俺の戦うことへの覚悟が、伝わったんだろう。

 目の前の右門も、どこか嬉しそうな顔をしている。
 そうだ、俺は逃げることではなく、戦うことを選んでこの場所に来た。
「次が最後の攻撃だ。俺の技があんたに通じるか試させてほしい」
 心に迷いがあれば……死を覚悟しなければ、俺の攻撃は奴には通用しない。
 深く呼吸をし、装甲服の胸にある紐を引く。すると俺の体を守っていた鉄板が畳の上に落ちていった。
 忍者が逃走時に、少しでも身軽になるための仕掛けだ。
 しかし今、装甲を外したのは、逃げるためではない。
 少しでも早く動くため。
 そして、死への恐怖を受け入れるため。
「こういうものに頼る心が、動きを鈍くする」
 俺の一言に、頷く右門。
 奴がその気なら、装甲を外す間に斬り伏せられただろう。だが右門はあえて俺の最後の一撃を待ってくれた。
 妙なところで律儀なこの男に、俺は好感を持った。

「あ、戦う前にさあ、最後に一言いいかな?」
 だが、最後の攻撃の前に、俺は心残りを払拭しておきたかった。
 間を外すように、あえて気の抜けた口調で、最後の言葉を投げかける。
「仲間のことを話す気になったのか?」
「いや、違う。さっき、この城のお宝を盗みに入ったって言ったよな」
 右門は刀を構えたまま、俺の次の言葉を待つ。
「あれは嘘だ」
 少しは動揺してくれるかと思ったけど、奴は全く動じない。
 右門にしてみれば、こちらの事情など、捕まえた後いくらでも聞き出せるからだろう。
 ただ俺からすれば、死ぬ前に奴に伝えておかなければならない事だ。
「俺の目的はな、この城に嫁いできた奈川城の姫、葵様を奪い返すこと」
 その一言は、右門にとって少し意外だったのか、少し眉が動く。戦いの中では全く動じない男だが、俺の行動が男女の色恋沙汰と知って少しは動揺したのか。
「奈川城が何故?」
 多分、右門は俺の言葉を理解していない。
 侍にとっては、天下人が命じた結婚を壊すことに、理解が及ばなかったのだろう。
 愛のない結婚に何の疑問も抱かない連中だ。
 右門が別段冷淡なわけではない。それは義母である鶴姫も同じだろう。
 血がつながっていないとはいえ、娘が鬼畜に嫁入りするのを受け入れている。
 いやむしろ、あの城主なら厄介払いができたと喜びかねない。
「侍には、わかんねぇよ」
 そんな侍たちへの嫌悪感を吐き捨てる。
「忠義のためか……羨ましい。だが小僧。この結婚は天下人様が定めたもの……奈川城が拒否できるものではない」
「関係ない!」
 だめだ、この男、思った以上の朴念仁だ。
 右門の考えちがいを訂正するために、大声で叫ぶ。
「天下人の意向とやらも、奈川城の存在も、全部関係ない。俺はただ、自分の意志でここにいる。上の命令を黙って受け入れることが美徳だと思っている、侍たちには理解できねえと思うけど。俺は……惚れた女を……命がけで奪いにきただけだよ。」
 いざ言葉に一気に捲し立てて、少し気恥ずかしくなる。
 まさかこんな場所で、俺の本心を話すことになるとは。
「まったく、言わせるなよ、恥ずかしい」

 だが、この照れ臭い台詞を、素直な思いを、あの時、葵様に言っていれば……。
 思えば「葵の本心」を聞きたかった俺自身が、身分の差に立ちはだかれ、本心を打ち明けられなかった。
 それを今、後悔してもどうしようもない。
 あの時に気持ちを伝えなかったことの償いを、今、戦うことでやっているんだ。
「だから、あんたに一つお願いがある。俺がここで死んだら、葵様に伝えて欲しい」
 死を覚悟する前に、彼女に伝えたい想いを口に出す……。
「葵様のために、命をかけた馬鹿がいたってことを」
 自己満足かもしれないが、そのことを伝えずにはいられなかった。
「その言葉、確かに承った」
 右門は恭しく俺に一礼した。
 どうやら右門なりに、何か感じるものはあったようだ。
 彼の言葉には嘘はないだろう。そこには不器用で誠実な男への奇妙な信頼があった。
「ありがとう、これで心置きなく……死ねる」
 俺は涼しげな表情で言うと、最後の攻撃へ覚悟を決めた。

