清成が持っていた、南蛮式の回転拳銃。
なぜ鶴姫がそれを持っているのか?
「メジロ、説明してやれ」
まるで俺の疑問に答えるように、メジロは悪戯っぽく、そしてどこか誇らしげな口調で、説明を始めた。
「全ては鶴姫様の思慮深い采配。清成の奈川城での初顔合わせ、あの男の態度のひどいこと、ひどいこと。それを見た鶴姫様は、僕に奴の素行を調査させた」
「あの男、ワシを馬鹿にしおって」
「そしたら、出るわ出るわ、悪評の数々。辰起城の規律は緩み、侍は鍛錬を怠り堕落し、領民を虐げ、自慢の天守も重税の賜物。さらに女関係は、純朴な僕が口にするのも憚られるぐらい、ひどい」
「そんな男の元に、大切な娘を嫁がせるわけにはいかぬ」
楽しそうに語るメジロに、憎々しげな合いの手をいれる鶴姫。
「けど、天下人様の薦める結婚を拒否する訳にはいかないからね。天下人様からすれば、侍の結婚は手駒同士の掛け合わせ。相手の人間性に問題があることは、残念ながら政略結婚を拒否する理由にはならない。そこで鶴姫様は一計を案じられた」
「あのようなクズ、叩けばいくらでも埃が出る。その埃で汚されるのが、天下人の威光じゃとすれば……」
鶴姫は手にした鉄砲を誇示してみせる。
「それが、これじゃ。天下人様から禁止されている異国との貿易。奴はそれを行って、莫大な富を築いておった。わかるか?」
いきなり葵に尋ねるが、彼女はその質問に困った表情をする。
だが、俺にはようやく事の次第が飲み込めてきた。
「すなわち、奴は天下人様に背く謀反人。そのような相手との結婚話なら、拒否しても、ぶち壊しても、どうこう言われる筋合いは無いわっ」
鶴姫の言葉遣いが荒くなっている。表情こそ崩さないが、言葉の端々に清成への憤りが込められていた。
「そこで僕の出番っ」
メジロは平らな胸を少し反らせて、誇らしげに話を続ける。
「辰起城に忍び込んで、密貿易の証拠品を集める。と同時に、姫様を辰起城から奪い返す」
彼女は懐から、異国の珍しい宝石を取り出した。
「鉄砲だけじゃなく、こう言ったものがたくさんあってね。いや〜、辰起城の警備は隙だらけだから、僕一人でもなんとかなったんだけどねぇ。君が城の中をかき乱してくれたおかげで、証拠集めは簡単だったよ」
そう言って俺を見てニッと笑う。
「やはりあの時、俺を焚き付けに……」
メジロは俺を裏切った訳ではない。
最初から彼女は、鶴姫の命令で動いていた。
俺に葵の結婚式のことを教えて、忍具を提供する。
メジロは自分の任務のために、最初から俺に辰起城を襲撃させるつもりだったのだ。
「まあ君の中に燻っている未練がなかったら、僕も焚きつけたりしなかったよ。清成が結婚式に出るつもりがないのは調べていたし、いざとなれば、遊郭で清成を簡単に拉致できるし。まあ、僕ぐらいの優秀な忍者なら、一人でも任務を遂行できたね」
まるで俺を遊びの仲間に入れてあげたような、恩着せがましい態度だ。
そしてメジロが説明し終えると、鶴姫は相変わらずの威圧的な態度で、葵に命令した。
「そういうわけじゃ、葵。さあ奈川城に帰るぞ」
鶴姫のその言葉に、俺ははっとした。
そうなのだ。今回の結婚は無事、破断になるだろう。
だが、これから葵はどう生きるか。それはまだ決まっていない……。
「お主の結婚相手は、ワシが用意してやる。財力や地位だけでなく、きちんと人間性まで吟味してな。それが大切な娘への母の務めじゃ」
これからのことへの不安を見透かしたような鶴姫の言葉に、俺の背筋に冷たいものが走る。
この女の狡猾さを、俺は侮っていた。
