俺の戦うことへの覚悟が、伝わったんだろう。
目の前の右門も、どこか嬉しそうな顔をしている。
そうだ、俺は逃げることではなく、戦うことを選んでこの場所に来た。
「次が最後の攻撃だ。俺の技があんたに通じるか試させてほしい」
心に迷いがあれば……死を覚悟しなければ、俺の攻撃は奴には通用しない。
深く呼吸をし、装甲服の胸にある紐を引く。すると俺の体を守っていた鉄板が畳の上に落ちていった。
忍者が逃走時に、少しでも身軽になるための仕掛けだ。
しかし今、装甲を外したのは、逃げるためではない。
少しでも早く動くため。
そして、死への恐怖を受け入れるため。
「こういうものに頼る心が、動きを鈍くする」
俺の一言に、頷く右門。
奴がその気なら、装甲を外す間に斬り伏せられただろう。だが右門はあえて俺の最後の一撃を待ってくれた。
妙なところで律儀なこの男に、俺は好感を持った。
「あ、戦う前にさあ、最後に一言いいかな?」
だが、最後の攻撃の前に、俺は心残りを払拭しておきたかった。
間を外すように、あえて気の抜けた口調で、最後の言葉を投げかける。
「仲間のことを話す気になったのか?」
「いや、違う。さっき、この城のお宝を盗みに入ったって言ったよな」
右門は刀を構えたまま、俺の次の言葉を待つ。
「あれは嘘だ」
少しは動揺してくれるかと思ったけど、奴は全く動じない。
右門にしてみれば、こちらの事情など、捕まえた後いくらでも聞き出せるからだろう。
ただ俺からすれば、死ぬ前に奴に伝えておかなければならない事だ。
「俺の目的はな、この城に嫁いできた奈川城の姫、葵様を奪い返すこと」
その一言は、右門にとって少し意外だったのか、少し眉が動く。戦いの中では全く動じない男だが、俺の行動が男女の色恋沙汰と知って少しは動揺したのか。
「奈川城が何故?」
多分、右門は俺の言葉を理解していない。
侍にとっては、天下人が命じた結婚を壊すことに、理解が及ばなかったのだろう。
愛のない結婚に何の疑問も抱かない連中だ。
右門が別段冷淡なわけではない。それは義母である鶴姫も同じだろう。
血がつながっていないとはいえ、娘が鬼畜に嫁入りするのを受け入れている。
いやむしろ、あの城主なら厄介払いができたと喜びかねない。
「侍には、わかんねぇよ」
そんな侍たちへの嫌悪感を吐き捨てる。
「忠義のためか……羨ましい。だが小僧。この結婚は天下人様が定めたもの……奈川城が拒否できるものではない」
「関係ない!」
だめだ、この男、思った以上の朴念仁だ。
右門の考えちがいを訂正するために、大声で叫ぶ。
「天下人の意向とやらも、奈川城の存在も、全部関係ない。俺はただ、自分の意志でここにいる。上の命令を黙って受け入れることが美徳だと思っている、侍たちには理解できねえと思うけど。俺は……惚れた女を……命がけで奪いにきただけだよ。」
いざ言葉に一気に捲し立てて、少し気恥ずかしくなる。
まさかこんな場所で、俺の本心を話すことになるとは。
「まったく、言わせるなよ、恥ずかしい」
だが、この照れ臭い台詞を、素直な思いを、あの時、葵様に言っていれば……。
思えば「葵の本心」を聞きたかった俺自身が、身分の差に立ちはだかれ、本心を打ち明けられなかった。
それを今、後悔してもどうしようもない。
あの時に気持ちを伝えなかったことの償いを、今、戦うことでやっているんだ。
「だから、あんたに一つお願いがある。俺がここで死んだら、葵様に伝えて欲しい」
