晴彦の葬儀の前日、櫨中(はぜなか)から電話があった。
『お友だちのこと、残念です。今はただもう、お悔やみを申し上げますとしか言えません』
電話の向こうの悲痛な声に、坂口の胸は詰まる。
胡散臭い仕事をしていて、晴彦のことも記事のネタぐらいにしか思っていなかったのだろうが、今の坂口は他人のやさしさが傷口を清める聖水のように染みてしまう。
『葬儀は明日とのことで。もちろん参列されるんですよね』
「はい、最期にハルにお別れを言いにいってきます」
発見された状況が状況なので、司法解剖に回してから葬儀が行われるまで少しの間があった。
坂口はその時間で必死に気持ちを静めようとしたが、晴彦が亡くなったことをそう簡単に受け入れられるわけがない。
地獄館の謎に迫るなか、時間が経過して晴彦の生存の可能性が薄くなっていっても、坂口は再び晴彦に会える日を信じて心待ちにしていたのだ。
それだけが、坂口にとって希望であり、地獄館について調べるエネルギーの源になっていた。
『葬儀にはたぶん警察関係者が来るんじゃないかと思います。捜査情報は教えてくれないと思いますが、何かわかったことがあったら教えてください。私も行きたいんですが、あいにく今締め切り前でして』
電話を切り、坂口はクローゼットから取り出したばかりの喪服をしげしげと眺めた。
高校生の時に祖母が亡くなった際、母親が「制服でもいいけれど、これからずっと使うものだから」とあつらえてくれたのだ。
こんなに早く、また出番が来るとは思わなかった。
I市のホールで行われた晴彦の葬儀には、晴彦の高校時代の友人や大学の同級生がたくさん参列していた。
小山内静佳の姿もあった。
焼香を済ませた後友だちにもたれかかるようにして泣いていた静佳を見て、君の好きな人は君がいなくなって泣くほどの親しみは持っていたんだよ、と晴彦に伝えたくなる。
晴彦の気持ちは受け入れられなかったが、静佳にとって晴彦はいなくなってほしくない人間ではあったのだ。
「この度は、本当にご愁傷様です」
将人と共に晴彦の両親に頭を下げる。
晴彦の両親はすっかり憔悴していて、まだ五十代のはずなのに老人のように見えた。
真っ赤に泣き腫らした目をさらに濡らす母親は、ありがとうとふたりに頭を下げる。
「晴彦をずっと探してくれてありがとう。こんなことになっちゃったけど、あなたたちの気持ちはきっとあの子にも伝わっているはずだから。どうかあの子のことを忘れないで、一日一日を大切に生きてね」
自分自身に言い聞かせるようなその言葉に、坂口と将人は深くうなずいた。
まだ暑い時期なのにスーツに身を包んだ男が近づいてきた時は、来たか、と思った。
「すみません、警察の者ですが、少し話をお聞かせいただけませんか」
断る理由はないので承知する。
坂口としても、晴彦が遺体で発見されたその時の状況など詳しく知りたい。
ニュースでは本当に表面的なことしか伝えられていなかったし、地方新聞に載った記事も小さかった。
「宇佐美さんとはご友人同士だったんですね」
「はい、地獄館に行った後から、あいつの様子がおかしくなりました」
地獄館、というワードを聞いて刑事が眉をひそめる。
将人は晴彦と地獄館に行った時のこと、その後晴彦がつけ狙われているなどと言いだしたことを語るが、刑事の渋い表情は変わらない。
警察官になるような現実主義の人間が、幽霊の話など信じてくれるわけもないのだが、既に地獄館の霊の存在を知っている坂口からすれば、歯がゆいものがあった。
「では行方不明になった日以来、本当におふたりのところにまったく連絡はなかったんですね」
「はい。僕たちも必死で探していたんですが、こんなことになってしまって。あの、ハルはどこでどんなふうに見つかったんですか。僕たち何も知らないんです」
刑事はやはり渋い顔をした後、重い口を開くようにして語りだした。
「本当はお教えできないのですが、早くもネットに情報が流れ始めているし、そのうち発見現場にユーチューバーなども来ると思いますから、お話しましょう。宇佐美晴彦さんを発見したのは二十五日の朝、犬の散歩をしていた女性でした」
柴犬を連れて歩く高齢女性のイメージが浮かぶ。晴彦は死んでからどれだけの間、見つけてもらえるのを待っていたのだろう。
「いつもおとなしいはずの犬が吠えて、強引にリードを引っ張って草むらに分け入っていき、その先で宇佐美さんを発見した、という流れです。発見時、宇佐美さんに目立った外傷はありませんでしたが、傷のないはずの首を押さえていました」
