いつ、どこから間違えたんだろう。
どうして今私は、首にロープをかけ、足で椅子を蹴ろうとしているんだろう。
中学校まで、私は優等生だった。
特に取り柄のない平凡な女の子だったけど、勉強は得意だった。
テストがあれば学年で五番以内には入れたし、取り立てて問題行動も起こさないから、学校では真面目ないい子、で通っていた。
先生たちは優等生の私を頼りにしていたし、親を怒らせることもなかったから家でも学校でも穏やかに過ごせた。
高校は私立の女子校に進んだ。
高校に入ってはじめての夏、友だちからライブに誘われた。
ライブハウスなんて行ったことがないし、勉強ばかりしていた私にとってはちょっとした冒険みたいなもので、慣れないメイクをしてわざわざ服を新調して、参戦した。
そこで出会ったボーカルのレインくんに、恋に落ちた。
がなりたてるような声で歌うレインくんは肉食獣みたいな挑戦的な目をしていて、五色のライトを受けてきらきら光る金髪に、目を奪われた。
この人の彼女になるためならどんなことでもする、と私は誓った。
ライブに通い詰めるうちに、私はお金を出せばレインくんに抱いてもらえることを知った。
ひどいバンドマンだな、とは思わなかった。むしろお金で愛が手に入るなら、安いもんだと思った。
お小遣いは足りないし、高校はバイト禁止。私はなんのためらいもなく、援助交際に手を染めた。
好きな男に抱かれるために、好きでもない男に抱かれるのは、尊い自己犠牲を払っているようで、気持ちよかった。
レインくんにのめり込むうちに、成績はどんどん落ちていき、親や先生からもどうしたのかと聞かれた。
レインくんのことを話すわけにはいかない。大学受験には失敗し、滑り止めで受けた湘南短期大学にしか受からなかった。
私の受験が終わった頃レインくんのバンドは解散して、会えなくなった。
大学生活が始まると、周りの子たちが持っているブランド品やきれいな服が欲しくなった。
勉強が得意だということは、大学生にとってもはやなんの価値もない。
大切なのはみんなが持っているものを身につけ、垢ぬけたかわいい子でいることだった。
私はお金を手に入れるために、デリヘルで働いた。
部屋のなかに見慣れないブランド品や服があることに怪しんだ親が、どんな手を使ったのか私がデリヘルで働いてることを突き止め、大げんかになった。
私はなんの躊(ちゅう)躇(ちょ)もなく、家を飛び出してひとり暮らしを始めた。同時期に、短大は辞めてしまった。
その頃、友だちの紹介で私にもやっとちゃんとした彼氏ができた。
彼は役者を目指していて、アクタースクールに通うためにお金が必要だというので、私は風俗で得たお金を渡していた。
ふたりで住んだ部屋の家賃も光熱費も生活費も、私が払った。
いくらシフトを入れても足りなくなり、借金に手を染めた。お金はないけど、幸せだった。
彼氏の浮気が発覚して、それでも別れたくないと取り縋(すが)ったのにあっけなく彼が私の前から消えた頃、私の手元には借金だけが残った。
借金を払うために、よりいっそうデリヘルの仕事にのめり込んだ。
昼の十二時から翌朝の五時まで働き、一日の睡眠時間は三時間。
それでも店にいる他の女の子たちに負けないよう、ブランド品やデパコスを買っていたら、借金はぜんぜん減らなかった。
そのうち、高校時代の友人に結婚する人が増えてきた。子どもが生まれた人もいた。
素敵な旦那さんとかわいい子どもたちに囲まれ、旦那がーとか子どもがーとか愚痴を言い合う彼女たちを見て、自分との生活の違いに唖然とした。
私はもう、あんまり若い女じゃなくなってしまっている。
昔は私のほうが勉強ができる優等生だったのに、いつのまにどうしてこんなに差がついてしまったんだろう。
達也に出会ったのは、そんな二十五歳の頃だった。
ホストだという彼に街でナンパされ、何度かメールをやり取りした後、店に行った。
俺ナンバーワン目指してるんだ、という達也の熱っぽい眼差しに、レインくんや元彼が重なった。
私は、夢を追いかけてる男の人が好きだった。
達也のためにデリヘルと掛け持ちしてソープの仕事もして、身を粉にして働いた。