死を覚悟する前に、彼女に伝えたい想いを口に出す……。
「葵様のために、命をかけた馬鹿がいたってことを」
自己満足かもしれないが、そのことを伝えずにはいられなかった。
「その言葉、確かに承った」
右門は恭しく俺に一礼した。
どうやら右門なりに、何か感じるものはあったようだ。
彼の言葉には嘘はないだろう。そこには不器用で誠実な男への奇妙な信頼があった。
「ありがとう、これで心置きなく……死ねる」
俺は涼しげな表情で言うと、最後の攻撃へ覚悟を決めた。
俺は腰から、けん玉を取り出した。
これが、ここに持ち込んだ最後の武器。これが通じなければ、次はない。
右門はそれに応えるように、そして俺が仕掛ける奇策に対応できるよう、刀を青眼に構え、こちらの出方を伺っている。
「一太刀。苦しみはせん」
右門なりの俺への敬意か。
奴は俺の言葉を信じてくれたのだろう。
俺に背後関係がないと分かった以上、生かしておく必要はない。
むしろ生きて捕らえられれば、凄惨な拷問が待っている。
だったら、ここで苦しまずに斬り捨てることが、彼なりの慈悲。
だが俺も、むざむざ斬られるつもりはない。
右門への言伝は死んだ時の保険。
死ぬ覚悟はできていても、死ぬつもりなどはない。
俺は目の前に立ちはだかる右門を倒し、葵様を助け出す。
そのためには……この一撃で勝負をつける。
俺はけん玉を左手に持つと、本体から離した球をゆっくりと慎重に振り回し始めた。
「鎖鎌か」
右門が言う。
このけん玉は、単なる玩具ではなく、鎖鎌としての機能を持たせてある。
全体は木ではなく金属製。鉄製の玉は細く長い鎖で繋がれ、分胴としての機能を持つ。剣先は鎖分銅で相手を絡めとった時にとどめを刺すために、長く鋭い両刃だ。
分銅の一撃、刀を絡めてくる鎖、接近戦での両刃刀。
多様な攻撃が可能な鎖鎌は、刀で戦う侍にとっては厄介な武器になる。
最後の武器が鎖鎌と認識した右門は、刀を下段に構え直し、左前の半身に構え直す。
この男は、鎖鎌相手に刀を絡み取られないための対処法を知っているようだ。
俺は右腕の手首を捻りながら、鉄球を横八の字に振り回し始める。
ヒュンッヒュンと微かな風切り音が、室内に響いた。
鎖分銅の攻撃は、間合いが広い分、隙が大きい。だからこそ、ぎりぎりの間合いで攻撃を仕掛けたい。
すり足で、右門との距離をゆっくりと詰める。
横からか、上からか、それとも正面からか。
分銅の軌跡を読まれないように、動かし続ける。
右門は俺の出方を伺うように、微動だにしない。
分銅が届くが、刀は届かない間合いに入る。
だが奴の踏み込みの速さなら、迂闊に攻撃を仕掛ければ、その隙をつき一気に間合いを詰めてくるだろう。
膠着している時間はない。
だから、あえて隙を見せて、奴に仕掛けさせる。
俺は、半歩だけ足を前に動かし、踏み込めば刀が届く間合に入った。
右門はその距離を正確に読んでいた。俺が動いた瞬間に一気に間合いを詰める。
俺は最後の勝負を挑む。
鎖を掴む手を離すと、鉄球はそのままの勢いで、右門の胸元に放たれた。
常人なら反応できずに、胸骨を砕かれる速さ。
だが右門は鉄球の軌跡を見切り、トンと踏み込んだ足を軸に身を翻し攻撃を避ける。
流石の体捌きだが、俺も分銅で奴を倒せるとは思ってない。
この一撃は次への布石。
俺も右門に呼応するように、間合いを詰める。
今、手にあるけん玉の本体、その武器である剣先は短刀よりも短く、接近しなければ右門に攻撃することはできない。
