祭での楽しい時間は終わり、再び日常が戻ってきた。
 
 そんな俺の、今日の仕事は、本丸にある縁側の修理。
 床板が軋んでいるとのことで、大工道具を肩に担ぎ仕事に向かった。
 奈川城のような小さな城には、専属の大工などおらず、使用人の中で一番手先が器用な俺に、この手の仕事が回ってくる。
 最初は、めんどうくさいと思ったが、修理する場所は葵様の部屋の側。
 万が一床板が折れて、葵様が足を怪我しては大変と、真面目に修理に取り掛かることにした。
 そして、ささくれが葵様の足の裏に刺さらないように、鉋がけは丁寧にしておく。
 葵様のためなら、給料以上に一手間をかけることも、苦ではない。

 そして無事仕事を終える頃、俺がいることに気づいた葵様が声をかけてくれた。
「ご苦労様です。床板は大丈夫です?」
「無事、床板の交換は終わりました」
 葵様の問いかけに、俺は縁側から庭先に飛び降り答える。
 俺は本来、本丸に上がることを許されない身分だ。
 今は大工仕事のために上がっただけで、修理が終われば速やかに出ていかなければならない。
 だけど、葵様はそんなことを気にした風もなく、にこやかに俺に話しかけてくれる。
「玩具を作ったり、床の修理をしたり、ハヤテってなんでもできるのね」
「昔から手先は器用な方でしたから」
 感心する葵様に、俺は誇らしげになる。
「これ、よければ、お礼に」
 そういって葵様はスッと袋を取り出した。
「いえ、葵様、これは俺の仕事のうち、お礼だなどと」
「そうでなく、これは、先日のかんざしのお礼ですが……」
 お礼を固辞する俺に、葵様は香袋を見せてくれた。
 色白でプニプニした手の平の上に、ちょこんと乗っている香袋からは、葵のお気に入りの香木と同じ匂いがした。
「男の人への贈り物は初めてなので、何を送っていいのかわからなくて。男性は、お香に興味はないでしょうか?」
「そんなことはありませぬ」
 俺は即座に全力で否定した。

 そもそも侍の世界では、よくわからない茶器に国一つ分の値段が付くという。
 それは、何をもらったかではなく、誰にもらったかによって価値が生じるからだ。
 極端なことを言えば、天下人が下賜した湯呑みなら、それがそこらの居酒屋のものでも、黄金の釜より価値が付く。
 そう、だから俺にとってこの香袋は、伽羅香木にも匹敵する貴重な品。
「ありがたく、頂戴いたします」
 あくまでも、先日の警護を無事果たしたことへの褒美を頂戴する形で、葵様からの贈り物をいただいた。
 この城の皆が、門番の爺さんのように、葵様に好意的とは限らない。何せ、この城の皆は、鶴姫の顔色を最優先に働いている。
 だから、あまり葵様と親しいそぶりを見せるわけにはいかない、
「では葵様、仕事も無事終わりましたので、俺はこの辺で」
「ちょっと待って、ハヤテに見てもらいたいものがあるの」
 そう言って葵様は自室の襖を開け、俺を招き入れようとした。
「ハヤテ、入って」
「え、それはいけません」
 縁側に登るどころか、城の姫様の私室に上がったなら、首を斬られても文句は言えない。
 それにまだ結婚前の女性が、自室に男を引き入れたと、葵様にいらぬ噂がたってもいけない。
 葵様は人がいいせいで、その辺りを深く考えていない分、俺がきちんと線引きしなければいけない。 

 俺は、庭から葵様の部屋を見ることにした。
「どう、綺麗でしょう」
 彼女が部屋の襖を全開にすると、奥の衣桁には、仕付け糸のついたままの真新しい着物が掛かっていた。
 あの光沢は正絹の着物だろう。淡い桃色に染まった生地に、松と鶴が描かれている。
 お香もそうだが、俺には女性のおしゃれに関する知識などはない。
 故郷では、女たちは着飾る余裕などはなく、俺もそういったことに無頓着なままで育ってきた。
 だが、この着物が相当高価なものだと言うことぐらいはわかる。
「素敵な着物ですね」
「そうなの、誕生日の祝いにお義母様が贈ってくれたの」
 あのケチな城主が……と、うっかり口に出しそうになり、慌てて口を紡いだ。
 着道楽の鶴姫は、自分は正絹の豪華な染めものを着ている一方、葵様には木綿の着物を着せている。
 侍の娘は質素倹約を尊ぶべし、などと周囲には言っているが、その本心は分かりきっていた。
 血の繋がってない女子には、かける金はないという訳だ。
 しかし、そんな義母がくれた着物でも、葵様は嬉しいのか。正絹の柔らかな手触りを楽しむように、にこやかに着物に触れる。

