葵様との「六尺おおいたち」見物。
それは一瞬で終わった。
そこいたのは巨大なイタチではなく、六尺はある一枚の巨大な板。そして血のような赤い塗料が塗られている。
騙された!
これが六尺……大板……血か……。
一瞬でも「凶暴な獣から葵様を守る」と考えた自分が馬鹿馬鹿しい。
そして、こんな馬鹿馬鹿しいものを見たせいか、葵様の表情は固まっていた。
「面白かったか?」
不満げな顔で戻ってきた俺に、メジロが楽しそうに声をかけてきた。
「内容を知ってたんなら、教えてくださいよ」
「冷静に考えて六尺のイタチなんか、いるわけないだろ。ああいうので無駄金を使うのも社会勉強だ」
凹んでいる俺を見て、メジロは楽しそうだ。
「姫様はどうでした? 中身はしょうもなくても、こうやって落ち込んでいるハヤテを見れば、木戸銭の元は取れたかと」
ひどいことをサラリという。
「ぷっ」
そしてメジロの声をきっかけに、葵様が思わず吹き出した。
え、ひょっとして、葵様も凹んでいる俺を見て笑ったのか?
「最初は板が置いてあるだけなのでびっくりしました。けど、今考えてみると、あの赤いのは血なのですね。六尺の大板に血が塗ってあるので『六尺おおいたち』すごく、面白かったです」
葵様は、楽しんでいたのか……あのしょうもない見せ物を。
「あれが庶民の粋、駄洒落というやつですね」
それはちょっと違うと思うが、楽しんでくれたようで良かった。
と同時に、葵様があの空間を楽しんでいたのなら、とっとと退出せずに、もう少しあの場で二人きりでいればよかったと、俺は後悔した。
屋台の食い物で腹を満たし、見せ物小屋で社会勉強を終える頃。日も沈み、祭りも終盤に差し掛かった。
それに伴って、見物客は、境内の奥へと移動し始める。
これから祭りの最大の名物、打ち上げ花火が始まるのだ。
「花火、見てみたかったんです」
葵様がこの祭りに来たかった目的は、事前に聞いていた。
屋台で庶民の食べ物を味わうことと、祭りの最後に上がる花火を見ること。
神社への道中で、そう楽しそうに俺に語ってくれた。
そんな訳で、俺たちは花火が見やすい場所へ移動しようとしたのだが。
「おい、ハヤテ、見ろ。金魚掬いだ」
メジロが俺を呼び止めた。
そして彼女は水槽に泳ぐ多数の金魚を、獲物を狙う猫のような目つきで眺めている。
心なしか鼻息が荒い。
花火まで、まだ時間はある。ここで金魚掬いをやるかは、葵様次第か。
葵様の方をみると、彼女はあまり乗り気ではなさそうだ。
「葵様、金魚掬い、やってみます?」
「確かに金魚さん、綺麗ですけど、城では責任もって飼えないですし」
そう言って葵様は首を横に振った。
そういえば以前、葵様に聞いたことがある。
彼女がまだ幼い時、小鳥を欲しがったことがあった。
出入りの商人が、流行りの文鳥を売りつけようと持参してきたのだ。
小さく色が白く、ちょっと小首をかしげる仕草のかわいい文鳥。
葵様はそんな愛らしさに惹かれ、それとなく義母に飼いたい気持ちを伝えたが、鶴姫は彼女の意向など一切無視して、商人に持って帰らせた。
城主は動物飼育には興味がなく、この城では責任を持って飼えない、という理由からだ。
以来あの城で愛玩動物を飼うことは、なんとかく禁忌となっている。
そんなことがあったので、葵様は金魚を掬って楽死んだ後、その先の飼育まで考え、金魚掬いには乗り気ではないようだ。
目の前で、水槽に手を突っ込みかねない様子で金魚を凝視している上司も、その思慮深さを見習ってほしい。
「お嬢ちゃん、水槽には手を突っ込まないでね」
ほら、屋台のおっちゃんも、メジロを警戒している。ここは俺が引き離さなければいけない。