生まれてはじめて仕事に真剣になった結果、指名も増えた。
稼いだお金はすべて達也のために使い、シャンパンを入れまくった。
溶けたダイヤモンドのようにきらきら流れるシャンパンの液体の向こうで微笑む達也が、ただ幸せであればいいと願った。
たまの休日に達也とデートする時、達也はホストでお金を稼いだら、自分で小さな居酒屋か、バーをオープンしたいという夢を語った。
そのためにお金が必要だから、杏子にももっともっとがんばってほしいのだ、とも。
達也と一緒に小さな店を始めて、穏やかな生活を手に入れられたら。
私は何が何でも、達也の夢を叶えようとした。
ある日、郵便受けに督(とく)促(そく)状(じょう)が届いた。
それだけじゃなく、いかにもヤクザっぽい怖い男の人も来た。
ドアを開けると玄関前で、関内さん、借金払ってくださいよーとアパートじゅうの人に聞こえるような声で言われるので、私は居留守を使って引きこもった。
それでも声は追いかけてくる。関内さん、そこにいるのはわかってるんですよー。あなたが作った借金、早く払ってくれないと困るんですがねえ。
ずっと連絡していなかった親の元へ行き、事情を話した。
頭を下げて借金を肩代わりしてほしいと言うと、父も母も怒り、呆れ、自分が作った借金だから自分でなんとかしなさい、自己破産とかいろいろできるでしょ、と言われてしまった。
あんたがそんな馬鹿だとは思わなかった、勉強ができたのに、どうしてこんなことになってしまったのか、育て方を間違えたのかとか、心を抉(えぐ)ることをいろいろ言われた。
もう親は頼りにならないと思った。
次に携帯のアドレス帳を開いて、片っ端から友だちに連絡した。
借金を返すから少しでいいからお金が欲しい、と。
ほとんどの友だちがろくに話を聞いてくれなかったけど、なかには何があったのか聞かせてほしいという人もいた。
正直に話しても、誰もお金を恵んではくれなかった。親と同じような対応しかされなかった。
私は親も友だちも、失ってしまった。
そんな時、達也とデートした。おろしたての黒いワンピースを着ていった。
達也の車でY峠に行き、まばゆい夜景を眺めながら、達也は改めて自分の夢を語った。
俺やっとナンバーツーまで上りつめた、杏子のおかげだよ。
次はぜったいナンバーワンになる。だから杏子、もっとがんばって。
達也の姿にはじめて違和感を覚えた。
達也は私にばかり、がんばってと言う。
ナンバーワンになるために、店を出すために、自分では何ひとつがんばっていないじゃないか。
そのままラブホテルに行って、達也に借金のことを相談した。達也は冷たかった。
杏子が作った借金だろ、俺は知らないよ、自己破産でもなんでも好きなようにしろよ、迷惑はかけないで、と。
私は言った。誰のために作った借金だと思ってるの、ぜんぶ達也のためでしょう、達也にだって責任はあるじゃない、と。
達也は鼻で笑った。
俺は杏子にがんばって、としか言ってないよ。借金しろなんてひとことも言ってないじゃん。
無理やり店に引きずって来させたり、シャンパン入れろって強要したりしてないだろ。
ぜんぶ、杏子が自分の意思で使ったお金じゃん。
俺になんの責任もないだろ、杏子は自分の人生がひどいことを嘆いてるんだろうけど、ぜんぶお前のせいだよ。
その言葉に強烈な怒りが込み上げて来た。
私のせい。私の人生がひどいのは、ぜんぶ私のせい。
そのとおりだなんて、ちっとも思えなかった。
レインくんに出会っていなければ、元彼に出会っていなければ、達也に出会っていなければ、親が、友だちが、私を見限らなければ。
私が不幸なのは、あんたたちのせいだ。
気がつけば私はバッグについていた紐をロープがわりにして、首に巻きつけていた。
目の前で死んでやる、本当に死んでやると怒鳴っても、達也は死ねば、と冷たく笑うだけだった。
こんな人を本気で愛していたと思うのだと、やりきれなかった。
私の死にざまをこの目で見ろ。
一生のトラウマにしてやる。
私はきっと地獄へ行くから、お前も地獄に引きずりこむ。
私は、足で椅子を蹴った。思い切り見開いた目に最期に映ったのは、ぎょっとしたような達也の顔だった。