 俺は腰から、けん玉を取り出した。
 これが、ここに持ち込んだ最後の武器。これが通じなければ、次はない。
 右門はそれに応えるように、そして俺が仕掛ける奇策に対応できるよう、刀を青眼に構え、こちらの出方を伺っている。
「一太刀。苦しみはせん」
 右門なりの俺への敬意か。
 奴は俺の言葉を信じてくれたのだろう。
 俺に背後関係がないと分かった以上、生かしておく必要はない。
 むしろ生きて捕らえられれば、凄惨な拷問が待っている。   
 だったら、ここで苦しまずに斬り捨てることが、彼なりの慈悲。

 だが俺も、むざむざ斬られるつもりはない。
 右門への言伝は死んだ時の保険。
 死ぬ覚悟はできていても、死ぬつもりなどはない。
 俺は目の前に立ちはだかる右門を倒し、葵様を助け出す。
 そのためには……この一撃で勝負をつける。
 俺はけん玉を左手に持つと、本体から離した球をゆっくりと慎重に振り回し始めた。
「鎖鎌か」
 右門が言う。
 このけん玉は、単なる玩具ではなく、鎖鎌としての機能を持たせてある。
 全体は木ではなく金属製。鉄製の玉は細く長い鎖で繋がれ、分胴としての機能を持つ。剣先は鎖分銅で相手を絡めとった時にとどめを刺すために、長く鋭い両刃だ。
 分銅の一撃、刀を絡めてくる鎖、接近戦での両刃刀。
 多様な攻撃が可能な鎖鎌は、刀で戦う侍にとっては厄介な武器になる。

 最後の武器が鎖鎌と認識した右門は、刀を下段に構え直し、左前の半身に構え直す。
 この男は、鎖鎌相手に刀を絡み取られないための対処法を知っているようだ。
 俺は右腕の手首を捻りながら、鉄球を横八の字に振り回し始める。
 ヒュンッヒュンと微かな風切り音が、室内に響いた。
 鎖分銅の攻撃は、間合いが広い分、隙が大きい。だからこそ、ぎりぎりの間合いで攻撃を仕掛けたい。
 すり足で、右門との距離をゆっくりと詰める。
 横からか、上からか、それとも正面からか。
 分銅の軌跡を読まれないように、動かし続ける。
 右門は俺の出方を伺うように、微動だにしない。
 分銅が届くが、刀は届かない間合いに入る。
 だが奴の踏み込みの速さなら、迂闊に攻撃を仕掛ければ、その隙をつき一気に間合いを詰めてくるだろう。
 膠着している時間はない。
 だから、あえて隙を見せて、奴に仕掛けさせる。
 俺は、半歩だけ足を前に動かし、踏み込めば刀が届く間合に入った。
 右門はその距離を正確に読んでいた。俺が動いた瞬間に一気に間合いを詰める。
 俺は最後の勝負を挑む。
 
 鎖を掴む手を離すと、鉄球はそのままの勢いで、右門の胸元に放たれた。
 常人なら反応できずに、胸骨を砕かれる速さ。
 だが右門は鉄球の軌跡を見切り、トンと踏み込んだ足を軸に身を翻し攻撃を避ける。
 流石の体捌きだが、俺も分銅で奴を倒せるとは思ってない。
 この一撃は次への布石。
 俺も右門に呼応するように、間合いを詰める。
 今、手にあるけん玉の本体、その武器である剣先は短刀よりも短く、接近しなければ右門に攻撃することはできない。
 鎖分銅は少しでも有利に間合いを詰めるための牽制。
 攻撃を交わした右門は、流れるような動きで、刀を下段から上段に移動させる。
 そしてそのまま躊躇なく、俺に振り下ろしてきた。
「しゃ」
 俺の口から呼気が漏れる。
 この間合いだと右門が有利。
 俺の剣先は届かず、刀は届く。そして再び鎖分銅を放つには近すぎる。
 俺は右門が振り下ろす刀を迎撃するように、剣先を奴に向けて突き上げた。
 刀とけん玉がぶつかる金属音がして、右門の刀は、剣先と大皿の間で受け止められていた。
 この短い剣先で、右門の喉を貫けるとは思っていない。
 俺の目的は、奴の刀を絡めとること。
 そのために金属製のけん玉の大皿と剣先の間には、十手の鉤のような溝が掘られている。
 仕込み杖のような細い刀身なら、このままへし折ることもできる。
 しかし右門の刀は業物なのか、俺が捩じ切ろうとしても、びくともしなかった。
 それどころか、右門は斬撃を受け止められてもなお、力を緩めようとせず、そのまま俺を押し切ろうとして来た。

