除霊の日、坂口は将人が運転する車で地獄館を訪れた。毬恵は先に着いていた。

 毬恵も車で来るというので、あの人形のような毬恵がどんな車に乗っているのかとかすかに興味があったのだが、毬恵の車は国産の軽自動車で、ごくプレーンなものなので拍子抜けだった。
毬恵は今日も、ドレープのたっぷり入った黒いワンピースを着ていた。相変わらず胸元に緑の石を身に着けている。

「遠くからわざわざ、ありがとうございます」

 県境の町からここまでは車で一時間以上かかるだろう。交通費などは請求されていないが、大丈夫なのだろうか。

「これぐらいの距離の運転は慣れています。なかには県外からご依頼されるお客様もいらっしゃいますから」

 そう言う毬恵の声には、相変わらず感情がこもっていない。

 三人で四〇四号室に入ると、毬恵はさっそく除霊の準備を始めた。
黒いハンドバッグの中から水晶玉ふたつを取り出し、台座に置く。
次に蝋燭(ろうそく)三本を水晶玉の両端と真ん中に置き、火をつける。
赤い火がゆらゆらと揺らめく様(さま)は、ここが心霊スポットという先入観があるからか、どこか不気味に見えた。

 さらに毬恵がバッグの中から数珠のような緑の玉が連なったブレスレットを取り出し、左手首につけて何かを唱えだす。
お経のように聞こえるが、毬恵の声なのでまったく感情がこもらず、リズムもない。
よく聞けば日本語ではなく、かといって英語のようなメジャーな言語でもなく、どこか遠い国の古い言語のような、不思議な響きを持っていた。

 やがて蝋燭の火が力強く揺らめきだし 、蝋が激しく溶けて床に白いものが流れだす。
毬恵の呪文はまだ続いており、声がどんどん大きくなっていく。
その時坂口は真ん中の水晶玉に、黒い影が映るのを見た。
坂口でも将人でも毬恵でもない、別の誰か。
影はどんどん数を増やしていき、最終的に水晶玉の中に四つの黒いものが虫のように蠢(うごめ)いていた。

 ぱん、というピストルが発射されたかと思うような、激しい音がした。

 見ると、真ん中の水晶玉に罅(ひび)が入っていた。
黒い影はいつのまにか消えていて、水晶玉の表面には枯れ木の枝のような、蜘蛛の巣のような、細かい罅がたくさん入って気味の悪い模様を作っている。
毬恵は呪文を唱えることをやめ、真ん中の水晶玉を手に取り、その表面をしげしげと眺めた。
毬恵にしか見えない、そこに映る何かを確認するように。

 蝋燭の火を消し、水晶玉を片付けると、毬恵は静かに告げた。

「除霊は失敗しました」

 驚きはなかった。水晶玉が割れたということは、そういうことなのかと思っていた。
除霊の失敗に失望するよりも、いっさい物理的な力を加えず、水晶玉が割れるという目の前で起きた不可解な出来事への不気味さのほうが強かった。

「ここには四体の霊がいます」
「四体」

 坂口はネットで集めた情報を思い浮かべた。地獄館に出るという霊は、主に四体いる。
首を吊った女の霊、腹に包丁が刺さった女の霊、赤ん坊の霊、男の霊。
毬恵はそのすべての霊の存在をはっきりと認識しているようだ。

「ここに来る時にZトンネルを通りましたが、あそこは大した心霊スポットではありません。
昔交通事故があったそうですが、その霊はもともときれいな魂だったのでしょう、既に浄化され、魂が彷徨(さまよ)っているといったこともありません。
あそこで心霊現象が起こるのは、心霊スポットと聞いて集まってきた人たちのせいで、悪い気が集まっているせいでしょう。しかし、こちらは」

 毬恵はそこで言葉を切ると、やや神妙な調子で続けた。感情のこもらない毬恵の声がわずかに固くなった。

「悪い気があまりにも多くなりすぎて、霊が霊を集めるような状態になってしまっています。
事件が続いているのも、最初にいる霊に吸い寄せられるように不幸が相次いでしまっているのでしょう。
宇佐美さんの件も含め、相次ぐ行方不明にも霊が関わっています。
なかでも男の霊が、悪霊よりさらに上のレベルに進化しかけていて、危険です」

「悪霊のさらに上、ですか」

 それは怨霊といった類のものだろうか。頭の中に目がらんらんと光り、唇が裂け、かつて人であったことを忘れてしまったような化け物の姿が浮かんだ。

「もちろんこのまま放っておくわけにはいきませんから、対策を考えてみます。少し時間をくださいませんか」
「もちろん、それは大丈夫です」

 将人が言い、坂口にいいなというように目配せをする。坂口は少し迷ってから口を開いた。

「行方不明にも霊は関わっているんですよね。ハルの居場所は、相変わらずわからないですか」

「私の力では、そこまではわかりません。ただ、この場にいくつかの残留思念が残っています。
その残留思念から宇佐美さんのものを特定し、動きを探ることも理論上は可能ですが、今除霊を阻んだ強い霊に邪魔されてしまう可能性が高いです」

 強い霊、というのは悪霊に進化しかけているという男の霊のことだろう。除霊を阻むということは成仏したくないということで、かなり厄介な霊であることは坂口にもわかる。

「ひとまず、持ち帰って対策を立ててみます。必ずお力になれるよう、力を尽くすのでお待ちください」

 今日も低姿勢な毬恵を見ているとこれ以上質問を重ねる気にはならず、それぞれの車に乗り、地獄館を後にした。
まだ十七時をまわったばかりだが、日がだいぶ西に傾いている。
晴彦が行方不明になった頃と比べて、時が進んでいるのを感じてしまい、坂口は胸がきゅっと狭くなるような感覚を覚えた。

「二十年前、ここで女子高生が子どもを殺したニュースがあったって言っただろ」

 帰路につき、運転しながら将人が言う。坂口は小さくうなずいた。

「俺、自分でちょっとそのニュース、突っ込んで調べてみたんだ。
二十年前のニュースで、同じような事件はたくさん起こってるから、そこまで大きくは報道されていなかったけど。
でもネット掲示板で、犯人の女子高生の友人を名乗る人物が書き込んでて……
ネットの書き込みだから嘘かほんとかわからないけれど、かなりリアリティあったぞ。
父親がすごく厳しくて、抑圧されてたとか」

 坂口の脳裏にずっとぼんやりとしか浮かんでいなかった、その女子高生の顔がはっきりと像を結んだ。
父親に抑圧されて、窮屈な思いをしていた女子高生。
本来は子どもを殺すような凶行に及ぶ人物ではなかったのかもしれない。

「名前も出てきた。今(いま)住(ずみ)美佳子、だって。二十年も経ってるから結婚して苗字は変わってる可能性あるけれど」

 将人が少しの間ののち、ぽつりと言った。

「その子はどうして、地獄館を殺人の場所に選んだんだろうな。公衆トイレとか、他に人目につかない場所はたくさんあっただろうに。地獄館なら廃墟化してるし、見つからないって確信があったのかね」

 坂口は無言のまま、小さくうなずいた。