どうして今私は、首にロープをかけ、足で椅子を蹴ろうとしているんだろう。
中学校まで、私は優等生だった。
特に取り柄のない平凡な女の子だったけど、勉強は得意だった。
テストがあれば学年で五番以内には入れたし、取り立てて問題行動も起こさないから、学校では真面目ないい子、で通っていた。
先生たちは優等生の私を頼りにしていたし、親を怒らせることもなかったから家でも学校でも穏やかに過ごせた。
高校は私立の女子校に進んだ。
高校に入ってはじめての夏、友だちからライブに誘われた。
ライブハウスなんて行ったことがないし、勉強ばかりしていた私にとってはちょっとした冒険みたいなもので、慣れないメイクをしてわざわざ服を新調して、参戦した。
そこで出会ったボーカルのレインくんに、恋に落ちた。
がなりたてるような声で歌うレインくんは肉食獣みたいな挑戦的な目をしていて、五色のライトを受けてきらきら光る金髪に、目を奪われた。
この人の彼女になるためならどんなことでもする、と私は誓った。
ライブに通い詰めるうちに、私はお金を出せばレインくんに抱いてもらえることを知った。
ひどいバンドマンだな、とは思わなかった。むしろお金で愛が手に入るなら、安いもんだと思った。
お小遣いは足りないし、高校はバイト禁止。私はなんのためらいもなく、援助交際に手を染めた。
好きな男に抱かれるために、好きでもない男に抱かれるのは、尊い自己犠牲を払っているようで、気持ちよかった。
レインくんにのめり込むうちに、成績はどんどん落ちていき、親や先生からもどうしたのかと聞かれた。
レインくんのことを話すわけにはいかない。大学受験には失敗し、滑り止めで受けた湘南短期大学にしか受からなかった。
私の受験が終わった頃レインくんのバンドは解散して、会えなくなった。
大学生活が始まると、周りの子たちが持っているブランド品やきれいな服が欲しくなった。
勉強が得意だということは、大学生にとってもはやなんの価値もない。
大切なのはみんなが持っているものを身につけ、垢ぬけたかわいい子でいることだった。
私はお金を手に入れるために、デリヘルで働いた。
部屋のなかに見慣れないブランド品や服があることに怪しんだ親が、どんな手を使ったのか私がデリヘルで働いてることを突き止め、大げんかになった。
私はなんの躊(ちゅう)躇(ちょ)もなく、家を飛び出してひとり暮らしを始めた。同時期に、短大は辞めてしまった。
その頃、友だちの紹介で私にもやっとちゃんとした彼氏ができた。
彼は役者を目指していて、アクタースクールに通うためにお金が必要だというので、私は風俗で得たお金を渡していた。
ふたりで住んだ部屋の家賃も光熱費も生活費も、私が払った。
いくらシフトを入れても足りなくなり、借金に手を染めた。お金はないけど、幸せだった。
彼氏の浮気が発覚して、それでも別れたくないと取り縋(すが)ったのにあっけなく彼が私の前から消えた頃、私の手元には借金だけが残った。
借金を払うために、よりいっそうデリヘルの仕事にのめり込んだ。
昼の十二時から翌朝の五時まで働き、一日の睡眠時間は三時間。
それでも店にいる他の女の子たちに負けないよう、ブランド品やデパコスを買っていたら、借金はぜんぜん減らなかった。
そのうち、高校時代の友人に結婚する人が増えてきた。子どもが生まれた人もいた。
素敵な旦那さんとかわいい子どもたちに囲まれ、旦那がーとか子どもがーとか愚痴を言い合う彼女たちを見て、自分との生活の違いに唖然とした。
私はもう、あんまり若い女じゃなくなってしまっている。
昔は私のほうが勉強ができる優等生だったのに、いつのまにどうしてこんなに差がついてしまったんだろう。
達也に出会ったのは、そんな二十五歳の頃だった。
ホストだという彼に街でナンパされ、何度かメールをやり取りした後、店に行った。
俺ナンバーワン目指してるんだ、という達也の熱っぽい眼差しに、レインくんや元彼が重なった。
私は、夢を追いかけてる男の人が好きだった。
達也のためにデリヘルと掛け持ちしてソープの仕事もして、身を粉にして働いた。