鎖分銅は少しでも有利に間合いを詰めるための牽制。
攻撃を交わした右門は、流れるような動きで、刀を下段から上段に移動させる。
そしてそのまま躊躇なく、俺に振り下ろしてきた。
「しゃ」
俺の口から呼気が漏れる。
この間合いだと右門が有利。
俺の剣先は届かず、刀は届く。そして再び鎖分銅を放つには近すぎる。
俺は右門が振り下ろす刀を迎撃するように、剣先を奴に向けて突き上げた。
刀とけん玉がぶつかる金属音がして、右門の刀は、剣先と大皿の間で受け止められていた。
この短い剣先で、右門の喉を貫けるとは思っていない。
俺の目的は、奴の刀を絡めとること。
そのために金属製のけん玉の大皿と剣先の間には、十手の鉤のような溝が掘られている。
仕込み杖のような細い刀身なら、このままへし折ることもできる。
しかし右門の刀は業物なのか、俺が捩じ切ろうとしても、びくともしなかった。
それどころか、右門は斬撃を受け止められてもなお、力を緩めようとせず、そのまま俺を押し切ろうとして来た。
ぐっ、ぐっ
右門がゆっくりと刀に力を加えて来る。
今ここで一瞬でも力を緩めれば、右門の剛力で、俺の体は真っ二つにされるだろう。
だが右門との鍔迫り合い、互いに動きを封じられたこの状態は望むところだ。
俺の微かな指の動きに反応し、けん玉の内部に仕込まれたバネが解放され、剣先が右門の顔目掛けて飛び出した。
けん玉の小細工の一つ「袖箭」だ。
元々は、バネを仕込んだ筒から短い矢を飛ばす暗器。鎖分銅が避けられた時のための仕掛け。その威力は通常の弓よりもはるかに弱く、射程は短い。
だから、この距離まで近づいて、不意打ちに使う必要があった。
だが……右門は放たれた剣先を、左腕を盾とすることで受け止めてみせた。剣先は右門の左手に突き刺さるが、その筋肉の密度に邪魔をされ、貫通することはできない。
化け物か、こいつ。
この至近距離で袖箭を防がれるとは。
武器を放つために力や動作は必要ない、ただ指を動かせばバネの勢いが矢を放つ暗器を避けるのは、常人には不可能。
だが右門は、俺のその微かな動きを察し、至近距離から放たれた矢に反応してみせた。
しかも、笑っている。
左腕から血を流しているのに、痛みを感じた様子も見せない。
むしろ命のやり取りを、お互いの死力を尽くした攻防を愉しんでいやがる。
けどな、俺はあんたに付き合うつもりはないんだ。
右門の力が緩んだ瞬間を逃さず、奴の刀を払い除ける。一瞬だけ、右門の体制が崩れ、隙を見せた。
けん玉の攻撃手段は全て披露した。
残っている武器はない。
だがこの一瞬を逃すわけには行かない。
今ここで動きを止め、半歩でも後退りをすれば、俺は振り下ろされる刀で真っ二つにされるだろう。
俺は死を覚悟し、最後の賭けに出た。
右門との間合いをさらに詰め……小皿の仕掛けを使う。
パシュッ
右門の目に向けた小皿が、一瞬眩い光を放つ。
「ぐおっ」
小皿に仕込んだ火薬や金属片の燃焼が生み出した閃光が、右門の視力を奪った。
けん玉の最後の小細工。逃走用の閃光灯。
だが、今は逃げるためには使わない。
この閃光は右門の目を潰し、懐に潜り込むためのもの。
お互いにつかみ合う間合い。
この距離に潜り込めば、一瞬だが右門の刀を封じることができる。
「うぉおおお」
雄叫びをあげ、己の心を奮い立たせた。
俺の拳が、右門の心臓の位置に触れた。
『心止め』
武器を使い尽くした俺の、これが最後の攻撃。これが通じなければ、勝ち目はない。
がしっ。
「何っ……」