「そんな訳で、メジロさん。世話をできない生き物を飼っちゃダメですよ」
「にゃ〜。じゃあ、世話をしない生き物ならいいのか?」
俺は不満げに屁理屈をこねるメジロを無視して移動を始めた。
「って、メジロさん?」
皆、花火が見やすい場所を知っているのだろう。
奥に進むほど、人の密度が増してきて……メジロが迷子になった。
「メジロさん、大丈夫でしょうか?」
「あ〜どっかで泣いていたら、りんご飴でもくれてやれば泣き止みますよ」
葵様は心配するが、メジロは見た目は子供だが年齢は大人。そして中身は凄腕の忍。
迷子になっても一人でなんとかする。
というか、そこまで俺に世話を焼かせないでほしい。
そんなことよりも……。
つい視線が葵様の横顔にいく。
「綺麗ですね」
「えっ」
二人っきりになったことで、つい気が緩んでしまい、余計なひと言を漏らしてしまった。
「あ、いや、花火が上がるのが楽しみで、つい見た気になって」
と、俺は今のひと言を、懸命に誤魔化した。
「楽しみですね、花火」
葵様がポツリと言った瞬間。
どーんという爆音と共に、花火が上がった。
「わぁ」
打ち上げ花火を見るのは初めてなのだろう。
夜空を明るく染める花火に、葵様は目を奪われている。
「大きくて綺麗。線香花火とは、全然違いますね」
興奮を抑えられないように呟く。
どん、どんどん。
十数発の花火が、立て続けに上がり、その度に夜空を、そして葵様の姿を美しく照らしてくれた。
「綺麗でした」
「ええ、とっても……綺麗です」
打ち上げ花火は、あっという間に終わった。
だけど短い時間ではあるが、俺は葵様と素敵な時間を共有できた。
「私、こんな大きくて綺麗な花火、初めて見ました」
花火の美しさ見事さを語る葵様に、俺は相槌を打ちながら、二人で神社の出口へと向かった。
境内まで戻ると、先ほどまでは客で賑わっていた屋台も、店仕舞いに入っている。
どうやら祭りも終わりのようだ。
できることならこの時間がずっと続いてほしい。
そんなことを思いもしたが、それは無理なことはわかっている。
神社を出て奈川城に戻れば、またいつもの日常に戻る。
「もっと、こうしていたいなぁ」
すでに花火の輝きが消えた夜空を見上げながら、葵様は少し残念そうに呟いた。
俺たちは楽しい時間が終わりゆくのを惜しみながら、出口へ向かおうとした瞬間。
背後でヒューという音が響き、空一面の閃光、そして雷のような轟音。
不意打ちのような、最後の一発が上がった。
「えっ」
だが、その花火を葵様は見ることができなかった。
閃光に驚いて、慌てて振り向いた時には、すでに光の花はしおれ、その満開の時を見ることはできなかった。
葵様は反応が少し鈍臭いのだ。
「え〜、ひょっとして、今のが最後の花火ですか?」
「また、来年。来年も花火を見にきましょう」
最後の大花火を見逃した彼女を励ますように、俺はそう告げた。
そう、俺たちにはまた来年もある。
そして再来年も、ずっと……。
葵様が奈川城の姫で、俺がその使用人である限り、この幸せな時間はまた訪れる。
色とりどりの花火を背にした葵様の美しさを脳裏に刻みながら、俺はそんなことを思った。
祭りに来ている人は皆、最後の花火が祭りの終わりの合図だと、知っているのだろう。
帰路につく人たちは皆、鳥居の方へ向かっている。
「さて、帰るとしますか……と、その前にメジロさんを探さなきゃ」
「メジロさん、泣いてないといいですけど」
大丈夫。大人は迷子では泣いたりしない。
そんなことを言いながら歩いていると、葵様はふと、とある屋台の前で足を止めた。
彼女の視線の先には、赤いかんざしが飾られていた。
