私が死んでもう、三十年になる。

 死んでからの三十年はあっという間で、幽霊となった私にも世の中がこの短い間でどんどん変わっていったことはわかる。
私が死んだ時にはまだ普及して間もなかった携帯はいつのまにかスマートフォンと呼ばれるようになり、インターネットで誰とでも手軽につながれるようになった。世界は狭くなった。

ネットのなかには今でも私が死んだことが書かれているのに、私を殺したあの男は未だに捕まっていない。
しかも、私が殺された「ヘブン」は廃墟になってしまって、好奇心に駆られた若者たちが肝試しに訪れ、騒がしくて仕方ない。

 私は一九七一年の生まれ。青春時代は、不良少年少女の全盛期だった。

 制服のスカートを引きずって歩くほど長くするのが流行り、髪を染める子が多かった。
かくいう私もそんな流行に漏れず、派手で格好いい不良に憧れて、親をあわてさせた。

そんな格好をすると当然周りには似たような不良少年が集まってきて、彼らと酒を飲んだり煙草を吸ったり、シンナーをやったりした。万引きや恐喝こそやらなかったが、傍から見れば似たようなものだっただろう。

 もともと勉強はまったくできなかったけれど、不良になってから余計に成績は落ちた。
一年留年して高校を卒業した後はまともに働くのがかったるく、夜の世界に足を踏み入れた。
借金に苦しんでいたとか、夢のためにお金が必要とか、そんな真っ当な理由じゃない。
ただ私は享楽的で刹那的な青春時代が楽しくて、きらきらした毎日を延長させたいがためにキャバクラ嬢になったのだ。

 キャバの仕事は、楽しかった。お酒を飲んでおじさんたちと話をして、媚を売るだけでお金がもらえる楽な仕事。
途中でバブルは弾けてしまったけれど、まあそのうちきっとこれから持ち直すだろう、という楽観的な空気が漂っていたので、ダメージはほとんどなかった。

ただしゃべって笑っているだけで、ブランドバッグもアクセサリーもなんでも手に入った。
私はキャバ嬢として勝ち組だった。ナンバーワンにこそなったことはないが、常に指名でも上位にいたし、客が取れなくて困ったことなんてなかった。
このままずっと楽しくきらきらした、竜宮城のなかにいるような日々が続くと思っていた。

 その男に会ったのは、二十三歳の時だった。

 同僚に連れられてやってきた彼は、ひと目でこういう場所に慣れていないとわかった。
いかにも冴えない真面目だけが取り柄というおとなしそうなおじさんで、お酒にも弱くすぐに顔を赤くした。

最後に女の子と付き合ったのいつ?と聞くと、小学五年生の時だと答えた。
席替えで隣の席になった子を好きになって、ラブレターを渡したら「わたしも好き」と言ってもらえたけど、その子が転校してそれきりになってしまったという。
思春期の入り口のほのかな恋の思い出が、彼の唯一の恋だった。

 新しいカモを見つけた、と思った。

 ちょっとやさしくして軽くボディタッチして甘い言葉をささやいたら、彼は一瞬で私のとりこになった。
欲しいものはなんでも買ってくれたし、おいしいお店にも連れていってくれた。
私にかけるお金に糸目はつけない、という男だった。
店でもがんがん高い酒を入れてくれるので、私は念願のナンバーワンになった。

すべてうまくいっている、と思っていた。

 そのうち彼は、「僕と結婚してほしい」と言いだした。

 客を本気にさせてこそキャバ嬢だと思っていたけど、結婚してほしいとまで言いだした男ははじめてだった。
鼻で笑いそうになったけど、私はそこで嘘の苦労話をでっちあげた。
死んだ親の借金を返済するために働いている、それを清算するまではやめられない、きっとあなたに迷惑をかけるから結婚できないと言うと、彼はあっさり私の嘘を信じてくれた。

 彼は毎月給料日になると、私の口座に多額のお金を振り込んでくれた。借金返済に充ててくれということらしい。
当然借金なんてないので、ブランド品やエステに使い込んだ。
女の嘘をなんでも信じてくれて疑いもしない。私は彼がかわいかった。

 そのうち、私たちの関係は不穏なものになっていった。
いつになったら借金を返し終わるの、僕は毎月かなりのお金をあげているのに。僕と本当に結婚する気あるんだよね?
と何度も繰り返す男を見て、ようやく疑われ始めたのだと感じたが、彼を手放す気にはなれなかった。
このカモは、まだまだ使える。もっと搾り取ってやらなければ。私はその場の嘘と笑顔で誤魔化し、彼から搾取し続けた。

 その日、店外デートの最後で、彼はホテルに誘ってきた。
断ったけど、どうしてもふたりきりで話がしたいとものすごい勢いで迫ってきたので、断れなかった。
ホテルにつくと、彼はおもむろに皮手袋をはめだした。

不自然に思ったが、そのうちにテーブルの上に並べられた資料を見てそれどころではなくなってしまった。
彼は探偵を使って、私のことを調べ上げたらしい。私に借金などないことが証明されてしまい、嘘はあっさりと暴かれた。

 どういうつもりなのか、僕を騙して楽しかったのか。嘘を信じる馬鹿な男を自分の手のひらでころころ転がすのがそんなに面白かったのかと、今までにない強い言葉で責められた。

私は観念して謝ったけど、はっきり言った。
キャバクラは女が男に夢を見させる場所。
夢を現実と勘違いするのは馬鹿だし、私に貢いだのはあなたの意思でしょ。私に責任なんてない、と。


 あらかじめ決意していたんだろう。彼は包丁を取り出した。


 当然、抵抗した。狭い部屋の中を必死で逃げ回ったけど、彼の身のこなしはすばやく、あっという間に壁際まで追い詰められた。
最初に首を切りつけられ、熱い痛みが走った。
自分の首からぴゅうと真っ赤なものが噴水のようにほとばしるその光景を、スプラッタ映画のワンシーンを見るように眺めていた。

次に右腕、胸、左胸……全身を切りつけられ、最後はお腹にぶすりと包丁が刺さった。
ばったりと倒れ、痛みのなかで徐々に遠くなっていく意識のなか、私は真っ青になってぶるぶる震えている男を見ていた。

 それからあっという間に三十年が過ぎてしまった。
私が死んだ四〇四号室では風俗嬢が自殺し、隣の四〇三号室で赤ん坊が殺される事件が起きた。

別に私が事件を起こしているわけではない。
なぜかこの地獄館にはこの世の不幸をひとりで背負っているような人間がよく訪れては、妙な事件を起こす。
最近は男の霊まで棲みつきだして、最初はひとりだったのにだいぶ賑やかになった。
もっとも、幽霊同士だからといって言葉を交わすことはないのだが。

 朝から晩までずっと地獄館を漂い、眠ることもできない日々が三十年続いている。
まるで独房の中の死刑囚だ。それよりひどいかもしれない。

私は今でも、こんな目に遭うようなことをした覚えはないのに。