しかし俺が技を放つ寸前、右門が牛馬のような力で、俺の腕を掴んできた。
右門は視力を奪われた状態で、俺の手が触れた瞬間その位置を正確に把握し『心止め』を放つ右腕を掴んできたのだ。
捨て去られた刀が落ちる音がし、俺の右肘関節が右門に極められようとする。
だが、俺は関節技から逃げる気はない。
お前が腕が折るのと、俺が一撃を叩き込むのの、どちらが早いかだ。
体重の全てを、右の拳に乗せる。
メリッ。
次の瞬間、右肘の靭帯が鈍い音を立てた。激しい痛みが襲い、右腕から力が抜けていく。
渾身の力を込めたせいか、左頬の傷が再び開き、血が横顔をトロッとつたい落ちた。
『心止め』の手応えは十分だった。
あとは奴の心臓が止まるか。
俺は心の中で、技の成功を祈った。
腕を握る右門の手から、力が抜けていく。
右門の顔を見上げると、俺を見つめ満足気な笑みを向けた。
ピュっと、右門の左腕から血が噴き出し、刺さっていた剣先が吹き飛ぶ。
そして彼は、それ以上腕に力を入れることはできず、『心止め』によって、そのまま崩れ落ちた。
崩れ落ちてゆく際、拳に伝わった不規則で微かな鼓動が、右門の心臓が止まりきっていないことを伝えてきた。
薄氷の勝利。
もし右門の目が眩んでいなかったら……
もし右門の左腕に剣先が刺さっていなかったら……
そしてもし俺が少しでも戦うことに躊躇したなら。
右腕はへし折られていただろう……
俺が最後に勝てたのは、強かったからではない。
武芸の実力だけみれば、右門の足元にも及ばない。
葵様を助けるための執念が、この紙一重の勝利を引き込んでくれた。
愛と忠の違いはあれど、誰かのために戦うことへの迷いの差。
そう思った俺は、この場を去る前に、倒れている右門に深々と一礼した。
目の前の右門も、どこか嬉しそうな顔をしている。
そうだ、俺は逃げることではなく、戦うことを選んでこの場所に来た。
「次が最後の攻撃だ。俺の技があんたに通じるか試させてほしい」
心に迷いがあれば……死を覚悟しなければ、俺の攻撃は奴には通用しない。
深く呼吸をし、装甲服の胸にある紐を引く。すると俺の体を守っていた鉄板が畳の上に落ちていった。
忍者が逃走時に、少しでも身軽になるための仕掛けだ。
しかし今、装甲を外したのは、逃げるためではない。
少しでも早く動くため。
そして、死への恐怖を受け入れるため。
「こういうものに頼る心が、動きを鈍くする」
俺の一言に、頷く右門。
奴がその気なら、装甲を外す間に斬り伏せられただろう。だが右門はあえて俺の最後の一撃を待ってくれた。
妙なところで律儀なこの男に、俺は好感を持った。
「あ、戦う前にさあ、最後に一言いいかな?」
だが、最後の攻撃の前に、俺は心残りを払拭しておきたかった。
間を外すように、あえて気の抜けた口調で、最後の言葉を投げかける。
「仲間のことを話す気になったのか?」
「いや、違う。さっき、この城のお宝を盗みに入ったって言ったよな」
右門は刀を構えたまま、俺の次の言葉を待つ。
「あれは嘘だ」
少しは動揺してくれるかと思ったけど、奴は全く動じない。
右門にしてみれば、こちらの事情など、捕まえた後いくらでも聞き出せるからだろう。
ただ俺からすれば、死ぬ前に奴に伝えておかなければならない事だ。
「俺の目的はな、この城に嫁いできた奈川城の姫、葵様を奪い返すこと」
その一言は、右門にとって少し意外だったのか、少し眉が動く。戦いの中では全く動じない男だが、俺の行動が男女の色恋沙汰と知って少しは動揺したのか。
