私は雨粒に打たれる窓を冷たい手のひらでかざし、そっと息を吐く。

今日は雨、窓に流れる水滴が薄汚い窓を余計に引き立たせる。昨日誰かが掃除を怠ったのだろうか、
私は自分の履き崩したスカートのポケットから自分の名前を取った「w」の刺繍入りハンカチを出して、窓に当てる。

このハンカチは確か前の学校の子がくれたものだ。
今さっきほこり掃除のために犠牲にしてしまったが、高級感があってお気に入りだ。
でも、「若葉」という名前だからか、緑色のフレームと刺繍には偏見味が感じられる。

高校最後の文化祭の準備中で皆成功させるため、「一致団結」という言葉がうんざりするかのように飛び散って、私は嫌々無気力状態のままで文化祭の材料運びを行っている。

窓拭きなんか強制されていないが、自分の勝手なオプションだ。
私のような立ち位置の者は誰にも知らない媚を売り続けることが役目だと、クラスメイトの女子達から遠回して言われたことがある。

「仕事の配分」を指示したクラスメイトのの名前が、相変わらず分からない。
生徒会の人だっただろうか?初めて話したのが今日で、しかも”仕事の配分”という形で、必要不可欠な会話で話したことに入るのかすら危うい。
それほど、人と縁がないのだ。人の関わりを避けていた私がクラスの人の名前なんて覚えているはずがない。

「山本…?あぁ。山下さんか」
と、苗字を間違えられるのは日常茶番的なことなので、その発言に対しては気にしてはいない。
けれど、毎回のように「山下」を別の苗字と間違えて訂正されるので、失礼ながら少し面倒くさい苗字で生まれてしまったなと思ってしまったことは親には言えるはずがない。

しかしこの生徒会の人と今日以降話すことは到底ないだろう。
先生か誰でもいいからクラス全員の前で苗字を紹介してほしい、なんてずっと思っているが、おそらくクラスの先生すら「知っているけれど名前が浮かんでこない奴」に入ってそうで怖い。


実際中学でも、少し影の薄い存在だった
でも、仲の良い友達はいないわけではなかったのに、
少しのノリと冗談が分からなくて、自分だけ傷ついてしまう奴だった。

高校3年になる今でもクラスのノリの価値観とか冗談での悪口などの価値観は自分には合わないし、どうしても傷ついてしまうことはある。
でも、会話のコツや相槌を打ったりと成長はできている気がする。
今話している通りに、中学がそれほどに会話が難しい状態だった。

過去の中学生活が原因で出来なくなってしまったことがある。
トラウマとでも言おうか。

犠牲にしたハンカチのおかげで、窓が鏡のようによく見える。その前で窓に向かって笑ってみせると、
反射した自分の笑みにどこか違和感を感じる。

やっぱりどこか笑顔がおかしい。


私は”自分”をさらけ出すことがとても怖いのだ。
心の内に止めている。誰にも言えない秘密。



「はぁ…」


”こんな”嫌なことを考えてたせいなのか、悪っ気のある濃いため息が、周囲を纏う。


笑うことが恐怖だなんて、誰にも言ったことがない。




いや、言う相手がいないと訂正しようか。




材料を取りに行こうと奥の木製のドアに緑の防鳥ネットのようなものが括り付けられていて、小さな四角形の隙間から、中の様子が確認できる。引手に手をかけ、中の不要物を一通り確認すると、一歩歩いた先に、右足が何か当たった感覚がして見たらペットボトルの蓋が回収袋の中に大量に詰まっていたものがごろっと転がっていた。









犠牲にしたハンカチのおかげで、雨の様子がはっきりと目に映る。
ほこりが若干浮いているが沈んだ黒い空から大粒の雨がコンクリートの地面を跳ねる。

緩く繋いだ友情関係、薄汚い笑い声、感情のない悪口、全てをかき消せることが可能かなんてわからないけれど
地球を丸ごと雨で流してしまったら、邪悪は消えたりして!なんて考えつくが、
(科学的に不可能だ)という意見が押し倒し、私の唯一メルヘンチックな考えが流されていく。

耳の奥へと、雨の落ちる音が全身に響く。
雨が1つ、2つ


1階の奥、ゴミ箱に繋がっているドアを開けると
ゴミ捨て場に繋がっている場所のドアを開けると、錆びているのか否や、鉄のように固くて一度手を離す。
ドアを開けると、錆びているのか否や、鉄のように固くて一度手を離す。



ふぅ…とため息を付いてもう一回挑もうと前に出した手が生暖かい感触に包まれる。


予想外の感触に手を引き戻してすっと手を引き戻し後ろを振り返ると、同じクラスの工藤くんがいた。


「お、工藤くん。どしたの?」


私はこう工藤くんに返す。


さきほどクラスメイトの名前は覚えていなかったのに工藤くんの存在を知っていたのは、1年ほど前だろうか。


あの日も大きい雨粒がガラス窓に打たれていたのをじっと眺めていた。




クラスの人達が適当に掃除をしてそのまま逃げるというくだらない遊びをしていたのを遠くから見ていた私は「くだらないな」と小声でぼさいていた。

その遊びに参加する気はないのでひとまず掃除道具入れに向かい、先生が他の人の悪意な行動を何も悪くない私達をほんの数分間叱る行為を阻止する為だけに掃除前より荒らされた掃除場所を片付ける為だけに。しぶしぶほうきを取ろうとした時

伸ばした手が生ぬるい感触を覚えた。

振り返ると工藤くんがいた。おそらく彼もほうきを取って片付けようとしてくれたみたいで、「先取っていいよ。」なんて少しぎこちない雰囲気ながらも話しかけた。

「うん…ありがと。」


やっぱり、工藤くんもぎこちないのか。そう返した工藤くんの数文字だけ発した言葉のイントネーションに違和感を感じたが、気にしないことにした。







この時から薄々気づいていたけれど






工藤くんはみんなから関西弁を隠している。





「山下っちドア開けましょか?」




1年前のあの日からなんとなく会話を交わしてすっかり仲良くなり、工藤くんの謎のセンスで、苗字の山下を取って山下っちというネーミングセンスの下で呼ばれている。
そのくせ自分は後藤っちなんて軽々しく呼ぶのが少しこしょばゆかった為、工藤くんとすこし距離が遠い「後藤くん」なんて呼ばせてもらうことにした。



後藤君とは、ぎこちないあの日から「山下っち」と呼ばれるほどまでの仲の深さまで発展したのだろうか。
そう考えてると、後藤君が何も話さない私に少し動揺して「山下っち?」と再び呼ばれるまで、自分の脳内会話が中断されずに後藤君のことを完全に放置していた事に気づき、



「ありがと〜!」


と急いで作った文章と、ニコッと笑顔を忘れない、



(今作った笑顔、自然だったかな。いつもみたいに笑えてるかな。)




私はどうしても、仲良くしたくても愛想笑いをしてしまう。
後藤君の誰も知らない秘密を知れて、結構仲が良くなって。とてもとても嬉しいのに。




昔からそうだ。嫌われたくないがために、自分をなんとなく隠して生きている。



だから嫌われるのに。たかが最初の印象づくりのためだけに。





急いで作ったニセの笑顔に、後藤君はにっこりして


「ほな、良かったですわ」



と私に笑いかける。



この笑顔、尊敬する



自分には出せない自然な笑み。