辺りが騒がしいような気がする。
 眠りについたときよりも、周辺が明るい。
 その賑やかさに実南は目を開けた。

 暫くぼうっとしていたが、今いる場所が自分の部屋でないことに気付く。
 周囲を見回すと、自分が細い路地に立っていることが分かった。
 一瞬水面都市に来てしまったのかと思ったが、足元に漂う薄い雲を見てその可能性は直ぐに消える。

 本来の目的を思い出し、慌てて路地から出た。
 広い道に出た実南の視線に入ったのは、何隻かの舟と木箱。そして暗い雲の方へ伸びていく桟橋だった。

「これから浄化に行くの?」
 種族の違いなどお構い無しに、実南は近くの雲の精に話しかける。
「そうだよぉ。ここつい最近僕がいた雲海都市と繋がったんだけど、誰もいなくて……」
 繋がった誰もいない雲海都市。
 つまり、ここは浄化に出掛ける前に実南とグラースがいた雲海都市ということだ。
「浄化はまだ終わってないの?」
「終わってないねぇ。長引いていて、水の欠片が足りないみたいだから、僕たちも合流しに行くんだぁ」
 のんびり実南の話に付き合ってくれる彼の後ろでは、他の雲の精たちが一生懸命木箱を舟に積んでいた。
「お願い! 私も連れて行って!」
 目の前の雲の精に頭を下げる。
 一番良い形は、グラースのすぐそばに戻ることだったが、そう上手くはいかなかった。ならば彼のもとへ向かうという舟に、何としてでも乗せてもらいたかったのだ。

「ん〜。危ないよぉ?」
「分かってる。でも知り合いがいるの」
「ふーん。分かった、良いよぉ」
「ありがとう!」

 急いでいたからか詳しいことは聞かれずに、無事舟に乗せてもらえることになった。


****


 薄暗い雲が広がる中、五隻の舟は進み出した。
 まだ陽龍からは遠い為、あの恐ろしい声も禍々しい瘴気も濃くない。
 しかし体はあのときの恐怖を覚えている。
 簡単に雲海都市へ来てしまったが、再び陽龍に会うかもしれない事実に鳥肌が止まらなかった。

 実南はそんな考えを頭から振り払い、目の前に座る雲の精に話を聞くことに。

「ついこの間浄化に向かった雲の精たちは、みんな無事なの?」
 グラースと同じようなぼうっとした瞳を、実南の方へ向ける。
「分からないよぉ。聞いた話だと、雲の精の数は十分にいるのに、水の欠片が足りないらしいよ。だから僕たちが、都市に補充される度に届けに行くんだぁ。これは記念すべき一回目だねぇ」
 のんびり話す声につい気が抜けてしまうが、彼の言った内容を理解しようと頭を動かす。
 彼の話が正しいのならば……恐らく雲の精が足りているならば、皆生きている筈だ。一先ずホッとする。

「もう一つ聞いても良い?」
「良いよぉ」
「浄化って普段こんなに時間かかるの?」
 現実世界に戻ってから、どれくらいの時間が経っているかは分からない。
 けれど二日程は経っている筈。それなのにまだ援助が必要というのは、それだけ浄化に難航しているということだろう。
「水の欠片が足りないことが、一番の理由だろうねぇ」

 陽龍は大雨で弱らせてからでないと、浄化が難しい。しかし大雨を降らせるには、水の欠片が必要だ。
 どうやら今はその水の欠片が足りない状況らしい。
 グラースの安全への不安と、直ぐに水の欠片を届けられないことへのもどかしさに、実南は焦っていた。


****


 暫く舟を進めていると、周りの空気がどんよりと重いものに変わった。
 雲の色も黒や紫という禍々しいものに染まっている。
 小雨が降っているようで、舟や木箱に雨粒の当たる音がした。

「近くなってきたねぇ」
 小雨は浄化の際に生み出した雨の名残らしい。
 雨が近いということは、浄化を行なっている場所が近いということ。
 そろそろ陽龍が近いのかもしれない。

 そう思った瞬間、突然舟が大きく揺れた。
「わっ!」
「しっかり捕まっててねぇ。陽龍のお出ましだよぉ」
 まさか。声はしなかった。
 けれど彼の言葉に周りを見回すと、暗い雲を背景に真っ黒の龍が何頭か暴れていた。以前見たものよりも小さいサイズだった。
 しかし次の瞬間にはあの恐ろしい咆哮を響き渡らせるものだから、実南は勝手に身体が竦み上がってしまう。
 舟の縁を掴んでいる手に力が入らない。

 ビュンビュンと舟は素早く動き、陽龍の噛み付きを回避する。
 アトラクションのようだと言われればそうかもしれないが、シートベルトも安全バーも何も無い舟の上では、ただの恐怖でしか無かった。

 舟を動かす雲の精たちは慣れたように操作するが、その顔には焦った表情を浮かべている。
 彼らは水の欠片を守るのに必死なのだ。これが無ければ浄化は出来ない。そればかりか、先に向かった雲の精も消滅してしまう。それだけは防がなければならない。

 浄化する精霊だけでなく、水の欠片を運ぶ精霊たちも命懸けだった。