「河西くん、これお願い」
「わかった」
文化祭の準備が進み、クラスでの作業も増えてきた。今日は教室内の装飾や、必要なものを作っている。既製品で買えるものは買うことにはなっているが、なにぶん予算がある。作れるものは作らないといけない。飾りや看板、メニューやチラシ等の細々とした必要物はけっこうあり、みんなが手分けして取りかかっている。章人はメニュー作りの補佐で、喫茶メニューがプリントされた紙をラミネートしていく。
そんなときでも気になってしまうのが、里村だ。
里村は基本なんでもできるから、どの作業に加わっても助けになる。今は看板作りの手伝いをしていて、全体の色合いと字のバランスについて相談をしているようだ。
「うん。ここは水色のほうが優しい雰囲気になるかも」
「そっか」
クラスメイトと話している里村に視線を送り、近頃恒例のため息が出る。困ったことに、章人はこのところため息と仲良しだ。気がつくと吐き出している。
「どうしたの?」
隣の女子から声をかけられ、はっとする。女子は章人の視線の先を目で追い、「ああ」と呟いた。
「里村くん? そういえば最近一緒にいないね」
「……うん」
昨日、どうしてるかな、と連絡をしようとして気がついた。
章人は里村の連絡先を知らない。
学校ではいつも一緒にいたから、家に帰ってまで連絡をしようなんて気にならなかった。そもそも章人は里村が嫌いなのだ。連絡先の交換などするはずがない。里村からもそんなことを言われた覚えもない。
なんだかんだで、表面上だけのかかわりだったのかもしれない。必要以上に近づいていなかったことに気がつき、虚しさが襲ってきた。たぶん、今もそうだ。章人だけが里村を気にしていて、里村はもう章人のことなど興味を失くしている。またため息が出た。
クラスのグループチャットには里村も登録しているけれど、他のクラスメイトの目もある。こんな、自分でもよくわからない気持ちが表れた文章など、入力する勇気はない。
「あ……」
里村を見ていたら、振り返った里村がこちらに近づいてきた。どきんと鼓動が速くなり、緊張しはじめる。なんとなく前髪を手で直していたら、里村は章人の隣の女子に声をかけて、もとの作業に戻っていった。
なに期待してんだよ、俺。
あんなに近づいたのに、目も合わなかった。本当にもう章人に興味がないのだ。事実を事実として、そのまま受け止められない。
「……なんだよ」
「どうしたの?」
章人の投げやりな呟きに、たった今里村に話しかけられていた女子が首をかしげる。若干のもやっとしたものを感じながら、女子からも里村からも目を逸らした。
「いや、なんでもない」
そんなに避けたいのか、と思えば思うほどにいらいらしてくる。でもどうしていらいらするのかもわからない。せいせいして気分がすっきりするのが正しい反応だろうに、そうならない。
「ただいまー」
買い出しに行っていたグループが戻ってきて、教室内がまた活気づく。がやがやと賑やかな中で笑っている里村にいらいらする。その視線に気がついたのか、メニュー作りの作業をしていた他の男子が肩を組んできた。
「里村に振られちゃったな、河西」
「……なんで俺が振られたことが前提なんだよ」
「え、違うの?」
男子は目を丸くし、章人はなんとも言えない気持ちになる。たしかに里村よりも章人のほうが、振られる立場としてしっくりくる。それも虚しい。
そういえば、クラスメイトとのこういうやり取りも久しぶりだ。章人がずっと想像していたとおり、里村が離れていったら他愛のない会話もなくなっていた。
「……?」
視線を感じて振り向くと、里村が見ていた。目が合ってなぜかほっとする。でもすぐに逸らされて落胆した。
「なんだよ、里村がそばにいなくて寂しいのか?」
組んだ肩を揺らされて、どきんとする。緊張と恥ずかしさが入りまじった複雑な気持ちで、なんとか首を横に振った。そんなんじゃない。
「寂しいのかー。だよな、あんなにくっついてたもんな」
うんうん、と男子が頷くので、やはりなんとも言えない気持ちになる。肯定も否定もしたくないし、できない。
「じゃあ、このあとみんなで遊びに行かない? そろそろ作業も終わるし」
男子と章人のやり取りを聞いていた隣の女子が、身を乗り出して提案してきた。たしかにメニューもできあがって、飾りやチラシ作りのグループも片づけをはじめている。看板作りがちょうど一段落しそうなところだ。
「ううん、いい。ありがと」
声をかけてくれたことは嬉しいけれど、そんな気分になれない。残念がる男子と女子に愛想笑いを返しながら、視線はやはり里村をとらえる。ペンキの片づけをしているうしろ姿に、数人の女子が声をかけている。里村は数度頷いたあと、「いいよ、行こうか」と答えた。あちらも遊びに誘われたようだ。しかも里村は行くらしい。