鉄の串と木の玉を、朱で塗っただけの単純なもの。
こんな場末の屋台で売っているものだ、決して高価なものではない。
「葵様?」
「あ、大人になったから、これから髪を伸ばして、結うことになるけど、私、かんざし持っていなくて」
物欲しそうな自分を誤魔化すようにいう。
普段、自分の欲しいものを買ってもらえないので、つい目についた装飾品が欲しくなったんだろうか。
「いいですよ」
この値段なら、俺の手持ちの銭でも買える。
俺がかんざしを買い、葵様に手渡すと、彼女は嬉しそうに俺に微笑んで見せた。
「来年までには、髪の毛を伸ばしますから、これを挿してまた一緒に花火を見にきたいです」
随分と気の長い話だ。
それに……
これから葵様の髪が伸び、かんざしが必要になれば、流石に城主もそれ相応のものを買い与えられるだろう。
その時には、こんな玩具のようなかんざしは、どこかに失せているかもしれない。
だけど今、彼女が嬉しそうにしてくれるこの一瞬が、俺にとっては大切な時間。
それに、来年の花火も一緒に来たいと葵様の言葉が嬉しかった。
***
俺たちは、人の流れに逆らわないよう、ゆっくりと鳥居まで流れてきた。
途中離れそうになるが、使用人である俺が、葵様の手を握るわけにはいかない。
俺は人混みをかきわけ、葵様の通り道を確保しつつ、鳥居まで到着し一息をついた。
「今日は楽しかった」
葵様は、目を輝かせながら言ってくれた。
そう、楽しかった。
こんな時間が、再び手に入るなんて、里を出た時は思っても見なかった。
将来の希望も見えず、ただ生きていただけの俺が、手に入れた幸せの日々。
それは、全て彼女のおかげ。
「ハヤテ、大丈夫です?」
ぼーっとしていた俺のことを、葵様が心配そうに覗き込んできた。
彼女のつぶらな瞳と目が合い、胸がドキッとする。
いかん。二人きりの時間が楽しくて、つい、変な風に葵様を意識してしまう。
俺は顔が赤くならないように、懸命に心を落ち着けようとした。
葵様の顔も赤らんで見えるのは……おそらく提灯の赤い光のせいだろうか。
「大丈夫です。慣れない人混みに、酔ってしまって」
懸命に俺が取り繕うと、背後からメジロの声が聞こえた。
「にゃ〜、いた! まったく、君も子供じゃないんだから、迷子にならないでくれ」
俺たちが祭りに来た目的は、葵様の護衛。それを考えれば、迷子になったのはメジロでは?
そう言おうとして、ふと彼女の腰にある魚籠に目が行った。
「メジロさん、それなんです?」
「君が責任持って飼えないものはダメだと言ったからな。今までザリガニ釣りをしていた。これなら食うからいいだろ?」
いや、あなた仕事中でしょ?
あと、そのザリガニは帰って食うつもりなのか?
と突っ込みたくなったが、メジロは自分の中にある狩猟本能を満たしたためなのか、満足げな様子。
まあ、おかげで葵様と二人で花火見物という、最高の思い出を作れたので、メジロの勝手な行動は不問にしよう。
「メジロさんも、また来年。三人で、花火を見にきましょうね」
腰の辺りでザリガニがガサゴソ音を立てているメジロに、葵様は微笑みかける。
俺は葵様のその言葉を聞いて、メジロが迷子のままでいればよかったのに、と少し大人気ないことを思ってしまった。
こうして、葵様との楽しい時間は終わりを迎える。
俺は暗くなった夜空を見つめ、先ほどの花火を思い出した。
美しくも儚い一瞬の時。
俺のこの幸せは、花火のような刹那の輝きではなく、ずっと続くもの。
この時は、そう疑わずに信じていた……
それは一瞬で終わった。
そこいたのは巨大なイタチではなく、六尺はある一枚の巨大な板。そして血のような赤い塗料が塗られている。
騙された!
