その後実南は、水の精が水面都市に戻る際にクルレーの力によって現実世界へ戻って来た。
放心状態のまま起き上がる。
好きなもの、大切な存在のために只管真っ直ぐに進んできた。グラースに会いたくて、そのために決心して雲海都市へ向かった。
なのに、待ち受けていた結果は残酷なものとなってしまた。
目覚めたことに安心する両親、無事であることを喜ぶ幼馴染。けれどそんな彼女たちを前にしても、実南は笑顔にはなれなかった。
朱里と紗由理には事実を伝えた。
ただ一言。
「グラースが死んでしまった」
こんなことを言っても、二人を困らせるだけというのは分かっていた。
けれど誰かに言いたかった。そして、そっとして欲しかった。
我儘を言っている自覚はあるけれど、それでも、どうしたらいいか分からない自分の気持ちを吐露したかったのだ。
二人は実南を静かに見守っていてくれた。
励ますことも怒ることもなく、ただそばにいてくれた。
他のクラスメイトがどうしたのか聞きに来た際も、上手く誤魔化してくれた。そばでずっと支えてくれたのだ。
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実南は二週間経っても立ち直れなかった。その間一度も空を見上げていない。
周りにも迷惑がかかるので頑張って乗り越えようと試みるのだが、毎晩寝る前にグラースが消える瞬間を思い出し、涙が溢れてしまう。
どれだけ違うことを考えようとしても、彼の姿が頭から離れなかった。
七月に入ったある暑い日。
実南は幼馴染二人ともうすぐ始まるテストに向けて、集まって勉強をしていた。
夕方になり、このあと用事があるという朱里の為に三人は解散する。
一人重いリュックを背負いながら、ゆっくりと歩く。最近の彼女は、歩くスピードが遅くなった。
いつもの帰り道。
黒いアスファルトを眺めながら川沿いを歩いていると、近くで水の音がした。
何かが水をかき混ぜているような、そんな激しい水の音が聞こえる。
実南は慌てて橋まで駆けて行き、柵越しに下を覗く。
昔この橋から落ちてしまった人がいたのだ。もし今回も誰かが落ちていたら危ない。
そう思って音とした場所をよく見てみるが、水面が波打っているだけで、特に誰かが落ちた訳では無そうだった。
安心して息を吐き、視線を上げる。
「あ……——」
橙、赤、黄。暖色いっぱいで染められた空。
雲は向こう側から照らされているため、見えているこちら側は陰になり黒くなっていた。
けれどそれはあの禍々しいものではなく、寧ろ神秘的で素敵な景色だった。
久しぶりに眺めた空。
思えば戻って来てからは見ることを避けていたような気がする。
柵に手をかけ、日が沈むのをただ眺めていた。
実南の頬には勝手に零れた涙が通る。
グラースが守った景色。戦った証を見ないでどうする。
落ち込んでいた自分が情けなく思えた。
けれど美しい空を見れば見るほど、胸に浮かぶのはグラースの姿。悲しいものは悲しい。つらいものはつらい。
でもずっと落ち込んでいる訳にもいかないことも事実。
彼が消滅してしまったことは悲しいけれど。つらいけれど。それでも、グラースを思い出して泣くのは今日で最後にしよう。悲しさは、この神秘的な景色とともに、地平線へ閉まっておこう。
そう心に決めた実南は、綺麗な景色を眺めながら、最後の涙を流した。
そんな彼女の肩の揺れに気が付いたのか。一人の青年が声を掛ける。
「大丈夫ですか?」
驚き涙が止まる。
よく考えれば、この橋は人通りが少ないとはいえど住宅街だ。
そんなところで泣いているなんて、何も知らない人からすればドン引き案件である。
慌てて振り向き、笑いながら誤魔化す。
「す、すみません! ちょっと目にゴミが入って……あはは〜」
ついつい恥ずかしくて視線を泳がす。
そういえば先程の青年の声、どこかで聞き覚えがある。いや、そんなことはどうでも良い。一刻も早くここから去って欲しい。
「そうですか……。てっきり、僕のことで泣いてくれてるのかと思ったよぉ」
「え……」
最初の敬語から一変。
青年の喋り方は、実南がよく知る人物と似たものになっていた。
目を見開きながら、ゆっくりと顔を上げる。
彼の姿はよく見えなかった。その理由は、実南の瞳に涙が溢れていたから。もう枯れてしまったと思った涙が、目の前をぼやけさせる。
「もう、泣き過ぎだよぉ」
近寄る青年の姿を見て、実南は勢い良く走り出す。そのまま彼を抱き締めた。
視界に入った白い髪、銀に近い白い瞳。それはもうグラースそのものだった。
「会いに来るの遅くなって、ごめんね」
薄っすらと鼻声で語りかけるグラース。
実南は止まらない涙を気にすることなく、ただ彼の体温を静かに感じていた。
太陽が沈んでいく中、彼らは互いの存在を確認し合った。
もう二度と離れないように、固く強く抱きしめ合う。
暖かく吹く風。水の流れる音。風によってふわふわと揺れる雲。
それら全てが、彼らの再会を祝福していた————。
