雲の泡沫




 実南が瞼を開けてまず視界に入ったものは、白、白、白。辺り一面真っ白な世界だった。
 眩しい程の光に包まれた明るい場所。そこには、クリーム色をしたドーム型の建物が横や上へと沢山連なっていた。建物には窓や扉がなく、石壁を小さく刳り貫いてあるだけ。まるで、石造りのかまくらがいくつも並んでいるようだった。丸いアーチが、暖かく優しい雰囲気を醸し出している。
 開けた広場のような場所に立つ実南は、周りにある建物に圧倒され視線を下に向けてしまう。
 地面は白い雲だった。いや、比喩ではなく。本当に。
 ふわふわっとした雲が足元に広がっている。踝まで雲の中に埋まるが感触は柔らかいものではなく、踏み込めば石畳を踏む音がする。目からの情報と足からの感覚の違いに一瞬頭痛がした。
 けれど、もう一度よく地面を見てみるとその理由が分かる。白い石畳の上を十センチくらいの厚い雲が漂っているのだ。雲の上に立っているのではなかった。
 周りには小さな雲が漂っていて、沢山の建物どこを見ても、その先には大きな雲が聳え立っている。周りが雲で囲まれていると初めて気付いた。。
 ここは、もしかして……
「雲の、都市?」
「せいか〜い」
 つい口に出した予想は、間延びする穏やかな声によって肯定される。
「誰!?」
 声が急に後ろから聞こえ、心臓が跳ねた。慌てて後ろを向く。
「“雲海都市”へようこそ。僕は雲の精、グラースだよ」


****


 グラースと名乗る人物は中性的な見た目をしていた。肌は白く、ふわふわくるくるした髪も真っ白。笑顔により少し細められる瞳は丸く、色は銀に近い白色。タレ目が柔和さを際立たせるが、瞳孔の色が薄いのか、グラースの瞳はぼうっとしているような印象も受ける。雲の精というだけあって、その姿からは雲が連想された。
 見た目だけで考えれば、クルレーと同い年かそれより少し年下だろう。性別は……判別しにくい。
 クルレーが言っていた。精霊というものは繁殖行動を必要としない為、性別という概念が存在しない。だから精霊たちは皆、中性的な見た目をしているのだ。ちなみにクルレーは、一応人間の生物学で分類するのであれば、体の構造は男性ということらしかった。
 しかし今目の前にいる人物は、正直彼以上に判別しにくい。
「グラースは男の子?」
「最初に気にするのそこなんだ?」
 変なのぉ、と穏やかに笑うグラース。
「性別って気にしたことないけど、人間の世界でいうと男らしいね」
「そうなんだ……」
 人形みたいに可愛らしい姿をしているグラースも、一応男性らしい。少女と言われても納得してしまいそうなのに。

 つい頭の中で、世の中の不公平さに不満を呟いていた実南は、視線を感じて意識を戻す。
 視線の正体は目の前のグラース。真顔でこちらをじっと見ている。
「えっと、どうしたの?」
「うーん。雲海都市に来たことに対しては、何も思わなかったんだなぁって」
 少し残念そうに首を傾げて落ち込むグラース。
 そうだ。ここは雲海都市だ。周りの風景と雲の精の存在から考えるに、ここは実南が夢見ていた場所なのではないだろうか。
 もう一度辺りを見回す。雲に囲まれた雲でできた都市。明るく、それでいて幻想的な世界に目を奪われる。今になって雲の上に来たことを自覚し始めた。
「ここって、やっぱり雲の上なの!?」
 太陽のように目を輝かせて前のめりで問う。
「そう。雲の上、雲の中に存在する都市。それが雲海都市だよ」
「本当に、本当に雲には都市があったんだ……!」
 長年思い続けていたこと。長い間想像し続けていたもの。それが今目の前にある。
 感激で実南は鼻の奥がツーンとした。夢みたいだ。いや、少し前までは夢だったんだ。自分が頭の中で勝手に考えていた、ただの夢。ただの想像。でも、今そこに立っている!こんなに嬉しいことは無い!——あぁ、何て幸せなんだろう。
 彼女の表情は、今までで一番輝かしいものとなっていた。


****


「取り乱しちゃってごめんね」
 暫く雲海都市に来た実感を噛み締めた後、実南はグラースに向き直って謝る。
 どれくらい一人で楽しんでいたか分からないが、彼をずっと待たせてしまったことは事実だ。
「……」
 声をかけたが、グラースは何も言わない。
 怒っているのかと思ったが、表情を見るに違うだろう。寧ろ、“呆気にとられている”という言葉が似合いそうな表情をしている。
「どうしたの?」
「いや、ここに来ただけでそんな喜ばれると思ってなくて……」
 顔はそのままで、何とか言葉を捻り出したように答える。未だ驚きの衝撃が消えていないみたいだ。
「私雲が好きなの。毎日毎日、眺めに行くくらいなんだから!」
 大きく開かれたグラースの瞳が、より大きくなる。
「雲が好き……?」
「うん」
「ほんと?」
「ほんと!」
「そっか」
 驚きから一変。彼の表情はふんわりとした笑みになる。
 とても嬉しそうな表情に、実南も心が温かくなった。