賑やかな祭囃子が聞こえてくる。
俺、いや俺たちは奈川城を出て、山の中腹にある神社に来ていた。
ここは歴史のある神社らしく、鳥居をくぐると、さまざまな屋台が軒を連ねている。
俺の育った忍の里では、山奥にあり、祭りの時も屋台など来ることはなかった。
せいぜい旅芸人が見せ物をしたり、旅商人が里では手に入らない、珍しいものを売りに来るぐらいだ。
そんな山奥で育った俺は今、この賑わいの中で不覚にも胸が高鳴っている。
いや正確には、この胸の高鳴りは祭りの賑わいのためだけではなかった。
「すごい、ハヤテ。いろんなお店があるね」
ちらりと横を見ると、提灯の灯りに目を輝かせる葵様の横顔。
そう。
あのケチな鬼城主が、使用人に祭りで遊ぶための休暇など、くれるわけがない。
俺は葵様のお供として、この祭りにやって来ていた。
葵様は先日十六歳の誕生日を迎えた。
十六歳が大人と子供の区切なのは、侍も領民も、そして忍も同じだ。
本来は城の姫の祝い事として、豪華な誕生の宴が開かれるはず。
だが城主の鶴姫は、そのような気の利いたことなどはしない。
侍の娘は質素倹約を常とすべし、と葵様に対しては金も手間も、そして何より愛情をかけている様子は見られない。
所詮、葵様は先妻の子だからか、と皮肉も言いたくもなる。
だがメジロからは「城主の親子関係には関わるな」と言い含まれているので、それ以上は俺も余計なことは言えない。
そんなケチな鶴姫も、流石に何もしないのはバツが悪かったのか。葵様に誕生祝いの希望だけは聞いたらしい。
「よかった、お義母様が外出を許してくれて。一度、来てみたかったの、このお祭りというものに」
よその子扱いされ、城の中から出る機会が少なかった葵様には、外の世界への憧れがあったのだろう。
彼女は派手な宴や、豪華な祝いの品ではなく、近所の神社の祭りに行きたいと希望した。
そして鶴姫は、祭り見物なら安く済むと判断したのだろう。その願いをすんなりと聞き入れてくれた。
おかげで俺もお供という名目で、葵様と祭りに出かけることができたのだが……
「ハヤテ、今日は仕事だからな、羽目を外すなよ」
背後からの忠告の声。
愛情薄い親子関係ではあるが、嫁入り前の一人娘を、男と二人きりで祭りに出かけるのを、許可するわけはない。
葵様の警護役は、俺ともう一人いた。
「さて姫様、鶴姫様よりお金は預かっておりますので、思う存分祭りを楽しみ、社会勉強をしてください」
メジロはニヤリと笑いながら、葵様にいう。
「何か欲しいものがあれば、この男を使いに走らせますので」
そう、今日の俺の役目は使い走り。
葵様の身辺警護はメジロが行う。
「え、そんな。ハヤテも一緒に、お祭りを楽しみましょ」
人を人と思わない態度のメジロと違い、葵様は祭りに来ていても、俺のことにも気を遣ってくれる。
「大丈夫です、葵様のためなら、いくらでもこの俊足を発揮しますので」
彼女のためなら、喜んで使いっ走りをする。
それだけ葵様と祭りに来られたことは、俺にとっては幸せなことだった。
この祭りは神社に祀られている神さまを祝うためのものだが、信仰心のない俺には関係ない。
立ち並ぶ屋台を物色し、珍しいものを食う。
それが俺たちの目的だ。
そんな訳で早速、三人で屋台を見て回った。
「あ、あれ美味しそう」
「さすが姫様、お目が高い。よしハヤテ、あの団子買ってこい。他の人の着物を汚さないように注意しろよ」
と、俺は使い走りとしての本領を発揮する。
祭りへの同行は、実のところメジロの推挙のおかげ。
今だけは、ぞんざいな扱いをされても怒ることはしない。
「ハヤテ、あそこの寿司、買ってこい」
「買ってきました」
メジロは城主から預かった銭を俺に渡し、命令し、俺は迅速に任務をこなす。
葵様は、屋台で寿司を食うのは初めてなんだろう。
俺が買ってきた海苔巻きを見ながら、不思議そうに首を傾げて見せる。
「このお寿司、カッパ巻きというのに、中に入っているのは胡瓜ですよね?」
そんな素朴の疑問に、メジロが即答した。
「姫様、カッパを座敷牢に閉じ込めて作らせた寿司なので、カッパ巻きというんですよ」
「カッパさん、かわいそう」
「メジロさんは、そういう嘘を教えないで」
メジロの与太話を、どこまで本気にしたかはわからない。だが念のため、葵様にはカッパは実在しないことは教えた方がいいのだろうか。