「奈川城が何故?」
多分、右門は俺の言葉を理解していない。
侍にとっては、天下人が命じた結婚を壊すことに、理解が及ばなかったのだろう。
愛のない結婚に何の疑問も抱かない連中だ。
右門が別段冷淡なわけではない。それは義母である鶴姫も同じだろう。
血がつながっていないとはいえ、娘が鬼畜に嫁入りするのを受け入れている。
いやむしろ、あの城主なら厄介払いができたと喜びかねない。
「侍には、わかんねぇよ」
そんな侍たちへの嫌悪感を吐き捨てる。
「忠義のためか……羨ましい。だが小僧。この結婚は天下人様が定めたもの……奈川城が拒否できるものではない」
「関係ない!」
だめだ、この男、思った以上の朴念仁だ。
右門の考えちがいを訂正するために、大声で叫ぶ。
「天下人の意向とやらも、奈川城の存在も、全部関係ない。俺はただ、自分の意志でここにいる。上の命令を黙って受け入れることが美徳だと思っている、侍たちには理解できねえと思うけど。俺は……惚れた女を……命がけで奪いにきただけだよ。」
いざ言葉に一気に捲し立てて、少し気恥ずかしくなる。
まさかこんな場所で、俺の本心を話すことになるとは。
「まったく、言わせるなよ、恥ずかしい」
だが、この照れ臭い台詞を、素直な思いを、あの時、葵様に言っていれば……。
思えば「葵の本心」を聞きたかった俺自身が、身分の差に立ちはだかれ、本心を打ち明けられなかった。
それを今、後悔してもどうしようもない。
あの時に気持ちを伝えなかったことの償いを、今、戦うことでやっているんだ。
「だから、あんたに一つお願いがある。俺がここで死んだら、葵様に伝えて欲しい」
死を覚悟する前に、彼女に伝えたい想いを口に出す……。
「葵様のために、命をかけた馬鹿がいたってことを」
自己満足かもしれないが、そのことを伝えずにはいられなかった。
「その言葉、確かに承った」
右門は恭しく俺に一礼した。
どうやら右門なりに、何か感じるものはあったようだ。
彼の言葉には嘘はないだろう。そこには不器用で誠実な男への奇妙な信頼があった。
「ありがとう、これで心置きなく……死ねる」
俺は涼しげな表情で言うと、最後の攻撃へ覚悟を決めた。
俺は腰から、けん玉を取り出した。
これが、ここに持ち込んだ最後の武器。これが通じなければ、次はない。
右門はそれに応えるように、そして俺が仕掛ける奇策に対応できるよう、刀を青眼に構え、こちらの出方を伺っている。
「一太刀。苦しみはせん」
右門なりの俺への敬意か。
奴は俺の言葉を信じてくれたのだろう。
俺に背後関係がないと分かった以上、生かしておく必要はない。
むしろ生きて捕らえられれば、凄惨な拷問が待っている。
だったら、ここで苦しまずに斬り捨てることが、彼なりの慈悲。
だが俺も、むざむざ斬られるつもりはない。
右門への言伝は死んだ時の保険。
死ぬ覚悟はできていても、死ぬつもりなどはない。
俺は目の前に立ちはだかる右門を倒し、葵様を助け出す。
そのためには……この一撃で勝負をつける。
俺はけん玉を左手に持つと、本体から離した球をゆっくりと慎重に振り回し始めた。
「鎖鎌か」
右門が言う。
このけん玉は、単なる玩具ではなく、鎖鎌としての機能を持たせてある。
全体は木ではなく金属製。鉄製の玉は細く長い鎖で繋がれ、分胴としての機能を持つ。剣先は鎖分銅で相手を絡めとった時にとどめを刺すために、長く鋭い両刃だ。
分銅の一撃、刀を絡めてくる鎖、接近戦での両刃刀。
