電車に乗り、家の近くの昔よく遊んでいた公園に辿り着いた。
時間は十六時過ぎ。大して広くない公園には小学生くらいの子どもたちが何人も遊んでおり、静かな住宅街に賑やかな声が響いていた。
実南たち三人は、遊具から少し離れたベンチに座る。
座るといっても二人掛け故に、座っているのは実南と紗由理のみ。朱里は実南の目の前に腕を組んで立っていた。
恐る恐る彼女に目を向けるが、その表情は怒っていなかった。
朱里はただ真剣な顔をしていた。
「朱里?」
「ねぇ、昨日私がなんて言ったか覚えてる?」
「え……」
昨日。帰り際に朱里が言ったのは「今まであったことを忘れろ」というものだ。
「今日ずっとウジウジしてたでしょ。全然忘れられて無いじゃない」
相変わらず強い口調で話す朱里。
実南には分かっていた。彼女はただ心配してくれているだけで、別に怒っている訳では無いと。
けれどどうしても、“忘れる”なんてことは出来なかった。
「……無理だよ」
「何?」
「忘れるなんて無理だよ! 今もまだグラースが危険な状況にいるって分かってるのに、何も考えずに生活しろなんて絶対に無理……」
様々なことが頭を駆け巡り、脳内がごちゃごちゃになる。
「じゃあ、どうするの? 実南はどうしたいの?」
どうする、どうしたい。
分からない。正直なところ、今直ぐにでもグラースのもとに戻りたかった。
けれど家族や友人たちの反応を見て、それを再び行うなんていうのはとても残酷なことだとも思う。
実南は自分の気持ちが分からなかった。
いや、分からないというよりは、どちらかを選択したときに、選ばなかった方へ与える影響に責任を持てなかったという方が正しいだろう。責任を持つ勇気と覚悟が無かったのだ。
「分からない……」
「分からない? 迷っているなら忘れなさい。半端な覚悟しか無いなら、全員に失礼だわ」
「……そんな風に言わなくたって良いじゃん! 朱里は体験してないから分かんないんだよ!」
カッとなって強い口調で反論してしまった。ハッとして周りを見るが、子どもたちはいつの間にか帰っていたようだ。公園にいるのは自分たち三人だけだった。
——分かっていた。朱里の言っていることが正しいということは分かっていた。
でも図星を突かれたからこそ、反論せずにはいられなかった。実南にとって、そう簡単に割り切れる問題ではないのだ。しかし、実南一人だけの問題でも無いことも事実だ。
「ええ、分かんないわよ! でもあなたが眠っていた間、家族や紗由理がどんな思いでいたかは分かっているつもりよっ!」
「それは……」
「それに、わざわざそんな危ないところに行く理由はなんなの! あなたが行ったところで何か出来ることはあるの!? 無いでしょ!?」
「無いけど……!」
それでもグラースは大切な友だちだ。
家族は大切。友人だって大切だ。でもそれと同じくらい、グラースが大切だ。
実南は友だち想いである。故に出会って仲良くなってしまえば、その相手がとても大事な相手になってしまうのは必然だろう。
そんな彼が今大変な状況にある。
ならば自分に出来ることが無くとも、じっとしてはいられない。そう。これは実南の我儘だ。
「無いけど、心配だもん……」
「何回言ったら分かるのよっ! あなたのお母さんがどれだけ心配していたことか! あんなに狼狽えている姿を、今まで見たこと無いわ」
電話越しに伝わる混乱は勿論、見舞いに行ったときの彼女の姿は、出来ることならもう二度と見たくない程だ。
顔色は悪く頬は薄っすら痩け、結っている長い髪はボサボサ。こう言ったら失礼かもしれないが、まるでゲームや映画に出てくるゾンビのようだった。
母親のことを話題に出されると、実南は何も言えない。
俯いてしまう実南に寄り添い、背中をさする紗由理。彼女は何も言わず、ただ二人の会話を聞いていた。
「考え直しなさい。そんな生半可な人が戻ったところで、邪魔になるだけよ」
そう言って朱里は公園から出て行ってしまった。
鼻に付くような言い方に反論したかったが、彼女の言うことは事実だ。これ以上言い争いになるのは良くない。あとは自分で考えることだ。
そう思った実南は黙って朱里が帰るのを見送る。
****
朱里が帰って暫く立った頃。
不意に紗由理が立ち上がった。
実南に向かい合う形となるよう、目の前に立っている。
「実南ちゃん」
「……なあに」
少し不貞腐れながら返事をした実南。
「朱里ちゃんの言いたかったことは分かるよね?」
変わらず柔らかい言葉で言い聞かせる。
幼い頃からこの形だ。朱里が厳しく伝え、そのあとは紗由理が穏やかにフォローする。
「うん……」
「じゃあもう一度考えてみて。朱里ちゃんは心配しているだけで、しっかり自分なりに考えた意見は尊重してくれると思うよ。いつもそうでしょ?」
「うん」
そう。朱里は不安定な実南の判断に怒っていたのだ。
ハキハキとした性格故に、どっちつかずの状態で居ていしくないのだろう。
紗由理がそれをやんわりと伝え、実南は頷く。
どちらもタイプの違う母親のようだった。
****
こうして紗由理も帰って行く。
公園のベンチに取り残された実南は、暫くそこでぼうっとしたあとゆったりと歩き始めた。
具体的な時間は分からないが、夕焼けが見える。
彼女の足は自然とあの場所に向かっていた。