 ぐっ、ぐっ
 右門がゆっくりと刀に力を加えて来る。
 今ここで一瞬でも力を緩めれば、右門の剛力で、俺の体は真っ二つにされるだろう。
 だが右門との鍔迫り合い、互いに動きを封じられたこの状態は望むところだ。
 俺の微かな指の動きに反応し、けん玉の内部に仕込まれたバネが解放され、剣先が右門の顔目掛けて飛び出した。
 けん玉の小細工の一つ「袖箭」だ。
 元々は、バネを仕込んだ筒から短い矢を飛ばす暗器。鎖分銅が避けられた時のための仕掛け。その威力は通常の弓よりもはるかに弱く、射程は短い。
 だから、この距離まで近づいて、不意打ちに使う必要があった。

 だが……右門は放たれた剣先を、左腕を盾とすることで受け止めてみせた。剣先は右門の左手に突き刺さるが、その筋肉の密度に邪魔をされ、貫通することはできない。
 化け物か、こいつ。
 この至近距離で袖箭を防がれるとは。
 武器を放つために力や動作は必要ない、ただ指を動かせばバネの勢いが矢を放つ暗器を避けるのは、常人には不可能。
 だが右門は、俺のその微かな動きを察し、至近距離から放たれた矢に反応してみせた。
 しかも、笑っている。
 左腕から血を流しているのに、痛みを感じた様子も見せない。
 むしろ命のやり取りを、お互いの死力を尽くした攻防を愉しんでいやがる。
 
 けどな、俺はあんたに付き合うつもりはないんだ。
 右門の力が緩んだ瞬間を逃さず、奴の刀を払い除ける。一瞬だけ、右門の体制が崩れ、隙を見せた。
 けん玉の攻撃手段は全て披露した。
 残っている武器はない。
 だがこの一瞬を逃すわけには行かない。
 今ここで動きを止め、半歩でも後退りをすれば、俺は振り下ろされる刀で真っ二つにされるだろう。
 俺は死を覚悟し、最後の賭けに出た。
 右門との間合いをさらに詰め……小皿の仕掛けを使う。
 パシュッ
 右門の目に向けた小皿が、一瞬眩い光を放つ。
「ぐおっ」
 小皿に仕込んだ火薬や金属片の燃焼が生み出した閃光が、右門の視力を奪った。
 けん玉の最後の小細工。逃走用の閃光灯。
 だが、今は逃げるためには使わない。
 この閃光は右門の目を潰し、懐に潜り込むためのもの。
 お互いにつかみ合う間合い。
 この距離に潜り込めば、一瞬だが右門の刀を封じることができる。
「うぉおおお」
 雄叫びをあげ、己の心を奮い立たせた。

 俺の拳が、右門の心臓の位置に触れた。
『心止め』
 武器を使い尽くした俺の、これが最後の攻撃。これが通じなければ、勝ち目はない。
 がしっ。
「何っ……」
 しかし俺が技を放つ寸前、右門が牛馬のような力で、俺の腕を掴んできた。
 右門は視力を奪われた状態で、俺の手が触れた瞬間その位置を正確に把握し『心止め』を放つ右腕を掴んできたのだ。
 捨て去られた刀が落ちる音がし、俺の右肘関節が右門に極められようとする。
 だが、俺は関節技から逃げる気はない。
 お前が腕が折るのと、俺が一撃を叩き込むのの、どちらが早いかだ。
 体重の全てを、右の拳に乗せる。
 メリッ。
 次の瞬間、右肘の靭帯が鈍い音を立てた。激しい痛みが襲い、右腕から力が抜けていく。
 渾身の力を込めたせいか、左頬の傷が再び開き、血が横顔をトロッとつたい落ちた。

 『心止め』の手応えは十分だった。
 あとは奴の心臓が止まるか。 
 俺は心の中で、技の成功を祈った。

 腕を握る右門の手から、力が抜けていく。
 右門の顔を見上げると、俺を見つめ満足気な笑みを向けた。
 ピュっと、右門の左腕から血が噴き出し、刺さっていた剣先が吹き飛ぶ。
 そして彼は、それ以上腕に力を入れることはできず、『心止め』によって、そのまま崩れ落ちた。
 崩れ落ちてゆく際、拳に伝わった不規則で微かな鼓動が、右門の心臓が止まりきっていないことを伝えてきた。

 薄氷の勝利。

 もし右門の目が眩んでいなかったら……
 もし右門の左腕に剣先が刺さっていなかったら……
 そしてもし俺が少しでも戦うことに躊躇したなら。
 右腕はへし折られていただろう……
 俺が最後に勝てたのは、強かったからではない。
 武芸の実力だけみれば、右門の足元にも及ばない。
 葵様を助けるための執念が、この紙一重の勝利を引き込んでくれた。

 愛と忠の違いはあれど、誰かのために戦うことへの迷いの差。
 そう思った俺は、この場を去る前に、倒れている右門に深々と一礼した。