夜明けまで。

「急な夜這いかい」
 その声に目を開ける。先輩は、俺が思い切り抱き締める腕の中からこちらをじっと見詰めているらしい。月明かりのおかげでそのくらいはわかる。だけど、辺りを見回すと、待合室は何とも無かった。おかしい。今、崩されたはずなのに。
「あれ? え? あれぇ?」
「寝惚けたということにしておこうか。それともこのままどうこうしたい?」
 ようやくマズいと思い至った。すみません、とさっきの影よろしく飛び退く。
「あの、あの、本当にごめんなさい。寝惚けました」
「順序はきちんとした方が良いよ」
 謝りつつ尚も混乱する。絶対に夢では無かった。一方で現実は何も起きていない。夢と現実の狭間で戸惑う俺を尻目に、おやすみ、と先輩は背中を向けた。

 妙な現象ばかり起きる。流石に本気で寝られなくなった。明かりを点けてスマホで動画でも流したい気分だ。だけど先輩はよく眠っている。邪魔をするわけにはいかない。気を紛らわせるために、肩車やさっきの抱擁を思い返す。誠実は今、ほんの少しだけ忘れる。怖いしわけがわからな過ぎるのでプラスの記憶に浸っていたい。
 悶々としている内に不気味な夜は更け、しかし警笛の音が遠くに聞こえた。始発は六時五十分。スマホで確認するとまだ五時十五分だった。時刻表を見る。通常時の始発が五時二十八分発だった。偶々運行しているのか。まあ何でも言い。こんな不気味な土地とはおさらばだ。
「先輩、始発電車が来ましたよ。支度をして乗っちゃいましょう」
 揺すって起こす。その間に電車がホームへ滑り込んで来た。乗る意思を示さないと置いて行かれてしまうかも。待合室の扉の鍵を開けようとして。
「開けるなっ」
 先輩が鋭く叫んだ。そしてすぐに手まで掴まれる。
「絶対に開けるな。そしてあれには決して乗らない。見ていて御覧」
 先輩は俺を後ろから掴まえたまま小声で、でもきつく言い含めた。電車のドアが開き、降りて来たもの。それは。
 透明な影達だった。山から下りて来た巨大な黒い影とは違い、等身大で、不定形だ。一斉に改札を通り抜け、俺達の目の前を横切り、町へと散って行く。数秒の間に全て行ってしまった。
 先輩は、気になって調べたんだ、と呟いた。
「冬季に運行が減る理由をね。そうしたら、過去にこの路線で吹雪で立ち往生をした列車が雪へ生き埋めにされたという事故を知った。亡くなった方の中にはこの辺りの町や山、海の方面にお住まいの方もいらしたのかも知れない」
「……じゃあ、今のは。いえ、俺の腕を引っ張ったのも、山から下りて来たあの影も」
 先輩の手が俺の口を塞ぐ。
「それ以上は言わないでおきなさい。陽が上り、始発列車に乗って、街中へ戻ったら話そうか」
 そっと離れた。電車は走り去って行く。俺はその場に崩れ落ちてしまった。先輩を見上げる。