多様な攻撃が可能な鎖鎌は、刀で戦う侍にとっては厄介な武器になる。
最後の武器が鎖鎌と認識した右門は、刀を下段に構え直し、左前の半身に構え直す。
この男は、鎖鎌相手に刀を絡み取られないための対処法を知っているようだ。
俺は右腕の手首を捻りながら、鉄球を横八の字に振り回し始める。
ヒュンッヒュンと微かな風切り音が、室内に響いた。
鎖分銅の攻撃は、間合いが広い分、隙が大きい。だからこそ、ぎりぎりの間合いで攻撃を仕掛けたい。
すり足で、右門との距離をゆっくりと詰める。
横からか、上からか、それとも正面からか。
分銅の軌跡を読まれないように、動かし続ける。
右門は俺の出方を伺うように、微動だにしない。
分銅が届くが、刀は届かない間合いに入る。
だが奴の踏み込みの速さなら、迂闊に攻撃を仕掛ければ、その隙をつき一気に間合いを詰めてくるだろう。
膠着している時間はない。
だから、あえて隙を見せて、奴に仕掛けさせる。
俺は、半歩だけ足を前に動かし、踏み込めば刀が届く間合に入った。
右門はその距離を正確に読んでいた。俺が動いた瞬間に一気に間合いを詰める。
俺は最後の勝負を挑む。
鎖を掴む手を離すと、鉄球はそのままの勢いで、右門の胸元に放たれた。
常人なら反応できずに、胸骨を砕かれる速さ。
だが右門は鉄球の軌跡を見切り、トンと踏み込んだ足を軸に身を翻し攻撃を避ける。
流石の体捌きだが、俺も分銅で奴を倒せるとは思ってない。
この一撃は次への布石。
俺も右門に呼応するように、間合いを詰める。
今、手にあるけん玉の本体、その武器である剣先は短刀よりも短く、接近しなければ右門に攻撃することはできない。
鎖分銅は少しでも有利に間合いを詰めるための牽制。
攻撃を交わした右門は、流れるような動きで、刀を下段から上段に移動させる。
そしてそのまま躊躇なく、俺に振り下ろしてきた。
「しゃ」
俺の口から呼気が漏れる。
この間合いだと右門が有利。
俺の剣先は届かず、刀は届く。そして再び鎖分銅を放つには近すぎる。
俺は右門が振り下ろす刀を迎撃するように、剣先を奴に向けて突き上げた。
刀とけん玉がぶつかる金属音がして、右門の刀は、剣先と大皿の間で受け止められていた。
この短い剣先で、右門の喉を貫けるとは思っていない。
俺の目的は、奴の刀を絡めとること。
そのために金属製のけん玉の大皿と剣先の間には、十手の鉤のような溝が掘られている。
仕込み杖のような細い刀身なら、このままへし折ることもできる。
しかし右門の刀は業物なのか、俺が捩じ切ろうとしても、びくともしなかった。
それどころか、右門は斬撃を受け止められてもなお、力を緩めようとせず、そのまま俺を押し切ろうとして来た。
ぐっ、ぐっ
右門がゆっくりと刀に力を加えて来る。
今ここで一瞬でも力を緩めれば、右門の剛力で、俺の体は真っ二つにされるだろう。
だが右門との鍔迫り合い、互いに動きを封じられたこの状態は望むところだ。
俺の微かな指の動きに反応し、けん玉の内部に仕込まれたバネが解放され、剣先が右門の顔目掛けて飛び出した。
けん玉の小細工の一つ「袖箭」だ。
元々は、バネを仕込んだ筒から短い矢を飛ばす暗器。鎖分銅が避けられた時のための仕掛け。その威力は通常の弓よりもはるかに弱く、射程は短い。
だから、この距離まで近づいて、不意打ちに使う必要があった。
だが……右門は放たれた剣先を、左腕を盾とすることで受け止めてみせた。剣先は右門の左手に突き刺さるが、その筋肉の密度に邪魔をされ、貫通することはできない。
