先手必勝!

 こいつ相手に正面から戦っても勝てるとは思えない。
 だから俺は忍らしく、小細工をさせてもらう。
 
 腰の「お手玉」を二つもぎ取り、勢いよく地面に叩きつける。
 と、「ぼん」と鈍い音を立て煙が沸き上がり、あたり一面を真っ白にした。
 結婚式を襲撃した時に、このお手玉で侍達の視界を奪い、その隙に葵様を連れ出す。そのために用意した忍具だが、今は別の使い方をさせてもらう。
 お互いに視界を奪われた状態。
 だが、この事態を作り出したのは俺。
 右門と俺の位置関係を十分に把握していった分、視界不良下での主導権はこちらにある。

 俺は一度大きく横に飛び退き、右門の左手に回る。
 侍相手に正面から斬り合うつもりはない。
 懐から「カルタ」を取り出すと、数枚をまとめて右門のいるところに放った。
 一見、カルタに見えるこれは、四辺を砥いだ鉄板に和紙を貼った手裏剣。
 殺傷能力は低いが、腕にでも当たれば儲け物。相手の動きを少しでも封じられれば十分だ。
 だが、手応えがない……。
 カルタ手裏剣は、畳に刺さる微かな音を立てただけだった。
 
 次の瞬間、俺の左側に敵の気配がし、避けようとした瞬間、左腕から金属音が鳴った。
「浅かったか」
 小さく聞こえる、右門の声。
 右門が斬ったのは、左腕の金属板だ。
 装甲服越しにも、痺れるような衝撃が腕に伝わってきた。
 もし煙幕がなければ、今の一撃で左腕は無くなっていただろう。
 この男は視界が効かない状態でも、俺の気配を察し、的確に斬撃を繰り出してきた。
 そんな相手だから煙幕が立ち込めているうちに、不意打ちで倒したかった。
 だが事はそう上手くはいかない。
「次は外さん」
 煙幕が薄れていく中、俺の目に正面に刀を構えた右門の姿がはっきりと映った。

 俺には時間もない、そして武器を出し惜しみする余裕もない。
 切り札は、とっとと使わせてもらう。
 俺は後ろに飛びのきながら、再びカルタ手裏剣を放ち、右門の追撃を牽制した。
 そして間合いを取りつつ、背中の折り畳みの竹馬を一本、肩に担いだ。
 真ん中で二つに折れていた竹馬が、担いだときの遠心力で、カチッと音を立てて長い一本の棒になる。
(当たれっ!)
 念じながら、竹馬の足台に仕込まれた引き金を引いた。
 ボウッ。
 爆音と共に竹筒に仕込まれた粘土玉が撃ち出され、後方排煙が遥か後方の襖を、がたつかせる。
 竹馬に模した携行用の無反動砲。
 竹の中に詰められた火薬の燃焼力で、粘土玉を撃ち出す使い捨ての砲だ。
 当たれば衝撃で、鎧の上からでも人を行動不能にする、俺が持ち込んだ忍具の中でも最大の攻撃力を持つ切り札。

 しかし……。
 早々に使った切り札を、右門は造作もなく避け、俺との間合いを詰めてきた。
 この距離から火砲の弾を避けるとは!
 逃走用の切り札として持って来たこの竹馬。扉を破ることを想定し、散弾ではなく、破壊力重視の一発玉を仕込んで来たことを俺は後悔した。
 しかし避けられた今、そんなことを悔やんでもしょうがない。
 内部圧力で銃身が裂け、ゴミとなった竹馬を右門に目掛けて投げつける。

 なんとか、間合いを保たないと。
「どうしたコソ泥、お前の攻撃はそれで終わりか」
 竹馬を難なく避けた右門は、逆に俺を挑発してきた。そ
 の口調は、どこかこの戦いを楽しんでいるように感じた。
 ああ、こいつはそういう男なのか……。
 戦いの中で自己の価値を認識する男。
 そりゃあ、この平和な世の中では、鬱屈した生き方しかできないだろう。
 だが、俺はお前の楽しみに付き合う暇はない。
 葵様の場所が分かった以上、一刻も早く彼女の元に駆けつけなければ。
 戦いが長引くほど、彼女の身に危険が迫る。

 右門は再び間合いを詰めてきた。
 表情一つ変えないが、全身から戦うことへの高揚感を感じる。
 俺は再びカルタ手裏剣を投げて牽制しつつ、距離を取ろうとした。
 刀の間合いで戦えば、勝ち目はない。
 最後の二枚!
 俺はそれを同時に投げつけるが、右門は造作もなくそれを刀で薙ぎ払った。
 飛び道具はこれで使い果たした。
 奇襲が通じなかった心の中に、焦りが芽生え始める。
 このままでは、葵様を奪還するどころではない。俺自身の命がいつまでもつかも分らない。

 右門は俺を殺さないように手加減している。
 そのおかげで、なんとか奴の攻撃を避けることができていた。
 だが……いつまでも逃げ続けることはできない。
 折れそうになる心を奮い立たせ、背中に残ったもう一本の竹馬を握りしめる。
 中折れの竹馬が、まっすぐになると同時に、手首を返し、右門に向けて横殴りにそれを振るう。
 その衝撃で竹馬の足場が外れ、下に仕込まれた刃が剥き出しになる。
 竹馬の模した鎌槍だ。
 それを、そのまま右門に横殴りに振るう。
 しかし、奴はその動きを読んでいたのか、自分の喉を狙った一撃を刀で受け止めた。
 右門の喉を抉るはずの鎌の刃が虚しく光る。