もし鶴姫が、清成との結婚を無理強いするために連れ戻しに来たのなら、二人で力を合わせ全力で抵抗しただろう。
しかし鶴姫は葵を責めることはせず、新しい道を用意してきた。
安易に歩くことができる逃げ道を。
葵を助け出したことで、浮かれすぎていた。
少し考えればわかることだ。
俺は葵を救い出す手駒でしかなかった。
当然のことだが、鶴姫は俺と葵の仲を、ましてや葵が城を捨て、俺と共に生きることなど認めるわけがない。
鶴姫は次は十分に恵まれた条件の結婚相手を、葵に用意してくるだろう。
おそらく、側から見れば幸せな結婚が待っている。
だが、その気持ちはすぐに俺の中で雲散霧消した。
なぜなら、こいつらは一番大切なものを蔑ろにしているからだ。
「なぜ?」
俺は静かに鶴姫に問いかける。
三人の視線が俺に向いた。
「葵の気持ちを知ろうとしない?」
それが一番大切なことではないのか。
声を荒らげることはしない。
だけどこの後に及んでの、鶴姫の思い上がりに怒りが込み上げてくる。
「あんた、さっき葵のことを大切な娘、って言ったよな」
「下郎、何が言いたい」
「何が大切な娘だ。政略結婚の大切な手駒じゃないか」
「おい、ハヤテ、相手を誰だと!」
俺の静かな苦言を聞いた瞬間、鶴姫は俺の額に銃口を突きつけた。
「一発……まだ弾は残っておるぞ……」
鋭いひと睨み。
おそらく、俺がこれ以上何か言おうとしたら、鶴姫は躊躇なく引き金を引くだろう。
この女ならやりかねない。
「貴様のような身分の男に、侍の世界の何がわかる? 亡き夫より託された大切な義娘を、何処の馬の骨かもわからぬ男に嫁がせるわけがなかろう」
鶴姫がそう言った瞬間、俺の額に向けられた銃口が外れた。
それは鶴姫の意思によるものではない。
「お義母様!」
葵が横から、鶴姫の手にある鉄砲を握ったのだ。
「葵……」
混乱した表情を見せた鶴姫の隙をつき、葵はグイッと銃口を自分の額に押し当てた。
葵の表情には、少し前の義母の顔色を伺うような弱々しさはない。
今の彼女は、自らの命をかけ、己の意思を貫こうとしている。
葵はもう、以前の葵姫ではない。
もう彼女は、ただ守られるだけの存在ではないのだ。
「私は奈川城には戻りません。」
キッパリとした、強い意志を感じる口調。
その言葉を聞き、鶴姫は微かに眉をあげ、葵を見据える。
美しく、鋭く、そして威圧するような冷たい視線。
「それが、お主の意志か」
つい先ほどまでは、この目で睨まれると、葵は途端に萎縮し何も言えなくなった。
だが今は、怯むことなく義母を見つめ、ゆっくりと自分の言葉で話し始める。
「私は今まで、奈川城の姫として、お義母様に気に入ってもらえるように、生きてきました。けど、これからは、自分の幸せのために生きていきたいのです」
「ほう、初めてワシに意見をするな」
鶴姫は葵の言葉に怒ることはせず、むしろ真摯な表情で、彼女の言葉を聞こうとしている。
「はい。お義母様が、私のために良縁を探してくれるお気持ちは、嬉しいです。けど、私には……心に決めた男性が目の前にいます」
そう言って葵は俺に微笑みかけた。
俺への揺るぎのない信頼と愛情がこもった笑顔。
それはこの親子の会話に、俺が出る幕がないことを告げていた。
「この男で良いのか?」
葵は無言でうなずく。
「ワシや天下人に逆らうことになってもか?」
「もし私の決意を認めないなら、このまま引き金を引き、最後の弾を私に使ってください。そうすればれ、不義の娘を成敗したと、天下人様にも申し開きが立つでしょう」