いや、それも夢のない話。
何より、こういった他愛もない話で、のんびりできる時間が平和でいい。
美味しそうにカッパ巻きを口にする、葵様を見ながら俺は幸せな時間に浸っていた。
こんな感じで、俺たちは屋台を見て周り、葵様が興味を持ったものを食べ歩きした。
今回、渡された銭は葵様のためのもので、俺たちが勝手に飲み食いに使うわけにはいけない。だがメジロは当然のように、買ってきたものを口にする。
一方の俺は立場を弁えているので、二人が旨そうに食べているのを、横目で見ているだけ。
不思議なことに、葵様が美味しそうに食べているのを見るだけで、腹も心も満たされるのだ。
「ハヤテも、田楽食べます?」
しかし優しい葵様は、自分だけ食うことをよしとはしない。
俺が何も食べていないことに気づいて、ちゃんと気遣いしてくれた。
田楽。
それは豆腐に甘みをつけた味噌をつけ、串焼きにしたもの。
香ばしい味噌の香りが食欲をそそるが、俺はもらうことを躊躇する。
「あ、私も、つい色々買いすぎて、もうお腹いっぱいなので」
そんな俺の様子を見た葵様は、気遣ってそう言ってくれたが、ここはきちんと主従関係を守らねば。
俺が食うぶんは、後で自分の銭で買えばいい。
「葵様、心遣いはありがたいのですが……」
そう言って断ろうとした瞬間。
「ありがとございます、姫様」
泥棒猫のようにメジロが田楽を掻っ攫っていった。
両手に田楽を持ち、満足げな表情をするメジロ。
「ハヤテはいらないみたいなので、彼の分も僕が」
「メジロさん、それは葵様のための銭で買ったもの。俺たちが食うわけには……」
葵様の前なので、ついまじめぶってしまう。
「考えが浅いなハヤテ。姫様が自分だけ食べていると、この祭りを楽しめないだろ。僕達がご相伴に預かることで、姫様も遠慮なく祭りを楽しむことができる。すなわち、この田楽を僕が食うのは姫様のため」
そう言って田楽を食おうとするメジロの手から、俺は躊躇せず田楽を一本、もぎ取った。
屁理屈はさておき、このままメジロに食われるぐらいなら俺が食う。
「そういうことでしたら、俺もいただきます」
それに俺が食わねば、葵様はいつまでも俺のことを気にかけ、祭り屋台を堪能しきれない。
「うまいです」
田楽は確かに美味かった。
けど、それ以上に葵様の心遣いが、嬉しかった。
「よかった〜、私一人で食べると、すぐにお腹いっぱいになるから。みんなで分ければ、いろいろなもの、食べられますから」
(葵様、城ではいつも一人だからな)
嬉しそうな彼女の表情を見ながら、俺はそんなことを思った。
血のつながらない城主の元、城の姫としての重圧だけは背負わされる。
そんな彼女が、姫としての立場を忘れ、こうやって楽しんでくれている。
この祭に、葵様と一緒に来れてよかったと心から思う。
***
そして屋台で目ぼしいものを、ひと通り食い終わった頃。
「ハヤテ、これは?」
見慣れない不思議な看板を見て、葵様が足を止めた。
小屋の看板に書かれた「本日公開 六尺のおおいたち」という堂々とした文字。
そして、その横には血まみれのおどろおどろしいイタチの絵が書いてある。
「イタチなんて、どこにでもいますよ?」
怪しげな看板に興味津々な葵様に、冷めた感じのメジロが声を掛ける。
「けど六尺って、随分と大きい」
葵様は「おおいたち」という言葉が気になったようだ。
確かに六尺といえば、俺よりも二回りもでかい。
普通の山で見かけるやつの五倍以上。
まあ六尺は大袈裟で、実際は大きめのイタチを捕まえてきて、見せ物にしているんだろう。
だが、さっきの河童の話ではないが、育ちの良い葵様はこう言った胡散臭いものに免疫がない。
だったら彼女の社会勉強のためにも、俺が付き合わねば。
いや、決して二人きりになりたいという、邪な気持ちはない。
「メジロさん、俺が責任持って松姫様を守ります」
「じゃあ、ハヤテ。僕はここで待っているから、二人で見てきてね」
と、僕の申し出を、メジロはあっさりと受け入れ、木戸銭を渡してくれた。
さて、どんなものやら「六尺おおいたち」
ちゃんと檻に入れてあるだろうが、万が一、イタチが暴れて逃げ出してはいけない。
「俺が先に入ります」
好奇心に胸を膨らませている葵様の安全のため、まず俺が見せ物小屋の暖簾をくぐる。
そして、そこで俺たちが見たものは……