これが六尺……大板……血か……。
一瞬でも「凶暴な獣から葵様を守る」と考えた自分が馬鹿馬鹿しい。
そして、こんな馬鹿馬鹿しいものを見たせいか、葵様の表情は固まっていた。
「面白かったか?」
不満げな顔で戻ってきた俺に、メジロが楽しそうに声をかけてきた。
「内容を知ってたんなら、教えてくださいよ」
「冷静に考えて六尺のイタチなんか、いるわけないだろ。ああいうので無駄金を使うのも社会勉強だ」
凹んでいる俺を見て、メジロは楽しそうだ。
「姫様はどうでした? 中身はしょうもなくても、こうやって落ち込んでいるハヤテを見れば、木戸銭の元は取れたかと」
ひどいことをサラリという。
「ぷっ」
そしてメジロの声をきっかけに、葵様が思わず吹き出した。
え、ひょっとして、葵様も凹んでいる俺を見て笑ったのか?
「最初は板が置いてあるだけなのでびっくりしました。けど、今考えてみると、あの赤いのは血なのですね。六尺の大板に血が塗ってあるので『六尺おおいたち』すごく、面白かったです」
葵様は、楽しんでいたのか……あのしょうもない見せ物を。
「あれが庶民の粋、駄洒落というやつですね」
それはちょっと違うと思うが、楽しんでくれたようで良かった。
と同時に、葵様があの空間を楽しんでいたのなら、とっとと退出せずに、もう少しあの場で二人きりでいればよかったと、俺は後悔した。
屋台の食い物で腹を満たし、見せ物小屋で社会勉強を終える頃。日も沈み、祭りも終盤に差し掛かった。
それに伴って、見物客は、境内の奥へと移動し始める。
これから祭りの最大の名物、打ち上げ花火が始まるのだ。
「花火、見てみたかったんです」
葵様がこの祭りに来たかった目的は、事前に聞いていた。
屋台で庶民の食べ物を味わうことと、祭りの最後に上がる花火を見ること。
神社への道中で、そう楽しそうに俺に語ってくれた。
そんな訳で、俺たちは花火が見やすい場所へ移動しようとしたのだが。
「おい、ハヤテ、見ろ。金魚掬いだ」
メジロが俺を呼び止めた。
そして彼女は水槽に泳ぐ多数の金魚を、獲物を狙う猫のような目つきで眺めている。
心なしか鼻息が荒い。
花火まで、まだ時間はある。ここで金魚掬いをやるかは、葵様次第か。
葵様の方をみると、彼女はあまり乗り気ではなさそうだ。
「葵様、金魚掬い、やってみます?」
「確かに金魚さん、綺麗ですけど、城では責任もって飼えないですし」
そう言って葵様は首を横に振った。
そういえば以前、葵様に聞いたことがある。
彼女がまだ幼い時、小鳥を欲しがったことがあった。
出入りの商人が、流行りの文鳥を売りつけようと持参してきたのだ。
小さく色が白く、ちょっと小首をかしげる仕草のかわいい文鳥。
葵様はそんな愛らしさに惹かれ、それとなく義母に飼いたい気持ちを伝えたが、鶴姫は彼女の意向など一切無視して、商人に持って帰らせた。
城主は動物飼育には興味がなく、この城では責任を持って飼えない、という理由からだ。
以来あの城で愛玩動物を飼うことは、なんとかく禁忌となっている。
そんなことがあったので、葵様は金魚を掬って楽死んだ後、その先の飼育まで考え、金魚掬いには乗り気ではないようだ。
目の前で、水槽に手を突っ込みかねない様子で金魚を凝視している上司も、その思慮深さを見習ってほしい。
「お嬢ちゃん、水槽には手を突っ込まないでね」
ほら、屋台のおっちゃんも、メジロを警戒している。ここは俺が引き離さなければいけない。
「そんな訳で、メジロさん。世話をできない生き物を飼っちゃダメですよ」
