シリーズ少年犯罪を考える③
加害者家族の叫び ~どうして、どこで、間違えたのか~

日々世間をゆるがす少年犯罪。
このシリーズでは加害者家族へのインタビューを通して、再発防止という観点で何が必要なのかを考えていく。
今回話を聞いたのは、十年前に娘のMさんが加害者となった、五十代のEさんだ。

Mさんは十年前、殺人事件の容疑者として逮捕された。
当時十六歳だったMさんは妊娠しており、苦難の末、出産した子どもをその場で殺害してしまうという凶行に及んだ。
Eさんによると、Mさんはやさしく素直な子どもだったという。

「Mは長女です。主人は医者で、どうしてもMも医者にするのだと、かなり厳しく教育しました。中学受験も自分が認めたところにしか行かせないというので、通うのはMなんだから、という私とは少し対立しました。結果的にMは受験に失敗してしまい、近所の公立中学に通うことになりました。主人はそのことがよほど不満だったらしく、Mが中学生になった頃から、Mへの態度がよりきつくなりました。今思えば、そのことが事件とつながっていたのかもしれません」

――Mさんが妊娠していたことは知らなかったのですか?

「本当に知りませんでした。男の子とお付き合いしていたことも知らなかったし、Mは主人の望みどおり、真面目な中学生活を送っていると信じていたんです。今思えば、急にゆったりとした、身体のラインが出ない服ばかり好むようになったので、日ごと大きくなるお腹を隠すのに必死だったんでしょう」

――Mさんのほうから、凶行を打ち明けられたとのことですが。

「高校に入学した頃から目に見えて沈んでいるので、私のほうから声をかけたんです、何があったの、と。Mは泣きながら、自分が妊娠していたこと、子どもを殺したことを私に告げました。Mが遺体を遺棄したという廃墟にふたりで行って、遺体を見つけました。パニックになるMをなだめながら、警察に通報しました」

――ご主人はMさんの事件を知って、どのような反応でしたか。

「信じられない、呆れた、という感じでした。少年鑑別所でMと会った時、あの人、はっきり言ったんです。こんなことをしでかしたからには、もううちの敷居は跨(また)がせないと。その時のMの絶望したような顔は忘れられません。実際、主人はMがその後少年院に行き、社会に戻ってきてからも、いっさい支援しようとはしませんでした。自分の言葉どおり、Mに会おうともしなかったんです」

――Eさんは、そんなご主人のことをどう思っていましたか。

「信じられない気持ちでした。いくら過ちを犯したからとはいえ、我が子にそんな冷淡な態度が取れるものかと……Mはまだ若いし、私たちがそばにいて支えてあげなくては、と何度も説得しようとしたのですが、あいつとは親子の縁を切った、の一点張り。結局、あの日から一度も、主人とMは会っていません」

――今Mさんはどうしていらっしゃるのでしょうか。

「県内で、細々と暮らしています。事務の仕事をしているようですが、幸い過去は周囲に知られたことがないようで、平穏に生活できているそうです。主人には内緒で、Mとは年に数回会って、話をしています。Mは事件のつらい記憶を引きずりつつも、私の前で笑顔を見せてくれるようになりました。主人と離れたことで、Mはたしかに解放されたような気がします。歳相応の若々しい笑顔を見せてくれると、無理に主人と関わらずに済んで、かえってよかったのだなと思います」

――Mさんの事件は、防げた事件だったと思うのですが。

「そのとおりですね、私も何度も考えて、思いつめたことです。仮にMが私たちに妊娠のことを伝えていたら、主人は出産なんて認めない、何を考えているのかとMを詰(なじ)ったでしょう。でも私はMが最悪の選択をしないよう、守ってあげることができた。同じ女性として、Mがどれだけ悲しいことをしたのかと思うと、胸が引き裂かれる思いです。でもそれは、私たち親に親としての力が不足していた、ということでもあるのです。主人の頑なさはどうにもなりませんが、せめて私だけでもMに寄り添って、あの子の話をちゃんと聞いてあげれば、小さな変化に気づいてあげれば……と、思わない日はありません」

Eさんは再発防止を目指すという私たちの考えに強く賛同し、取材を受けて下さった。
すべての子どもたちが加害者にも被害者にもならずに、明るい未来を手にしてほしいというEさんの気持ちは、私たちと変わらない。

二〇一五年九月十八日 文秋オンライン