俺、いや俺たちは奈川城を出て、山の中腹にある神社に来ていた。
ここは歴史のある神社らしく、鳥居をくぐると、さまざまな屋台が軒を連ねている。
俺の育った忍の里では、山奥にあり、祭りの時も屋台など来ることはなかった。
せいぜい旅芸人が見せ物をしたり、旅商人が里では手に入らない、珍しいものを売りに来るぐらいだ。
そんな山奥で育った俺は今、この賑わいの中で不覚にも胸が高鳴っている。
いや正確には、この胸の高鳴りは祭りの賑わいのためだけではなかった。
「すごい、ハヤテ。いろんなお店があるね」
ちらりと横を見ると、提灯の灯りに目を輝かせる葵様の横顔。
そう。
あのケチな鬼城主が、使用人に祭りで遊ぶための休暇など、くれるわけがない。
俺は葵様のお供として、この祭りにやって来ていた。
葵様は先日十六歳の誕生日を迎えた。
十六歳が大人と子供の区切なのは、侍も領民も、そして忍も同じだ。
本来は城の姫の祝い事として、豪華な誕生の宴が開かれるはず。
だが城主の鶴姫は、そのような気の利いたことなどはしない。
侍の娘は質素倹約を常とすべし、と葵様に対しては金も手間も、そして何より愛情をかけている様子は見られない。
所詮、葵様は先妻の子だからか、と皮肉も言いたくもなる。
だがメジロからは「城主の親子関係には関わるな」と言い含まれているので、それ以上は俺も余計なことは言えない。
そんなケチな鶴姫も、流石に何もしないのはバツが悪かったのか。葵様に誕生祝いの希望だけは聞いたらしい。
「よかった、お義母様が外出を許してくれて。一度、来てみたかったの、このお祭りというものに」
よその子扱いされ、城の中から出る機会が少なかった葵様には、外の世界への憧れがあったのだろう。
彼女は派手な宴や、豪華な祝いの品ではなく、近所の神社の祭りに行きたいと希望した。
そして鶴姫は、祭り見物なら安く済むと判断したのだろう。その願いをすんなりと聞き入れてくれた。
おかげで俺もお供という名目で、葵様と祭りに出かけることができたのだが……
「ハヤテ、今日は仕事だからな、羽目を外すなよ」
背後からの忠告の声。
愛情薄い親子関係ではあるが、嫁入り前の一人娘を、男と二人きりで祭りに出かけるのを、許可するわけはない。
葵様の警護役は、俺ともう一人いた。
「さて姫様、鶴姫様よりお金は預かっておりますので、思う存分祭りを楽しみ、社会勉強をしてください」
メジロはニヤリと笑いながら、葵様にいう。
「何か欲しいものがあれば、この男を使いに走らせますので」
そう、今日の俺の役目は使い走り。
葵様の身辺警護はメジロが行う。
「え、そんな。ハヤテも一緒に、お祭りを楽しみましょ」
人を人と思わない態度のメジロと違い、葵様は祭りに来ていても、俺のことにも気を遣ってくれる。
「大丈夫です、葵様のためなら、いくらでもこの俊足を発揮しますので」
彼女のためなら、喜んで使いっ走りをする。
それだけ葵様と祭りに来られたことは、俺にとっては幸せなことだった。
この祭りは神社に祀られている神さまを祝うためのものだが、信仰心のない俺には関係ない。
立ち並ぶ屋台を物色し、珍しいものを食う。
それが俺たちの目的だ。
そんな訳で早速、三人で屋台を見て回った。
「あ、あれ美味しそう」
「さすが姫様、お目が高い。よしハヤテ、あの団子買ってこい。他の人の着物を汚さないように注意しろよ」
と、俺は使い走りとしての本領を発揮する。
祭りへの同行は、実のところメジロの推挙のおかげ。
今だけは、ぞんざいな扱いをされても怒ることはしない。
「ハヤテ、あそこの寿司、買ってこい」
「買ってきました」
メジロは城主から預かった銭を俺に渡し、命令し、俺は迅速に任務をこなす。
葵様は、屋台で寿司を食うのは初めてなんだろう。
俺が買ってきた海苔巻きを見ながら、不思議そうに首を傾げて見せる。
「このお寿司、カッパ巻きというのに、中に入っているのは胡瓜ですよね?」
そんな素朴の疑問に、メジロが即答した。
「姫様、カッパを座敷牢に閉じ込めて作らせた寿司なので、カッパ巻きというんですよ」
「カッパさん、かわいそう」
「メジロさんは、そういう嘘を教えないで」
メジロの与太話を、どこまで本気にしたかはわからない。だが念のため、葵様にはカッパは実在しないことは教えた方がいいのだろうか。
