噂で聞いていた程度。
「雲のことが大好きだっていう人間がいるらしい」
「毎日空を眺めているんだって」
雲の精の間で少し話題になっていた。
実際に僕は見かけたことはなかったけれど、ほんの少しだけ興味があったんだ。
気付けば僕は、そこ存在していた。
雲の精として、やるべきことをただ普通にやっていた。淡々と繰り返す。
たまに、話しかけられれば肯定し受け入れる。
それだけ。僕の人生を一言で表すとすれば、平々凡々。確か人間の言葉だと、そう言うんだった気がする。でもつまらないとか、後悔とか、そういうのは無かったなぁ。みんな同じだったから。それが普通だったんだ。
ただ、ほんの少しだけ、『染まる相手』がいる精霊たちのことは羨ましかったなぁ。
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いつだったか。
これも人伝だけど、水面都市にある人間が迷い込んだことを聞いた。
別に人間がどこかの都市に迷い込むのはよくあることだけど、今回の人間は雲が好きだっていう少し変わった子だったんだって。
雲が好きなのに、水の精に拐われた。
それで誰かが、珍しく文句を零していたらしい。
そのときは、特に何も思わなかった。そうなっちゃったんだから、そのままにするしか無いんだろうなぁって。
だけどあんまりにもみんなが人間のことを噂するから、ついに僕も気になり始めたんだ。
それで、少しだけ水の精に染まってしまった。
彼と同じように、気になる人間を連れてきてしまえば良い。そう思ったんだー。
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水面都市に迷い込んでいたから、雲海都市に着いたときも、あんまり混乱してなかったね。
寧ろ喜んでいた気がする。
ここに連れてきて、あんなに喜ぶ人間を僕は見たことが無かった。
彼女は……実南は雲が好きだと言った。
だから僕のこともあんまり警戒してなかったし、雲海都市を見て回りたいと、はしゃいでいた。
色々な場所に連れて行くと、毎回毎回幸せそうな顔をするから。雲の精特有の性格なんて関係無しに、実南の願いは叶えてあげたいと思うようになったんだぁ。
でもそれから、運の悪いことに僕は実南の望みを叶えられないことが多くなった。
彼女はそれでも良いと笑顔で言ってくれたけど、その笑顔が余計に胸を苦しくした。
初めての感覚に、僕ずっと戸惑ってたんだよ〜。
それに実南は頑固だ。
性格とは真逆のことをしなくてはいけないとき。危ないから現実世界に戻ってって言ったのに、実南は全然聞いてくれない。
提案すること自体がつらかった。聞いてくれない実南の頑固さに、ちょっと呆れるときもあった。
だけど、毎回断る理由が僕や雲の精、雲海都市に関わるものだから、それがとっても嬉しかった。内緒だけどねぇ。
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僕はその実南の頑固さ、好きなものへの真っ直ぐさに救われたんだ。
落ち込んでいるとき。雲の精らしくいられなかったとき。実南は新しい視点を教えてくれた。
それからだと思う。僕は実南に染まりかけていたんだ。
好きなものには素直に。純粋に追い求め、真っ直ぐ愛す。
実南にはそれが普通だった。
そんな彼女に染まったからこそ、僕も好きなものに真っ直ぐ向き合い、つらい思いをしてでも彼女の人生を第一優先にしたんだ。
苦しそうな実南を見てすぐに後悔した。
もっと前に、もっと安全なときに現実世界へ帰していれば良かった。そう思ったんだ。
正直これからもずっと一緒にいたかった。浄化のときもそばにいて欲しかった。
だけど、これ以上は危険だったんだ。“待って”と止められたけれど、僕は受け入れなかった。
苦しかった。
それが雲の精として、受け入れなかったことへの苦しさなのか。それとも、彼女と突然別れないといけなくなったことへだったのか。
でも、それで良かったんだ。
想像以上に酷い状況だった。ここに実南がいたら、きっと大変なことになる。だから良かった。
そう、思っていたのに。
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次に実南を見たのは、陽龍と対峙しているときだった。
舞の途中で、目の前に陽龍が迫っているのは気配で分かった。でも雲の精は生まれたときから浄化をすることが当たり前だし、精霊に生きることへの執着は無いからあまり消滅が怖くなかったんだぁ。
だから舞を続けていた。それが普通だったから。
なのにいつの間にか実南は来てるし、危険なのに僕を庇うし!
状況を理解する前に、僕は実南の死を悟った。
こうなって欲しくないから帰したのに。実南は頑固すぎるよ……。
そう思った瞬間。本当にあのときは一瞬の出来事だったと思う。少しでも何かのタイミングがズレていたら、多分実南は喰われていた筈だ。
水の精たちによって、大量の水が陽龍に降りかかった。
あとから聞いた話だけど、雲の精が出した要請に水の精が応えて移動してきたんじゃなくて、実南がクルレーっていう水の精の名前を呼んだことで、難しい都市間の移動が直ぐ出来たんだって。つまり、実南のお陰らしいよぉ。
僕はこのチャンスを逃したくなかった。
本当はやりたく無かったんだよぉ。それは事実。
だけど、実南と一緒にいたいけど……、それでも僕は実南が好きだと言ってくれた雲や雲海都市を汚したくなかった。
だから雲の精らしく、浄化を続けようと思ったんだ。消滅することになってもきっと後悔はない。
そうして、水の精クルレーに手伝ってもらいながら僕は浄化を行った。
最後は苦しくて周りなんか見てられなかったけど、あの感じだと多分上手くいったんだよね。
僕の目の前には泣いてる実南しか映らなかったから、確認しようがなかったんだぁ。
実南には申し訳無いことをしたけど、でも言いたいことを言って還ることが出来たから僕は満足。我儘で自分勝手でごめんね。
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魂だけとなった僕は、親である精霊王のもとへ還った。
そのときは自分の仕事を全うして、「次は何に生まれ変わるのかなぁ」なんて呑気なことを考えていた。いや、今思い直せば、多分実南に会えなくなったことへの寂しさを隠していたんだと分かる。
だから精霊王の言葉に驚いた。
「僕を人間に?」
精霊王の話によると、僕は他の生き物や精霊に生まれ変わることは無いらしい。
なんでもその理由が、僕は戦いで貢献したうえに、僕のお気に入り、つまり染まった相手だった実南のお陰で雲海都市が守られた。その功績を讃えて、特例で人間として現実世界に顕現させるかららしい。
現実味の無い話だったけど、つまりは実南のお陰で僕は人間として顕現することが出来るってことだよね?
更に僕は顕現ということなので、現実世界では生まれ変わりである“氷雲空”という存在が、もとから"あった"とされ、見た目や記憶はそのまま引き継がれるという特典付きなんだとか。
子どものいない家族のもとに顕現し、周囲の人たちの記憶にも“育ててきた” “仲良くしてた”という刷り込みがされているとかなんとか……。
よく分からないから、雲の精らしく、お願いしまーすと軽く返事した記憶あるなぁ。
そうして僕は、氷雲空として新たな人生を歩み始めた。
同じ世界で、君に再び出会えた。
平々凡々な人生だったけれど、実南に出会ってそれは変わったんだ。
僕と出会ってくれてありがとう。
雲が好きだと言ってくれてありがとう。
実南に目一杯の感謝を。
これからは実南の願いを、一番近くで叶えさせてね。