もやもやが心から追い出せない。里村がなにをしていてもいらいらする。里村の存在が思考に引っかかって、他のことを考えられない。
「おはよー、悠誠くん」
「おはよう」
声をかけた女子に、にこやかに挨拶を返す里村を、ぼんやりと見つめる。
里村から絡まれなくなって二週間が経った。毎日は静かに穏やかにすぎていく。あの賑やかな日々は夢だったのかと思ってしまうくらい、里村は章人に近づかない。
自分の席に行った里村を、窓側の一番うしろの席から眺める。二週間のうち、はじめの一週間は里村のことばかり見ていた。次の一週間は自分の気持ちと向き合った。本当に里村が嫌いかどうか。結論はまだ出ていない。
可愛いと言われたくない章人に絡んできて、可愛い可愛いと連呼する嫌なやつとしか思っていなかった。でも一週間考えて、いろいろと思い起こして気がついた。里村はいつでも章人に優しかった。さりげなくそばにいて、笑いかけていた。授業でわからないところを聞いてくるのも、たぶん章人がそこでつまずくだろうと気を配ってくれていたのだ。
今さら気がついてもな。
そう、今さらだ。それでも目が勝手に里村を追う。絡んでこられれば嫌がって、離れていかれたら追いかけて。自分勝手すぎてほとほと呆れる。また可愛いと言ってほしいなんて――今さら。でも、ため息が教えてくれる。『今さら』を叶えてほしいと願っている自分がいる。
また一日が静かにすぎていく。望んだものはこんな学校生活だったのかと考えてみても、わからない。ただ、里村がそばにいることが当たり前だった。
スクールバッグを持って教室を出る。誰も追いかけてこない背後を見やり、ため息を落とした。
「違うよな」
俺が望んだのは、これじゃない。
葛藤が胸の内で渦巻く。里村が嫌いだったはずなのに、気になって仕方がない。そんな自分にもやもやする。もしかして、いやでも、いやいやまさか――それを繰り返し、頭に浮かぶ『ふた文字』の気持ちに何度も頭を振った。
里村はいつも優しくて、章人の足りないところや取りこぼすところを支えてくれた。太陽に向かう花をまっすぐにしようと、そっと寄り添う支柱のように。たしかに好意を向けられていた。その気持ちに対して、自分は?
里村をどう思っているかわからない。でも思考より心のほうが素直で、可愛いと言われてもいいし、以前のように戻りたいと望んでいる。だって里村が笑っていた。あの優しい笑顔がそばにあることがなにより落ちつくと、ようやく気がついた。
俺は、里村が……。
「わかった」
文化祭の準備が進み、クラスでの作業も増えてきた。今日は教室内の装飾や、必要なものを作っている。既製品で買えるものは買うことにはなっているが、なにぶん予算がある。作れるものは作らないといけない。飾りや看板、メニューやチラシ等の細々とした必要物はけっこうあり、みんなが手分けして取りかかっている。章人はメニュー作りの補佐で、喫茶メニューがプリントされた紙をラミネートしていく。
そんなときでも気になってしまうのが、里村だ。
里村は基本なんでもできるから、どの作業に加わっても助けになる。今は看板作りの手伝いをしていて、全体の色合いと字のバランスについて相談をしているようだ。
「うん。ここは水色のほうが優しい雰囲気になるかも」
「そっか」
クラスメイトと話している里村に視線を送り、近頃恒例のため息が出る。困ったことに、章人はこのところため息と仲良しだ。気がつくと吐き出している。
「どうしたの?」
隣の女子から声をかけられ、はっとする。女子は章人の視線の先を目で追い、「ああ」と呟いた。
「里村くん? そういえば最近一緒にいないね」
「……うん」
昨日、どうしてるかな、と連絡をしようとして気がついた。
章人は里村の連絡先を知らない。
学校ではいつも一緒にいたから、家に帰ってまで連絡をしようなんて気にならなかった。そもそも章人は里村が嫌いなのだ。連絡先の交換などするはずがない。里村からもそんなことを言われた覚えもない。
なんだかんだで、表面上だけのかかわりだったのかもしれない。必要以上に近づいていなかったことに気がつき、虚しさが襲ってきた。たぶん、今もそうだ。章人だけが里村を気にしていて、里村はもう章人のことなど興味を失くしている。またため息が出た。
クラスのグループチャットには里村も登録しているけれど、他のクラスメイトの目もある。こんな、自分でもよくわからない気持ちが表れた文章など、入力する勇気はない。
「あ……」
里村を見ていたら、振り返った里村がこちらに近づいてきた。どきんと鼓動が速くなり、緊張しはじめる。なんとなく前髪を手で直していたら、里村は章人の隣の女子に声をかけて、もとの作業に戻っていった。
なに期待してんだよ、俺。
あんなに近づいたのに、目も合わなかった。本当にもう章人に興味がないのだ。事実を事実として、そのまま受け止められない。
「……なんだよ」
「どうしたの?」
