二日の夜、坂口はアルバイト先から帰った後、ネットサーフィンをしていた。

 地獄館で検索をかけると、いくつかの情報がヒットした。
実際に地獄館に行った人の体験レポートや、ネット掲示板での地獄館に関するスレッド。
SNSでも、地獄館に行った後行方不明になった友だちを探している、という高校生の書き込みがあった。
どうやら溝井涼介以外にも、あそこに行った後行方不明になった若者がいるようだ。
そんななか、地獄館を訪れた「Kパパ」のブログには大いに興味を惹かれた。


 ブログの他の記事は、趣味のバイクのことや育児のことなど、他愛もないことが多い。
しかしオカルトマニアらしく、ホラー映画のレビューや超常現象に関する考察もあった。
最後の記事は地獄館を訪れたレポートとなっていて、日付は今年の五月になっている。


 消せないというコメントに坂口は戦慄した。
「んが」というHNは本当に人間の書き込みだろうか。Kパパの返信もおかしい。
もちろんオカルトブログを書くような人間だから、演出としてふざけてやっているのかもしれない。
しかし赤ん坊が写り込んだという心霊写真は、将人が見せてきたスクリーンショットにあった写真と、酷似していた。


 同じ場所で撮ったのだから背景が似ているのは当たり前だが、写り込んだものが似ているのである。
ぼんやりとした輪郭、ぽっかり空いた目と口、どこか悲しささえ窺(うかが)えるその表情。
もちろんどちらも作り物だという可能性は否めないが、胃の底から悪い予感がせり上がってきて、背筋が震えるのを止められなかった。


 地獄館でいったい、何が起こっているのか。


 坂口はもう一度ブログをつぶさに確認してみた。
すると既に更新が止まっていたと思っていたブログに新しい記事を見つけた。
「限定公開」とあるからすぐに見つからなかったのだろう。記事にはパスワードがかかっている。
一瞬あきらめかけたが、坂口はキーボードをタイプした。

 Jigokukan、と打ち込むと、あっけなくロックが開いた。


 ブログには「んが」というタイトルと、文字はなく、写真が一枚貼り付けられているだけだった。
男がひとり、廃墟に佇んでこちらを見つめている。いや、睨んでいる、と言ったほうが正しいするどい目をしていた。
Kパパが地獄館にもう一度行き、自分を撮ったものなのかと思ったが、だとしたらこの写真を撮っている人間は誰なのだろうか。
それにKパパはブログの自己紹介では三十代と書いていたが、この男はどう見ても二十歳かそこそこだ。

 グレーのシャツにジーンズ、暗い男の目。じっと見ていると引き込まれそうになり、ぐわわわっと胃の底から何かがせり上がってきて、あわててパソコンをシャットダウンした。

 坂口は将人に連絡した。実際に地獄館に行ってみよう、と。




 地獄館はI市とH市の境目、Zトンネル付近にある。

 Kパパがブログに書いていたとおり、このあたりは八十年代に開発され、十件ほどのラブホテルが建ち並んだ。
しかし今ではそのすべてが廃墟と化し、地獄館以外のホテルも庭は雑草が生い茂り、ゴミや廃車が放置され、不気味な雰囲気を醸し出している。

「こんなにラブホテルがあるのに、地獄館にだけ怖い噂が集中するのはどうしてだろう」

 立ち入り禁止のロープが張られた手前で運転手の将人がエンジンを切り、ふたりは車を降りる。将人は坂口の言葉に考え込むように眉根を寄せた後、言った。

「たしかにそれはおかしいよな。俺が調べた限り、他のホテルにもいくつか噂はあったけど、地獄館だけなんか突出してるんだよ。やっぱり、実際に事件があったっていうのが大きいんだと思うけど」

「女子高生が赤ん坊を殺した事件?」

 Kパパのブログ記事を思い出す。自分とそんなに歳の変わらない人間が起こした事件だから、坂口も印象に残っていた。

「俺も調べたけど、たしかに二〇〇五年にあったらしい。ネット記事が残ってた。その女子高生は少年院に入ったらしいよ、まあやったことがやったことだからな。その後どうなったのかは知らないけど。まあ、事件のことなんてなかった顔して、普通に生きてんじゃね?」

 将人が言いながら長い脚をつかつかと動かし、地獄館の入り口に向かっていく。

 地獄館の庭はKパパのブログで見たとおり、セ イタカアワダチソウがここぞとばかりに生い茂って、進行方向を邪魔していた。
むせ返るような草のにおいが漂い、雑草をかき分けながら前に進む。
何度か何かに足を取られそうになり、ひやひやした。
心霊スポットに今まさに立ち入ろうとする自分に、目に見えないものが警告しているような気がした。

 ドアが外れた入り口から中に入る。昼間なのにまったく日の光が差さない。
スマホのライトで周囲を照らすと、受付のカウンターと順番待ちの客のためだろう、椅子が見えた。
カウンターには分厚く埃が積もり、椅子も表面の革の部分が破れている。

「誰かがここで煙草吸ってるな」

 将人が足元に散らばった吸い殻を照らす。
Kパパのブログにあったとおり、暴走族が出入りしているらしい。

「もしここにハルが隠れているとしたら、どこにいるだろう」

 坂口はずっと頭にあった可能性を口にした。晴彦はSNSに書き込んでいたとおり、行方をくらました。
もし本当に呪われていたとしたら、何者かに引き寄せられるように再びここを訪れてしまったのかもしれない。
この際どんな形でも晴彦が生きていれば坂口はそれでよかった。
たとえ不可解な存在に魂を乗っ取られ、人としての正しい心を失っていたとしても。

「床に靴の跡があるから誰かが最近入ったんだとは思うけど、誰かまではさすがにわからないな。たぶんSNSにあった、肝試しに来た高校生じゃないかね」

 将人が周囲を調べながら言った。ふたりは慎重に地獄館の調査を進めていく。
非常階段を上り、ひとつひとつの部屋の扉を開け、中に誰かいないか確認する。
晴彦がどこかにいるかもしれないという淡い期待が坂口の胸を昂(たかぶ)らせた。

 そうこうしているうちに、四階についた。
 途端、ざわりと冷たいものが坂口の背筋を駆け上がった。

 坂口は霊感の類はまったくないが、そんな人間でもわかるくらい、空気の質があきらかに変わったのだ。
外でぎいいい、と何かの鳥が声を張り上げて、その不気味な鳴き声に心臓が飛び跳ねる。
将人も同じ気持ちだったのだろう、こわばった表情で足を止めた。