化け物か、こいつ。
この至近距離で袖箭を防がれるとは。
武器を放つために力や動作は必要ない、ただ指を動かせばバネの勢いが矢を放つ暗器を避けるのは、常人には不可能。
だが右門は、俺のその微かな動きを察し、至近距離から放たれた矢に反応してみせた。
しかも、笑っている。
左腕から血を流しているのに、痛みを感じた様子も見せない。
むしろ命のやり取りを、お互いの死力を尽くした攻防を愉しんでいやがる。
けどな、俺はあんたに付き合うつもりはないんだ。
右門の力が緩んだ瞬間を逃さず、奴の刀を払い除ける。一瞬だけ、右門の体制が崩れ、隙を見せた。
けん玉の攻撃手段は全て披露した。
残っている武器はない。
だがこの一瞬を逃すわけには行かない。
今ここで動きを止め、半歩でも後退りをすれば、俺は振り下ろされる刀で真っ二つにされるだろう。
俺は死を覚悟し、最後の賭けに出た。
右門との間合いをさらに詰め……小皿の仕掛けを使う。
パシュッ
右門の目に向けた小皿が、一瞬眩い光を放つ。
「ぐおっ」
小皿に仕込んだ火薬や金属片の燃焼が生み出した閃光が、右門の視力を奪った。
けん玉の最後の小細工。逃走用の閃光灯。
だが、今は逃げるためには使わない。
この閃光は右門の目を潰し、懐に潜り込むためのもの。
お互いにつかみ合う間合い。
この距離に潜り込めば、一瞬だが右門の刀を封じることができる。
「うぉおおお」
雄叫びをあげ、己の心を奮い立たせた。
俺の拳が、右門の心臓の位置に触れた。
『心止め』
武器を使い尽くした俺の、これが最後の攻撃。これが通じなければ、勝ち目はない。
がしっ。
「何っ……」
しかし俺が技を放つ寸前、右門が牛馬のような力で、俺の腕を掴んできた。
右門は視力を奪われた状態で、俺の手が触れた瞬間その位置を正確に把握し『心止め』を放つ右腕を掴んできたのだ。
捨て去られた刀が落ちる音がし、俺の右肘関節が右門に極められようとする。
だが、俺は関節技から逃げる気はない。
お前が腕が折るのと、俺が一撃を叩き込むのの、どちらが早いかだ。
体重の全てを、右の拳に乗せる。
メリッ。
次の瞬間、右肘の靭帯が鈍い音を立てた。激しい痛みが襲い、右腕から力が抜けていく。
渾身の力を込めたせいか、左頬の傷が再び開き、血が横顔をトロッとつたい落ちた。
『心止め』の手応えは十分だった。
あとは奴の心臓が止まるか。
俺は心の中で、技の成功を祈った。
腕を握る右門の手から、力が抜けていく。
右門の顔を見上げると、俺を見つめ満足気な笑みを向けた。
ピュっと、右門の左腕から血が噴き出し、刺さっていた剣先が吹き飛ぶ。
そして彼は、それ以上腕に力を入れることはできず、『心止め』によって、そのまま崩れ落ちた。
崩れ落ちてゆく際、拳に伝わった不規則で微かな鼓動が、右門の心臓が止まりきっていないことを伝えてきた。
薄氷の勝利。
もし右門の目が眩んでいなかったら……
もし右門の左腕に剣先が刺さっていなかったら……
そしてもし俺が少しでも戦うことに躊躇したなら。
右腕はへし折られていただろう……
俺が最後に勝てたのは、強かったからではない。
武芸の実力だけみれば、右門の足元にも及ばない。
葵様を助けるための執念が、この紙一重の勝利を引き込んでくれた。
愛と忠の違いはあれど、誰かのために戦うことへの迷いの差。
そう思った俺は、この場を去る前に、倒れている右門に深々と一礼した。