「これを着ているところ、ハヤテに見てもらいたいな」
「えっ」
 突然の一言に胸が高鳴る。
「それは……」
 綺麗な着物ではなく、それを着た姿を俺に見せたい、ということか!
「もちろんです、葵様の新しい着姿を、この目でしかと見届けます」
「ぷっ、そんな、大袈裟に言わないで」
 俺の仰々しい返事が滑稽だったのか、彼女は目を細めた。
 そして祭りで贈ったかんざしを取り出して、髪に当てて見せた。
 義母の贈り物の着物に対し、俺が贈ったかんざしは、明らかに安物で見劣りがしている。
 けど、葵様はそんなことは全く気にしない様子で、かんざしと着物と組み合わせ、無邪気な笑顔を俺に向けてくれた。
「早く髪が伸びて、このかんざしを挿してみたいなぁ」
「絶対に葵様には似合います!」
 おしゃれなどは全くわからない俺だが、力強く答える。
 着こなしの定石などは関係ない。
 葵様が身につけたなら、どのようなものでも美しいに決まっているのだから。

 そんな二人での和やかなやりとり。
 縁側と庭先、確かに二人の間には距離はあるが、お互いの気持ちの間には、身分の違いなどは関係ないと思えた。
 だが……。
 その音が聞こえた瞬間、俺は一歩退いて庭にひざまずいた。
「え、ハヤテ、どうしたの?」
「城主様が……鶴姫様がまもなくお見えになられます」
 葵様には聞こえない微かな足音を、俺の耳は捉えていた。
 使用人の俺が、姫と同じ目線の高さで談笑している。
 縁側に上がっていなくても、そんなところを見つかれば、鶴姫の不興を被る。
 俺はすぐさま、使用人として葵様に対し頭を低くしてみせた。
「お、お義母様……」
 義母の名前を聞いた瞬間、葵様の表情が緊張で固くなった。
 それは彼女と城主の親子関係を表していた。

 せっかくの幸せな時間を邪魔されたことに、内心舌打ちしながら、俺は足音を分析し始める。
 向かってくる足音は三つ……。
 一つ目の静々と歩く足音は城主の鶴姫。
 そして猫のような軽やかな足音はメジロだ。
 もう一つの足音……それには聞き覚えがない。
 ずいぶんと騒々しい歩き方だが、新しくこの城に出入りする商人だろうか?
 俺は頭を下げたまま、上目遣いで城主たちが姿を現すのを待った。
 少しすると廊下の角から鶴姫が姿を現し、その後ろにメジロが付き従っていた。
 城主の鶴姫は、きつい目つきで威圧感のある女性だ。
 化粧をしっかりとし、華やかな柄の正絹の着物を着ている。
 葵様の質朴で野菊のような美しさとは違い、咲き誇る牡丹のような華やかな美しさを持っていた。
 元々は西の都の裕福な侍の家から嫁いできたと聞く。
 そのせいか、こんな山奥の城に嫁いできても、都での装いを貫き通していた。
 他人の贅沢に口出す気はないが、城主の都会趣味のせいでこの城の給料が安いと思うと、恨み言の一つも言いたくはなる。

 鶴姫は葵様の元に、ゆっくりと近づいて来た。
 当然、庭先の俺には一瞥もくれない。
「葵、ここにいたのか」
 目つきと同じく、鋭くきつい口調で、まるで義娘を詰問しているようだ。
 優美ではあるが威圧的。
 そのせいか鶴姫が近づくにつれ、葵様も緊張が強くなるのが分かる。
「お、お義母様。お琴のお稽古までは、まだ時間があるかと」
「固くなるな。お主の言うとおり、琴の稽古までは、まだ時間はある。今は好きにくつろいでいても良い」
 そう言うと鶴姫は葵様の手のある、かんざしに目を止めた。
「祭りは、楽しめたか?」
「ありがとうございます、おかげで良い思い出ができました」
「ならば良い」
 鶴姫の尊大な態度に、俺は少しイラっときた。
「それは祭りで買ったのか?」
「ごめんなさい……綺麗なものだったのでつい」
 この二人のやりとりは、万事がこのような感じだ。
 心優しく、天真爛漫で、そしてどこか抜けていて鈍臭い。
 そんな敬愛すべき存在が、あの義母の前では輝きを曇らせてしまう。
 それが俺には歯痒かった。
「謝る必要はない。随分と質素なものだが、むしろお主にはそういった素朴なものが似合う」
 鶴姫は葵様に冷たく言う。
 まるで煌びやかな自分とは異なる存在と、葵様を見下しているように、俺は感じた。

「城主様、葵様に今回のご用件を」
 固くなる葵様を助けるように、メジロが言葉を挟んできた。
 すると鶴姫は、急に要件を思い出したようだ。
「そうじゃったな。客人をあまり待たせるわけにはいかぬ」
 城主は軽く咳払いして、言葉を続けた。
「葵、ワシがここにきたのは、先日お主に話した見合いの件じゃ」

 葵様の見合い!
 その言葉を聞いた瞬間、俺の体は雷に打たれたような衝撃を感じ、心は激しく乱れた。