「にゃ〜。じゃあ、世話をしない生き物ならいいのか?」
俺は不満げに屁理屈をこねるメジロを無視して移動を始めた。
「って、メジロさん?」
皆、花火が見やすい場所を知っているのだろう。
奥に進むほど、人の密度が増してきて……メジロが迷子になった。
「メジロさん、大丈夫でしょうか?」
「あ〜どっかで泣いていたら、りんご飴でもくれてやれば泣き止みますよ」
葵様は心配するが、メジロは見た目は子供だが年齢は大人。そして中身は凄腕の忍。
迷子になっても一人でなんとかする。
というか、そこまで俺に世話を焼かせないでほしい。
そんなことよりも……。
つい視線が葵様の横顔にいく。
「綺麗ですね」
「えっ」
二人っきりになったことで、つい気が緩んでしまい、余計なひと言を漏らしてしまった。
「あ、いや、花火が上がるのが楽しみで、つい見た気になって」
と、俺は今のひと言を、懸命に誤魔化した。
「楽しみですね、花火」
葵様がポツリと言った瞬間。
どーんという爆音と共に、花火が上がった。
「わぁ」
打ち上げ花火を見るのは初めてなのだろう。
夜空を明るく染める花火に、葵様は目を奪われている。
「大きくて綺麗。線香花火とは、全然違いますね」
興奮を抑えられないように呟く。
どん、どんどん。
十数発の花火が、立て続けに上がり、その度に夜空を、そして葵様の姿を美しく照らしてくれた。
「綺麗でした」
「ええ、とっても……綺麗です」
打ち上げ花火は、あっという間に終わった。
だけど短い時間ではあるが、俺は葵様と素敵な時間を共有できた。
「私、こんな大きくて綺麗な花火、初めて見ました」
花火の美しさ見事さを語る葵様に、俺は相槌を打ちながら、二人で神社の出口へと向かった。
境内まで戻ると、先ほどまでは客で賑わっていた屋台も、店仕舞いに入っている。
どうやら祭りも終わりのようだ。
できることならこの時間がずっと続いてほしい。
そんなことを思いもしたが、それは無理なことはわかっている。
神社を出て奈川城に戻れば、またいつもの日常に戻る。
「もっと、こうしていたいなぁ」
すでに花火の輝きが消えた夜空を見上げながら、葵様は少し残念そうに呟いた。
俺たちは楽しい時間が終わりゆくのを惜しみながら、出口へ向かおうとした瞬間。
背後でヒューという音が響き、空一面の閃光、そして雷のような轟音。
不意打ちのような、最後の一発が上がった。
「えっ」
だが、その花火を葵様は見ることができなかった。
閃光に驚いて、慌てて振り向いた時には、すでに光の花はしおれ、その満開の時を見ることはできなかった。
葵様は反応が少し鈍臭いのだ。
「え〜、ひょっとして、今のが最後の花火ですか?」
「また、来年。来年も花火を見にきましょう」
最後の大花火を見逃した彼女を励ますように、俺はそう告げた。
そう、俺たちにはまた来年もある。
そして再来年も、ずっと……。
葵様が奈川城の姫で、俺がその使用人である限り、この幸せな時間はまた訪れる。
色とりどりの花火を背にした葵様の美しさを脳裏に刻みながら、俺はそんなことを思った。
祭りに来ている人は皆、最後の花火が祭りの終わりの合図だと、知っているのだろう。
帰路につく人たちは皆、鳥居の方へ向かっている。
「さて、帰るとしますか……と、その前にメジロさんを探さなきゃ」
「メジロさん、泣いてないといいですけど」
大丈夫。大人は迷子では泣いたりしない。
そんなことを言いながら歩いていると、葵様はふと、とある屋台の前で足を止めた。
彼女の視線の先には、赤いかんざしが飾られていた。