章人の投げやりな呟きに、たった今里村に話しかけられていた女子が首をかしげる。若干のもやっとしたものを感じながら、女子からも里村からも目を逸らした。
「いや、なんでもない」
そんなに避けたいのか、と思えば思うほどにいらいらしてくる。でもどうしていらいらするのかもわからない。せいせいして気分がすっきりするのが正しい反応だろうに、そうならない。
「ただいまー」
買い出しに行っていたグループが戻ってきて、教室内がまた活気づく。がやがやと賑やかな中で笑っている里村にいらいらする。その視線に気がついたのか、メニュー作りの作業をしていた他の男子が肩を組んできた。
「里村に振られちゃったな、河西」
「……なんで俺が振られたことが前提なんだよ」
「え、違うの?」
男子は目を丸くし、章人はなんとも言えない気持ちになる。たしかに里村よりも章人のほうが、振られる立場としてしっくりくる。それも虚しい。
そういえば、クラスメイトとのこういうやり取りも久しぶりだ。章人がずっと想像していたとおり、里村が離れていったら他愛のない会話もなくなっていた。
「……?」
視線を感じて振り向くと、里村が見ていた。目が合ってなぜかほっとする。でもすぐに逸らされて落胆した。
「なんだよ、里村がそばにいなくて寂しいのか?」
組んだ肩を揺らされて、どきんとする。緊張と恥ずかしさが入りまじった複雑な気持ちで、なんとか首を横に振った。そんなんじゃない。
「寂しいのかー。だよな、あんなにくっついてたもんな」
うんうん、と男子が頷くので、やはりなんとも言えない気持ちになる。肯定も否定もしたくないし、できない。
「じゃあ、このあとみんなで遊びに行かない? そろそろ作業も終わるし」
男子と章人のやり取りを聞いていた隣の女子が、身を乗り出して提案してきた。たしかにメニューもできあがって、飾りやチラシ作りのグループも片づけをはじめている。看板作りがちょうど一段落しそうなところだ。
「ううん、いい。ありがと」
声をかけてくれたことは嬉しいけれど、そんな気分になれない。残念がる男子と女子に愛想笑いを返しながら、視線はやはり里村をとらえる。ペンキの片づけをしているうしろ姿に、数人の女子が声をかけている。里村は数度頷いたあと、「いいよ、行こうか」と答えた。あちらも遊びに誘われたようだ。しかも里村は行くらしい。
もやもやが心から追い出せない。里村がなにをしていてもいらいらする。里村の存在が思考に引っかかって、他のことを考えられない。
「おはよー、悠誠くん」
「おはよう」
声をかけた女子に、にこやかに挨拶を返す里村を、ぼんやりと見つめる。
里村から絡まれなくなって二週間が経った。毎日は静かに穏やかにすぎていく。あの賑やかな日々は夢だったのかと思ってしまうくらい、里村は章人に近づかない。
自分の席に行った里村を、窓側の一番うしろの席から眺める。二週間のうち、はじめの一週間は里村のことばかり見ていた。次の一週間は自分の気持ちと向き合った。本当に里村が嫌いかどうか。結論はまだ出ていない。
可愛いと言われたくない章人に絡んできて、可愛い可愛いと連呼する嫌なやつとしか思っていなかった。でも一週間考えて、いろいろと思い起こして気がついた。里村はいつでも章人に優しかった。さりげなくそばにいて、笑いかけていた。授業でわからないところを聞いてくるのも、たぶん章人がそこでつまずくだろうと気を配ってくれていたのだ。
今さら気がついてもな。
そう、今さらだ。それでも目が勝手に里村を追う。絡んでこられれば嫌がって、離れていかれたら追いかけて。自分勝手すぎてほとほと呆れる。また可愛いと言ってほしいなんて――今さら。でも、ため息が教えてくれる。『今さら』を叶えてほしいと願っている自分がいる。
また一日が静かにすぎていく。望んだものはこんな学校生活だったのかと考えてみても、わからない。ただ、里村がそばにいることが当たり前だった。
スクールバッグを持って教室を出る。誰も追いかけてこない背後を見やり、ため息を落とした。
「違うよな」
俺が望んだのは、これじゃない。
葛藤が胸の内で渦巻く。里村が嫌いだったはずなのに、気になって仕方がない。そんな自分にもやもやする。もしかして、いやでも、いやいやまさか――それを繰り返し、頭に浮かぶ『ふた文字』の気持ちに何度も頭を振った。
里村はいつも優しくて、章人の足りないところや取りこぼすところを支えてくれた。太陽に向かう花をまっすぐにしようと、そっと寄り添う支柱のように。たしかに好意を向けられていた。その気持ちに対して、自分は?
里村をどう思っているかわからない。でも思考より心のほうが素直で、可愛いと言われてもいいし、以前のように戻りたいと望んでいる。だって里村が笑っていた。あの優しい笑顔がそばにあることがなにより落ちつくと、ようやく気がついた。
俺は、里村が……。



