「スミマセン、僕も片付けとか仕込みしていて気付かなくて…とにかく急ぎましょう」
車に乗ってシートベルトを締めながら滝野が言う。
会社の住所をナビに入力しながら、
「近いですね。良かった。道路が混んでいなければ十分くらいで着きますよ」
由岐奈は、まさかの急展開に頭がボ~ッとしていた。
一目惚れしたゲームバーの店長に、また会いたくて、一目、姿を見たくて。
それだけで良かったのに。
でも、お店に行くタイミングがないまま残業になったので開店前にお店に入れて…
店長の妹と仲良くなりつつあったけど…まさか店長の車の助手席に座れるなんて!
「…でしょう」
滝野が何か話しかけた。
由岐奈はボ~ッとしていて聞こえなかった。
「えっ、ごめんなさい、ボ~ッとしていて…」
「いや、ゆりなのやつ、うるさくなかったですか?アイツ、なんかアイドルグループに夢中で由岐奈さんが同じグループ好きみたいだって、お話したい、また店に来てくれないかなぁって、ずっと言っていたんですよ」
「いえ、うるさくなんて…あまり知られていないグループだから私も話せて楽しかったです」

滝野が運転する車が会社の前に着いたのは八時四十分だった。
「間に合って良かったです。スミマセンでした」
「いえ、そんなっ。私が、お邪魔しちゃったから、その、スミマセン。送っていただいて、ありがとうございました」
慣れないシートベルトを外そうと引っ張ったり捻ったりしている由岐奈に気付いた滝野は、
「ちょっと失礼」
と、言いながら腕を伸ばして由岐奈のシートベルトを手際よく外した。
滝野の長めの黒髪がサラッと由岐奈の目の前で揺れた。
由岐奈は自分が火山だったら爆発寸前じゃないかと思うくらい熱くなって顔が真っ赤になっているのを感じた。
赤くなった顔を見られたくなくて、でも滝野の車から降りたくない気持ちと格闘しながらアタフタと降りて会社に向かう由岐奈に、
「由岐奈さん」
滝野が声をかけた。
「は、はいっ」
由岐奈は真っ赤な顔を見られるのが嫌で振り返ることが出来ずに返事をした。
「良かったら、今夜、お店にいらしてください。引き留めて会社に遅れそうにさせてしまったので、お詫びに招待させてください」
──えぇえええっ?
由岐奈は真っ赤になったまま、振り返った。
「そそそ、そんなっ調子に乗って長居したのは私ですから」
滝野は優しく微笑んだ。
「迎えに来ますよ。お仕事は何時に終わりますか?」
──迎えっにっ?
「六時、です…」
「じゃあ、その頃に。この辺に車を停めて待ってます…あ、僕の電話番号を渡しておきます」
滝野は、そう言って素早くメモすると由岐奈に手渡し車を発進させて去っていった。

この一部始終を桜木が作業場の窓から見ていた。
──ふぅん…彼氏の車で御出勤かぁ。田平さんも、やることは、やっているんだ。