湘南大学の構内には学食が三か所ある。

 先ほど小山内静佳に会ったのがいちばん大きく、人気のあるカフェテリアで、いつも多くの学生で賑わっている。
他には福祉学部の校舎に一か所、理工学部の校舎に一か所あるが、こちらはメニューが少なく、味もいまいちなので学生からは不評だった。

 将人と待ち合わせていたのは理工学部の食堂だった。


「ハルから連絡はないんだよね」

 事前にラインで聞いていたが確認するように言う。
コーヒーを飲んでいた将人が脚を組み替えた。
背が高く脚もすらりと長い将人がこういう仕草をすると、モデルのように様になる。


「うん、ずっとない。坂口んとこにもないんだろ?」
「ないよ。こんなこと、今までなかったのに」


 晴彦が行方不明になってもう十二日が過ぎた。ずっと連絡がつかないので心配していたら、知らない番号から着信があった。
晴彦の母親だった。晴彦が坂口の家に行ったあの夜以来連絡がなく、家にも帰っていないので心配しており、何か知らないかということだった。
坂口は晴彦が誰かにつけ狙われていると怯えていた話をすると、母親は神妙な口ぶりで警察に伝えておくと言った。


「どこかで旅でもしてたらいいけど」
 坂口が言うと将人は即座に否定する。


「旅? あいつそんなキャラじゃないじゃん」
「いや人はわかんないよ、案外旅好きだったりするのかもしれない。自分探しの旅にふらっと出て、スマホの充電器忘れて電源落ちたとか、そういうオチかも」

「仮にそうだとして充電器なんてコンビニで買えるだろ。あいつの性格からして、旅なんか出たら俺たちにぜったい連絡が来る。どこに行ったとか何を食べたとか、写真送って自慢してくる」


 それもそうだと思ったので坂口は何も言えなくなった。
もし坂口の想像どおり、晴彦がふらりと旅に出ただけで、あと一週間もして出た時と同じようにふらりと帰ってきたら、どんなにいいだろう。
 晴彦がいなくなったことで、坂口の中にはぽっかりと大きな穴が空いている。


「お前、SNSでハルの情報集めてるんだろ。なんか収穫あった?」
「特には。心配してますとか、早く見つかるといいですねとか、そういうコメントくれる人はいるけれど、手がかりになるようなことは何も」
「まあそんなもんだよな」
「でもね」


 坂口がスマホ画面をタップし、SNSのアプリを開く。画面に『rabbit_spring』というハンドルネームが表示される。


「このアカウント、ハルだよね?」


 将人が慎重な手つきでそのアカウントをスクロールする。
画面には三人でファミレスに行った時に食べたものや、晴彦のお気に入りのアニメに関する投稿、晴彦がとっていた授業の教科書などが次々と表示される。
どこに行った何をした、すべてが坂口と将人の記憶と合致する。


「ああこれ、ハルのアカウントだな。俺も相互フォロってるけど。なんか変な投稿でもしてたか? 覚えないが」
「三週間前に気になること書いてるんだ、ハル」

『地獄館マジこわすぎ! なんか持って帰っちゃった感じがする。俺呪われたかも』――という投稿を坂口は指差す。
過疎アカウントには珍しく五百件以上のインプレッションがついていた。


「地獄館って、このへんにある有名な心霊スポットだよね? ハルはそこに行ってた。僕と会った時も気になること言ってたんだ、最近つけ狙われてるって。ストーカーとは違う、人間じゃない気がするとも言ってた。将人はそんな話は聞いてない?」


 一笑に付されるかと思った。坂口は理工学部に籍を置く典型的な理系人間でオカルトなど不確かなものは信じないが、将人は坂口以上にその傾向は強い。
しかし将人は馬鹿にすることも笑うこともなく、自分のスマホを出してSNSのアプリを起動させる。


「地獄館のことだろ。ちょっとした話題になってる、このyumiyumiって子なんて、地獄館に行った後彼氏が行方不明になったらしい。坂口と同じだよ、SNSを使っていなくなった彼氏を探してる」


 将人のスマホの画面にはyumiyumiという女の子の彼氏を探す文面があった。

『溝井涼介を探しています。七月十五日、地獄館に行った後行方がわかりません。身長百六十六センチ、やせ型、金髪。行方不明当時の服装、ポロシャツにスラックス』
「この子にDMして話を聞いたんだ」


 坂口は少し驚いていた。どこにでもある行方不明の話なのに、どうしてここまで興味を示したのだろう。地獄館に行ってから行方不明、というところに惹かれたのだろうか。しかし将人はオカルトに否定的なはずだ。


「そん時、yumiyumiから送られてきたのがこのラインのスクショ。俺も最初はふざけてるのかと思ったけど、この心霊写真、よく見たらたしかに写ってるんだよな。俺には赤ん坊の顔に見えるんだけど、坂口はどう思う?」


 それは廃墟のラブホテルを写していた。
受付のカウンターの横にどっしりとした椅子が二脚並んでいるのがわかるが、暗すぎて全体的に不明瞭だ。
左下にぼんやりと、顔のようなものが写り込んでいる。
目を見開き、口を大きく開けて泣いているような顔。
たしかに将人の言うとおり、赤ん坊のようにも見える。


「地獄館の四〇四号室に入ったら赤ん坊の声まで聞こえてきたらしい」
「それ、空耳かなんかじゃないの? 風の音がそう聞こえたとか」

「俺もそう思ったけど、その後溝井涼介は行方不明になっている。しかも追われてるって、晴彦の状況と少し似てないか? ハルも地獄館に行った後、つけ狙われてるとか言ってたんだろ。同じじゃん」


 坂口はぎゅっと眉根を寄せた。
心霊スポットに行ってとり憑かれて、人ではないものに存在を消されるなんてまるでホラー映画の世界の話だ。現実思考の坂口が簡単に信じられることではない。
しかし現に溝井涼介も、晴彦も地獄館に行った後に行方不明になっている。
幽霊が関わっているかどうかはさておき、何か関連があると見ていいだろう。


「俺、もうちょっと地獄館のこと調べてみるわ」
 将人が言った。声にたしかな力があった。


「ハルのことは情報が入らない限りは動けないし、このセンから調べてみてもいいと思う。あそこに何かあるとしか、俺には思えない」
「僕も調べてみるよ」

 坂口がそう言うと将人は深くうなずいた。

 食堂の入り口で将人と手を振って別れたその直後、将人はさっそく小山内静佳のような、華やかなタイプの女の子に話しかけられていた。
ねっとりと耳にまとわりつくような女の子の甘ったるい声が、将人への好意を隠そうともしない。


 校内校外問わずモテている将人だが、今彼女はいるのだろうか。どうでもいいことだが、ちらりと思った。