葵の言葉を聞いた鶴姫は、少し困った顔をする。
そして一呼吸置くと、鶴姫はいきなり声をあげて笑い始めた。
「葵よ、お主がここまではっきりと、覚悟を見せるとは思ってもみなんだ」
「私のために、全てを投げ打ってくれた人が……私を強くしてくれました」
その一言を聞いた瞬間、鶴姫の眉間の縦皺が消えた。
そして鶴姫は銃口を葵から外し、回転弾倉を解放すると、弾を取り出した。
「親子の会話に、このような無粋なものはいらぬな」
そう言って、鉄砲をメジロに放り投げる。
鶴姫は嬉しそうに笑っていた。
俺が初めてみた鶴姫の屈託のない笑顔。それを見て気づいた。
この女城主も、古い価値観に縛られているなりに、葵の幸せを願っていたことを。
そして、その古い価値を壊されても、笑って受け止める度量を持ち合わせていることも。
なぜメジロが鶴姫を慕い、側に居続けるのが少し分かった気がする。
「ようやく、ワシに本当の気持ちを言うようになったか……」
「ごめんな……」
「いや謝らんで良い。そこがお主のいけないところじゃ」
鶴姫は、静かで穏やかな表情で葵を見つめた。
「城を出て暮らすのは、苦労するぞ……と、今のお主には必要のない忠告か」
そう言って、鶴姫はこちらを見た。
値踏みするような表情ではあるが、どこか俺のことを認め、葵を託すような表情でもあった。
俺も鶴姫に応えるよう、無言で頷いた。
葵も考えは同じだ。
今の二人ならどんな苦労も乗り越えていける確信が、お互いにあった。
「困ったことがあれば、いつでも訪ねて来い。親子の間柄じゃ、遠慮はいらん」
葵の硬い決意を見届けると、鶴姫は俺たちに背を向け、籠に向かって歩き始める。
「お義母様……」
その背中を葵が呼び止めた。
「ありがとうございます」
今まで謝ってばかりいた葵が、はじめて義母に伝えた感謝の気持ち。
「『ありがとう』か、いい言葉じゃ」
鶴姫はその気持ちを背中で受け止めた。
メジロが暗闇の向こうに口笛を吹くと、屈強な男が四人駆け寄ってきた。
鶴姫の駕籠かき達だ。一人が用意された籠の引き戸を開けると、鶴姫は優雅に駕籠に乗り込もうとする。
「これで亡き夫との約束を果たせたわい」
かすかに聞き取れるぐらいの小さな声。
引き戸がピシャッと閉められると同時に、駕籠かき達は阿吽の呼吸で籠を担ぎ、そのまま闇夜に消えていく。
俺と葵は去っていく駕籠に向かい、深々と頭を下げた。
***
「いやぁ、若いっていいねぇ」
「げ、メジロ……さん」
てっきり鶴姫様と一緒に去っていったと思ったメジロが、ニヤついて俺たちを交互に見ていた。
「そう怖い目で睨むな」
「人を焚き付けておいて……」
やや不満げに俺は漏らした。
だが考えてみれば、メジロは俺を陥れようとしていたわけではない。
彼女は確かに、俺の気持ちを確認してくれていた。
もし捨て駒として利用するつもりなら、わざわざ俺自身に決断を委ねるような真似はしない。
彼女はどこまでも俺の意思を尊重し、その上で幸せを願ってくれていた。
やはりこの人は、兄との約束を守り続けてくれた。
それに気づいた俺は、ようやくメジロに心を解くことができた。
「で、まだ、用があるんですか?」
とは言うものの、今この場にいるには無粋な存在。
俺の不満げな問いかけに、メジロは目を細める。
「約束したよね『君が一人前になるまでは、僕が責任持って面倒を見る』って。これで僕も自分お役目を終えることができた」
そしてメジロは、どこか懐かしむように、大切な友人のことを思い浮かべた。
