自由はぼっちにとって不自由である。

 班分け。席替え。遠足のバスの座席決め。

 先生が「自由に決めていいですよ」と言うと、大方あちこちで歓声が起こる。「○○ちゃんと一緒の班になる!」とか「○○、隣に座ろうぜ」とか、そういった各々の自由が行使され、自由を持たぬぼっちたちは、自由が枯れ尽すのをただじっと待っているのだ。

 そして自由が枯れてようやく、自由を持たざる者たちが強制的に不自由な塊を作る。

 それは自由と言えるのか。余りものになったものたちに自由はあるのか。

 ぼっちという持たざる者たちは、自由を行使できない。自由な場になればなるほど、言いたいことも言えず、やりたいこともやれない。

 休み時間、というが、学校におけるその時間はいわば自由時間である。トイレに行く者、友達とおしゃべりする者、勉強する者、それぞれが自由である。

 その間、ぼっちは不自由を感じ続ける。

 好きなことやればいいじゃない、と人は言う。やろうとしてもできないのは、その行動が人にどう見られているかを気にしすぎるからである。

 いきなり話しかけられると「あいついきなりなんなの?」と気持ち悪がられないだろうか。趣味のラノベを読み始めたら「なんかキモイ本読んでる」と距離を置かれないだろうか。

 ひとりでいると、他人の目が怖くて仕方がないのである。

 ひとりでいる自由というのは、他の自由な者から見ると、奇異に映るのである。

「ひとりでいるのは可哀そう」

「友達がいないからひとりなんだ」

「暗いからひとりなんだ」

「協調性がない」

「人として失格」

「クズ」

 ひとりでいる自由というのは、即ち不自由である。

 そんな俺にとって、創作活動は自由だった。自分の願望、希望、妄想、すべてを文字に変え、主人公に投影させることによって実現させることができた。

 生まれてこのかた女子とつきあったことのない俺でも、小説の中ではキスができた。抱き合うことができた。裸の女子に囲まれることができた。好きって言ってもらえた。

 いつもひとりぼっちで世の中を恨む俺でも、剣を持ち魔法を使って世界を変えることができた。悪を退治することができた。みなに賞賛された。

 いつだって、小説の中では俺は自由だったんだ。

 それなのに、俺のただひとつの自由が犯された。

 俺のノートがクラスで読み上げられ、ギャハハと笑われた。キモイと言われた。俺は思わず逃げ出した。

 もう俺の自由を守ることはできない。自由は破たんした。

 お前らに俺の何がわかる? 俺の、俺だけの自由を踏みにじりやがって。俺の何が分かるというのだ!



 いつもの校舎裏。ペンキの禿げたベンチに腰を下ろし、ぼうっと空を見上げる。曇天が、今にも俺の心までも覆いつくそうとしていた。

 そもそも俺がノートを失くしてしまったのがいけないのだ。それが渡り渡って文芸部の佐々木のもとへ渡り、俺と同じクラスだったというのも不幸のうちのひとつだった。

 目の前で俺の作ったキャラクター設定やプロットを読み上げられたのだ。あの吉岡とか言うクソビッチに。

 またここで五時間目の授業をサボってしまおうか。

 さすがに二日続けてサボるのはまずいか。担任の耳に入って、叱られるだろうな。もしかしたら、母が呼び出されるかもしれない。心配をかけることになるし、母は仕事を休むことになり、迷惑までかけてしまう。騒動のことを母に説明するわけにもいかない。俺がクラスでぼっち、そしてネットで小説を書いていることまでバレてしまう。

「ダメだ……。終わった」

 俺の高校生活は詰んでしまったのかもしれない。

 クラスメイトからは恥ずかしい小説を書いている奴と罵られてしまうだろう。

 たまたま書籍化が決まったというだけでちやほやされる山本と何が違うのか。

 書籍化という壁は、人の人生をそんなにも変えてしまうのか。

 もしや、俺も山本のように堂々と宣言すればいいのではないか。恥ずかしがるからいけないのではないか。

「そうするしかないか……」

 覚悟、というものが俺には欠けていたのかもしれない。

 その点、山本は本名で小説を投稿したり、覚悟が見えていた。俺が唯一あいつに負けているとすれば、その点だけだ。

 俺も橋和馬という本名で覚悟を背負って創作活動をすれば、もっといいものが書けるに違いない。いわば背水の陣。それは書籍化への近道だ。

 このままでは俺はダメになる。クラスメイトたちの悪意に潰されてしまう。

 その前に、俺は仕掛ける必要がある。そのために、俺がKAZMAだと宣言し、あのノートを取り戻す。

 俺の自由を守る!