「首を」
思わず繰り返す。首を押さえた体勢で倒れていたということか。たしかに不自然だ。
「司法解剖に回しましたが死因は特定されていません。この時期ですから、遺体の状態もひどくて。
ただ胃が空っぽだったので、餓死ではないかとされています。行方不明になって以降、このあたりに潜伏していたのでしょう。
そのうちに所持金がつきて餓死。ちゃんと家があるのに、なんでそんな行動をとったのかはわかりませんが」
晴彦が発見されたというあたりをマップアプリで見たが、民家と民家の間がかなり広い地域で、雑木林がどこまでも広がっているような地帯だった。
イノシシやシカもよく出没するという。晴彦は自分をつけ狙う誰かから身を隠そうと、ここに潜伏していたというのか。
「ハルを見た人は誰かいなかったんですか」
「……これもそのうち公になりそうな情報なのでお話してしまうと、近所で一件目撃情報がありました。発見される、ちょうど二週間前ですね。近所に住んでいた女子高生が宇佐美さんを目撃しています。SNSにそのことを書いていて、かなり拡散されているので、ひょっとしたらご存知かもしれませんが」
「その人に会うことはできますか」
ダメ元で聞いてみたが、刑事は首を横に振った。
葬儀の後、将人とふたりでホールから少し離れたファミレスに入り、SNSをチェックする。
すぐに問題の投稿は見つかった。『あたしがこの前見かけた人が遺体で発見された。まじで怖すぎる』というポストに始まり、次々と投稿がされ、コメントと共に拡散されていく。
彼女の話を鵜呑みにし、震え、ボタンひとつで気軽に拡散していくネットの住人たち。
「さっき、この人にDMしてみたんだけど」
将人がブラックコーヒーを傾けながら言った。
「そしたら、びっくりした。俺、前もこの人と話してたんだ、SNS上でだけど」
「なんで話したの?」
「ハルの行方不明について。この人も、友だちが行方不明になったことを書いてたからさ。状況が似ているから、情報収集のために話したんだ」
三十分後にメッセージは既読になり、向こうのほうから直接会って話したいと申し出て来た。
『お友だちのこと、残念です。今はただもう、お悔やみを申し上げますとしか言えません』
電話の向こうの悲痛な声に、坂口の胸は詰まる。
胡散臭い仕事をしていて、晴彦のことも記事のネタぐらいにしか思っていなかったのだろうが、今の坂口は他人のやさしさが傷口を清める聖水のように染みてしまう。
『葬儀は明日とのことで。もちろん参列されるんですよね』
「はい、最期にハルにお別れを言いにいってきます」
発見された状況が状況なので、司法解剖に回してから葬儀が行われるまで少しの間があった。
坂口はその時間で必死に気持ちを静めようとしたが、晴彦が亡くなったことをそう簡単に受け入れられるわけがない。
地獄館の謎に迫るなか、時間が経過して晴彦の生存の可能性が薄くなっていっても、坂口は再び晴彦に会える日を信じて心待ちにしていたのだ。
それだけが、坂口にとって希望であり、地獄館について調べるエネルギーの源になっていた。
『葬儀にはたぶん警察関係者が来るんじゃないかと思います。捜査情報は教えてくれないと思いますが、何かわかったことがあったら教えてください。私も行きたいんですが、あいにく今締め切り前でして』
電話を切り、坂口はクローゼットから取り出したばかりの喪服をしげしげと眺めた。
高校生の時に祖母が亡くなった際、母親が「制服でもいいけれど、これからずっと使うものだから」とあつらえてくれたのだ。
こんなに早く、また出番が来るとは思わなかった。
I市のホールで行われた晴彦の葬儀には、晴彦の高校時代の友人や大学の同級生がたくさん参列していた。
小山内静佳の姿もあった。
焼香を済ませた後友だちにもたれかかるようにして泣いていた静佳を見て、君の好きな人は君がいなくなって泣くほどの親しみは持っていたんだよ、と晴彦に伝えたくなる。
晴彦の気持ちは受け入れられなかったが、静佳にとって晴彦はいなくなってほしくない人間ではあったのだ。
「この度は、本当にご愁傷様です」
将人と共に晴彦の両親に頭を下げる。
晴彦の両親はすっかり憔悴していて、まだ五十代のはずなのに老人のように見えた。
真っ赤に泣き腫らした目をさらに濡らす母親は、ありがとうとふたりに頭を下げる。