「そして親友との約束も無事果たせた。そんなわけで僕も君たちの邪魔になる前に、とっとと去るとしよう」
いや、今の段階で、十分に邪魔なのだが。
「その前にだ。僕は愛だの恋だのは、全然わかんなくてね。けど金と食いもんの大切さはわかる」
メジロはそう言葉を続けて、俺に巾着を放り投げた。
ずっしりと重いその中身は……。
「こ、こんなに」
俺は思わず葵と顔を見合わせた。
「未来ある二人に、金はいくらあっても多すぎることはないだろ」
「そんな困ります」
「大丈夫。僕のものじゃない。そして奈川城の金でもない」
そう言って、メジロは背後の辰起城を目配せした。
この人は、どさくさに紛れて密貿易の証拠品だけでなく、金もちゃっかりと拝借してきたらしい。
まさに泥棒猫。
「じゃあな、ハヤテ。今度こそお別れだ。お互いの道を行こう」
俺たちが餞別を受け取ったのを確認すると、メジロは猫が飼い主についていく時のような軽やかな足取りで、鶴姫様の駕籠を追っていった。
***
草原に残されたのは俺と葵の二人だけになった。
どちらともなく、相手の顔を見つめる。
これから先のことは何も考えてなかった。
しかし未来に不安はない。
目の前の人がいれば、どんな困難にも立ち向かっていける確信があった。
お互いの心に迷いもない。
俺は手を差し出し、葵は俺の手を握りしめる。
葵の手の温度が、俺の心を暖めてくれた。
俺の手の力強さが、葵の心を奮い立たせた。
「行こう」
「行きましょう」
二人同時に声を掛け合う。
どこに向かうかなど、まだ決まってはいない。
だけど二人なら、どこへでも行ける。
二人の心の中には、逃げ出した時にあった恍惚も不安も、今はもうない。
降り注ぐ月光の下、俺たちは手を取り合って歩き始めた。
なぜ鶴姫がそれを持っているのか?
「メジロ、説明してやれ」
まるで俺の疑問に答えるように、メジロは悪戯っぽく、そしてどこか誇らしげな口調で、説明を始めた。
「全ては鶴姫様の思慮深い采配。清成の奈川城での初顔合わせ、あの男の態度のひどいこと、ひどいこと。それを見た鶴姫様は、僕に奴の素行を調査させた」
「あの男、ワシを馬鹿にしおって」
「そしたら、出るわ出るわ、悪評の数々。辰起城の規律は緩み、侍は鍛錬を怠り堕落し、領民を虐げ、自慢の天守も重税の賜物。さらに女関係は、純朴な僕が口にするのも憚られるぐらい、ひどい」
「そんな男の元に、大切な娘を嫁がせるわけにはいかぬ」
楽しそうに語るメジロに、憎々しげな合いの手をいれる鶴姫。
「けど、天下人様の薦める結婚を拒否する訳にはいかないからね。天下人様からすれば、侍の結婚は手駒同士の掛け合わせ。相手の人間性に問題があることは、残念ながら政略結婚を拒否する理由にはならない。そこで鶴姫様は一計を案じられた」
「あのようなクズ、叩けばいくらでも埃が出る。その埃で汚されるのが、天下人の威光じゃとすれば……」
鶴姫は手にした鉄砲を誇示してみせる。
「それが、これじゃ。天下人様から禁止されている異国との貿易。奴はそれを行って、莫大な富を築いておった。わかるか?」
いきなり葵に尋ねるが、彼女はその質問に困った表情をする。
だが、俺にはようやく事の次第が飲み込めてきた。
「すなわち、奴は天下人様に背く謀反人。そのような相手との結婚話なら、拒否しても、ぶち壊しても、どうこう言われる筋合いは無いわっ」
鶴姫の言葉遣いが荒くなっている。表情こそ崩さないが、言葉の端々に清成への憤りが込められていた。
「そこで僕の出番っ」