鉄の串と木の玉を、朱で塗っただけの単純なもの。
こんな場末の屋台で売っているものだ、決して高価なものではない。
「葵様?」
「あ、大人になったから、これから髪を伸ばして、結うことになるけど、私、かんざし持っていなくて」
物欲しそうな自分を誤魔化すようにいう。
普段、自分の欲しいものを買ってもらえないので、つい目についた装飾品が欲しくなったんだろうか。
「いいですよ」
この値段なら、俺の手持ちの銭でも買える。
俺がかんざしを買い、葵様に手渡すと、彼女は嬉しそうに俺に微笑んで見せた。
「来年までには、髪の毛を伸ばしますから、これを挿してまた一緒に花火を見にきたいです」
随分と気の長い話だ。
それに……
これから葵様の髪が伸び、かんざしが必要になれば、流石に城主もそれ相応のものを買い与えられるだろう。
その時には、こんな玩具のようなかんざしは、どこかに失せているかもしれない。
だけど今、彼女が嬉しそうにしてくれるこの一瞬が、俺にとっては大切な時間。
それに、来年の花火も一緒に来たいと葵様の言葉が嬉しかった。
***
俺たちは、人の流れに逆らわないよう、ゆっくりと鳥居まで流れてきた。
途中離れそうになるが、使用人である俺が、葵様の手を握るわけにはいかない。
俺は人混みをかきわけ、葵様の通り道を確保しつつ、鳥居まで到着し一息をついた。
「今日は楽しかった」
葵様は、目を輝かせながら言ってくれた。
そう、楽しかった。
こんな時間が、再び手に入るなんて、里を出た時は思っても見なかった。
将来の希望も見えず、ただ生きていただけの俺が、手に入れた幸せの日々。
それは、全て彼女のおかげ。
「ハヤテ、大丈夫です?」
ぼーっとしていた俺のことを、葵様が心配そうに覗き込んできた。
彼女のつぶらな瞳と目が合い、胸がドキッとする。
いかん。二人きりの時間が楽しくて、つい、変な風に葵様を意識してしまう。
俺は顔が赤くならないように、懸命に心を落ち着けようとした。
葵様の顔も赤らんで見えるのは……おそらく提灯の赤い光のせいだろうか。
「大丈夫です。慣れない人混みに、酔ってしまって」
懸命に俺が取り繕うと、背後からメジロの声が聞こえた。
「にゃ〜、いた! まったく、君も子供じゃないんだから、迷子にならないでくれ」
俺たちが祭りに来た目的は、葵様の護衛。それを考えれば、迷子になったのはメジロでは?
そう言おうとして、ふと彼女の腰にある魚籠に目が行った。
「メジロさん、それなんです?」
「君が責任持って飼えないものはダメだと言ったからな。今までザリガニ釣りをしていた。これなら食うからいいだろ?」
いや、あなた仕事中でしょ?
あと、そのザリガニは帰って食うつもりなのか?
と突っ込みたくなったが、メジロは自分の中にある狩猟本能を満たしたためなのか、満足げな様子。
まあ、おかげで葵様と二人で花火見物という、最高の思い出を作れたので、メジロの勝手な行動は不問にしよう。
「メジロさんも、また来年。三人で、花火を見にきましょうね」
腰の辺りでザリガニがガサゴソ音を立てているメジロに、葵様は微笑みかける。
俺は葵様のその言葉を聞いて、メジロが迷子のままでいればよかったのに、と少し大人気ないことを思ってしまった。
こうして、葵様との楽しい時間は終わりを迎える。
俺は暗くなった夜空を見つめ、先ほどの花火を思い出した。
美しくも儚い一瞬の時。
俺のこの幸せは、花火のような刹那の輝きではなく、ずっと続くもの。
この時は、そう疑わずに信じていた……