 俺はすぐさま教室に戻ることにした。あの騒ぎがあって、今はどんな状態になっているのか想像もつかなかったが、もしかしたら「KAZMA=橋和馬」説を確信し、みんなが俺を探し回っているかもしれない。

 すでに俺は格好の物笑いの種になっているかもしれない。変態とまで揶揄されているかもしれない。ノートが黒板に張り付けられているかもしれない。

 それでも、それの何が悪い。俺は夢に向かって小説を書いているのだ。お前らみたいに、人の夢を笑うようなことは絶対しない。

 五時間目の予鈴が鳴るころ、俺は教室に戻ってきた。

 すでに佐々木のまわりには人もまばらで、俺のノートを散々弄んだクソビッチ吉岡だけが相変わらず漂っていた。

 よく見ると俺のノートはすでに閉じられて、佐々木の机の上にぽつんと置かれている。すでに持ち主が俺だと見当ついたのだろうか。

 俺は覚悟を決め、ずんずんと教室に入り、佐々木の机へ向かう。

 人は覚悟を決めて、行動の段に入ってしまうと、もはやそれまでうじうじ考え悩んでいたことが嘘みたいに、最後まで突き進めてしまうことがある。

 小学校のころ、予防注射が怖くて怖くて、一週間前からうじうじして夜になると布団の中でひとり涙を流していたことがある。注射針が自分の腕の皮膚に突き刺さり、肉を切り裂きながらよく分からない液体を注入される様を想像し、恐怖に怯えていた。恐怖のイメージが日に日に肥大し、俺を暗黒に覆っていった。

 しかしいざ注射針を刺されると、それまでのイメージを越えるような恐怖は訪れず、存外あっさり終わってしまって拍子抜けするということがあったのだ。

 人は嫌なことを考えすぎると、負のイメージで自分を縛りつけて動けなくなってしまうのだ。 

 今回も一気に行動したほうがいいと、俺は注射の例を思い出し、一直線に佐々木の前へ立った。

 そして「そのノート、俺のだから返してくれる?」と颯爽と発言、直ちに取り返す。「俺もなろう作家として、書籍化目指してるから」と堂々と宣言してしまうという段取りだった

 とにかく先手を打つことが重要だ。

 佐々木や吉岡から「KAZMAってお前だろう。こんな小説書いてるのか。きも」と言われる前に、「それが何か?」と良い意味で開き直れる態勢を敷いておく。

 覚悟を決め、俺は佐々木の机の前に立つ。すると佐々木も俺のことを見上げる。

「そそそそそのノート、俺の……」

 俺はイメージしていた半分以下のスムーズさで、なんとか震える指を抑えながら、机の上のノートを指さした。

「お、俺も、なろう、作家……」

 自分の口から細切れでブサイクな言葉しか吐き出されてこないことに、なにより俺自身が驚いている。乗り越えたと思った恐怖は、まだまだ俺の中に存在し、簡単にことを運ばせてくれないのだ。

「書籍化、目指して、ル……」

 指先が震える。佐々木は突然現れた俺に驚いているだろうか。吉岡は犯人捜しの答え合わせができて喜んでいるだろうか。二人の様子を窺うことすら恐怖で、俺はただ一点、俺のノートだけを見つめていた。

 よく考えると佐々木や吉岡と話すのも、これがほぼ初めてかもしれない。

「あ、そうなの」

 拍子抜けはここで訪れた。佐々木はあっさりノートを取ると、俺に手渡してきた。

 そして俺の決死の覚悟などちっとも理解していないように、まるで小蠅が目の前を通り過ぎただけのように、すぐに吉岡との会話に戻ってしまった。

 吉岡も、俺がノートを取り戻しにきたことには興味がまったくないみたいで、完全に俺には目もむけず、無視。

「え……?」

 ただの杞憂だった。自信過剰だった。

 俺がネットで小説を書いているという事実は、このノートの存在で一瞬だけ教室の中で盛り上がったが、それは昼休み中ずっと引っ張るような話題ではなかったのだ。

 俺の覚悟の告白すら、もはやその熱気を盛り返すことすらできず、俺はすでに話題の渦中にいたはずの佐々木と吉岡にさえ無視されている。

 俺の存在とはなんなのか。

 空気か?

 こんなことならば吉岡に「キモイ」と言われた方が、楽だったかもしれない。罵倒を浴びせられるということは、俺の存在を認められているからで、感情が伝わる。

 しかし、今の俺は空気。ただの空気。色もついていなければ、匂いもない。ただの空気。人を嫌がらせることもなく、もちろん喜ばせることなど皆無。

 嫌われるよりも無関心が一番堪える。

 目立たないようにしていたら、本当に空気になってしまった。

 手元に戻ってきたこのノートはただただ冷たかった。