メジロは平らな胸を少し反らせて、誇らしげに話を続ける。
「辰起城に忍び込んで、密貿易の証拠品を集める。と同時に、姫様を辰起城から奪い返す」
彼女は懐から、異国の珍しい宝石を取り出した。
「鉄砲だけじゃなく、こう言ったものがたくさんあってね。いや〜、辰起城の警備は隙だらけだから、僕一人でもなんとかなったんだけどねぇ。君が城の中をかき乱してくれたおかげで、証拠集めは簡単だったよ」
そう言って俺を見てニッと笑う。
「やはりあの時、俺を焚き付けに……」
メジロは俺を裏切った訳ではない。
最初から彼女は、鶴姫の命令で動いていた。
俺に葵の結婚式のことを教えて、忍具を提供する。
メジロは自分の任務のために、最初から俺に辰起城を襲撃させるつもりだったのだ。
「まあ君の中に燻っている未練がなかったら、僕も焚きつけたりしなかったよ。清成が結婚式に出るつもりがないのは調べていたし、いざとなれば、遊郭で清成を簡単に拉致できるし。まあ、僕ぐらいの優秀な忍者なら、一人でも任務を遂行できたね」
まるで俺を遊びの仲間に入れてあげたような、恩着せがましい態度だ。
そしてメジロが説明し終えると、鶴姫は相変わらずの威圧的な態度で、葵に命令した。
「そういうわけじゃ、葵。さあ奈川城に帰るぞ」
鶴姫のその言葉に、俺ははっとした。
そうなのだ。今回の結婚は無事、破断になるだろう。
だが、これから葵はどう生きるか。それはまだ決まっていない……。
「お主の結婚相手は、ワシが用意してやる。財力や地位だけでなく、きちんと人間性まで吟味してな。それが大切な娘への母の務めじゃ」
これからのことへの不安を見透かしたような鶴姫の言葉に、俺の背筋に冷たいものが走る。
この女の狡猾さを、俺は侮っていた。
もし鶴姫が、清成との結婚を無理強いするために連れ戻しに来たのなら、二人で力を合わせ全力で抵抗しただろう。
しかし鶴姫は葵を責めることはせず、新しい道を用意してきた。
安易に歩くことができる逃げ道を。
葵を助け出したことで、浮かれすぎていた。
少し考えればわかることだ。
俺は葵を救い出す手駒でしかなかった。
当然のことだが、鶴姫は俺と葵の仲を、ましてや葵が城を捨て、俺と共に生きることなど認めるわけがない。
鶴姫は次は十分に恵まれた条件の結婚相手を、葵に用意してくるだろう。
おそらく、側から見れば幸せな結婚が待っている。
だが、その気持ちはすぐに俺の中で雲散霧消した。
なぜなら、こいつらは一番大切なものを蔑ろにしているからだ。
「なぜ?」
俺は静かに鶴姫に問いかける。
三人の視線が俺に向いた。
「葵の気持ちを知ろうとしない?」
それが一番大切なことではないのか。
声を荒らげることはしない。
だけどこの後に及んでの、鶴姫の思い上がりに怒りが込み上げてくる。
「あんた、さっき葵のことを大切な娘、って言ったよな」
「下郎、何が言いたい」
「何が大切な娘だ。政略結婚の大切な手駒じゃないか」
「おい、ハヤテ、相手を誰だと!」
俺の静かな苦言を聞いた瞬間、鶴姫は俺の額に銃口を突きつけた。
「一発……まだ弾は残っておるぞ……」
鋭いひと睨み。
おそらく、俺がこれ以上何か言おうとしたら、鶴姫は躊躇なく引き金を引くだろう。
この女ならやりかねない。
「貴様のような身分の男に、侍の世界の何がわかる? 亡き夫より託された大切な義娘を、何処の馬の骨かもわからぬ男に嫁がせるわけがなかろう」
鶴姫がそう言った瞬間、俺の額に向けられた銃口が外れた。
それは鶴姫の意思によるものではない。
