「小山内にコクった」
前期のテストが終わった日の夜、坂口のワンルームのアパートを訪れた晴彦は言った。一年前に群馬の田舎を出て以来ずっと住んでいるワンルームは、ふたりが座ると狭苦しいほどである。
「どうだった?」
「もちろんフラれたよ。小山内、バイト先のひとつ年上の男と付き合ってんだって」
はーあ、と晴彦が地の底まで届くような長いため息をつく。
「そりゃさあ、俺だってうまくいったらラッキーくらいの気持ちではいたよ、相手が小山内ともなればこういうことは想定内だったし。でも後期始まったらどうすんだよ、学校で顔合わせんのめっちゃ気まずい」
「学部違うんだからそんな頻繁に会うことないでしょ」
「だとしても学食とかで会うじゃん」
「そんなの気にしちゃ駄目だって。小山内さんは所詮、高嶺の花だったってことだよ」
「だよなーあんなかわいい子が、俺みたいなサエない童貞、相手にするわけないよな」
「高嶺の花だと知ってコクった勇気を褒めてあげる」
そう言って坂口は冷蔵庫に行き、ビールを二本取り出して一本を晴彦に差し出す。
「飲みなよ」
「俺誕生日十月だから、まだ十九なんだけど」
「いいじゃん、こういう日くらい」
それもそうか、と晴彦は言ってプルタブを開ける。ぷしゅう、と威勢のいい音がして泡が少し漏れ出した。ひと口だけこくりと飲むと、晴彦は眉根を寄せる。
「どう、未成年飲酒の味は」
「苦い。めっちゃ苦い」
「失恋の苦さだね」
そのままふたりでちびちびとビールを飲みつつ、坂口は晴彦が持ってきたアニメのDVDをプレーヤーに押し込んだ。
一年生の頃、引っ込み思案な性格が災いして友だちを作れず、授業の合間の教室移動やお昼に学食でご飯を食べる時他の学生たちが、ずっと誰かと行動を共にして楽しそうにしているのを、坂口はテレビの向こうの出来事のように見つめていた。そんな坂口に声をかけてきたのが晴彦だった。
「リュックにつけてるその缶バッジ、『デッドヒストリー』のだろ。俺も好きなんだ」
坂口が中学生から愛好している『デッドヒストリー』は、高校生の男女が集められてロボットに乗り闘って地球の危機を救うという、何度も焼き増しされたような設定のアニメだ。
ロボット同士の戦いのシーンが格好よく、CGの完成度も高いので、ロボットアニメファンから強い支持を得ている。
それをきっかけに話すようになった晴彦とは、趣味が合った。『デッドヒストリー』の他にも坂口が見ていたすべてのアニメを、驚くべきことに晴彦は視聴済みだった。
坂口は九十年代の古いアニメも見ていたが、そういうものも晴彦はコンプリートしていた。
自然と大学構内で晴彦と過ごす時間が多くなった。
晴彦の高校時代の同級生である権(ごん)田(だ)将(まさ)人(と)ともよく話した。
将人はアニメにはあまり興味がなく、容姿に恵まれているのをいいことに女の子を口説くことに命をかけているタイプで、坂口とはあまり気が合わなかったのだが、晴彦の友だちなので無下にもできなかった。
晴彦は時折、坂口のアパートを訪れた。ふたり、徹夜でアニメのDVDを鑑賞しながら、他愛もない話をする。高校生の頃はこんなに気の合う友人には恵まれなかったので、坂口にとっては楽しい時間だった。
「俺さ、最近つけ狙われてる気がするんだ」
二本目のDVDが終わりに近づいた頃、晴彦が言った。一瞬酔っているのかと思ったが、アルコールのせいで赤らんだ横顔は真剣だった。
「何それ。ストーカー?」
「俺も最初はそう思ったんだけど、振り返っても誰もいねえし、それにこんな男ストーカーするやついるわけねえじゃん。バイトの帰りとか夜中になるから、おっかなくてさ。親に言っても相手にされなくて」
「警察行ったら?」
「いや証拠もねえし、妄想だってあしらわれるに決まってんじゃん。仮にストーカーだとしても、俺男なんだから動いてくれないって。でもそいつ、だんだん距離を詰めてきてる気がするんだよな。背中に感じる嫌な気配がどんどん近くなってる」
晴彦の顔は冗談を言っているようには見えなかった。坂口はぬるくなったビールをひと口飲み、友人の怯えた目を見つめる。
「嫌な気配ってどういうの?」
「なんかこう、おっかねえんだよ。とって食われるっていうか、どこかに引きずりこまれそうっていうか、そういうの。なんかそいつ、人間じゃない気がする」
「呪われたっていうの?」
「そうかもしんない」
小さく息を吐いて、晴彦は震える唇を動かす。
「もし俺がいなくなったら、坂口は探してくれる?」
「探すに決まってんじゃん。ぜったいに見つけ出して、またこうしてふたりでDVDを見る」
そう言うと、晴彦はちょっと頬の力を緩めて、ありがとう、と言った。