 正面からの攻撃が通じなかった俺は、すぐに槍を引き寄せ中段に構え直した。
 刀と槍ならば、間合いの分、槍が有利。
 しかしそれは双方の実力が拮抗している場合。
「槍なら刀に勝てると思ったか」
 奴もそのことを分かっているのか、静かに言う。
 俺自身も槍を持ったぐらいで、右門に勝てるとは思ってない。
 飛び道具を使い果たした今、他に武器の選択肢がないだけだ。
「ちっ」
 右門が懐に入らないように、槍を繰り出し牽制する。
 こいつ相手に、大きく槍を振るう余裕はない。
 隙ができないよう、小刻みに突きをくり出すが、右門は攻撃をことごとく避け、そして刀で弾く。
 時間がない、そして何よりも、この戦いを生き残れる目処もない。
「せやぁ!」
 焦りに駆られた俺は、一刻も早く決着をつけるため、気合いと共に渾身の一撃を右門に繰り出す。
 がしっ。
 しかし奴はその一撃を刀で払うこともせず、槍穂の根元を素手で掴むことで防いでみせた。
「くっ、馬鹿力がっ」
 全身に力を込めるが、掴まれた槍は全く動かない。
「小細工は面白いが、肝心の実力はこの程度か……」
 右門からは先ほどまで見せていた戦いの高揚感は消え、どこか醒めた表情になっていた。

「腰がひけた刃では、拙者には届かぬ」
 奴の言葉に俺は憤り、渾身の力で槍を動かそうと試みる。
 が、右門はその呼吸に合わせ、掴んでいた手をバッと離した。
 いきなり槍の抵抗がなくなり、その勢いを制御できなかったせいで、鎌の部分が畳に突き刺さった。
 どっ。
 次の瞬間、右門は柄を踏みつけ槍の動きを封じた。
 そしてそのまま、槍を踏み台にすると、俺に向かい飛びかかってきた。
 死が目前に迫った。

 そして闘争本能よりも逃走本能が勝った。

 次の瞬間、俺は奴に背を向けて、全力で逃げ出し始めた。
 そしてそのまま畳の上で無様に転がり、壁際に追い詰められる。
「逃げ腰だったので助かったな」
 俺の無様な逃げように、皮肉をこめて右門が言う。
 だがもし俺が積極的に攻撃していたら、今の一撃で斬られていた。
 恐怖心で腰が引けた攻撃を繰り出していたからこそ、逃げるに転じるのが早く、こうやって命拾いができた。
 俺の臆病さが功を奏し、命を救ったのだ。
「もう少し骨のある男かと思ったが……。もう一度聞く。この城に盗みに入るように命令した黒幕は誰だ?」
 右門が足に力を込めると、奴の足下にあった鎌槍は礫音を立ててへし折られた。

 圧倒的な強さを誇る右門を前に、俺には葵様を助ける余裕など無くなっていた。
 落ち着け、落ち着け……。
 はじめて遭遇する命の危機、そんな中でなんとか平静を保とうとした。
 辰起城の侍程度ならなんとかなるという、見通しの甘さが裏目に出た。
 いや。右門さえいなければ、葵様を探し出し、この城から連れ出すことは、なんとかなったと思う。
 今は相手が悪い。
 命のやり取りに恐怖を感じず、むしろ喜びを感じるような男。
 いくさの世が終わっても、自分を鍛え続けてきた男。
 そんな男だから、今までも何度も修羅場をくぐり抜けてきたのだろう。
 俺が経験してこなかった生死の境を。
 別にそんなもの、経験して来なくてもいい……
 命懸けで手に入れた、いくさでの手柄。
 そんなもの、俺にはなんの価値もない。むしろ、そんなもののために、俺は大切な存在を奪われた。
 だから俺は、戦いなどとは無縁の平和な生活を望んでいたじゃないか。
 だったら……
 こんな強い奴と戦って、ここで死ぬ必要はないのではないか?
 自分の命を守るための防衛本能……それが「逃げろ」と声を上げ始めた。

「逃げたいのか? ならば、首謀者のことを正直に吐けば、命は助けてやる」
 俺の気持ちの乱れを見透かしたように、右門が誘いをかけてきた。
 この男は、人を騙し討ちはしない気がする。おそらく、全てを白状して、土下座でもすれば、命だけは助けてくれるだろう。
 俺の実力では、これ以上戦っても右門には勝てない。
 ここで死ねば、全て終わりではないか。
 他人を救う前に、自分を救わなければ意味がない。
 だったら全てを白状して……逃してもらうか。
<奈川城のお姫様に横恋慕していたので、結婚式をぶち壊しにきました>
 果たして、こんな理由を言って見逃してもらえるかは、わからない。
 けど戦って勝てないなら、命乞いをするしかない……
 死への恐怖心に押しつぶされそうになる俺の心は、必死にこの場から逃げる理由を探し始めていた。

 自分は、なんのために戦っているんだ? と。
 不意に芽生えたその疑問。それは捉えようによっては、逃げ出すことの後押しになったかもしれない。
 だが、俺は違った。心の中に明確な答えはある。
 それを思い直すと、今、畳の上に尻餅をつき、命乞いをしようとしている自分が、えらく無様に思えてきた。
 これは自分ための戦いではない。
 大切な人のための戦い。
 それが逃げようとする俺の心を、押しとどめる。
「あんたが強すぎるから、危うく己を見失うところだったよ」
 俺は立ち上がり、右門にそう伝えた。
 自分の顔を見ることはできないが、今の俺は先ほどまでの怯え迷った表情はしていないだろう。

 追い詰められ、絶望の淵に立たされた俺が出した答え。
 それは逃走ではなく闘争だった。