも聞いたことがある気がした。

――そうだ、1回目のループのときだったか。

少しずつ、前のループに近づいてきてる。
でも、近づくだけじゃダメなんだ。
きっと、もっと違う出来事が起きないと、ループは抜け出せない。

何か――変えられることはないか。
そんなことを考えているとき、たいてい事件が起こる。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

楽器体験のコーナーは、賑わいを増していた。
廊下の一角には木管、もう一方には金管。順番待ちの列ができ、あちこちで「音が出た!」「難しい〜」なんて笑い声が上がっている。

僕は先輩に勧められ、もうちょっとトロンボーンを体験することになった。

――だけど、ふと、体験している時、何かが引っかかった。
耳の奥で、なにか“ざらつくような音”が聞こえた気がした。

「先輩、あれ……?」

僕は思わず、廊下の奥――誰もいないはずの方へ視線を向けた。
そこには、本来なら楽器を置いてあるだけの楽器倉庫がある。けれど、倉庫の中のケースにしまわれていたはずのバストロンボーンが、廊下に倒れていた。

ただ倒れていただけじゃない。

――ベルが、ぐしゃりと潰れていた。
まるで、何かで強く踏みつけたように、無惨に曲がっている。

「な……っ!」

走り寄ると、宮坂先輩もすぐに気づいたらしく、慌てて僕のあとを追ってきた。

「うそ……え、なんで、こんな……」

先輩の顔から、一気に血の気が引いたのが分かった。

バストロンボーンは、部の中でも結構高価なもので、そして扱いに慎重さが求められる楽器だ。普段は鍵のかかるケースに保管されていて、体験入部のときだけ、先輩たちが交代で目を光らせているはずだった。

けれど、今――この楽器は、破壊されている。

まるで、最初から狙っていたかのように。

ザワ……と、周囲が騒がしくなってきた。
体験に来ていた生徒たちが、「何?」「事故?」とざわめき出す。

そのとき、僕の中で、なにかが“ひっかかった”。

――この景色、知ってる。

いや、見たことがある。
この壊れたベルの曲がり方、照明の反射の角度、宮坂先輩の表情……全部、前にも見た気がする。

(……前のループ、だったか?いや、そんなことなかったし…。)

とにかく、ここで何が起きてたんだ――?

そのとき、背後でスニーカーの音がして、僕は反射的に振り向いた。
そこにいたのは、新入生の一人だった。女子だ。体験入部の説明会でも一度見かけた顔だ。

「へぇ……やっぱり君が先に気づくんだ。面白いものだね。」

不自然なほど落ち着いた声だった。
その新入生は、ほんの少しだけ笑みを浮かべながら、僕を見つめていた。

「なんでそんな顔してるの? まるで、これが初めてじゃないみたいだねw」

心臓が、一拍、ずれたように跳ねた。

「……君、誰?」

そう訊こうとした瞬間、放送が鳴った。

『至急、吹奏楽部顧問の先生、3階音楽室前へ向かってください』

放送の声に紛れて、その新入生は、すっと人混みに紛れた。
まるで最初から、ここにいなかったみたいに。