月明かり

さくさくと雪を踏み締めて、ハンスと歩いた道を戻る。夜になる前に、身体が動くうちに、できるだけ山の高いところに登りたかった。
彼は、無事に保護されただろうか。
僕には知る由もないけど、彼だけは、せめて幸せになれるように、なんて。
柄にもなく、祈ってしまった。

登るにつれて、段々と雪が深くなる。白い息を吐きながら、ゆっくりと登っていく。
「さむ」と、思わず声が洩れた。
寒さからか身体の震えが止まらない。奴隷だった頃もこんな寒さは経験していないような気がする。止まったら動けなくなりそうで、無理矢理足を動かし続けた。
歩くことに夢中になっているうちに、夕闇が迫っていた。みるみる銀色の星が、冷たい月が、銀世界の夜に浮かび上がる。
世界は黒と銀に染まっている。
風はないはずなのに、何故か僕の耳には風の音が五月蝿いほど響いていた。
『辛いことがあっても、神様はきっと見ていてくださる』とあいつは言っていた。でも、見ているから何だ。見ていても、助けてくれないじゃないか。Nのことも、僕のことも、結局死ぬまで救ってくれないじゃないか。
身体が動かなくなってきて、柔らかい雪の上に仰向けに倒れ込んだ。
もう歩けないだろうか。寒いし、視界が霞んできたし、お腹は空いたし、何より身体がもう動かせそうにない。
満点の星空をぼんやりと眺めていると、いつの間にか身体の震えは止まっていた。
このまま眠ったら、どうなるんだろう。
Nに会えたり、するんだろうか。
どうしようもなくなると、Nは歌を歌っていた。そして僕もいつの間にか、どうしようもなくなると歌を歌うようになった。僕の口から旋律が零れる。ハンスに渡した、あのオルゴールの曲だった。
あれが、雪に埋まらなくて良かったと思う。あれは、僕が最期まで抱えているべきものじゃない。誰かに希望を持たせるべきものだ。
寒さゆえか、声はほとんど出ない。
でも、不思議なくらい心が安らいでいくのを感じた。
こんな僕を見ている存在がいるのかは分からない。でも、あれだけ沢山の人に崇められ、感謝されているそれが、もう死ぬという今になって尚、手を差し伸べてくれない者なら。
「……神様なんて、糞食らえだ」
そう言った後、言葉とは裏腹な明るい笑い声が、僕自身の耳に届いた。
そのままゆっくりと、眠りに落ちるように目を閉じる。

今までに見たことのないくらい綺麗な星月が、僕が最後に見たものだった。