「お義母様!」
葵が横から、鶴姫の手にある鉄砲を握ったのだ。
「葵……」
混乱した表情を見せた鶴姫の隙をつき、葵はグイッと銃口を自分の額に押し当てた。
葵の表情には、少し前の義母の顔色を伺うような弱々しさはない。
今の彼女は、自らの命をかけ、己の意思を貫こうとしている。
葵はもう、以前の葵姫ではない。
もう彼女は、ただ守られるだけの存在ではないのだ。
「私は奈川城には戻りません。」
キッパリとした、強い意志を感じる口調。
その言葉を聞き、鶴姫は微かに眉をあげ、葵を見据える。
美しく、鋭く、そして威圧するような冷たい視線。
「それが、お主の意志か」
つい先ほどまでは、この目で睨まれると、葵は途端に萎縮し何も言えなくなった。
だが今は、怯むことなく義母を見つめ、ゆっくりと自分の言葉で話し始める。
「私は今まで、奈川城の姫として、お義母様に気に入ってもらえるように、生きてきました。けど、これからは、自分の幸せのために生きていきたいのです」
「ほう、初めてワシに意見をするな」
鶴姫は葵の言葉に怒ることはせず、むしろ真摯な表情で、彼女の言葉を聞こうとしている。
「はい。お義母様が、私のために良縁を探してくれるお気持ちは、嬉しいです。けど、私には……心に決めた男性が目の前にいます」
そう言って葵は俺に微笑みかけた。
俺への揺るぎのない信頼と愛情がこもった笑顔。
それはこの親子の会話に、俺が出る幕がないことを告げていた。
「この男で良いのか?」
葵は無言でうなずく。
「ワシや天下人に逆らうことになってもか?」
「もし私の決意を認めないなら、このまま引き金を引き、最後の弾を私に使ってください。そうすればれ、不義の娘を成敗したと、天下人様にも申し開きが立つでしょう」
葵の言葉を聞いた鶴姫は、少し困った顔をする。
そして一呼吸置くと、鶴姫はいきなり声をあげて笑い始めた。
「葵よ、お主がここまではっきりと、覚悟を見せるとは思ってもみなんだ」
「私のために、全てを投げ打ってくれた人が……私を強くしてくれました」
その一言を聞いた瞬間、鶴姫の眉間の縦皺が消えた。
そして鶴姫は銃口を葵から外し、回転弾倉を解放すると、弾を取り出した。
「親子の会話に、このような無粋なものはいらぬな」
そう言って、鉄砲をメジロに放り投げる。
鶴姫は嬉しそうに笑っていた。
俺が初めてみた鶴姫の屈託のない笑顔。それを見て気づいた。
この女城主も、古い価値観に縛られているなりに、葵の幸せを願っていたことを。
そして、その古い価値を壊されても、笑って受け止める度量を持ち合わせていることも。
なぜメジロが鶴姫を慕い、側に居続けるのが少し分かった気がする。
「ようやく、ワシに本当の気持ちを言うようになったか……」
「ごめんな……」
「いや謝らんで良い。そこがお主のいけないところじゃ」
鶴姫は、静かで穏やかな表情で葵を見つめた。
「城を出て暮らすのは、苦労するぞ……と、今のお主には必要のない忠告か」
そう言って、鶴姫はこちらを見た。
値踏みするような表情ではあるが、どこか俺のことを認め、葵を託すような表情でもあった。
俺も鶴姫に応えるよう、無言で頷いた。
葵も考えは同じだ。
今の二人ならどんな苦労も乗り越えていける確信が、お互いにあった。
「困ったことがあれば、いつでも訪ねて来い。親子の間柄じゃ、遠慮はいらん」
葵の硬い決意を見届けると、鶴姫は俺たちに背を向け、籠に向かって歩き始める。
「お義母様……」
その背中を葵が呼び止めた。
「ありがとうございます」