「晴彦をずっと探してくれてありがとう。こんなことになっちゃったけど、あなたたちの気持ちはきっとあの子にも伝わっているはずだから。どうかあの子のことを忘れないで、一日一日を大切に生きてね」
自分自身に言い聞かせるようなその言葉に、坂口と将人は深くうなずいた。
まだ暑い時期なのにスーツに身を包んだ男が近づいてきた時は、来たか、と思った。
「すみません、警察の者ですが、少し話をお聞かせいただけませんか」
断る理由はないので承知する。
坂口としても、晴彦が遺体で発見されたその時の状況など詳しく知りたい。
ニュースでは本当に表面的なことしか伝えられていなかったし、地方新聞に載った記事も小さかった。
「宇佐美さんとはご友人同士だったんですね」
「はい、地獄館に行った後から、あいつの様子がおかしくなりました」
地獄館、というワードを聞いて刑事が眉をひそめる。
将人は晴彦と地獄館に行った時のこと、その後晴彦がつけ狙われているなどと言いだしたことを語るが、刑事の渋い表情は変わらない。
警察官になるような現実主義の人間が、幽霊の話など信じてくれるわけもないのだが、既に地獄館の霊の存在を知っている坂口からすれば、歯がゆいものがあった。
「では行方不明になった日以来、本当におふたりのところにまったく連絡はなかったんですね」
「はい。僕たちも必死で探していたんですが、こんなことになってしまって。あの、ハルはどこでどんなふうに見つかったんですか。僕たち何も知らないんです」
刑事はやはり渋い顔をした後、重い口を開くようにして語りだした。
「本当はお教えできないのですが、早くもネットに情報が流れ始めているし、そのうち発見現場にユーチューバーなども来ると思いますから、お話しましょう。宇佐美晴彦さんを発見したのは二十五日の朝、犬の散歩をしていた女性でした」
柴犬を連れて歩く高齢女性のイメージが浮かぶ。晴彦は死んでからどれだけの間、見つけてもらえるのを待っていたのだろう。
「いつもおとなしいはずの犬が吠えて、強引にリードを引っ張って草むらに分け入っていき、その先で宇佐美さんを発見した、という流れです。発見時、宇佐美さんに目立った外傷はありませんでしたが、傷のないはずの首を押さえていました」
「首を」
思わず繰り返す。首を押さえた体勢で倒れていたということか。たしかに不自然だ。
「司法解剖に回しましたが死因は特定されていません。この時期ですから、遺体の状態もひどくて。
ただ胃が空っぽだったので、餓死ではないかとされています。行方不明になって以降、このあたりに潜伏していたのでしょう。
そのうちに所持金がつきて餓死。ちゃんと家があるのに、なんでそんな行動をとったのかはわかりませんが」
晴彦が発見されたというあたりをマップアプリで見たが、民家と民家の間がかなり広い地域で、雑木林がどこまでも広がっているような地帯だった。
イノシシやシカもよく出没するという。晴彦は自分をつけ狙う誰かから身を隠そうと、ここに潜伏していたというのか。
「ハルを見た人は誰かいなかったんですか」
「……これもそのうち公になりそうな情報なのでお話してしまうと、近所で一件目撃情報がありました。発見される、ちょうど二週間前ですね。近所に住んでいた女子高生が宇佐美さんを目撃しています。SNSにそのことを書いていて、かなり拡散されているので、ひょっとしたらご存知かもしれませんが」
「その人に会うことはできますか」
ダメ元で聞いてみたが、刑事は首を横に振った。
葬儀の後、将人とふたりでホールから少し離れたファミレスに入り、SNSをチェックする。
すぐに問題の投稿は見つかった。『あたしがこの前見かけた人が遺体で発見された。まじで怖すぎる』というポストに始まり、次々と投稿がされ、コメントと共に拡散されていく。
彼女の話を鵜呑みにし、震え、ボタンひとつで気軽に拡散していくネットの住人たち。
「さっき、この人にDMしてみたんだけど」
将人がブラックコーヒーを傾けながら言った。
「そしたら、びっくりした。俺、前もこの人と話してたんだ、SNS上でだけど」
「なんで話したの?」
「ハルの行方不明について。この人も、友だちが行方不明になったことを書いてたからさ。状況が似ているから、情報収集のために話したんだ」
三十分後にメッセージは既読になり、向こうのほうから直接会って話したいと申し出て来た。