生まれてはじめて仕事に真剣になった結果、指名も増えた。
稼いだお金はすべて達也のために使い、シャンパンを入れまくった。
溶けたダイヤモンドのようにきらきら流れるシャンパンの液体の向こうで微笑む達也が、ただ幸せであればいいと願った。
たまの休日に達也とデートする時、達也はホストでお金を稼いだら、自分で小さな居酒屋か、バーをオープンしたいという夢を語った。
そのためにお金が必要だから、杏子にももっともっとがんばってほしいのだ、とも。
達也と一緒に小さな店を始めて、穏やかな生活を手に入れられたら。
私は何が何でも、達也の夢を叶えようとした。
ある日、郵便受けに督(とく)促(そく)状(じょう)が届いた。
それだけじゃなく、いかにもヤクザっぽい怖い男の人も来た。
ドアを開けると玄関前で、関内さん、借金払ってくださいよーとアパートじゅうの人に聞こえるような声で言われるので、私は居留守を使って引きこもった。
それでも声は追いかけてくる。関内さん、そこにいるのはわかってるんですよー。あなたが作った借金、早く払ってくれないと困るんですがねえ。
ずっと連絡していなかった親の元へ行き、事情を話した。
頭を下げて借金を肩代わりしてほしいと言うと、父も母も怒り、呆れ、自分が作った借金だから自分でなんとかしなさい、自己破産とかいろいろできるでしょ、と言われてしまった。
あんたがそんな馬鹿だとは思わなかった、勉強ができたのに、どうしてこんなことになってしまったのか、育て方を間違えたのかとか、心を抉(えぐ)ることをいろいろ言われた。
もう親は頼りにならないと思った。
次に携帯のアドレス帳を開いて、片っ端から友だちに連絡した。
借金を返すから少しでいいからお金が欲しい、と。
ほとんどの友だちがろくに話を聞いてくれなかったけど、なかには何があったのか聞かせてほしいという人もいた。
正直に話しても、誰もお金を恵んではくれなかった。親と同じような対応しかされなかった。
私は親も友だちも、失ってしまった。
そんな時、達也とデートした。おろしたての黒いワンピースを着ていった。
達也の車でY峠に行き、まばゆい夜景を眺めながら、達也は改めて自分の夢を語った。
俺やっとナンバーツーまで上りつめた、杏子のおかげだよ。
次はぜったいナンバーワンになる。だから杏子、もっとがんばって。
達也の姿にはじめて違和感を覚えた。
達也は私にばかり、がんばってと言う。
ナンバーワンになるために、店を出すために、自分では何ひとつがんばっていないじゃないか。
そのままラブホテルに行って、達也に借金のことを相談した。達也は冷たかった。
杏子が作った借金だろ、俺は知らないよ、自己破産でもなんでも好きなようにしろよ、迷惑はかけないで、と。
私は言った。誰のために作った借金だと思ってるの、ぜんぶ達也のためでしょう、達也にだって責任はあるじゃない、と。
達也は鼻で笑った。
俺は杏子にがんばって、としか言ってないよ。借金しろなんてひとことも言ってないじゃん。
無理やり店に引きずって来させたり、シャンパン入れろって強要したりしてないだろ。
ぜんぶ、杏子が自分の意思で使ったお金じゃん。
俺になんの責任もないだろ、杏子は自分の人生がひどいことを嘆いてるんだろうけど、ぜんぶお前のせいだよ。
その言葉に強烈な怒りが込み上げて来た。
私のせい。私の人生がひどいのは、ぜんぶ私のせい。
そのとおりだなんて、ちっとも思えなかった。
レインくんに出会っていなければ、元彼に出会っていなければ、達也に出会っていなければ、親が、友だちが、私を見限らなければ。
私が不幸なのは、あんたたちのせいだ。
気がつけば私はバッグについていた紐をロープがわりにして、首に巻きつけていた。
目の前で死んでやる、本当に死んでやると怒鳴っても、達也は死ねば、と冷たく笑うだけだった。
こんな人を本気で愛していたと思うのだと、やりきれなかった。
私の死にざまをこの目で見ろ。
一生のトラウマにしてやる。
私はきっと地獄へ行くから、お前も地獄に引きずりこむ。
私は、足で椅子を蹴った。思い切り見開いた目に最期に映ったのは、ぎょっとしたような達也の顔だった。