前期のテストが終わった日の夜、坂口のワンルームのアパートを訪れた晴彦は言った。一年前に群馬の田舎を出て以来ずっと住んでいるワンルームは、ふたりが座ると狭苦しいほどである。
「どうだった?」
「もちろんフラれたよ。小山内、バイト先のひとつ年上の男と付き合ってんだって」
はーあ、と晴彦が地の底まで届くような長いため息をつく。
「そりゃさあ、俺だってうまくいったらラッキーくらいの気持ちではいたよ、相手が小山内ともなればこういうことは想定内だったし。でも後期始まったらどうすんだよ、学校で顔合わせんのめっちゃ気まずい」
「学部違うんだからそんな頻繁に会うことないでしょ」
「だとしても学食とかで会うじゃん」
「そんなの気にしちゃ駄目だって。小山内さんは所詮、高嶺の花だったってことだよ」
「だよなーあんなかわいい子が、俺みたいなサエない童貞、相手にするわけないよな」
「高嶺の花だと知ってコクった勇気を褒めてあげる」
そう言って坂口は冷蔵庫に行き、ビールを二本取り出して一本を晴彦に差し出す。
「飲みなよ」
「俺誕生日十月だから、まだ十九なんだけど」
「いいじゃん、こういう日くらい」
それもそうか、と晴彦は言ってプルタブを開ける。ぷしゅう、と威勢のいい音がして泡が少し漏れ出した。ひと口だけこくりと飲むと、晴彦は眉根を寄せる。
「どう、未成年飲酒の味は」
「苦い。めっちゃ苦い」
「失恋の苦さだね」
そのままふたりでちびちびとビールを飲みつつ、坂口は晴彦が持ってきたアニメのDVDをプレーヤーに押し込んだ。
一年生の頃、引っ込み思案な性格が災いして友だちを作れず、授業の合間の教室移動やお昼に学食でご飯を食べる時他の学生たちが、ずっと誰かと行動を共にして楽しそうにしているのを、坂口はテレビの向こうの出来事のように見つめていた。そんな坂口に声をかけてきたのが晴彦だった。
「リュックにつけてるその缶バッジ、『デッドヒストリー』のだろ。俺も好きなんだ」
坂口が中学生から愛好している『デッドヒストリー』は、高校生の男女が集められてロボットに乗り闘って地球の危機を救うという、何度も焼き増しされたような設定のアニメだ。
ロボット同士の戦いのシーンが格好よく、CGの完成度も高いので、ロボットアニメファンから強い支持を得ている。
それをきっかけに話すようになった晴彦とは、趣味が合った。『デッドヒストリー』の他にも坂口が見ていたすべてのアニメを、驚くべきことに晴彦は視聴済みだった。
坂口は九十年代の古いアニメも見ていたが、そういうものも晴彦はコンプリートしていた。
自然と大学構内で晴彦と過ごす時間が多くなった。
晴彦の高校時代の同級生である権(ごん)田(だ)将(まさ)人(と)ともよく話した。
将人はアニメにはあまり興味がなく、容姿に恵まれているのをいいことに女の子を口説くことに命をかけているタイプで、坂口とはあまり気が合わなかったのだが、晴彦の友だちなので無下にもできなかった。
晴彦は時折、坂口のアパートを訪れた。ふたり、徹夜でアニメのDVDを鑑賞しながら、他愛もない話をする。高校生の頃はこんなに気の合う友人には恵まれなかったので、坂口にとっては楽しい時間だった。
「俺さ、最近つけ狙われてる気がするんだ」
二本目のDVDが終わりに近づいた頃、晴彦が言った。一瞬酔っているのかと思ったが、アルコールのせいで赤らんだ横顔は真剣だった。
「何それ。ストーカー?」
「俺も最初はそう思ったんだけど、振り返っても誰もいねえし、それにこんな男ストーカーするやついるわけねえじゃん。バイトの帰りとか夜中になるから、おっかなくてさ。親に言っても相手にされなくて」
「警察行ったら?」
「いや証拠もねえし、妄想だってあしらわれるに決まってんじゃん。仮にストーカーだとしても、俺男なんだから動いてくれないって。でもそいつ、だんだん距離を詰めてきてる気がするんだよな。背中に感じる嫌な気配がどんどん近くなってる」
晴彦の顔は冗談を言っているようには見えなかった。坂口はぬるくなったビールをひと口飲み、友人の怯えた目を見つめる。
「嫌な気配ってどういうの?」
「なんかこう、おっかねえんだよ。とって食われるっていうか、どこかに引きずりこまれそうっていうか、そういうの。なんかそいつ、人間じゃない気がする」
「呪われたっていうの?」
「そうかもしんない」
小さく息を吐いて、晴彦は震える唇を動かす。
「もし俺がいなくなったら、坂口は探してくれる?」
「探すに決まってんじゃん。ぜったいに見つけ出して、またこうしてふたりでDVDを見る」
そう言うと、晴彦はちょっと頬の力を緩めて、ありがとう、と言った。