今まで謝ってばかりいた葵が、はじめて義母に伝えた感謝の気持ち。
「『ありがとう』か、いい言葉じゃ」
鶴姫はその気持ちを背中で受け止めた。
メジロが暗闇の向こうに口笛を吹くと、屈強な男が四人駆け寄ってきた。
鶴姫の駕籠かき達だ。一人が用意された籠の引き戸を開けると、鶴姫は優雅に駕籠に乗り込もうとする。
「これで亡き夫との約束を果たせたわい」
かすかに聞き取れるぐらいの小さな声。
引き戸がピシャッと閉められると同時に、駕籠かき達は阿吽の呼吸で籠を担ぎ、そのまま闇夜に消えていく。
俺と葵は去っていく駕籠に向かい、深々と頭を下げた。
***
「いやぁ、若いっていいねぇ」
「げ、メジロ……さん」
てっきり鶴姫様と一緒に去っていったと思ったメジロが、ニヤついて俺たちを交互に見ていた。
「そう怖い目で睨むな」
「人を焚き付けておいて……」
やや不満げに俺は漏らした。
だが考えてみれば、メジロは俺を陥れようとしていたわけではない。
彼女は確かに、俺の気持ちを確認してくれていた。
もし捨て駒として利用するつもりなら、わざわざ俺自身に決断を委ねるような真似はしない。
彼女はどこまでも俺の意思を尊重し、その上で幸せを願ってくれていた。
やはりこの人は、兄との約束を守り続けてくれた。
それに気づいた俺は、ようやくメジロに心を解くことができた。
「で、まだ、用があるんですか?」
とは言うものの、今この場にいるには無粋な存在。
俺の不満げな問いかけに、メジロは目を細める。
「約束したよね『君が一人前になるまでは、僕が責任持って面倒を見る』って。これで僕も自分お役目を終えることができた」
そしてメジロは、どこか懐かしむように、大切な友人のことを思い浮かべた。
「そして親友との約束も無事果たせた。そんなわけで僕も君たちの邪魔になる前に、とっとと去るとしよう」
いや、今の段階で、十分に邪魔なのだが。
「その前にだ。僕は愛だの恋だのは、全然わかんなくてね。けど金と食いもんの大切さはわかる」
メジロはそう言葉を続けて、俺に巾着を放り投げた。
ずっしりと重いその中身は……。
「こ、こんなに」
俺は思わず葵と顔を見合わせた。
「未来ある二人に、金はいくらあっても多すぎることはないだろ」
「そんな困ります」
「大丈夫。僕のものじゃない。そして奈川城の金でもない」
そう言って、メジロは背後の辰起城を目配せした。
この人は、どさくさに紛れて密貿易の証拠品だけでなく、金もちゃっかりと拝借してきたらしい。
まさに泥棒猫。
「じゃあな、ハヤテ。今度こそお別れだ。お互いの道を行こう」
俺たちが餞別を受け取ったのを確認すると、メジロは猫が飼い主についていく時のような軽やかな足取りで、鶴姫様の駕籠を追っていった。
***
草原に残されたのは俺と葵の二人だけになった。
どちらともなく、相手の顔を見つめる。
これから先のことは何も考えてなかった。
しかし未来に不安はない。
目の前の人がいれば、どんな困難にも立ち向かっていける確信があった。
お互いの心に迷いもない。
俺は手を差し出し、葵は俺の手を握りしめる。
葵の手の温度が、俺の心を暖めてくれた。
俺の手の力強さが、葵の心を奮い立たせた。
「行こう」
「行きましょう」
二人同時に声を掛け合う。
どこに向かうかなど、まだ決まってはいない。
だけど二人なら、どこへでも行ける。
二人の心の中には、逃げ出した時にあった恍惚も不安も、今はもうない。
降り注ぐ月光の下、俺たちは手を取り合って歩き始めた。


