辿り着いた先は近所の橋。実南のお気に入りの場所だ。
太陽は住宅街が広がる地平線に沈もうとしていた。
眩しい黄色の光により、雲の無い青空はオレンジ色に染まっている。飛んでいる烏の影が、橙色のキャンバスによく映えた。
ぼうっとしたまま橋の柵に近寄る。
いつものように空を眺めた。長い間見続けたこの景色。
何かある際には、毎度ここから素敵な空を眺めていたのだ。
「半端な覚悟、か……」
確かにその通りだ。でもじゃあどうしたら良いのだろうか。
個人的にはグラースのもとに行きたい。迷惑かもしれないけれど、あのままのお別れは嫌だ。
しかし再び眠ってしまえば、両親に心配させてしまう。また二人にそんなつらい思いをさせるのは望んでいない。何より罪悪感で涙が出てきそうだった。
好きなことを好きなように追い求めていた結果がこれだ。無力で無責任な自分が情けなく思う。
こんなことなら、やっぱり都市や精霊のことは忘れた方が——
「実南?」
「お母さん……」
「やっぱりここにいた」
どうやら帰りの遅い実南を心配して、探しに来てくれたらしい。とはいえど実南の寄り道場所なんて、この橋しか思い当たらない為来てみれば直ぐに見つかったそうだ。
「何か悩みごと?」
「え、あ……えっと」
何故分かったのだろうか。
「母親は分かるもんなのよ」
エスパーのような読心術に驚く。
昔から由美に隠し事は出来なかった。
「お母さんは、大切なものをどちらか片方しか選べないって言われたら、どうする?」
母親を目の前にしたらスッと口が動き、自然と言葉が出た。
「お母さんはどうにかしてどっちも選ぶわよ」
「ずるい!」
「ずるくないわよ。どっちも大切なら、どうにかして両方を選べるように自分が努力をするわ。絶対に諦めないの」
「努力……」
自分に出来るだろうか?
グラースのもとに行きながらも、両親を心配かけないようにするなんて、そんなことは出来ない。
雲海都市に行っている間は眠り続けてしまうのだから、どう頑張ったって目を覚ますことは困難だろう。
「それにしても珍しいわね。そんな悩んでるなんて。あなたいつも猪突猛進じゃない。特に好きなことに関しては真っ直ぐで」
親子二人並んで空を眺める。
視線がそちらを向いているからだろうか。いつもよりすんなり言葉が発せられる。
「好きなことを追い求めたら、周りの人に迷惑をかけちゃうの。その人たちも大切だから、嫌な思いはさせたくない」
頭の中で家族や幼馴染二人を思い浮かべながら話す。
由美の次の言葉を静かに待っていた実南だったが、聞こえてきた言葉は予想を超えるもので。
「重い! 重く考え過ぎ!!」
「ちょっと! 真面目に悩んでるのに……」
静かな空気を壊す声に、つい驚いて実南も大きな声を出してしまう。
ごめんごめん、と謝る由美は笑っていた。
「若いうちから考え過ぎじゃない? あなたは優し過ぎるのよ。私なんか、若いときは色々な人に嫌な思いをさせたし、迷惑もかけたわ」
笑顔から一変。真剣な表情をする由美。
夕日に照らされたその姿は、自分の知っている母親とは別人に思えた。
「でもね、それは若いうちだから出来ることよ。経験出来るときにやっておきなさい。もしそれでも、罪悪感とかでつらいんだったら、迷惑をかけた後に謝れば良いのよ。それで年齢を重ねていく過程で、あのときこうしていたら良かったって気付いていくの。そうやって人は成長するのよ」
夕日を眺めていた視線は、いつの間にか交わっていた。
美しい夕焼けの中、母親から子どもへの教示が行われている。
空間には二人だけのような気がして、何より由美の言葉が特別なものとして実南の耳に入っていった。
「誰だって最初から上手く出来る人はいないわ。今は失敗が出来る期間。そして好きなことを好きなようにやっていい期間。悩んでいる暇があったら、まずは行動してみたら?」
あぁ。本当に母親という生き物は凄いものだ。
欲しいと思った言葉をそのときにくれる。そしてそれが自分の成長へと繋がっていくのだ。
「あ、でも事前に分かっていることがあるなら、それはちゃんと周りの人に伝えておくのよ。そうすれば怒られることも少なくなるし」
悪戯っ子のような笑みを浮かべ補足する由美。
その言葉に吹き出せば、彼女も満足そうに笑った。
「さ、帰りましょ」
「はーい!」
肩を並べて歩く親子。
幸せな時間が流れている中、実南は晴れやかな表情で決意した。
グラースのところに戻る。浄化が終わるまでそばにいたい。これは譲れない本心だ。
誰にも否定させない固い意志を持った彼女は、その瞳に今日の夕焼けを閉じ込め、今夜グラースのもとに行くことを確かなものとした。
****
「そういえば、迷ってた大切なものって何?」
「え! そ、それはまだ言わない!」
「まぁ、良いけど……相当好きなのね」
「好き?」
「違うの? そんな風に何度も悩むなんて、それが凄く好きで大事ってことなんじゃないの?」
この場合の大切なものは、家族や幼馴染。そしてグラース。
確かに実南は家族も友人も好きだった。しかしグラースはどうだろう?
そういったように考えたことは無いが、何故かしっくりくる。
「好き……」
グラースが好き。
頭の中でその言葉を思い浮かべてみると、心が納得いくと同時にドキドキした。
それが友情からのものなのか、それとも恋愛感情からくるものなのかは未だ分からないが、でも彼が好き。それは紛れも無い事実のような気がした。
グラースのことを思い出すと、凄く幸せになる。胸がキュ〜っとしたと思ったらポカポカと温かいものが広がる。
考えただけで笑顔になってしまう。一緒に過ごした時間が宝物のように思えた。
公園で朱里が言っていたことを思い出す。
『わざわざそんな危ないところに行く理由はなんなの?』
危険を冒してまで会いに行きたかったのは……グラースに会いたかったのは、きっと彼が好きだから。
一緒にいたいと思える存在だから。ずっと仲良くしていたいと思える存在だから。
「そうか、そうだったんだ……」
「何か気付いたの?」
「……うん。理解したらなんかスッキリしたかも」
「それは良かった」
先程までとは異なる雰囲気を纏う実南。
その姿に成長を思わせ、由美はどこか寂しさを含む幸福を感じた。