いや、それも夢のない話。
何より、こういった他愛もない話で、のんびりできる時間が平和でいい。
美味しそうにカッパ巻きを口にする、葵様を見ながら俺は幸せな時間に浸っていた。
こんな感じで、俺たちは屋台を見て周り、葵様が興味を持ったものを食べ歩きした。
今回、渡された銭は葵様のためのもので、俺たちが勝手に飲み食いに使うわけにはいけない。だがメジロは当然のように、買ってきたものを口にする。
一方の俺は立場を弁えているので、二人が旨そうに食べているのを、横目で見ているだけ。
不思議なことに、葵様が美味しそうに食べているのを見るだけで、腹も心も満たされるのだ。
「ハヤテも、田楽食べます?」
しかし優しい葵様は、自分だけ食うことをよしとはしない。
俺が何も食べていないことに気づいて、ちゃんと気遣いしてくれた。
田楽。
それは豆腐に甘みをつけた味噌をつけ、串焼きにしたもの。
香ばしい味噌の香りが食欲をそそるが、俺はもらうことを躊躇する。
「あ、私も、つい色々買いすぎて、もうお腹いっぱいなので」
そんな俺の様子を見た葵様は、気遣ってそう言ってくれたが、ここはきちんと主従関係を守らねば。
俺が食うぶんは、後で自分の銭で買えばいい。
「葵様、心遣いはありがたいのですが……」
そう言って断ろうとした瞬間。
「ありがとございます、姫様」
泥棒猫のようにメジロが田楽を掻っ攫っていった。
両手に田楽を持ち、満足げな表情をするメジロ。
「ハヤテはいらないみたいなので、彼の分も僕が」
「メジロさん、それは葵様のための銭で買ったもの。俺たちが食うわけには……」
葵様の前なので、ついまじめぶってしまう。
「考えが浅いなハヤテ。姫様が自分だけ食べていると、この祭りを楽しめないだろ。僕達がご相伴に預かることで、姫様も遠慮なく祭りを楽しむことができる。すなわち、この田楽を僕が食うのは姫様のため」
そう言って田楽を食おうとするメジロの手から、俺は躊躇せず田楽を一本、もぎ取った。
屁理屈はさておき、このままメジロに食われるぐらいなら俺が食う。
「そういうことでしたら、俺もいただきます」
それに俺が食わねば、葵様はいつまでも俺のことを気にかけ、祭り屋台を堪能しきれない。
「うまいです」
田楽は確かに美味かった。
けど、それ以上に葵様の心遣いが、嬉しかった。
「よかった〜、私一人で食べると、すぐにお腹いっぱいになるから。みんなで分ければ、いろいろなもの、食べられますから」
(葵様、城ではいつも一人だからな)
嬉しそうな彼女の表情を見ながら、俺はそんなことを思った。
血のつながらない城主の元、城の姫としての重圧だけは背負わされる。
そんな彼女が、姫としての立場を忘れ、こうやって楽しんでくれている。
この祭に、葵様と一緒に来れてよかったと心から思う。
***
そして屋台で目ぼしいものを、ひと通り食い終わった頃。
「ハヤテ、これは?」
見慣れない不思議な看板を見て、葵様が足を止めた。
小屋の看板に書かれた「本日公開 六尺のおおいたち」という堂々とした文字。
そして、その横には血まみれのおどろおどろしいイタチの絵が書いてある。
「イタチなんて、どこにでもいますよ?」
怪しげな看板に興味津々な葵様に、冷めた感じのメジロが声を掛ける。
「けど六尺って、随分と大きい」
葵様は「おおいたち」という言葉が気になったようだ。
確かに六尺といえば、俺よりも二回りもでかい。
普通の山で見かけるやつの五倍以上。
まあ六尺は大袈裟で、実際は大きめのイタチを捕まえてきて、見せ物にしているんだろう。
だが、さっきの河童の話ではないが、育ちの良い葵様はこう言った胡散臭いものに免疫がない。
だったら彼女の社会勉強のためにも、俺が付き合わねば。
いや、決して二人きりになりたいという、邪な気持ちはない。
「メジロさん、俺が責任持って松姫様を守ります」
「じゃあ、ハヤテ。僕はここで待っているから、二人で見てきてね」
と、僕の申し出を、メジロはあっさりと受け入れ、木戸銭を渡してくれた。
さて、どんなものやら「六尺おおいたち」
ちゃんと檻に入れてあるだろうが、万が一、イタチが暴れて逃げ出してはいけない。
「俺が先に入ります」
好奇心に胸を膨らませている葵様の安全のため、まず俺が見せ物小屋の暖簾をくぐる。
そして、そこで俺たちが見たものは……


